2005年バイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」を観て(S.Sambe)[J]   作成日:2005/11/07
 今年のバイロイト音楽祭では30回の公演が7月25日から8月28日まで行われた。「指輪」は,来年の新制作に向けて上演がなかった。私は8月8日から連日「オランダ人」(M. アルブレヒト指揮/グート演出),「ローエングリン」(シュナイダー指揮/ウォーナー演出),「タンホイザー」(ティーレマン指揮/アルロー演出),「パルジファル」(ブーレーズ指揮/シュリンゲンジーフ演出),「トリスタン」(大植英次指揮/マルターラー演出)の全5演目を観ることができた。
 今年の話題は,「トリスタン」新作のマルターラー演出と,東洋人として初めてバイロイトのピットに入った大植の指揮ぶりだった。演出家マルターラーについては,その演劇舞台について平田栄一朗氏の批評が本欄に載る予定なので,ここでは「トリスタン」上演について簡単にご報告しよう。
 1幕の舞台は旧式の客船サロンで,50〜60年代の服装のイゾルデとブランゲーネはその乗客,トリスタンはその船のサロンマスターという設定か。舞台の大枠は全幕を通じて変わらないが,2幕,3幕と進むと周囲の壁が上昇(または相対的に床面が沈下)する。天井には無数の環状蛍光灯がある。
 トリスタンに自らの母性が受け入れられなかった逆恨みか,室内の椅子を倒して回るイゾルデ。その後,媚薬を飲んだ2人は,2幕で愛欲世界に耽溺するかと思いきや,恋愛感情を秘めつつもお互いに接触できない。成就しない恋愛「ミンネ」が肉体的恋愛「リエベ」として成就してしまうことがこの悲劇のポイントだが,ここでの恋愛は本当に成就しない。未成熟な者たちの恋愛遊戯か?イゾルデの頭をなでる父性としてのトリスタンは,一方でイゾルデの膝に頭を載せて彼女に母性を求めている。手を握り合うこともなく,2人は「愛の夜の帳よ降りてこい」と歌う。熱い恋愛ドラマはクールな仕草で裏切られ,演技と歌詞が乖離する。2幕の終わりでは激昂したメロートが,振りかぶる短剣で丸腰のトリスタンを背後から刺すのが意外だ。
 3幕でトリスタンが横たわるのは病院のベッド。彼がそこから降りて床に倒れて絶命する直前に,ポケットに両手を入れた無表情のイゾルデが病室を訪れる。見舞いに来た風でもなく,トリスタンに触れることもない。永遠の別離にも接触を望まず,恋人の落命後,布団を顔に押しつけ,ベッドの彼の残り香に浸るイゾルデ。現代のセックスレス恋愛のようだ。彼女は「愛の死」を歌い終わるとトリスタンの寝ていたベッドに横になり,シーツを自分で顔までかけ,絶命する。
 能のような緩慢な動作,控えめな所作が特徴で,端役は周囲を歩き回り,死んだり退場したりで登場シーンが終わると,壁に向かって静かに直立する。
 さまざまな見方が可能だろうが,私には,恋愛に対する依存と恐怖のような精神的病理が主題と思えた。一方でテクストとの距離が大きいがゆえの苦痛も味わった。
 トリスタン役のスミスは,演出コンセプトに合った若々しい声だが,最後まで持たせるのが精一杯。もう少し強いヘルデンならば印象は違ったろう。イゾルデのステンメは,今年最大の喝采を受けた歌手ではないか。スウェーデンの名イゾルデ歌いの系譜に名を連ねるのは間違いない。オペラ経験皆無で大抜擢の大植英次の指揮は,ドライな舞台に引っ張られたのか,息の長さと抑揚に乏しく,平板な運びであったことが残念。心機一転,雪辱を望みたいところだったが,来年の「トリスタン」の指揮はペーター・シュナイダ−に交替ということだ。とはいえ,バイロイトに数十年も通う地元のベテランファンには「あの日本人,頑張るのぉ。何年かしたらもっと良くなるじゃろ。」という好意的な声があったことも付け加えておきたい。

三瓶愼一(慶應義塾大学)