パーテルノステル(Y. Furusawa)[J]   作成日:2010/03/11
ドイツの大学校舎にはエレベーターが少ない。大理石の立派な階段があったりするが、そこを足で登ることになる。地域によって違いがあるから一概には言えないが、何度かそういう経験をした。先年マインツ大学でも研究室図書館が4番目階、ということは5階にあるので、エレベーターはないのかと聞いた。すると案内してくれていた老教授に「建物のずっと端にあるにはあるが、あれは身障者のためだ」と言われてしまった。そこで定年間近の彼の軽快な足取りの後ろについて息切れする羽目になった。学生たちも分厚い本をかかえて日に何度となく階段を上り下りしている。
日本でも国立大学の建物は4階建てまでエレベーター無しという規定があったそうだ。しかし車椅子使用者の入学やバリアフリー意識の発達で、いまでは多くの建物に複数のエレベーターやエスカレーターが設置され、それを身障のなさそうな教師や学生があたりまえのように使っている。けれども日本でも、とある女子大を訪ねたら、由緒ありげな3階建ての建物に階段のみで、女子学生が元気に駆けのぼっていたということもある。3階以上のぼるのに、かならずエレベーターを使う我が身を反省させられた。

若者のみならず年配者の運動不足やエネルギー消費の無駄など、考えさせられる問題も多いが、ここで話題にしたいのはパーテルノステルである。

フランクフルト大学の古い方の校舎にも、豪華な階段やテラスはあるがエレベーターがない。しかしパーテルノステルがあるという。なにかといえば複数のキャビンが遊園地の観覧車のように止まることなく回りながら上下し続ける機械ということだ。実地に乗る機会を逸してしまったが、名前が妙なので興味を持った。ラテン語でPaternoster、ドイツ語でVaterunserといえば「我らが父(なる神)」への祈り、新約聖書に記された「主の祈り」だが、この乗り物がなぜそのように呼ばれるのだろうと不思議だった。

動き続けるキャビンは、うまくタイミングをはからないと乗り損ねたり降り損ねたりする。スキー場のリフトと同じで転んだり足を挟んだりとあぶない。ろくな扉もなく壁で擦ったり落ちたりの危険もある。安全性の問題から、ドイツ連邦議会は廃止の規定を検討したらしい。けれどもこれに反対する「救う会」が結成されたりしたことから、現存機の存続だけは認められた。しかし、いくら危険といえども祈りながら乗らねばならない乗降機というわけではあるまい。

聞いてみるとカトリックの数珠Rosenkranzの形状に似ているゆえの命名だった。この数珠には通常50個の小さな玉が連なるが、これを5つずつに分けて大きな玉が間に入る。数珠をたぐり、大きな玉のときは「主の祈り」小さな玉では「アヴェマリア」を唱える。聖母マリアへの祈りの連なりは聖母にささげるバラの花の冠(Kranz)ということでローゼンクランツである。そして個々の距離が離れている「主の祈り」のための大きな玉がキャビンの連なりに比されてパーテルノステル乗降機と名付けられた。

昨年(2009年)ベルリンのAdlershofに新しいパーテルノステルが設営された。しかしパーテルノステルは法令上禁止なので、回転エレベーターRundlaufaufzugという名前で運転している。そのうえ毎秒15センチという遅い速度で、乗降用の青と赤の信号がつき、赤信号でキャビンに出入りしようとするとセンサーが働いて急停止するという。たぶん荷物運搬用で、人には階段が推奨されるのだろう。できるだけ足を使い、重い荷物はゆっくり運ぶ姿勢は、ゲルマン的こだわりの一面かもしれないと思った。

古澤ゆう子(一橋大学)