ドイツ語教育の未来――ある地方私立大学における解雇事件から(K.Hayashi)[J]   作成日:2008/12/21
 もう、かなり前のことになるが、確か「ルーティンと化したドイツ語教育」というようなタイトルの論説が『ドイツ語教育部会報』に載っていた。詳細はほとんど覚えていないが、言わんとするところは、ドイツ語教育の名誉ある縮小云々であったような記憶がある。その後しばらくの間、ドイツ語教育部会でも、教養課程におけるドイツ語教育のあり方として、実用言語としてのドイツ語教育か、あるいは文化言語としてのドイツ語教育か、という論争があったように思う。
 爾来、このテーマは常に私の念頭にあった。自分のしていることに自信が持てなかったからかもしれない。1990年初めの大学設置基準の「大綱化」を契機に、北陸にある私の勤務校でも教養部が廃止され、3人のドイツ語教員は2学部に分属することになった。幸い、その頃一人のドイツ人女性が赴任してきて、私は彼女と共に外国語学部(英米語学科と中国語学科の2学科構成)に所属することになり、新たな環境で、ドイツ語教育持続のために「実用」を追い求めることが本筋と考えた。毎年の教授法検討だけでなく、授業時間確保のためにカリキュラムの改正ごとに粘り強く交渉し、自由科目分を含めると、第二外国語として曲がりなりにも卒業まで受講できる授業体制(8単位)を整えた。ドイツ語検定制度が発足してからは、受講生には、例えば同じ3級でも自分の専攻分野以外の言語資格をさらに取得というところに価値がある、と受験を奨励した。ちなみに、彼女は、授業の他、北陸地区ドイツ語スピーチコンテストを創設し、中心的な役割を果たすなど、ドイツ語文化の活性化に大いに貢献した。
 一方、法学部へ所属した日本人ドイツ語教員は、自らの関心と学部の特性を考え、近現代ヨーロッパの中のドイツ研究に力を注ぎ、やがて欧州地域研究の講義を任されるようになった。それは、ドイツ語教育を基点としたもう一つのバリエーションであった。実際、彼は、『統一ドイツの苦悩-外国人襲撃と共生のはざまで』(著書)や『ナチス・ドイツの強制労働と戦後処理-国際関係における真相の解明と「記憶・責任・未来」基金』(著書)など数多くの著訳書を世に送って、ドイツ・ヨーロッパ社会への関心に精力的にこたえ、その方面で一定の社会的評価を得るまでになった。

 かつてのドイツ語教育部会における論争テーマは、私の勤務校では、このように二つの道として未来に向かった。

 しかし、それなりに希望が仄見えた道程は目的地へ近づくことはなかった。御多分に漏れず、私の勤務校でも少子化に伴う受験生の減少が状況を悪くした。経営悪化の影に怯えた理事会は、教育よりも自らの生き残りを選び、2学部を統合縮小し、余剰になった収容定員をまだ競争力のあるもう一つの学部(ドイツ語科目は既に消滅していた)へ振り向けた。そして、縮小統合された新学部では、第二外国語は担当者の意見を聴くこともなく廃止された。「外国語を(世界語である)英語と中国語に特化する」ことが理事会の方針ということであった。これは、説得力のある合理的理由ではあり得ないが、理事会は不要になった、あるいは不要と決めつけた教員を、その教育・社会面での幅広い活躍にもかかわらず解雇した。大学教員といえども、経営的には所詮被雇用者にすぎないことを思い知らされた。

 ここに、ドイツ語教育及びドイツ文学研究を取り巻く一つの現実の姿がある。時代の流れとして教育より経営優先が着々と進行している。教育の悪しき市場経済化である。第二外国語で学生を集めることはできない。賑やかな職業・就職関連講座等の「実学」の陰で、学生募集に対して貢献度の低い部門は淘汰される。この流れを「教養重視」というお題目だけで押しとどめることはできない。とすると、経済的視点からは存在理由の定かでない第二外国語のような科目は、具体的に誰が教育体系の中に意味を見いだし、その居場所は何によって保証されるのであろうか? あるいは、学ぶために学ぶ良風は既に時代錯誤と化しつつある大学で、経済的淘汰に任されるしかないのであろうか?

 私は今春定年退職し、同僚ドイツ語教員2氏の解雇は裁判所の係争事件となった。この事件は決して1回限りの小さな事件ではないと思われる。日本のドイツ語教育及びドイツ文学研究は多くのドイツ語教員からなる学会員によって担われているとすれば、近年は、大量の非常勤雇用教員の存在を含む会員の雇用危機により、日本のドイツ語教育及びドイツ文学研究を支える土台が掘り崩されている、と言える。それとも、「ルーティンと化した」と評されたように、上部構造の衰退とともに下部構造もとっくから存在意義を失っていたのであろうか? 実用言語であれ、文化言語であれ、一般的な問題として、あるいは個別のケースを通して、切実に、アクティブにドイツ語教育の未来に立ち向かわなければならないときが来たように思われる。裁判での2氏の闘いは、日本のドイツ語教育及び研究が直面せざるを得ない現実の中で重要な意味をもつことになるかもしれない。

<解雇事件については「支援する会」のホームページ( http://www.tars.sakura.ne.jp )でご覧になれます。>

林 敬(元北陸大学教授) 
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