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外国人名カタカナ書き異聞(T. Yoshinori)[J]

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ゴールデン・リレーエッセイ
  投稿日: 2011-9-16 13:06
義則孝夫(関西学院大学名誉教授)
数年前、まだテレビのデジタル化が進んでいなかった頃、衛星放送は特別扱いで、NHK にはBS1、BS2、BS3 と三つのチャンネルがあって、それぞれ特殊なテーマの画面を提供してくれた。私はその頃、テレビと言えばもっぱらこのBS放送を見ていた記憶があるのだが、そんなある日、どのチャンネルか覚えはないが、突然、何の由縁もなく、……というのは、おそらく番組の変わり目であったのであろうが、私の思いでは、その前後の画面とは何らの関係もなく、まったく唐突にどかりと、ブラウン管全面を巨大文字で占領して、Ludwig van Beethoven の名前が表示されたのである。しかも、それには次のようなルビが付してあった。〈ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン〉(?)…… 私はこれを見て、思わず吹き出してしまった。次いで、思わず知らず、頭を左右に振っていた。これはいかん、という所作である。テレビのことだから、たいていの愚昧は辛抱するが、ドイツ語講座などを正規番組で放送しているNHK がこんな過ちを犯してくれては困るのである。昔、テレビの開花期に「国民一億総白痴」という名文句を吐いた硬骨の評論家(たぶん大宅壮一さん)がいたが、わざわざ用もないのに原語を示してその下にルビを付せば、このドイツ語はカタカナ書きのとおりに発音するのだと、誰しもそう教わったと思うのが人情である。ところがこれは実態に反する。このカタカナ書きの中に幾つ誤りがあるか、お分かりかな。まず始めの〈ルード〉は〈ルート= 清音〉である。次いで〈ヴァン〉はドイツ語学習者には不満であろうが、〈ファン〉である。ここはオランダ語風に濁音〈ヴ〉ではない。次いで最後に苗字は造語的に区切れば〈Beet・hoven〉であって、したがってその発音は〈ベートホ―フェン〉である。日本人に親しい、というよりも全世界で親しまれているベートーヴェン= ベートーベンは、ドイツには居ないのである。
この程度のことは、ドイツ語の学習用辞書でも少し気を付けて見れば分かることである。だがどうも、これは私見に過ぎぬかもしれぬが、このカタカナ語読みは英語から来ているらしい。念のために手許の英和辞典を引いてみると、この姓の綴りは〈Bee・tho・ven〉と区切られている。これだと〈ベートーヴェン〉としか読みようがない。したがって、今更それが原語に忠実な読み方だなどと気取って、わざわざややこしいベートホ―フェンなどを日本で採用せよ、などというのが私の趣旨ではない。しかし、少なくとも正規にドイツ語を学ぶ場合、もしも Beethoven に出くわしたら、その正しい発音方法、また出来ればその由来についても、若干の講釈を聞きたいものである。教える側に、その為の用意があって然るべきであろう。

同じようなことが、NHKに関して起こっている。何年ぐらい前からであろうか、画家のゴッホに関して、Vincent van Gogh が何の断りもなく、従前の〈ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ〉から〈フィンセント・ファン・ゴッホ〉に変わった。その説明がどこかで聞けるかと心待ちにしていたが、少なくともNHK の放送ではついに触れられることはなかった。私は辞書・事典マニアであるから、それではというので、インターネットを含めていろいろ調べてみたが、それらはいずれも、最近は〈フィンセント・ファン〉の優勢勝ちということであった。たぶん、このごろ流行となった原語に近いカタカナ語発音というのが原因であろう。それと知って私は首を捻った、と同時に、抑えがたい苦笑におそわれた。ゴッホはオランダ人である。とすれば、その姓名の読みはオランダ語の発音に依らねばならない。なかんずく難解と一般に称されるオランダ語の発音で、果たして〈v〉は清音なのか濁音なのか。発音辞典の出馬を待つまでもなく、その読みは濁音なのである。現事態に即して言えば〈ヴィ= ビ〉なのであって、〈フィ〉と読んだからといって、この画家の本体により近づいたということにならない。私がネット上で昵懇にしているブリュッセル在住の知人に、他の案件も兼ねてこの字の読みを尋ねてみたが、その返事は、現地人の発音は、どう聞いても〈ヴ〉に近いということであった。ご承知の通り、ベルギーは東半分はフランス語の領域、西半分はオランダ語の領域なのである。仄聞するところ、この二国語の並列に関連して、深刻な言語社会学的問題があるらしいのだが、それはここでは別として、ゴッホ問題そのものに集中すれば、私が先に〈抑えがたい苦笑〉と言ったのは、清音論を掲げてモダンな表現を自負するのであれば、肝心かなめの姓、つまりGogh はどうなるのであろう。ご存知の通り、オランダ語で〈g〉の発音は、日本語のカタカナ語読みにしたがえば〈ハ行音〉である。オランダに旅して、ガス〈gas〉のことを〈ハス〉と言われて、まだ戦後間もない頃、ドイツと日本は一蓮托生、オランダでも嫌われているのかと、目を白黒させた覚えがある。ドイツ語のハス〈Hass〉は〈憎悪〉の意味である。発音記号では[x]と[h]で質が違うではないか、などと悶着を付ける人は、冗談の分からない人である。つまり、文学的雅趣を解さない人である。そんな国際的問題(?)は別として、さてGoghの場合、その約束にしたがえば〈ホッホ〉となるはずである。少なくとも発音辞典にしたがえばそうである。それがそうでないのは、またしても英語、またはこの場合、ドイツ語の発音の日本的受容の故であろう。誰がこの音を持ち込んだのか、諸説あるようだが、われわれは当初からGoghをゴッホとして受け入れ、それに限りない親しみと愛着とを感じて来た。この呼び名がなければ、われわれがかつて熱く感動した、滝澤修、宇野重吉などが活動したかの劇団民芸の名作『炎の人ゴッホ』は日本の演劇界にあり得なかったであろうし、その奇怪な絵が、日本人に絶えず深い興味を与え続けている根拠は激減するであろう。〈炎の人ホッホ〉では、不思議な言語作用とも言えようが、感覚が白けて、私のように鋭敏な人間(?)には、なかなか情熱の炎上とまでは行かない。

だから、木に竹を接いだように、名前の前半分だけはモダン化して、後半分は旧態依然というような変な改革はしないで頂きたい。事態はそれによって、なんら得るところがないからである。昔、〈ゲヨエテとは俺のことかとゲーテ言い〉という有名な川柳があった。昭和初期の頃であろうか、Goetheをなんとかしてそれらしい日本語に移そうとして努力された大先輩のお仕事を揶揄した、おそらくは一般読者層からの悪戯であったのであろう。oe ⇒ O-Umlautなどが日本語で表現し得るはずがない。もともとそんな音は日本語には存在しないからである。いくら努力しても、それこそ〈無い袖は振れない〉のである。そうではなくて、Goetheは日本ではゲーテでいいのである。同様にBeethovenは、もっとも簡略化した形で、ベートーベンでもいいのである。日本人同士が、それで了解し合っていれば、いいのである。

こんなことを書いていると、このエッセイは外国人名のカタカナ語読みの問題に終始するのかと、どこからか不満の声が聞こえそうである。もちろんそれも非常に大事なことであって、私はそれに大いに関心を持っているが、実はこのリレーエッセイを学会の骨董的人物、つまり最後期高齢者から選んで誰か執筆させてみようと担当理事の方が考えて、私にお鉢が回って来たとき、一考して私は、この人名の問題と、それからこの文章そのものが学会誌の記事の一部を成すのであるから、何か学術的な問題との二段構えで臨むのがよかろうと判断した。学術的問題といっても、私に思わず失笑、苦笑を強いたようなエラーを、論者にも、またそのエラーに気付くことのなかった編集委員会にも、傷がつかないように、オブラートに包んで、老巧な苦言を呈したかったのである。そのような批判がなければ学会の進歩はないからだ。特に親交のあった年下の理事長が、いつか私のことを学会の大久保彦左衛門と呼んだことがあったが、私の論評からは、盥に乗って登城する老武士のユーモアと気概を察して頂きたい。ところが、ここまで書いて来て、この調子で続けると、第二段階の最後ははるか遠方にかすんで見える。とうていリレーエッセイのようなスマートな企画の枠内に収まるわけには行かない。長さも内容も自由にと言われたが、物事にはけじめがある。よって第二段階を踏むのは断念した。

というと、今回はこれでお終いというのが、文脈から言って自然と思われるであろうが、実はもう一件、この場を借りて是非とも伝えておきたいことがある。これはまあ周知のことに属するとも言えるので、それほど長くはかからないであろう。事はAndersenである。私はAndersenとはかなり親密に付き合った。といっても、もちろん書類上でのことである。いろんないきさつがあって、その自伝 (Das Märchen meines Lebens) の抜粋教科書版を出し、またその代表作『絵のない絵本』(Bilderbuch ohne Bilder)の教科書版の編纂・付注を行った。内容には触れないが、このデンマーク人の名は〈アンデルセン〉ということで日本には知られている。これは有名な森鴎外の『即興詩人』(Der Improvisator)のドイツ語訳に由来するドイツ式発音を日本語のカタカナ書きに引き継いだものである。日本中で、童話と言えばグリムと並んでアンデルセンの名を知らない者はない。ところがアンデルセンという人物は日本以外には存在しないのである。前述のとおりAndersenはデンマーク人であるが、デンマーク語では綴りの中の〈d〉は発音しないから、彼の原語名は〈アネルセン〉である。ベートーベン、ゴッホ、ゲーテ等に並んで、アンデルセンはれっきとした日本名なのである。それでいいではないか。彼らはそれほど日本人のあいだに溶け込んで、日本の文化を豊かにしてくれていると言えるのである。

ただし、これには余談があって、是非付け加えておかなければならない。日本のゲルマニストの中にはアンデルセンに打ち込んでいる人たちがあって、その一人が、日本で最高のある大百科事典に、当該の項目執筆を担当した。私は仕事上の関連もあるので、その項目を引いてみた。すると〈アンデルセン〉のところに〈アネルセンを見よ〉との指示があった。そこで〈アネルセン〉を引くと、〈アンデルセンとも言う〉という書き出しのもとに、まあ然るべきことが書いてあった。思うにこれは逆ではなかろうか。一般読者層を対象とした百科事典であれば、一般に敷衍している〈アンデルセン〉を見出し語に立てて、〈本来はデンマーク語だからアネルセンという〉とでも、解説を付けるのが自然であろう。その先生が自分の出した文庫本の翻訳では、〈アンデルセン作〉と明記されているのである。……これで止めておく。


義則孝夫(関西学院大学名誉教授)
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