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ペンシルベニアへドイツ語を求めて(J. Okamoto)[J]

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語学関連コラム
  投稿日: 2012-8-10 0:55
岡本 順治(学習院大学)
英語の教科書には、よくアーミッシュ派(Amish)の人々とその現代の科学技術を拒否した生き方がテーマとして採用されているが、彼らの話すPennsylvania Dutch と呼ばれる言語は、オランダ語ではなくドイツ語だ(以下、「ペンシルベニア・ドイツ語」と呼ぶ)。2012 年 7 月、このドイツ語を話す人達の言語文化を直接知りたいと思い、私はアメリカのペンシルベニア州へでかけた。ペンシルベニア・ドイツ語を話す人々は、主に 16 世紀の宗教改革の後に誕生したプロテスタントの再洗礼派と言われる人達の一部で、ペンシルベニアへの移住は、18 世紀以降本格的に行われた。移民した再洗礼派の中でも有名なのは、メノナイト派とアーミッシュ派で、その多くの人達がスイスやドイツ南西部(主にプファルツ地方)などから迫害を逃れて「宗教の自由のある国」へ移住したのだと言われている。
私とペンシルベニア・ドイツ語の本格的な出会いは、昨年、学生の卒論でハインリヒ・ホフマンの絵本Der Struwwelpeter (『もじゃもじゃ頭のペーター』)のペンシルベニア・ドイツ語版Der Schtruwwelpitter (2010) を一緒に読んだのがきっかけだった。 この絵本の翻訳者は、ペンシルベニア州立大学の教授だったEarl C.Haag だ。彼は、ペンシルベニア・ドイツ語の専門家として知られ、みずからA Pennsylvania German Reader and Grammar. (1994) という文法読本を書いているので、このテキストを用いて文法と語彙を学びながら、この絵本を読んだ。

ここで、少しだけペンシルベニア・ドイツ語の実例を見ておこう。例えば『もじゃもじゃ頭のペーター』の中の「乱暴な狩人の話」には、次のような文章がある。

Am Fenschder schteht em Schitz sei Fraa
Iss graad am Kaffidrinke draa.

Am Fenschder schteht は、一般的な現代ドイツ語では Am Fenster steht に対応するのが想像できると思う。その後のem Schitz sei Fraa は、2格を使わずに3格で所有を表す表現。Bastian Sick の本で有名になった構文だ。逐語訳するとdem Schützen seine Frauとなるが、die Frau des Schützen と2格で表現したものと同等で、「その猟師の妻」という意味になっている。二番目の文は、逐語訳すると Ist gerade am Kaffeetrinken daran となり、am+動名詞+sein という形式の「ラインラント進行形」で、「ちょうどコーヒーを飲んでいるところだ」という意味。このように、ペンシルベニア・ドイツ語には、現代のドイツ南西部の方言と共通した特徴が見られる。

さて、話をもとに戻そう。 4 月からのサバティカルを利用して、ペンシルベニア州へ行ってみようと考えたのが 2012 年 2 月。インターネットで調べてみると、ペンシルベニア州立大学ハリスバーグ校で夏期集中講座 (Religion in American Culture: Two Worlds of the Pennsylvania Dutch – The Amish and the Plain Sects) があることが分かった。この集中講座は、7 月の 1 週間でさまざまなペンシルベニアのドイツ系移民のグループにまつわる重要な地域を訪れるプログラムであった。これは、地元の様子をよく知り、自由に車で廻ることができなければ、とても訪問できない内容だ。

そこで、ペンシルベニア州立大学へ参加申し込みをし、集中講座の参加費振り込み、大学での宿泊先予約などをすべてメールで行った。夏期集中講座だけに出席するといっても、どのような形で履修登録をするか、その履修登録の形に応じて参加費が変動する。さまざまな部署と同時並行的に連絡を取る必要が生じ、なかなか話が進まない状況に陥ったこともあった。そんな時、東北大の長友雅美先生にアドバイスをもらい、もう夏期講座は諦めて個人ですべて計画を練り直そうかと考えた時期もあった。結果的には、4か月もメールでやりとりをしたのだが、最初にコンタクトをとった時の係の女性 Fasnacht さんがいろいろな調整を行ってくれ、集中講座に参加することができた。

ところで、ペンシルベニア州というと、みなさんは何をご存知だろうか。アメリカの独立宣言が行われた都市フィラデルフィアがある州、リンカーンがかの有名な演説をしたゲティスバーグがある所、あのアメリカのチョコレート、ハーシーズのHershey という街がある所、など実は知らないうちに知っていることが多い所だと思う。ただし、州都がハリスバーグ (Harrisburg) ということは意外なほど知られていないし、実は、そのハリスバーグには国際空港があり、その近くにはサスケハナ川が流れ、その川の中には、長さが 3 マイルの「スリーマイル島」があるということまで思いつく人は非常に少ないだろう。今回、Washington/Dulles 空港経由で、ハリスバーク空港まで飛んだのだが、空からスリーマイル島の原発 2 基から煙がモコモコ出ているのを目撃したのは衝撃的だった。さらに、ペンシルベニア州にはドイツ語圏由来の地名が多くあり、「マンハイム」(Manheim)や、「シュトラースブルグ」(Strasburg)(これが正しいスペリング)という道路標識を見てびっくりした。

さて、金曜日の夕方にハリスバーグ国際空港という名前の小さなローカル空港に着いた私は、ペンシルベニア州立大学の中の警察署にこれから行くから、と電話をした。タクシーで大学キャンパス内の警察署まで行き、学生寮の鍵を受け取り、パトカーで学生寮まで送ってもらった(金曜日の事務の開いている時間を過ぎていたため、このような特殊状況になった)。翌日の土曜日 11 時には、クッツタウン (Kutztown) にある「ペンシルベニア・ドイツ文化遺産センター(Pennsylvania German Cultural Heritage Center )」に、現地集合。足がないので、日本を出る直前に大学の事務の人にメールで助けを求めておいたところ、到着した金曜日の夜に同じ集中講座に参加予定の人と連絡がとれ、彼に車に乗せてもらい土曜日はクッツタウンへ向うことができた。ペンシルベニア・ドイツ文化遺産センターで夏季集中講座のイントロダクションを受けたのは、私を含む参加者8 名。その後で、「クッツタウン民族祭(Kutztown Folk Festival) 」へ行った。この催し物は、1950 年頃からペンシルベニアのドイツ系の人達が中心となって始まったそうだが、現在は、かなり商業主義に染まっており、ありとあらゆる業者が入り込んでいる。そんな中で、本物の「ペンシルベニア・ドイツ系の人達」と「ペンシルベニア・ドイツ系の物」を探すのが最初の課題となった。

月曜日は、ランカスターにある The Amish Experience という施設で「ヤーコブの選択(Jacob’s Choice)」という映画をまず鑑賞。その後ガイド付きツアーであちこちのアーミッシュ派やメノナイト派の人々の民家を廻ったが、おみやげ物を販売する店が併設されており、そこでも商業主義がしっかり根づいていた。火曜日は、モラビア派が入植したベツレヘムへ向かった。モラビア派は、ボヘミア地方あたりが出身のドイツ系の人達で、街作りだけでなく聖歌の作曲や器楽の演奏にも熱心だったことでも知られる。水曜日は、エフラータ修道院へ向かったが、ここは、ブレスレン派(Brethren)と呼ばれる人達が集まって暮らしていたところだ。今では、その末裔の人達はいなくなってしまい、建物は国の遺産として管理されている。かなりの数の木造の建物が保存されており、当時の生活の様子を垣間見ることができる。木曜日は、シュレージエンからやってきたシュヴェンクフェルト派(Schwenkfelder)と呼ばれる人達の資料館を見学。小さなグループだが教育レベルが高かった人達で、ブレスレン派の人達と並んで、ドイツ文字(Fraktur) を積極的に用いて書籍を出版している。モラビア派、ブレスレン派、シュヴェンクフェルト派は、いずれも英語化していった人達だが、ペンシルベニア・ドイツ語を保持したグループは、いわゆる「古い規律を守るアーミッシュ」(Old Order Amish) や「古い規律を守るメノナイト」(Old Order Mennonite)の人達で、現代技術文明を今でもかなり広範囲に拒否している人達が中心だ。

最終日の金曜日には、メノナイト派に関するディスカッションを行った後、ペンシルベニア・ドイツ文化遺産センターの Patrick Donmoyer 氏によるペンシルベニア・ドイツ系の「民間療法」に関するレクチャーを聞くことができた。この日は、Deitsch Eck というペンシルベニア・ドイツ語の名前のついたレストランで夕食をとった。Donmoyer 氏からは、現在のペンシルベニア・ドイツ語の置かれている状況や、ペンシルベニア・ドイツ文化遺産センターの活動など幅広い話しを聞くことができた。ペンシルベニア・ドイツ語は、実は、イディッシュ語と似ているのではないかとか、弱形の人称代名詞をうまく発音するのが難しい話、ドイツ文字を書ける人が減少している話など、意外な話も多々あった。



ふとレストランの壁を見上げると、そこには、ペンシルベニア・ドイツ語が書かれたペンシルベニアの旗が飾ってあった。

Liewer Gott im Himmel drin
loss uns Deitsche was mir sin.

ドイツ南部の方言がある程度分かる人なら容易に内容は想像できるだろう。特に最後の部分「私たちドイツ人を今のままにしておいてくれ」(Lass uns Deutsche was wir sind.) というのは印象的だ。実は、ペンシルベニア・ドイツ語話者は減少するどころか増加していると言われている。彼ら「古い規律を守る」人々は、子沢山で家族を大切にしているというのが、その第一の理由だそうだ。また、成人になる前の段階で外の世界へ出ていくか否かを選択する時にも、結果的に「自分達の世界に残ることを選択する」若者が多いというのももう一つの理由だそうだ。

ペンシルベニア・ドイツ語を自分のアイデンティティの一部とする人達は、今後もアメリカで生き続けるのかと思うとちょっと不思議な気がする。しかし、祖国を離れてもなお自分達のアイデンティティを保つには、自分達の話す言葉を守るというのが確かに一番の方法なのかもしれない。

岡本 順治(学習院大学)
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