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第20回ソラク・シンポジウムに参加して(S. Miyata) [J]

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理事のリレーエッセイ
  投稿日: 2013-12-21 10:33
宮田眞治(東京大学)
9月27日から29日まで、韓国独文学会のご招待で第20回ソラク・シンポジウムに参加した。実行委員長としてドイツ文化ゼミナール(通称:蓼科シンポジウム)を無事終えて―ゲストのWirth教授、Lee教授、参加者の皆さん、そして実行委員会の皆さんには改めて御礼申し上げます―半年、今度はゲストとして海を渡ることとなった。
26日、ホテルから歓迎会の会場へ向かう途中、準備のたいへんさなどあれこれお喋りしているうちに、実行委員長が気落ちしているという話になった。急なトラブルで予定されていたゲストが訪韓できなくなったとのこと。よく似た事態を経験した身としては、他人事とは思えない。歓迎会場につくと、ゲストのSchmitz-Emans教授(ボーフム大学)とパートナーのReimar Emansさんを中心にすでに座が盛り上がっていた。51回文化ゼミナールのゲストとして来日された時以来なので、お二人とは4年半ぶりの再会となる。再会を祝し、実行委員長のKim教授には「私も似たような経験をしました。前日の歓迎会が盛り上がれば、本番も成功するという徴ですから、きっとうまくいきますよ」などと、個人的経験からは無根拠とも思えない励ましを言ったりしているうち、時間はあっという間に過ぎた。

翌日は特急で慶州のホテル・コロンへ移動する。ソラク・シンポジウムはもともと雪岳(ソラク)山のふもとで開催されていたが、現在は慶州に場所を移している。しかし「ソラク」の名を残していると聞き、昨年の文化ゼミのことを連想した。それまで利用していた蓼科のホテルが閉鎖されることとなり、葉山に会場を移して開催されたのだった。その回は「文化ゼミナール」(„Kulturseminar“)で通したものの、ドイツにも 「蓼科シンポジウム」(„Tateshina-Symposium“)で通用しているのだから、その名前は残すべきだという意見がいくつも寄せられた。幸い蓼科のホテルがリニューアルという形で復活し、今年は例年通り蓼科の地で開催ということになったのだが、そうでなければ、やはり名前に関してもいろいろと頭を悩ませることになっただろう。

会場につくと、B4版240ページほどの立派な予稿集ができあがっている。表紙には、CGの地球の上に今回のテーマ「グローバル化と文学」(„Globalisierung und Literatur“)と大きく印刷されている。8月末までに完全原稿を送るようにとの依頼があり、いつもぎりぎりになってしまう私は今回も相手をやきもきさせつつ、なんとか製本に間に合わせたのだった。

のべ75名の参加とのことだったが、会場にはいつも50名ぐらいがいた印象がある。発表者は21名。3日間のプログラムには分科会とメイン会場での発表がぎっしりと並んでいる。

開会の挨拶で実行委員長が、「シジフォスの仕事のようで、岩が何度も転がり落ちた。開催中に岩が上にとどまってくれるように祈っている」と話されていたが、似たような苦労をしたものとしては身につまされた。

Schmitz-Emans教授の講演は二つ。一つは「文学テクストにおける地図と地図帳:大域的、地域的、局地的空間の描出法について」(„Landkarte und Atlas in literarischen Texten: Zu Verfahren der Darstellung globaler, regionaler und lokaler Räume “)と題され、問題状況についてのクリアな見取り図を提示するものだった。それを踏まえ、もう一つの講演では画家をめぐる二つの現代小説を題材に縦横に論を展開された。もう一人のゲストであるChien教授(台湾国立大)の「ヘルタ・ミュラーにおける言語のミクロコスモスとマクロコスモス」 („Der Mikro- und Makrokosmos der Sprache bei Herta Müller“)という発表は、文字と画像のコラージュからなる詩をいくつも映し出しながら分析を進めていくスリリングなものだった。私は「リヒテンベルクのクロノ・トポグラフィーにおける<異なるもの>の形象について」(„Zur Figur des Fremden in der Chrono-Topographie Lichtenbergs“)という題で、バフチンのクロノトポス論を手掛かりに、リヒテンベルクが地球(Globus)とロンドンをいかに言語化しているかについて話をした。全体として、18世紀(Goethe, Herder)、現代文学(Kurzeck, Anna Kim)、社会問題(ドイツにおける韓国人移民二世、三世のアイデンティティー)、音楽(„Gangnam Style")映画(Fassbinder, Lang, りん・たろう)など発表は多岐にわたった。なかでもソウル大学のChang氏による「ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』におけるドイツバロックのナショナルなものとその<散種> („Das Nationale des deutschen Barock und dessen >Dissemi-Nation< in Walter Benjamins Ursprung des deutschen Trauerspiels “)という、<散種>という言葉から„Nation“を切り出してくるタイトルを付された発表がきわめて刺激的であった。また、今年20周年ということで、初期の実行委員を務められた方々の話があった。当初は国際化に対して、韓国ゲルマニストのあいだで大きな気おくれ(Scheu)や抵抗(Abwehr)があり苦労した、と感慨深げに回顧されていた。

リゾート地のホテルにカンヅメという同じフォーマットを取っていることもあり、どうしても文化ゼミとの比較をしてしまうのだが、なにより大きい違いは「テクストに基づいたディスカッション」(Gruppenarbeit)の有無だろう。文化ゼミでは個人発表と並んで、テーマ別に選ばれたテクストに基づいて自由に討議する時間に力点が置かれている。4つのサブテーマについてそれぞれ4つ、ディスカッションのもとになるテクスト(Arbeitstext)を選定するのが実行委員会としては大仕事なのだが、参加者の中からお願いする進行役の皆さんがいろいろな準備をして本番に臨まれることもあり、議論が盛り上がって充実した時間になることが多い。Schmitz-Emans夫妻ともその話をしたのだが、ああいう形で集中的に議論する場のほうがむしろ特別なのだとおっしゃっていた。

発表の合間、そしてプログラムの後には参加者同士の話も弾む。見覚えがあると思ったら、2008年金沢でのアジア・ゲルマニスト会議以来5年ぶりの再会だったという方が何人もいた。「金沢はすばらしかった」と皆が言う。今、金沢大会の成果はTranskulturalität (Hrsg.von MAEDA Ryozo)という930ページの大冊(iudicium 2012)として残されているが、場の記憶と人のつながりは、これからもいろいろな場所で活性化されていくに違いない。場を作るというのは、やはりとても大事なことなのだ。今回のシンポジウムで出会い、話をした人たちと、また何らかの形で会いたいと思う。共同作業とまではすぐには発展しないかもしれないが、時を隔て、場所を変えながらの再会と対話の繰り返しはそれぞれの仕事にいろいろな形で力を及ぼしていくに違いない。

二日目のプログラムが終了して、みんなで外に出る。ゲストは必ず参加するようにと念を押されていた。仏国寺は素晴らしかった。観光客もほとんどおらず、だんだん暗くなっていく簡素で静かな空間を散策した後は、ホテル近くの韓国料理店で賑やかに食事、その後は近くの居酒屋で2時前まで宴会となった。いろいろな話が出た。批判的な距離を保ちながら冷静に対話することの大切さを強調しながら、熱心に話し込んでいる自分が少し不思議だった。渡辺学氏は前回のシンポジウム報告の中で、韓国での議論の仕方の「熱さ」に自分が染まる経験について語っておられるが、私も対話者に恵まれたのだろう、貴重な時間となった。

最終日、昼食の後に「若手研究者との対話」(„Gesprächsrunde mit dem wissneschaftlichen Nachwuchs“) というプログラムがあるというので楽しみにしていたのだが、ゲストのキャンセルに伴うプログラム変更の関係で、前日に―仏国寺を散策していたその時間に―開催されたと知らされた。これは残念だった。もう少し若い人たちと話をしたかった。

今年中に、発表は論文集として刊行される。帰国早々、文献表なども添えた完全原稿の提出を迫られまた苦労したが、このスピードも新鮮だった。文化ゼミ論集(54回・55回)は、再来年3月刊行をめざして編集作業が進行中である。


宮田眞治(東京大学)
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