<阪神ドイツ文学会>第224回研究発表会のご案内

阪神ドイツ文学会第224回研究発表会のご案内



以下の研究発表会を開催いたしますので、ご案内申し上げます。
阪神ドイツ文学会会員以外の方のご参加も歓迎いたします。参加費は無料です。

日時: 2017年12月16日(土)13時30分より(土曜日開催)
場所: 大阪市立大学学術情報総合センター10F 大会議室

所在地: 〒558−8585 大阪市住吉区杉本3−3−138
JR阪和線「杉本町(大阪市立大学前)駅」下車、東口から徒歩約5分
地下鉄御堂筋線「あびこ駅」下車、4号出口より南西へ徒歩約15分

<シンポジウム>
「現代社会における断絶のコミュニケーション」
司会:山下 仁(大阪大学)
発題者:
高田 博行(学習院大学)
川島 隆(京都大学)
田中 愼(千葉大学)

シンポジウムの趣旨:
日本で言語と社会の問題を考えるものにとって、3.11以前の前提は崩れ去った。世界的に見ても、トランプ大統領の発言から明らかなように、難民の受け入れなどをめぐって、これまでタブーであったことがタブーでなくなってしまった。そればかりか、ヘイトスピーチのような形をとって他者に対する嫌悪や憎悪がためらわれることなく表出している。まともなコミュニケー ションは危機的な状況にあり、まさに断絶のコミュニケーションと言うべき現象がいたるところで認められるように思われる。学術研究もますます細分化し、ある種近視眼的な研究に終始しており、異なる分野間でのコミュニケーションはほとんどなされていない。そうした現状を批判的にとらえ、本シンポジウムでは言語の研究者ばかりでなく、ドイツ語圏の文学を専門とする研究者も参加し、ドイツ語をめぐる複合的・俯瞰的なテーマについて議論する。その議論により、ますます複雑化する世界的事象を読み解く視座を考察してみたい。



プログラム
山下 仁:シンポジウムの趣旨説明

1.高田 博行:「反移民デモ活動組織PEGIDAの公式フェイスブック-どのようなことばが書き込まれるのか?」
9月のドイツ連邦議会総選挙において、新興の右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が第3会派として国政進出を決めた。AfDの登場(2013年2月)および反移民デモ活動組織「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」(PEGIDA)の創立(2014年10月)とともに、それまでドイツにおいて公的に口にできなかった言語表現を口にする政治家・政治活動家が注目され、その発言内容はソーシャルメディアを通じて大量に拡散されている。本発表では、PEGIDAの公式フェイスブックに書き込まれたコメントをコーパス言語学の手法で分析し、まずPEGIDA支持者たちの書き込みに目立つ全般的な語彙的特徴を明らかにする。そのあと、創立当初(2014年12月・2015年1月)の書き込みと現在(2017年9月・10月)の書き込みとを比較して、コメントの言語表現にこの3年ほどの間に違いが認められるものかについても考察する。また、政治的言説の大きな変質を促す触媒ともなっているナチ時代の語彙の再使用についても検討を加える。

2.川島 隆:「社会を分断する言葉―原発事故をめぐるドイツの新聞報道と読者の反応を例に」
2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故は、ドイツでも大きく報道された。日本の報道が「安全」や「安心」を強調したのに対し、ドイツの報道は「不安」や「パニック」、「ヒステリー」を煽る傾向が強かったと言われる。しかし、そのような評価は、必ずしもドイツの報道の実態を表してはいない。当時の国内政治事情から、ドイツのメディアが原発事故に高い関心を示したのは紛れもない事実であるが、報道の内容自体は基本的に日本の報道を二次的に仲介するものであり、過度な逸脱があったとは言えない。「不安」「パニック」「ヒステリー」といった言葉は、むしろ事故を機に高揚した脱原発の世論へのレッテル貼りに利用され、それ以上の議論を封殺するマジックワードとして機能したのである。本発表では、こうした思考停止を促す言葉がどのように用いられ、どのように伝播していったのかを、特に新聞記事と読者投稿欄の相互関係に注目しながら論じる。

3.田中 愼:「そもそもコミュニケーションは成り立っているのか?:「言語の檻」を超えるしくみ」
「言語が思考を規定する」、さらには「思考を支配するために言語を支配する」と言ったニュースピーク的な極端な形での言語相対論が、そのままの形では有効性を持たないことは明らかになっているように思えるが、現在でも、「原発をめぐる議論」や、「トランプ大統領の言説」など、コミュニケーションにおける「フェイク」現象を見るにつれて、「我々は、言語(思考)の檻に囚われており、コミュニケーションは、そもそも「断絶」しているのである」という考え方も成り立つようにも思われる。本発表では、このような「モダン」な現象、立場に対し、「言語には、現実世界を表象し、伝達するしくみが備わっている」という言語学の基本的な考え方を示したい。その際、Leiss(22012: 3)が提示した二段階の記号化作用(Semiose)に基づき、言語は、一方でその多様性を示しながら、他方で言語の機能的・構造的普遍性という性質を持つものであるということに言及していきたい。