| 岩﨑大輔(昭和音楽大学非常勤講師) |
ドイツ語の授業を大学や高校で担当してから7年が経つが、数年前から私の授業では受講する学生に学習記録をつけてもらっている。学習記録の話をいろいろな先生方にお話すると、それはどういうものですか、と聞かれることが最近多くなった。学習記録を授業に取り込んだ直接のきっかけは独文学会、ドイツ語教育部会共催のドイツ語教員養成・研修講座に参加したことだ。大学院を出たらドイツ語を教えるということに関してそれまでは漠然としか考えていなかったが、講座を通してドイツ語教育、外国語教育、教育一般などに目を向けることができるようになった。その中で学習状況を記録するという勉強方法やポートフォリオというものに出会った。自律した学習者を生み出すために、学習記録を通して学生自身に考えてもらうことができるのではないか、ドイツ語を勉強しているけれどもどの程度身についているか良く分らない、といった学習者の戸惑いを少しでも解消することができるのではないか、と考えてさっそく学生たちに書いてもらうことにした。
| 村田幸子(福井大学) |
北陸の小さな福井県が、ハンブルクから約40km南下したドイツ・ニーダーザクセン州・ヴィンゼン(ルーエ)市およびその周辺を含むハールブルク郡との間に、友好協定を締結したのは、ちょうど10年前に遡る。2009年10月31日、この友好協定調印10周年記念式典が、ドイツで盛大に催された。ここに、その報告の場を得たので紹介させて頂きたい。
| 山室信高(一橋大学) |
今年2009年は太宰治、松本清張、大岡昇平といった有名作家たちの生誕100年にあたり、各地で朗読会や講演会が開かれ、出版キャンペーンが相次いで張られ、関連映画も封切られるなどいつにない賑わいを見せている。これらの作家たちに交じって、やや地味ながら独特の魅力を湛えて同じく生誕100年を迎えているのが中島敦である。中島敦といえば、若い世代には国語の教科書に採り上げられている『山月記』によってその名を憶えている人が多いだろう。年輩の方々では中国古典に取材した『李陵』や『弟子』に感銘を受けたという人が多いと思う。私などは「ツシタラ(物語作者)」スティーヴンスンのサモアでの晩年の日々を描いた『光と風と夢』の爽やかな読後感が忘れがたい。
| 柳原初樹(甲南大学) |
1949年5月にドイツ基本法が施行されて、今年は60周年になる。現代ドイツにおける議会制民主主義や法治国家制度については改めて言を要さないであろうが、現代ドイツの政治文化を表現する言葉として、「憲法愛国主義」(Verfassungspatriotismus)と「市民的勇気」(Zivilcourage)が定着している。ドイツで憲法にあたる「基本法」に示された民主性の特徴は、その民主主義擁護のための闘争的性格にあろう。基本法は、79条で、連邦議会並びに参議院で三分の二の賛成によって改正が可能であるとしており、戦後50回以上の改正がなされてきたが、「連邦制原理」、「民主主義原理」、「社会的国家原理」、「国民主権」、「国家権力の分立」、「各権力の法への拘束」、「共和国原理」、「自由民主主義的基盤」、「人権の不可侵」は改正が許されないと明言している。例えば、21条2項や第9条2項、第18条等は「自由で民主的な基本秩序の擁護」についての規定である。
| 高橋 美穂(東京外国語大学大学院修士課程),信國 萌(東京外国語大学大学院修士課程) |
今年の語学ゼミナールは、8月25日から8月28日に京都で行われました。総合テーマは「統語、プロソディー、情報構造のマッピング:理論と実践」で、多くの先生方や博士課程の方々の発表がありました。また、招待講師であるPotsdam大学のCaroline Féry先生からは、25日から27日までの3日間に渡り、先生の最新の研究成果を含めた、より専門的な講演をしていただきました。今回が初参加となる私達にとっては、先生方の講演内容は、すべてがドイツ語ということもあり非常に難しく、特にFéry先生のお話は知っている単語を聞き取ることで精一杯、という状態でした。あまりの分からなさに、初日の夜には「東京へ帰ろうか」とこっそり話していたほどです。
| 小宮正安(横浜国立大学) |
「狂言風オペラ」なるプロジェクトで脚本を書くようになって、数年経つ。モーツァルトのオペラをベースに、2006年には『フィガロの結婚』、この秋には『魔笛』が初演された。読んで字のごとく、狂言とオペラを合体させたものだけれど、もう少し説明がいるだろう。
| 大宮 勘一郎(慶應義塾大学) |
『彼岸過迄』というのは前年の四月頃から支度し始めて、翌年の彼岸過までかかる予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題である。
ドイツ文化ゼミナールは、春分の日を挟む七日間ないしその次週あたりに、蓼科を会場として開催される。日本の学年暦からすれば、終わりと始まりの間の時期にあたり、両者の間に節目を刻みながらも繋ぎ合わせる、まさにお彼岸のような格好である。昨今は終わりも始まりもなく、一息ついたかつかぬかのうちに新学期に入ってしまうから、前の此岸から次の此岸へとだらだら陸続きのような感じがするが、やはりお彼岸はあったほうがよい。
ドイツ文化ゼミナールは、春分の日を挟む七日間ないしその次週あたりに、蓼科を会場として開催される。日本の学年暦からすれば、終わりと始まりの間の時期にあたり、両者の間に節目を刻みながらも繋ぎ合わせる、まさにお彼岸のような格好である。昨今は終わりも始まりもなく、一息ついたかつかぬかのうちに新学期に入ってしまうから、前の此岸から次の此岸へとだらだら陸続きのような感じがするが、やはりお彼岸はあったほうがよい。
| 宮下博幸(金沢大学) |
語学ゼミナールは例年8月下旬から9月上旬に開かれる。期間中、参加者は宿のセミナー室に缶詰めとなり、残暑きびしい夏を忘れて講演を聞き、議論する。夏は、遠くにかすかに聞こえる蝉の声や、休憩時にロビーの窓から差し込む強い日差しに、時折感じられるばかりだが、ゼミが終わって最終日に外に出ると、とたんに現実の夏世界に引き戻される。語学ゼミが別世界であったことに気付く瞬間である。充実感と同時に、いくぶん寂しいような気がするのもこのときである。語学ゼミに参加されたことのある方は、私だけではなく、他にもこのような感慨を共有している方が少なくないと思う。
| 松永美穂(早稲田大学) |
川村二郎さんについてのエッセイを、広報委員会からリクエストされました。川村さんとのおつきあいが長かったとはいえないわたしにその資格があるのかとためらいましたが、生前の川村さんと最後に一緒に仕事をさせていただいた学会員はわたしかもしれないと思い、いまこうしてパソコンに向かっています。
| 林 敬(元北陸大学教授) |
もう、かなり前のことになるが、確か「ルーティンと化したドイツ語教育」というようなタイトルの論説が『ドイツ語教育部会報』に載っていた。詳細はほとんど覚えていないが、言わんとするところは、ドイツ語教育の名誉ある縮小云々であったような記憶がある。その後しばらくの間、ドイツ語教育部会でも、教養課程におけるドイツ語教育のあり方として、実用言語としてのドイツ語教育か、あるいは文化言語としてのドイツ語教育か、という論争があったように思う。


