<関東支部>講演討論会「暴力を〈無〉にするための神秘主義」

講演討論会 「暴力を〈無〉にするための神秘主義」
Mit Mystik der Gewalt zu Leibe rücken


日本独文学会関東支部と共催で下記の日程で講演討論会を開くことになりましたので、ご案内いたします。(事前予約不要。日本語による講演です。)

日時: 2015年1月13日(火) 18時30分-21時
場所: 慶應義塾大学 三田校舎 大学院棟 313号教室
講演者:
香田芳樹 (慶應義塾大学) 『神秘主義 vs 原理主義』
安冨 歩 (東京大学) 『合理的な神秘主義とは何か?』


「暴力を〈無〉にするための神秘主義」

  ベルリンの壁が倒れたとき、東西の冷戦がようやく終わり、だれもが新しい時代が来ることを予感したはずです。それはグローバリゼーションという言葉に象徴される、統一的で安定した世界秩序の到来への期待でした。あれから25年が経ち、われわれの目の前にあるのは、期待を大きく裏切る混乱と暴力がはびこる世界です。東西対立は再燃し、地域の緊張はこれまでにもまして高まり、どの国も国益のかかったチキンレースに余念がない世界はまるで「箍(たが)が外れたaus den Fugen geraten」としかいいようのないものですが、そもそも私たちを結びつけていた「箍」とは一体何だったのでしょう。
  価値観が多様化し、モラルが核を失ったとき、人はおのずとその喪失を、個人を越えた超越的な力で埋めようとします。国家や民族とならんで宗教もそうした力です。いうまでもなく、欧米人たちにとっての箍はキリスト教であり、いま最も危機的政治状況にあるアラブ諸国ではイスラムの教えがその箍となるのでしょう。「宗教をもたない民族はいない」といわれますが、善悪の判断やモラルの根源に宗教的「箍」があることは間違いありません。しかしグローバル化の波に洗われて外れた宗教の箍を、再びかけ直すことはそれほど簡単ではありません。いやそれどころか、あまりにラディカルな箍のかけ直しは、「文明の衝突」と称される事態を生み、「原理主義」という宗教的テロルを出現させることを私たちはつぶさに見ています。ではどのように箍をかけ直せばよいのでしょうか。
  イスラム国の暴走を危惧するツァイト紙のある記事は、「Weltgemeinschaft(世界共同体)― ああ何と美しい哀愁を帯びた言葉」という嘆息で結ばれています。宗教はすべての民族が共有する精神遺産ですが、同時に一度も結ばれたことのない絆でもあります。それどころか宗教こそ紛争の火種であると、昨今の政治的混乱を目の当たりにした人なら考えても不思議はありません。しかしこのジレンマに遭遇したのは現代だけではなく、精神的共有財としての宗教をめぐる問いは古代からつねに立てられ、そのつど答えが模索されてきました。嘆息でなく、暴力を〈無〉にする答えはあるはずです。
  宗教学者のミルチャ・エリアーデはすべての宗教の根本には共通した神秘主義的直観があるといいました。確かにキリスト教にも、イスラム教にも、仏教にも、ヒンドゥー教にもそれぞれ聖典とは別の神秘的教典が存在します。そしてそれらは聖典独自のドグマを越えたところで、普遍的で全人類的な洞察によってつながっています。それは神秘主義が「人間とは何か」という問いに究極的な答えを与えようとするものだからです。神秘主義がもつ穏やかな再構築の力に目を向ければ、宗教的対立と復古的民族主義に染まった世界を融和に導く道が開けるかもしれません。
  『暴力を〈無〉にするための神秘主義』は、宗教史の裏街道を行く、神秘主義のもつ豊かな再生力と創発力に目を向け、無関心でもテロルでもない生き方を探るための討論会です。

ゲストの安冨 歩さんは『原発危機と「東大話法」』(2012年 明石書房)をはじめとする多くの著作で、日本の原発行政と立場主義を厳しく批判する論客です。最近はまた「女装の東大教授」としてマスコミでの露出度が増えていますが、本業は東大東洋文化研究所で論語を講じる孔子学者です。氏の学術的射程は広く、著書『合理的な神秘主義』(青灯社)では、西洋と東洋を横断する神秘主義的思考の存在を描かれました。その中核にスピノザをすえ、彼が示した人間の統一体としてのヴィジョンが、近代の普遍的機能主義と対決するものであるという主張は、今回の講演でも取りあげられます。著書:『生きるための経済学』(NHKブックス)、『ジャパン・イズ・バック』(明石書店)、『誰が星の王子さまを殺したのか』(明石書店)。

平日の夕刻ですが、楽しい議論の場になればと思います。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

香田芳樹 (慶應義塾大学)