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2010年夏IVGワルシャワ大会に参加して(E. Kobayashi)[J]

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国際学会関連報告
  投稿日: 2010-11-5 22:01
小林英起子(広島大学)
5年に一回開かれるドイツ語学文学国際学会(Internationale Vereinigung für Germanistik)が「世界規模のドイツ語学文学の多元性と統一」(Vielheit und Einheit der Germanistik weltweit)というテーマのもとで、2010年7月30日から8月7日にかけて、ポーランドのワルシャワ大学で行われた。前回2005年夏のパリ大会と比べて、開催校の大会事務局から送られてくる事前情報が大会直前まで大変少なく、参加予定者の間でも不安がないわけではなかった。今回はとりわけ発表部門が多く、ここでの報告は私が拝聴した部門の様子が主となっており、学会の模様全部ではないことをお許しいただきたい。ポーランドでの国際学会におけるドイツ語学文学、オランダ語学文学、イディッシュ語学文学(Germanistik, Niederländistik, Jiddistik)の研究者の熱気と交流の一端を、私のエッセイでお伝えできればと思う。
会長を務めるワルシャワ大学Franciszek Grucza教授の開式の辞によれば、2010年大会では、前回パリ大会でのセクション数30と発表数700と比べて、発表セクションが60、研究発表数が1500となり、2倍の規模になったとのことだった。参加者は実に2000人とのことである。会長はポーランド人であるが、新しい分野の開拓や外国のドイツ語学文学(Auslandsgermanistik)からの視点の研究も推進する立場をとっておられる。地理的にドイツとロシアの間にはさまれたポーランドには、かつて地図から消滅した悲劇がある。第二次大戦中にはドイツ軍に対してワルシャワ市民が蜂起して抵抗をした。しかし、過去の負の歴史にとらわれずに、ポーランドではドイツ語の学習が盛んなようだ。今年はショパン生誕200周年にあたり、基調講演の合間にショパン四重奏が披露された。それにしても東欧の参加者は、ドイツ人並みにドイツ語が堪能な人が多かった。

セクション数が肥大したため、会場が散在して、見つけにくいことがしばしばあった。プログラムで見つけた興味深い発表を聞きに行けなかったこともある。大会本部の総合案内所で、東京大会やウィーン大会の時のような、もっと大きな共通掲示板がほしかったところである。会場情報、夕方の催し物情報等、サービスが足りないのか、大切な情報が伝わってこない印象を持った。
興味深いパネルディスカッションの一つに、「ドイツ語圏文学は『一人言』を言っているのか?同時代のドイツ語文学の国際的認知について」というテーマのものがあった。ドイツ語圏のパネラーの中には、ドイツの現代文学が今一つぱっとしないのではないか、とアイロニーに満ちた自己批判的な報告をする方もおられた。その一方ポーランドのパネラーは、ポーランドで人気のドイツ文学の作家として、グラス、ホフマン、ハイネ、ブレヒト、Th.マン、ムジル、ベル等の名をあげ、シラーに至っては„unser Schiller“と呼び、人気が高いという。受容文学(Rezeptionsliteratur)も重要な研究テーマであると語った。ドイツ文学が「一人言」を言っているというよりも、ポーランド人にとって、難しすぎて退屈にうつるとジョークを飛ばし、会場の笑いを誘った。インドのパネラーは、亡命者文学(Emigrantenliteratur)の観点を強調された。参考までに、インドで人気の日本人作家は、村上春樹、大江健三郎、三島由紀夫であるという。米国のパネラーは、英語があまりにグローバル化したために、米国人は他国の文学を知ろうとしないと自国批判した一方で、メディア言語で文学もネット化してきた点を指摘した。米国では文学書の翻訳の大半はロシア文学であり、ドイツ文学の翻訳はあまり多くないという。オーストリアのパネラーは、エルンスト・ヤンドルの成功例をあげて、書き手が多様化し、ドイツ文学の概念も広がっていると語った。フロアーにいた外国人のゲルマニストから、ドイツ語ドイツ文学が低迷する理由の一つとして、ドイツ人のゲルマニストがもっとドイツ語を奨励すべきところを、ドイツ文学の研究論文さえも英語で書く傾向があることは、自己矛盾であると批判する声があった。パネリストからも、ドイツ文学が低迷する理由として、社会のメディア化もあるが、売れる本を作ろうとする出版社の政策が、文学書からさらに読者を遠ざけているとの指摘もあった。

今回は外国人ゲルマニストから熱い発言が飛び出す傾向があった。インドのゲルマニストが最も熱く、パネラーを前にして持論を展開する傾向が見られた。日本人の中にも、ヨーロッパに根をはって研究職についている人達も現れており、TübingenのTakedaさんがドイツ文学は外国、とりわけ東アジア等でよく受容されてきたが、逆に日本の哲学・文学はドイツ語圏ではまだよく知られていない、とヨーロッパ中心主義の姿勢を指摘する発言もあって、日本人の気持ちを代弁してくれるようで心強い思いがした。この度の学会では、パネルディスカッションだけでも8つの企画が並んでいた。

日本独文学会会長の前田良三教授が、パネルディスカッションFとGでパネラーと司会を務められて、異文化間ドイツ語学文学の変遷(Interkulturelle Germanistik im Wandel)というテーマの下、午前中に第I部、文化の媒介、外国における影響史(Kulturvermittelung, Wirkungsgeschichte im Ausland)について討論がなされた。同じ日の夜の部では第II部で、挑発としての文化の越境 (Transkulturalität als Herausforderung)という話題で全体討議が続いた。Transkulturalitätというキーワードの解釈をめぐって会場から異見が飛び出し、討論が迷走しだすようにも見えたが、外国でのゲルニストの交流と協力の例を韓国のパネラーが報告した。母国語でもないドイツ語を介して、アジア・ゲルマニスト会議で東アジアのゲルマニスト達がドイツ語ドイツ文学について研究発表をし、文化交流をしている例が紹介された。会場から自然と拍手が沸き起こったことが印象深い。

60ものセクションが7日間に別々の部屋で進行したため、私は自分が発表するセクション37を中心にこの期間を過ごし、合間に関心ある発表を聞き歩いた。セクション37は、「語られた歴史-想起された文学」(Erzählte Geschichte – erinnerte Literatur)というテーマで行なわれ、米国、カナダ、ドイツのドイツ人女性ゲルマニスト4人が司会(Leitung)にあたった。大きな束ねやすいテーマだったこともあり、呼びかけに応じた外国人も多く、予想以上に発表申し込みが集まったそうだ。直前になってキャンセルがいくつかあり、配布されたプログラム通りとはいかぬところもあったが、最終的に40名の発表があった。本部から公園をはさんで離れた場所にある図書館新館の講堂が私達の会場だった。一日9本~4本の発表が初日から最終日までみっちり続き、司会役チームはすべての発表を聞き届け、活発に討議に参加していた。ドイツ人の発表が初日、二日目頃に意図的に固められていた感じがするが、外国人ゲルマニストも、インド、ポーランド、スペインの教授をはじめ、ドイツ人顔負けのドイツ語で含蓄の深い発表をされていた。同じグループで、生田教授、今村教授が日本人として熱のこもった発表をされた。ドイツ人の発表を聞くと、非常勤の若手研究者に気迫に満ちた濃い内容のものが多かったように思う。日本ではまだあまり名を知られぬ現代作家の作品報告や政治と文学の関係、旧東ドイツ女性文学についても壁崩壊後20年を経て客観化して発表されていた。外国人である私には、年配のドイツ人教授のゆっくりとして骨太なドイツ語の方が、若い研究者の早口で流すようなドイツ語よりも耳にすっと入ってきたように思われた。

日本からは、語学セクションで文法を中心にいくつかの発表グループがあった他、文学系でも日本人の司会役の方がたを囲んで映画と視覚メディア論、異文化論等、発表グループがいくつかあり、積極的に参加する方が多く見受けられた。個人参加で、専門分野のセクションで発表される方も増えている。大御所の先生方の姿が今回見えなかったのを寂しく思った一方で、大学院生や若手研究者の発表も目立ち、新しい日本人の活躍を心強く思った。同じ国籍の人がグループで発表するのは、日本人だけでなく、ポーランド、ルクセンブルク、ドイツ、東アジア人主体のグループもあり、多彩であった。

ワルシャワ大会は研究発表の呼びかけは成功したものの、運営の財政逼迫か、奨学金の関係か、直前に途上国等の研究者の参加取りやめがあった。最終発表日の夜も、パネルディスカッションで締めくくられ、恒例のパーティは企画もされていなかった。ウィーン、パリ、そしてかつての東京大会でも大きなパーティが恒例で、新しく知りあったゲルマニストと交流の輪を広げることができたように思うが、今回は発表が増えて、質素で実質本位な大会となった。
 
今年ワルシャワではショパン生誕200年を祝う催しが続いており、IVGの期間中早くも、近隣ヨーロッパ諸国からの観光団や日本、韓国からの団体客がワルシャワ大学近くを散策している姿が見かけられた。街で英語で道を聞いても、若い人は英語ができるようだが、ロシア語を習った世代の人達には英語どころかドイツ語も通じず、もどかしい思いをした。そんな中で、今大会に備えてポーランド語の会話を事前に練習してきたというシャイフェレ教授のようなゲルマニストもおられて、オープン・カフェでもさっそくポーランド語を使って、ワルシャワの人の顔をほころばせていた。ポーランドの風景はドイツを思わせるところもあるが、標識のポーランド語を見ると私には緊張感が走った。街は戦争ですべて破壊されたが、市民の手によって、戦前の写真、絵や設計図も参照して、以前の建物の姿に奇跡的に復興されたという。総じて女性は優しそうな表情で、男性はショパンのように繊細そうで穏やかな顔つきの人が多いように見えた。大国の間で歴史的に苦い思いをしてきたお国柄なのか、忍耐強そうな人が多いようにも見えた。

夕方の路面電車では、仕事帰りの人々の熱気を感じた。東側のベルリン等で見かけたソビエト風高層アパート群がワルシャワの中心部にも立っていた。夜になると、ソビエトから贈られたという文化科学宮殿がネオンでひときわ輝いていた。ポーランドは、半分社会主義的で、半分資本主義的な不思議な国である。西側諸国の資本によるホテルがちらほらと立つが、それ以外は、再開発工事中で、見通しのよい大通りにそって散策するのも心地が良かった。ワルシャワ大学の旧図書館がIVG会場の中心であったが、その周囲にあるかつての貴族の宮殿も今では大学施設であり、会場に使われた。

大学のすぐ近くに、警備兵の姿が目立つ建物があったが、後でそこが大統領官邸であることを知った。六月、飛行機事故で他界した元大統領他の慰霊祭壇には、朝から花や蝋燭を手向ける人が訪れていた。大学正門向かいには、歴史ある十字架教会があり、そこの柱には信仰の厚かったショパンの心臓が埋め込まれているという。また、その近くにはコペルニクスの像が立ち、訪れた人はしばし立ち止まり、感慨にふける。この像もナチス・ドイツ軍の占領下にポーランド語の碑銘を覆い隠されたり、破棄された受難の過去を持ち、歴史の重みを感じさせてくれる。

ポーランドへは日本からの定期直行便がないため、飛行機の乗り継ぎでようやくたどり着いた。今回の学会では、東欧圏からのゲルマニストの参加が積極的だったのもうなずける。ポーランドの情報が日本ではあまり伝えられておらず、私も出発前は不安が大きかった。だが、日本で情報収集して備えたせいか、現地では徒歩移動を中心にして、安全に過ごすことができた。もう少し、他国のゲルマニストと話を交わす時間の余裕があったら良かったのにと、プログラムをめくりながら、規模が大きくなった今回のIVG学会を振り返っている。次回2015年は上海で開催されるという。アジア・ゲルマニスト会議の熱気を上回る、IVGの規模、発表の密度の濃さと研究の多彩さを、日本の若いゲルマニストの皆さんにも是非肌で感じていただきたいと願っている。

小林英起子(広島大学)
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