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(2)掲載依頼情報
(2)掲載依頼情報 : <阪神ドイツ文学会>第227回研究発表会のご案内
投稿者 : teraday 投稿日時: 2018-11-12 20:15:20 (149 ヒット)

第227回研究発表会のご案内



標記の研究発表会を下記のように開催いたしますので、多数ご参集いただきますようご案内申し上げます。第226回研究発表会が荒天により中止となったため、今回、例外的に午前中に第226回研究発表会で予定されていた発表(三つのうち発表者から再度発表希望のあった二つ)を、そして午後にシンポジウムを開催する予定としております。



日時:2018年12月15日(土)11時00分より(土曜日開催)
場所:阪南大学 本キャンパス 2号館 2301号室

所在地:〒580-8502 大阪府松原市天美東5-4-33 TEL:072-332-1224(代表)
会場アクセス:
近鉄南大阪線「河内天美駅(阪南大学前)」下車 徒歩約6分
詳しくは以下のサイトに案内があります。
キャンパス内マップ:https://www.hannan-u.ac.jp/campus/index.html
アクセス:https://www.hannan-u.ac.jp/access/mrrf430000003cq1.html

※キャンパス近隣には喫茶店やレストランが少なく、学生食堂も混雑が予想されますので、昼食にはできるだけお弁当等をご持参ください。

11:05-11:45:研究発表1
発表者:大杉奈穂(神戸大学大学院 人文学研究科 博士後期課程)
題目:他者との「神秘的合一」の向かう先―ヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』における仮面舞踏会の描写について―
司会:久山雄甫(神戸大学)
発表要旨:

ヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』には、主人公が仮面舞踏会で不特定多数の他者との合一を体験する場面が描かれる。この場面は、主人公が固執していた人格が解体されたことを暗示するものであるが、作品が書かれた時代背景を勘案すると、ナチズムに通じる群集心理の肯定とも捉えられかねない危うさがつきまとう。ヘッセは1912年にスイスに移住しており、それゆえ群集心理の危険性を把握していなかったのか、という問いも浮上せざるを得ない。Weyergraf/Lethenは群集社会における個人に関する研究において本作品を取り上げているものの、概観するにとどまり問題の核心には迫っていない。本発表では、上記の場面が果たして群集への埋没を肯定するものであるのか、また、なぜヘッセは誤解を招きかねない場面を書いたのかについて考察する。その際、東洋思想からの影響も考慮しつつ論を進めていく。ヘッセの中期以降の作品を分析するにあたって、彼が真摯に取り組んだ東洋思想からの影響は看過することはできないからである。

11:50-12:30:研究発表2
発表者:小西優貴(関西大学大学院 外国語教育学研究科 博士前期課程)
題目:Twitterにおけるドイツ語とトルコ語のコードスイッチング―文法構造の分析を中心に―
司会:高橋秀彰(関西大学)
発表要旨:

インターネットの普及に伴い、二言語間のコードスイッチング(以下、CS)の研究は、自然会話を超え、SNSなどオンラインでのコミュニケーションにその対象範囲を広げている。TwitterにおけるCSの研究もそのうちの一つで、ドイツ語とトルコ語のCSに関しては、Çetinoğlu(2016)によるコーパスが存在する。本発表では、このÇetinoğlu(2016)のコーパスをデータとし、Myers-Scotton (1993)の“matrix language frame model”を用いて、Twitterにおけるドイツ語とトルコ語のCSの文法構造を分析し、その特徴を考察する。また、キーボードの言語設定という技術的な制約が、CSにおける綴り方に与える影響にも注目する。Twitterにおいては挨拶や慣用句などでCSが頻繁に起こることや、両言語の動詞成分を使用した二重構造分が見られることなど、自然会話とは異なる点を明らかにしたい。

(昼食休憩)

13:30-17:20:シンポジウム
東ドイツ(DDR)再考―政治と文化の力学
司会:山本佳樹(大阪大学)
発表者:木戸衛一(大阪大学)・和田ちはる(明治学院大学)・山本佳樹(大阪大学)・市川明(大阪大学)


《シンポジウム趣旨》
ベルリンの壁崩壊からはや30年が経とうとしている。東が西に吸収されるかたちで急速に統一がなされたことは、いまなおドイツにさまざまな問題を残しており、東ドイツ(DDR、ドイツ民主共和国)とは何だったのか、という問いはけっして回顧的な問いとはいえないだろう。今回のシンポジウムでは、戦後史をふまえつつ、とりわけ「転換期」(Wende)に焦点をあわせて、東ドイツをいまの視点から捉え直すことを試みる。東ドイツでは社会・文化現象のあらゆる分野において政治が明瞭に浸透していた。そこで、政治と文化の力学という観点から、東ドイツの政治、音楽、映画、演劇などに幅広く光を当て、それぞれが交錯するなかにひとつの像を浮かびあがらせてみたい。

《プログラムと要旨》
0.山本佳樹: シンポジウムをはじめるにあたって

1.木戸衛一: 「ヴィスムート」―モスクワのためのウラン採掘
ザクセン州からテューリンゲン州にまたがる一帯では、DDR時代、「ヴィスムート」(Wismut)のコードネームで、ソ連の核兵器開発のためのウラン採掘事業が展開されていた。一時期DDRを世界第3位のウラン採掘国に押し上げたヴィスムートは、内部の実態が明らかでなく、事実上「国家の中の国家」的な存在であった。世界的な映画監督のコンラート・ヴォルフKonrad Wolfの初期作品『太陽を探す人々』Sonnensucher(1958)は上映禁止の措置を受け、自身ヴィスムートでの労働経験があるヴェルナー・ブロイニヒWerner Bräunigの『遊園地』Rummelplatz(1965)は長らく「戦後最も有名な未公刊小説」であった。ソ連での過酷事故を受けて、クリスタ・ヴォルフChrista Wolfの『チェルノブイリ原発事故』Störfall(1987)も発表されたが、ヴィスムートの事業自体は、さまざまな環境・健康被害にもかかわらず、DDR崩壊でようやく終焉を迎えることになった。
報告では、ヴィスムートの概要を紹介するとともに、特に『太陽を探す人々』に焦点を当て、その今日的意味を考察する。

2.和田ちはる: DDRの「現代音楽」
初期のDDRでは、政策上いわゆる「現代音楽」に対する風当たりが強かった。そのため、この頃の東西の音楽状況は明確に異なっている。しかし転換期には、この領域における響きの上での違いはそれほど大きなものではない。それでもそれらは同じではなかった。
DDRにおける現代音楽の初期の代表者は「ブレヒトの作曲家」として知られるハンス・アイスラーHanns Eisler (1898-1962) と パウル・デッサウPaul Dessau (1894-1979) である。彼らはあとに続くライナー・ブレーデマイヤーReiner Bredemeyer (1929-1995)、ゲオルク・カッツァーGeorg Katzer (1935-)、フリードリヒ・ゴルトマンFriedrich Goldmann (1941-2009) といった作曲家たちに大きな影響を与えている。報告では、DDRにおける現代音楽の複雑な立ち位置と、古いものを再構築することによって生み出される新しさの追求という創作姿勢を切り口として、転換期に至るDDRの現代音楽について考察する。

3.山本佳樹: 東ドイツ映画における建築物―『建築家たち』を中心に
ペーター・カハーネPeter Kahaneの映画『建築家たち』Die Architektenがプレミアを迎えたのは、すでにベルリンの壁が崩壊した後の1990年6月であった。若い建築家たちの希望と野心が東ドイツの政治体制のなかで押しつぶされていく様子を淡々と描いたこの作品は、公開時にはその鋭い批判の対象を失い、憂鬱でくすんだトーンは滅びゆく国へのレクイエムとなった。
この映画における建築物は、東ドイツの建国や社会制度、さらには映画製作など、さまざまなものの比喩となっている。東ドイツ最初の映画である『殺人者は我々の中にいる』Die Mörder sind unter uns(1946)に印象的に映しだされた瓦礫から、ベルリンの壁や画一的な住宅にいたるまで、建築物は東ドイツ映画においてつねにある種の象徴性を帯びていたといえるだろう。ここでは、『建築家たち』を中心にして、東ドイツ映画における建築物のイメージについて考察したい。

4.市川明: Wendetheaterが問いかけるもの―『ハムレットマシーン』を中心に
1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ統一…それは政治と演劇が類まれなる緊張関係の中で切り結んだ時代であり、ドイツ演劇史に残る政治演劇の季節であった。『ヴィルヘルム・テル』『こわれがめ』『リア王』、オペラ『フィデリオ』などこの頃(東)ベルリンを中心に上演された作品は、政権の腐敗・崩壊と民衆の解放を強調した、DDR(東ドイツ)を風刺する演出になっている。また長い間日の目を見なかった、ミュラー、ブラウン、ハインなどDDRの作家の体制批判作品が次々に上演され始めた。シュトラウスの『最終合唱』(1991)をはじめ、多くの新作も登場してくる。政治的寓意性の高い時事劇として受容されたWendetheater(転換期演劇)をまず概観したい。
ハイナー・ミュラーHeiner Müllerの『ハムレットマシーン』Die Hamletmaschine(1977)は東ドイツの消滅という歴史的事実を前に新たな輝きを放ち始めた。『ハムレット』の中に『ハムレットマシーン』を挟みこんだ『ハムレット/マシーン』が、ミュラー自らの演出で1990年3月に上演され、話題を読んだ。『解剖タイタス ローマの没落』Anatomie Titus Fall of Romeなど他の作品とも合わせ、ミュラーのシェイクスピア受容、ならびにWendetheaterとしての特質を探る。時空を超えたミュラー作品のポストドラマ性についても言及したい。



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