<日本ドイツ学会>シンポジウム「ジェンダーで読むドイツ」
シンポジウム テーマ 「ジェンダーで読む ドイツ 」

開催日: 6月23日 (土)
会 場: 明治大学 駿河台校舎リバティータワー13F-15F

 今年のシンポジウムのテーマは、「ジェンダーで読むドイツ」である。ジェンダーは社会的・文化的に形成された性差で、性別役割や性別規範を含意し、そこには非対称な権力関係が存在する。意外に思われるかもしれないが、ドイツ学会で「ジェンダー」というテーマを正面からとりあげるのは、今回がはじめてである。能力主義、自己責任が叫ばれる今日、「フェミニズムは終わった」という見方がある一方で、日本ではバックラッシュによる露骨なジェンダー攻撃が跋扈し、ジェンダーは危険視され、政府文書から「ジェンダー」という用語を削除しようという動きすら見られる。遅すぎた感もあるけれども、逆風の吹いている今だからこそ、歴史遡及的にジェンダーについて考察する意義があるといえよう。

 今回は、「男性は仕事、女性は家庭」というジェンダー規範の形成期である近代にウェートを置きながら、変容著しいとはいえ依然として私たちを拘束しつづけている現代までの長いタイムスパンを扱う。ジェンダーの歴史的構築性とその帰結について振り返り、その上で、女性初のメルケル首相の登場など今後の社会の行方についても展望してみたい。

 男女の果たす役割や地位が社会的要請に従っていた前近代とは異なり、啓蒙時代には性性役割は「自然の性差」のみによって決定されるという言説が登場し、男性は本質的に強靭、理性的、能動的なのに対して、女性は脆弱、感情的、受動的という二項対立なジェンダー把握が登場した。男性性/女性性という非対称的な差異は、政治・経済・社会・文化のあらゆる制度形成のなかに組み込まれ、近代社会を秩序づける抜本的なカテゴリーの一つとして機能したのである。

 そこで、まず啓蒙期に注目して、「自然の性差」とされた男らしさ/女らしさがいかに歴史的に構築されたのか、を明らかにする。次に、ジェンダーが文化にどのように表象されているか、あるいは文化形成、文化実践にジェンダーがどう関係しているのか、という問いについて音楽を例に、日本とも比較しながら考察する。さらに、社会における男女の居場所の前提条件となる教育について、教育のジェンダー格差と、その変容について取りあげる。最後に福祉に関して、近代の福祉制度のなかにジェンダーはどう組み込まれているのかという問題から出発し、現代における社会国家の揺らぎまでを視野に含めながら論じることにする。

詳細は http://wwwsoc.nii.ac.jp/jgd/