カテゴリ一覧
 
オンライン状況
25 人のユーザが現在オンラインです。 (1 人のユーザが コラム を参照しています。)

登録ユーザ: 1
ゲスト: 24

teraday もっと...
ログイン
ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

ネンシ・ヤーン (麗澤大学非常勤講師)/Nancy Jahn (Reitaku Universität)
 2014年3月15日から19日まで、神奈川県葉山町で第19回ドイツ語教授法ゼミナールが開催されました。今回のテーマは「Gespräche führen – Didaktik des Sprechens」です。招待講師としてREINKE Kerstin教授(Leipzig大学のHerder-Institut)がドイツから招かれました。Reinke教授の研究の重点は音声学、つまり音や音素、イントネーション、リズムを中心とする研究、そして修辞学、発話音声学(Sprechwissenschaft)、つまり文や発話というマクロレベルの研究、と多様です。そのため、ドイツ語教授法ゼミナールで「ドイツ語会話」というテーマも多方面から扱われました。
 参加者は40人近くでした。その背景は多様でした。北海道、松山、神戸など各地域から来られた方、研究分野から見れば音声学者、文学者から、日本学者まで多様でした。私は日本学者の一人でした。

...続きを読む

  • 閲覧 (5213)
宮内伸子 (富山大学)
2014年の今年、クリスティアン・モルゲンシュテルンの没後百周年を迎えた。詩集『絞首台の歌』(Galgenlieder)で知られるこのドイツの詩人は、普仏戦争の終結した1871年に生まれ、第一次世界大戦が始まる年の3月に亡くなった。

...続きを読む

  • 閲覧 (7515)
高橋優 (福島大学)
 2014年3月14日から18日にかけて、春のインターウニ・ゼミナールが開催された。2011年まで使用させて頂いていた獨協大学の福島県内の施設が老朽化により使用不可能になった影響で、2012年は御殿場のセミナーハウスで行われ、昨年と今年は国際医療福祉大学の那須セミナーハウスで行われている。獨協大学には施設を長年使用させて頂いたこと、また国際医療福祉大学には現在使わせて頂いていることに対し、この場を借りて感謝の念を述べさせて頂きたい。今年は全国から70人を超える学生が参加し、「変化する大学—Studium im Wandel」という刺激的なテーマのもとで活発な議論がなされた。

...続きを読む

  • 閲覧 (5661)
山崎太郎(東京工業大学)
今年はリヒャルト・ワーグナーの生誕200周年。日本でも記念の行事が相次ぐなか、ちょっと珍しい企画として、6月の約2週間、なんと平城の古都において、『夢を奏でたワーグナー』と題した展覧会が催された。会場は奈良県の文化会館、主催は同県と読売新聞社および読売テレビである。監修者の一人として関わったので、そのあらましを私なりの視点からお伝えしよう。

...続きを読む

  • 閲覧 (5911)
岡部亜美、木村英莉子(京都大学大学院修士課程)
2013年の語学ゼミナールは、8月28日から31日にかけて、京都市中京区のコープイン京都で開催されました。今回の総合テーマである„Translation und deutsch-japanische kontrastive Grammatik(翻訳と独日対照文法)“のもと、招待講師のViktoria Eschbach-Szabo先生(Tübingen 大学)、また、中国からいらした王京平先生、および多くの先生方、博士課程の先輩の講演・研究発表がありました。Eschbach-Szabo先生は日本(語)学を学ぶドイツ人として、またハンガリー語母語話者としての経験も踏まえながら、3日間に渡り内容の濃い講演をして下さいました。

...続きを読む

  • 閲覧 (4294)
須賀洋一(関西学院大学名誉教授)
ヘッベルは1813年3月18日に北ドイツの小さな町ヴェッセルブーレンに生まれている。町の規模からすると、不相応に大きな教会が町の中央にでんと控え、町のシンボルになっている。町の道はこのバルトロマイ教会を中心にして、各方面に放射線状に伸びている。私の書斎には、町に一軒しかない本屋で買い求めた小さな水彩画が掛かっているが、その絵は教会のやや青味がかった尖塔を囲んで左右に伸びているこの町の全景を描いている。今年は生誕200年ということもあり、さまざまな記念行事がおこなわれ、また詩人の没後150年ということもあり、ヘッベル協会が主催する詩人の生地へのバス旅行も企画されている。私はこれまでに四度ほどこの町を訪れているが、その度にヘッベルムゼウムの壁一面の本棚に、整然と並んだ研究論文に圧倒されたことを今でもありありと覚えている。1999年に訪れた時は、新聞記者の訪問を受け、翌日の新聞にれいれいしく記事がのり、面映ゆいおぼえをしたことが、いまになるとなつかしく思い出される。新聞の見出しは“Besuch aus Fernost im Hebbelmuseum”であった。

...続きを読む

  • 閲覧 (4404)
大野寿子(東洋大学)
1.グリム年2012年

2012年は、『子どもと家庭のためのメルヒェン集』(Kinder- und Hausmärchen、略称KHM、通称『グリム童話』)第1巻第1版が1812年12月20日に出版されてちょうど200年にあたり、ドイツのとりわけヘッセン州では、グリム兄弟が少年期を過ごしたカッセル、大学に通ったマールブルク等を中心に、老若男女のためのイベントが目白押しだった。たとえばマールブルクでは、「一気に七つも!」(7 auf einen Streich!)という総合テーマのもと、「グリムの小路」と題するグリム兄弟ゆかりの町めぐり地図がリニューアルされ、演劇、音楽、文学、グルメ等数々のイベントが開催された。「一気に七つも!」がKHM20「勇敢なチビの仕立屋」(Das tapfere Schneiderlein)の茶目っ気ある武勇伝から来ていることは周知の事実。さて、このイベントの最たるものは「マールブルクのカエルの王さま、お出かけ中」(Marburger Froschkönig unterwegs)であった。

...続きを読む

  • 閲覧 (15939)
木村護郎クリストフ/Goro Christoph Kimura (上智大学/Sophia-Universität)
(Deutsche Fassung unten)

Guten dzień! Möchcesz teebata?
― Tjak, gernie. Dankuję!

これはどういう言語と思われるでしょうか。答えは、ノヴァ・アメリカ語です。といっても、実態はドイツ語とポーランド語の混ぜあわせ。

...続きを読む

  • 閲覧 (6515)

Kurtzweylige Legenda (E. Scheiffele) [D]

カテゴリ : 
文化コラム
  投稿日: 2013-5-11 1:09
Eberhard Scheiffele (Waseda Universität)
Eines gewissen Anonymi Kurtzweylige Legenda/so nutzelich unde ergetzlich zuo lesen/ welche Mitt-Theylung in ienem Landt spilet/ von deme da gesaget ist/ da wirdt es fruher lichte danne anderen Orts inn dießem Iammer=Thale/ n i t a l l e n t h a l b e n/ iedoch zuo den mehresten Theylen auss der deutschen Hauptsprach/ alss sie da geleret das Beyspill Doctoris Martini Lutheri/ submissest umbegesatzet in die newe Schrifft=Gestaltt nach der Fuerschrifft deß wol=lobelichen Hausses Duden/ von Aeverhartus Scaevellio Suebicus seu Alamannus/ Mitt deme allergnaedigesten Sonder=Privilegio hochgelahreter Rebus Germanicis obligatae Societatis Iaponicae.

...続きを読む

  • 閲覧 (8529)
鈴木 将史 (小樽商科大学)
私が学んだ北大文学部独語独文学科には、「独文学演習」と称する授業が金曜日の午前に開講されていた。この授業は学部・大学院共通科目で、学部3年から修士課程の院生までが出席し、青柳謙二教授のもと、近代ドイツ・オーストリア文学作品を読み進める内容だった。他にも水曜日午後には新妻篤教授が指導される文学演習が行われており、ここでは主に写実主義の作品を読んでいたが、C.F.マイヤーの『ぺスカラの誘惑』などといった、そうでもなければ絶対読みそうもない難解極まる独文と格闘できたことは今思えば幸いである。青柳先生の演習は、10名弱の出席者が順次作品を訳していくという極めてオーソドックスな方法で進められたが、先生が学生をあてるわけではない。つまり、自信のある学生が自ら申し出、先生の承認を得て訳し始めるという学生の自発性を妙に尊重した輪読制が取られていた。この方式をいいことに、当時学部3年生だった私は学期(通年制)半ばまで手を挙げず、授業のお客さんを決め込んでいた。だが、ある日教室に来てみると、他の出席者は誰も来ておらず、程なく現れた先生と二人だけの状態になってしまった。本当は別の誰かが来るまで待っていてほしかったのだが、私がまだ一度もやっていないのに気付いておられたのだろう、青柳先生は授業を始めるとおっしゃる。「じゃ…」と先生が私を見れば、私が訳す他はない。そうしてセミが鳴く中、汗だくになって支離滅裂に訳した作品というのが、ゲルハルト・ハウプトマン作『線路番ティール』(髭文字)であった。あの小説の後はシュニッツラー『グストル少尉』を読んだので、私がそこであたっていたら、今頃シュニッツラー研究に勤しんでいたかもしれない。とにかく爾来30有余年、まがりなりにもハウプトマン研究に手を染めてきたが、この稀代の劇作家を私は小説によって知ったのである。

...続きを読む

  • 閲覧 (6773)
Japanische Gesellschaft für Germanistik © 2005-2009