『ドイツ文学』156号(混合誌)特集テーマ(2017年9月15日原稿締め切り)

『ドイツ文学』156号特集テーマ
社会言語学の射程



私たちはことばを用いて暮らしている。ことばによって情報を伝達し、相互に理解し合い、人間関係を構築している。また、その都度の感情を表し、ことば遣いによって自分自身がどんな人間であるかを示している。逆に言えば、ことばがなければ情報伝達ばかりでなく相互理解もできないだろうし、人間関係の構築も、感情やアイデンティティを表すこともできないに違いない。だが、ことばは常にポジティブなものでもない。人はことばによって傷つけられたり、差別されたり、操作されたりもする。知らず知らずのうちに、暴力をふるっていたり、争いごとに加担したり、安全神話のようなものを鵜呑みにしている。社会言語学は、そのような、現実の社会において人がことばを用いて生活している実態に関心をもち、人とことばと社会の関係に関する問題を扱う。
社会言語学は1960年代の後半から1970年の前半にかけて発展し、今では一つの独立した学問分野として認められている。社会言語学が登場した背景には、言語を社会的なコンテキストから切り離して研究しようとする構造主義言語学やチョムスキー(N.Chomsky)の生成文法に対する批判と反省があった。アメリカの社会言語学の創始者達は、社会的なコンテキストの中で用いられていることばに関心をもち、ヨーロッパでは、ことばによって引き起こされた社会問題を解決しようと学生や若い研究者がこの分野の研究を推進した。
フィッシュマンが呈示したWer spricht welche Sprache wie und wann mit wem unter welchen sozialen Umständen und mit welchen Absichten und Konsequenzen?という問題提起は、マクロ社会言語学の問題ばかりでなく、ミクロ社会言語学の問題も含んでいる。「誰がどの言語を用いるのか」という問いかけは、ことばの地位、あるいは言語政策というマクロ社会言語学の問題と結びついている。また「誰が誰に対してどのような言語表現を用いるのか」という問いかけは、対面コミュニケーションにおいてどのような表現形式を用いるのかというミクロ社会言語学の問題と関係する。そして、それらの問題をより詳細に調査しようとすると、話し手の年齢や世代、ジェンダー、アイデンティティ、所属するグループ、宗教、民族、国家、社会階級、社会的な役割、あるいは言語規範、規範に対する態度、威信、もしくはスティグマ、ことばが用いられるそれぞれの場面、社会的領域、制度、サブカルチャー、文化などを考察する必要が生じる。
このように守備範囲が広いため、社会現象に関係することばの問題であれば、あるいはことばの問題と関連する社会現象であれば、いかなるものも社会言語学の対象になり得る。しかし、だからこそどんな問題意識を持って研究するのかが問われる。
難民の受け入れや原発に関する言説、ヘイトスピーチや外国人差別、隠蔽と嘘、多言語・多文化共生社会の条件、方言と標準語、移民や外国人労働者、あるいはその子どもたちに対する言語教育政策のあり方など、現代のドイツと日本が共有する問題は少なくない。ことばの問題を社会と結びつけて論じようと、社会の問題をことばと結びつけて論じようと構わないが、この現実の社会において使われていることばの問題に関する幅広い論考を期待したい。それらによって、社会言語学の射程の一端が明らかにされるであろう。