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「歴史に徹する文献学」の試み (J. Matsuura) [J]

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学術コラム
  投稿日: 2013-8-2 8:23
松浦 純(東京大学)
2度目の留学も終わりに近づいた1979年秋に初めて当時のDDRに旅した際、20代のルターが過ごした建物がかなり残るエルフルトの旧アウグスティヌス会修道院で、「総会の間」に佇み、回廊を歩み、聖堂内陣の壁に作りつけられた石造りの司祭席に座し、と、修道空間をいくらかでも感得しようとする中、図書のことに思いが向かったのが機縁だった。修道士たちは日頃どのような書籍を目にし手に取っていたのか、それは残っているのか。伝記類にしたがえば、ほとんど知られていない、ということだった。しかし、故濱川祥枝先生のご縁で畏友鍛治哲郎と連れ立って訪ねた、ワイマール勤務でエルフルト在住の司書・書誌学者ゴットフリート・ギュンター氏の計らいで、エルフルト図書館史に詳しい元市立図書館長のご教示を受けることができ、予定を変更して丸1日、市立図書館分館の閲覧室で、さる製本師・装幀研究家の遺稿をはじめとする史料に目を通すことになった。
それを手がかりに、生誕500年にあたる1983年夏、エルフルトで開催された国際ルター学会への参加を機に、修道院旧蔵図書残部の足跡を追う形でエルフルトと当時の東西ベルリンで図書館史資料と修道院残存蔵書の調査を行なった。修道院旧蔵書と確認できる初期印刷本を、装幀研究を援用してさらに絞り込んだ結果、ルター所属時の修道院蔵書だった可能性の高い書籍は数十冊見られ、そのうち、中世後期の神学者・哲学者オッカムの小著2編を中心に合本製本した一冊(西ベルリン蔵)には、それまで知られていなかったルターの自筆注記を確認する。さらにその後の調査では、エルフルトの4冊(中世盛期の神学者ボナヴェントゥーラおよび15世紀の人文学者ジョルジョ・ヴァッラ)にも同様に注記を確認した。

この調査については、ワイマール版ルター全集刊行委員会刊行の生誕500年記念論集(1984年)所収の論文に続いて、本会機関誌「ドイツ文学」78号(1987年春)で新井皓士氏の編集による近世特集が組まれた際に、概要を報告する機会を頂いた(同19-30ページ「修道院史、図書館史そして製本史 ―ルター最初期資料探索―」)。修道院入りして4年あまり、20代後半に入ったルターが「命題集講師」として初めて神学を講じたエルフルト修道院時代後期(1509-1511)、ペトルス・ロムバルドゥス(1095-1100頃-1160)による13世紀第2四半期以来広く用いられた神学教科書『命題集』と教父アウグスティヌスの諸著作に書き込んだ行間・欄外注記は、1890年前後にツヴィッカウ(ザクセン)の図書館で発見され、間もなく全集に収録されて、最も古い自筆資料として知られていた。しかし同時期のその他の修道院蔵書については、完全に散逸したと思われたためか、装幀研究以外では調査が行われておらず、ルター研究ないし教会史・精神史研究では知られていなかったのだった。

研究対象としている思想家の新テクストの発見は、それを然るべき形で研究界に供する責任を伴う。そのために行なったツヴィッカウ所蔵の自筆注記の調査では、全集のエディションが、少なからぬ筆者特定の誤りや誤読を含むばかりか、下線・傍線等の非言語的な読書記録は一切所収せず、また注記の対象となったテクストについては、その印刷本文自体は提示せず19世紀刊行の全集の当該箇所への指示を記すのみとするなど、注記の内実を理解するには非常に不十分なものであることが明らかとなった。さらに、『命題集』表紙の裏への一種綱領的な書き込みがルターによるものかどうかという問題をめぐってライプツィヒの著名な研究者が言及していた、ルターが書いた小文字pの2種の字形ないし筆順について、エルフルト期に続くヴィッテンベルク時代初期の第1回詩篇講義草稿(1513-16年。ドレスデンおよびヴォルフェンビュッテル蔵)、ロマ書講義草稿(1515-16年。第2次大戦後ポーランド、クラクフ蔵)、さらに最初の自筆書簡(1514年。エルフルト蔵)を含めて調査した結果、一方の字形の使用がエルフルト期の注記の一部に限られており、しかも字形の相違とインクの交替が一致することが確認できた。この事実を主要な手がかりにエルフルト期の自筆資料の時期区分が可能となり、さらには、1516年頃のものないし時期不詳とされていたツヴィッカウ蔵の『アンセルムス著作集』への注記の時期もエルフルト期であること、しかも現存自筆資料の中では最初期のものであることも明らかとなった。

ルター全集刊行委員会との連絡のもと、以上のような知見に基づいてエルフルト期現存自筆資料全体の校訂を行なうことになったのは、1980年代半ばのことだった。当初、数年で仕上げたいと考えており、1989年秋からは2年間、そのための在外研究期間も与えられたのだが、実際に脱稿・刊行に漕ぎつけたのは、再度の在外研究期間(2001年度)を経てさらに数年が経過した2009年秋になってのことだった(Martin Luther: Erfurter Annotationen 1509-1510/11 [Archiv zur Weimarer Ausgabe der Werke Martin Luthers 9], Köln/Weimar/Wien 2009. CCLX+727S.)。それには、1991年まではDDRでの滞在も自由ではなかったばかりかツヴィッカウではマイクロフィルム作成すらできない、という技術的悪条件のほか、長期在外研究期間を除けば事実上ほとんど夏期休暇以外時間が割けなかった、という事情が大きい。しかしそればかりでなく、校訂者としての校訂水準への要求、あるいはむしろテクストそのものから感受される要求が、仕事が進むにつれて高まっていったのも確かである。目の前のテクストないし資料によく耳を傾け、内実を最大限引き出すには、それがどう提示されるべきか。この問いに導かれる校訂作業は、対象に即した校訂方法の開発ともならざるを得ない。

オッカムへの注記は、その学統を引くと自ら述べたルターの、オッカムテクストとの直接の取り組みを示す初めての資料として大きな意味を持つが、それ以外に、およそ120箇所におよぶ印刷本文への訂正を含んでいるため、スコラ学テクストへの本文批判(Textkritik)という、これまで全く知られていなかったと言っていい分野での作業、いわば文献学者としての側面を、ルター像に加えた。その観点から見直すと、『命題集』をはじめとする他のテクストについても、これまで知られていたより格段に多く、本文訂正が確認された。こういった本文訂正を位置づけるためには、当該テクストの各ヴァージョンとの校合が必要である。その各ヴァージョンは、当然、ルター当時のものでなければならない。

同じことは、引用や参照指示についても言える。注記は、行間や欄外への書き込みである。大部分は短く、かなりの部分は単なる参照指示で、しかも印刷本文が記す、誰のどの著作の第何巻、という指示に、第何章、と加えるような事例が多い。このような場合、校訂者は、現在通用している19世紀以来のエディションの該当箇所を挙げて注解とするのが、現在でも通例であろう。しかし、たとえばルターの挙げる章の数字が、そのようなエディションとは異なっている事例が少なくない。引用テクストの文言についても同様である。そのような場合、不正確な引用や参照指示だ、と簡単に判定するわけには行かない。無条件にそうするなら、それは現代の常識にとらわれた時代錯誤の解釈と言わざるをえないだろう。現代ではなく当時使われていたヴァージョンで、章分けやテクスト自体がどうだったか、それが問題なのである。そのコンテクストに置いて初めて、極端な場合数字を一つ書いただけのような無味乾燥な注記でも、何かを語ってくれることになる。こういった資料に耳を傾けるためには、文献学的分析は徹頭徹尾、歴史的状況に即して行なう必要がある。また、『命題集』への注記の場合、ルターが参照したことが確認できる、ボナヴェントゥーラ、オッカム、ビールほかの命題集注解の関連箇所の参照も必須だが、それも当時の刊本によらねばならない。

こうして、オッカムから始まった、当該テクストについて同時代(グーテンベルク以来1511年まで)の刊本すべてを参照し、ルターの書き込みを位置づける、という作業は、本文訂正、参照指示、引用、関連テクストのすべてに及ぶことになった。中でもオッカムへの本文訂正は当時のどの刊本とも一致せず、むしろ1986年に刊行された批判版テクストと一致するケースが非常に多い、という驚くべき事実からは、現存する写本すべての当該箇所をも参照し、本文訂正の方法を検証する必要が生じた。こういった校合の示す結果は、実際に参照された書籍、つまり当時のルターの読書範囲を推定する手がかりとなり、ひいては16世紀初頭ドイツの知識人の知についてのケーススタディーの意味も持つこととなった。

オッカム写本の参照は最終段階の作業になったため、デジタル化時代が始まっていたおかげで、パリの1写本以外は、おもにデジタルコピーで済ますことができた。他の作業も、もし今始めるのだったら、大規模な写本・初期印刷本デジタル化公開の進展を活用して、かなりの部分が居ながらにして出来るのではないかと思われる。しかし以前は、各地に散在する刊本を参照するためには現地に赴く必要があった。あるいは費用の問題も含めてそのほうが簡単だった。振り返れば、700ほどの初期印刷本を幾度も参照するために、大英図書館、フランス国立図書館、ドイツではバイエルン州立図書館といった、初期印刷本を大量に所蔵する大図書館から、大学図書館、市立図書館などを経て修道院図書室にいたるまで、7カ国、40ほどの図書館・図書室を訪れている。

こうして膨大な作業となった、歴史に徹する文献学の試みは、ルター研究という狭い範囲に限って見ても、思想を生成から捉える基礎研究のそのまた基礎研究に過ぎない。しかしそれは、遠い歴史上のテクストとりわけ異文化の思想的テクストは、歴史に徹して読み解く時にこそ、歴史と文化の相違を越えて、いま・ここの我々の地平へと真に開かれる、という、西洋の言語文化を対象とする読み手としての基本把握に基づいている。一口に言えば、テクストや思想を、伝統や状況あるいはまたその中での人間としての基本的所与への関わりとして捉え、たとえば教理としての内容よりも、その関わり方にこそ思想の本質を見ようとすることである。だからこそ、生成過程と思考の運動の追究を中心的課題とする。このことは無論、テクストや思想との直接の出会いと矛盾するものではない。直接の出会いこそが、深化を求めて、このような意味で歴史に、いやそもそも研究という営為に向かわせるものだろう。今回この、社会的には全く目立たない仕事に対して、図らずも日本学士院から頂戴した顕彰は、日本人としての地道な西洋文化研究への督励と受け止め感謝している。ちなみに、ドイツ語で書かれた著作への授賞としては、佐竹明氏の新約聖書黙示録注解(一昨年)に続いて2例目と思われる。

松浦 純(東京大学)
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