Japanische Gesellschaft für Germanistik
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大宮 勘一郎 (東京大学)
Schneller als Moskau selber lernt man Berlin von Moskau aus sehen. (Walter Benjamin: Moskau)

 こう猫も杓子もとなってはさて、と思い立ったはいいけれど、言葉のプラクティカルな訓練がいつ頃からか「運用」能力の向上とか呼ばれるようになり、何だかなあ、と及び腰だったのである。それから十数年、結局頓珍漢なことばかりしている。有り体にいうと、英米特にアメリカの現代小説を時々手にするようになったという、ただそれだけ。「マネジメント」の練習になどなりやしない。

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須賀洋一(関西学院大学名誉教授)
ヘッベルは1813年3月18日に北ドイツの小さな町ヴェッセルブーレンに生まれている。町の規模からすると、不相応に大きな教会が町の中央にでんと控え、町のシンボルになっている。町の道はこのバルトロマイ教会を中心にして、各方面に放射線状に伸びている。私の書斎には、町に一軒しかない本屋で買い求めた小さな水彩画が掛かっているが、その絵は教会のやや青味がかった尖塔を囲んで左右に伸びているこの町の全景を描いている。今年は生誕200年ということもあり、さまざまな記念行事がおこなわれ、また詩人の没後150年ということもあり、ヘッベル協会が主催する詩人の生地へのバス旅行も企画されている。私はこれまでに四度ほどこの町を訪れているが、その度にヘッベルムゼウムの壁一面の本棚に、整然と並んだ研究論文に圧倒されたことを今でもありありと覚えている。1999年に訪れた時は、新聞記者の訪問を受け、翌日の新聞にれいれいしく記事がのり、面映ゆいおぼえをしたことが、いまになるとなつかしく思い出される。新聞の見出しは“Besuch aus Fernost im Hebbelmuseum”であった。

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義則孝夫(関西学院大学名誉教授)
数年前、まだテレビのデジタル化が進んでいなかった頃、衛星放送は特別扱いで、NHK にはBS1、BS2、BS3 と三つのチャンネルがあって、それぞれ特殊なテーマの画面を提供してくれた。私はその頃、テレビと言えばもっぱらこのBS放送を見ていた記憶があるのだが、そんなある日、どのチャンネルか覚えはないが、突然、何の由縁もなく、……というのは、おそらく番組の変わり目であったのであろうが、私の思いでは、その前後の画面とは何らの関係もなく、まったく唐突にどかりと、ブラウン管全面を巨大文字で占領して、Ludwig van Beethoven の名前が表示されたのである。しかも、それには次のようなルビが付してあった。〈ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン〉(?)…… 私はこれを見て、思わず吹き出してしまった。次いで、思わず知らず、頭を左右に振っていた。これはいかん、という所作である。テレビのことだから、たいていの愚昧は辛抱するが、ドイツ語講座などを正規番組で放送しているNHK がこんな過ちを犯してくれては困るのである。昔、テレビの開花期に「国民一億総白痴」という名文句を吐いた硬骨の評論家(たぶん大宅壮一さん)がいたが、わざわざ用もないのに原語を示してその下にルビを付せば、このドイツ語はカタカナ書きのとおりに発音するのだと、誰しもそう教わったと思うのが人情である。ところがこれは実態に反する。このカタカナ書きの中に幾つ誤りがあるか、お分かりかな。まず始めの〈ルード〉は〈ルート= 清音〉である。次いで〈ヴァン〉はドイツ語学習者には不満であろうが、〈ファン〉である。ここはオランダ語風に濁音〈ヴ〉ではない。次いで最後に苗字は造語的に区切れば〈Beet・hoven〉であって、したがってその発音は〈ベートホ―フェン〉である。日本人に親しい、というよりも全世界で親しまれているベートーヴェン= ベートーベンは、ドイツには居ないのである。

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松永美穂(早稲田大学)
 川村二郎さんについてのエッセイを、広報委員会からリクエストされました。川村さんとのおつきあいが長かったとはいえないわたしにその資格があるのかとためらいましたが、生前の川村さんと最後に一緒に仕事をさせていただいた学会員はわたしかもしれないと思い、いまこうしてパソコンに向かっています。

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林 敬(元北陸大学教授)
 もう、かなり前のことになるが、確か「ルーティンと化したドイツ語教育」というようなタイトルの論説が『ドイツ語教育部会報』に載っていた。詳細はほとんど覚えていないが、言わんとするところは、ドイツ語教育の名誉ある縮小云々であったような記憶がある。その後しばらくの間、ドイツ語教育部会でも、教養課程におけるドイツ語教育のあり方として、実用言語としてのドイツ語教育か、あるいは文化言語としてのドイツ語教育か、という論争があったように思う。

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松浦 純
NHKラジオ外国語講座に関して、昨年4月初め、英語以外の7言語に関係する13学術団体の代表者が連名でNHKに要望書を提出したこと、また、それに基づいて、5月末にはそのうち代理を含む9名が橋本元一NHK会長(当時)と会見し、要望を直接伝えたことについては、当ホームページでご報告したところです。内容については「長期掲載情報」をご参照ください。そこでも触れた、一週間の講座の(同内容の再放送枠を含めた総時間数ではなく)「正味時間」を減らさないでいただきたい、出来ればむしろ増やしていただきたい、という点を中心に、その後も制作責任者の方々と幾度か話し合いの機会を持ちましたが、それをつうじて我々の要望が基本的に受け入れられ、講座正味時間充実の方向で具体的な検討が進められた、と聞いています。

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樋口忠治(九州大学)
高等学校卒業時にドイツ語担当の磯部講師(医学部進学課程教授)に勧められて、九州大学文学部独文科に赴任してまもない高橋義孝教授のもとで学ぶことにした。ここでは、ドイツ文学の他、S.フロイトやC.G.ユングの深層心理学およびA.ハウザーの芸術史の哲学を学んだ。また、印度哲学科の伊原照蓮助教授から古典サンスクリットの手ほどきを受けた。古典サンスクリットを学んだことは、後にドイツ語文法の理解をする上で大いに役立った。例えば、ドイツ語における「再帰動詞」の全体像は、サンスクリット文法におけるアートマネーパダとパラスマイパダの理解がなければ判らない。

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高辻 知義(九州産業大学)
この春、フランクフルト大学のラルフ・ライナー・ヴーテノー名誉教授が、日本独文学会の招きで来日し、戦後の日本のゲルマニスティクを回顧する企画で講演しました。以下、日本の独文学界への積年の貢献とその人柄を紹介しましょう。1928年2月24日、北ドイツのレンツブルクで生まれた先生は戦後、ハイデルベルク大学でゲルマニスティクを学び、1952年に„Josef Hofmiller als Kritiker und Essayist“の題で博士号をとりましたが、当時、ゲルマニスティクが芸術作品を相手にする学問である、という意識もない教授たちに対して不満があり、ロマニスティクや比較文学研究へと関心を広げました。同時に、外国へ出たいという気持と遠い日本への憧れが目覚めてきた中で、ドイツ滞在中であった手塚富雄東大教授に紹介され、外国人教師の職を世話されて、ヴーテノーさんが岡山大学へやってきたのは1956年でした。

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酒井 府(獨協大学)
私の脳裏に六十年以上も長い事、強烈かつ鮮明に残っている一本の日本映画があった。正確な年度の記憶は無いが、太平洋戦争中の1943年か1944年に、つまり私が九歳か十歳、いわゆる国民学校(小学校)三年生か四年生の時、地上を走る京王線新宿駅から遠からざる、現在はもうとっくに廃止されて存在しない幡代駅(現幡ヶ谷駅の一つ手前)の近辺で、京王線に沿って存在し、やはり現在は跡形もない幡代映画館で観た映画である。

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認識の色メガネ?(K.Hosaka)[J]

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ゴールデン・リレーエッセイ
  投稿日: 2007-11-11 9:38
保坂一夫(日本大学)
かつて、ハインリヒ・フォン・クライストは、カントを読みその物自体と現象に関する哲学に影響されてヴィルヘルミーネ・フォン・ツェンゲ宛に「われわれが真理と呼ぶものがほんとうに真理なのか、それともそう見えるだけなのか、われわれには決定できません」と書き送り、併せてその根拠を、ガラスの比喩を用いて「もしもすべての人間が眼でなく緑色のガラスをつけているとしたら、人間は、自分がそれを通して見ている対象が緑色であると判断せざるをえないのです」(„wenn alle Menschen statt der Augen grüne Gläser hätten, so würden sie urteilen müssen, die Gegenstände, welche sie dadurch erblicken, sind grün“)と説明した。1801年3月22日のことである。

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