日生劇場オペラ教室『魔笛』公演(I.Takashima)[J]   作成日:2008/03/23
2008年11月に日生劇場で『魔笛』が上演されるが、その演出を私が担当することになった。『魔笛』は良く知られているだけに、現代の様々な解釈が施された演出でも、お客様は比較的抵抗なく受け入れてくださるようになってきた。「どう演出しても良いから、兎に角楽しくして欲しい。」といった意見から「高島さんがどう演出するか楽しみ」といった友人達の勝手な言葉に、「『魔笛』は難しく、自分にとっては卒論のようなもの…」とその演出の困難さを訴えるが、自分で選択してしまったのだから、言い訳しても始まらない。ただ、パパゲーノの台詞には非常に共鳴できる。
ところで、イマドキのお客様、この作品に関しては「ト書き通り」といった見方をせず、むしろもう何回も上演されているので、違った演出にして欲しいという「見飽きた論」から「演出至上主義」を擁護する過激な方向を期待する向きが多い。新国立劇場の『リング』が熱狂的に迎えられ、コンヴィチュニーの『魔笛』(シュトゥットガルト歌劇場客演公演)が積極的に評価されるようになった今の日本、オペラ観客の意識変化には目を見張るものがある。海外に出かけて行って現地で最新の演出を見ることが容易になり、奇抜な演出にも慣れたこともあろう。日本でも実験的な舞台が多くなり、オペラにおける演出の役割を積極的に認め、再現藝術としてのオペラが、音楽としての絶対的価値を優先しつつも、将来への生き残りを掛けた戦いの中では、ヴィジュアル部分のクオリティーの高さを要求されるという認識が一般的になってきたことの現れであると思う。オペラは死んではいないのだ。

そうした過激な観客の期待をも満足させ、且つ初めてオペラを見る人にも違和感無く楽しんでもらいアピールするような演出を施すことは、勿論そう簡単ではない。「燕尾服のシェークスピア」から始まった演出の革新も、まだまだTPOを選ぶ。

さて、今回日生劇場で上演する『魔笛』は、中高生に劇場体験をしてもらうべく、課外授業の一環として学校単位で見てもらうプロダクションである。その一部を一般公演としても有料公開する。出きるだけファンタジックに、できればファミリーでも鑑賞できる演出にして欲しいというのが、劇場側からのリクエストである。発注者の希望と自分自身のこの作品に対する思いとを、変に妥協することなく実現する為、この作品の問題点を意識しながら色々考えてみた。

まず、『魔笛』というタイトル。このオペラの主役である<魔法の笛>は、時々舞台上に現れるが、どこから来てどこに行くのか、そして、試練と言う重要な場面でタミーノ達を導く役割を担うものの、それが具体的には、なぜ、誰の意思でそうなり、その後はどうなるのか・・・という素朴な疑問がなかなか解決されない。魔法の笛なのだから、きっと白馬の騎士のように現れて私たちを救ってくれるのだろうけれど、これは単にメルヘンチックなお話のドラマトゥルギー上必要な小道具のひとつなのだろうか?

前奏曲の終了と共に幕は上がり、タミーノが大蛇に襲われている劇的なスタートとなる。夜の女王から使わされた3人の侍女たちが、タミーノを危機から救い、囚われの身となっているパミーナ救済の為の使者として、ザラストロの城に送り出す。その際たまたま通りかかったパパゲーノがお供につく。よく指摘されることは、ここまでのストーリーとその後の展開に矛盾があり、モーツアルトはその辺を精査せずに曲を書いたのではないかと推測されている。しかし、その後のザラストロの発言を吟味し、何故パミーナが夜の女王から引き離されたのかを考えてみると、実は前半の展開もザラストロの熟知するところであって、夜の女王の行動も全てザラストロの思し召すところであったのではないかと思えてくる。勿論、ディティールでは様々な矛盾が各所に残ることは確かだが、そのように捉えてみると、全体の統一はつく。

3人の童子達についても、彼等がどのような存在であり、どこから来てどこに行くのかが良く理解できないことが多いのだが、ザラストロの意思の中で全てが動いていると考えると、それ程不可思議な存在でもなくなってくる。しかし、童子達については、もっと別な解釈が成り立つ存在でもあるので、取り合えずこれ以上深入りしないことにする。

ところでタミ―ノは、その言動をドラマトゥルギー上の流れの中で観察したとき、果たしてザラストロ、若しくはパミーナの父親が築いた国の後継者として本当にふさわしいのか・・・と首を傾げたくなる部分もある。全体をタミ―ノの成長物語としてみたとき、なるほどと頷ける部分も多いので、そのような切り口から演出されることが多いのは当然であろう。しかし、その場合パミーナの存在について観察すると、ザラストロにしても、僧侶たちにしても、ともすると男尊女卑的なテキストが多い中で、男性を助けるよき伴侶としての添え物的役割しか与えられていないように見える。だが、もっとよく見ると、試練という枠の外で、人間的に苦しみ成長しているのは、タミ―ノでもパパゲーノでもなく、むしろパミーナだ。また、そのパミーナを母親から引き離すことから始まって、彼女がよき伴侶を見つけるまでの間、愛情を持って見つめてきたのはザラストロその人である。マルケ王のイゾルデに対する愛情やハンス・ザックスのエヴァに対する愛情と同じく、年長者の若い女性に対する愛の断念という同じテーマも見え隠れしてくる。そう考えたとき、今回はパミーナの成長と言う部分に光を当てることで、今までとは違った切り口が見つかるのではないか・・・とドラマトゥルグの山崎さんからの提案もあり、方向性が決まった。

この作品に関しては、フリーメーソンとの繋がりやウィーンの笑劇との関係、当時のオリエント趣味といった様々な時代的背景などが研究され論文に発表されている。2006年のモーツアルトイヤーに向け、そういった論文はさらに数を増した。今回Jan Assmannの『魔笛』を随分参考にした。しかし、『魔笛』におけるモーツアルトはといえば、「如何様にでも御料理あれ」とでも言わんばかりに舌を出し、こちらがいくら深く切り込んでも、作品の本質をはぐらかしてしまう。この笛、魔法の力を持ってはいるが、誰が吹いてもその効果が同じということではないらしい。モーツアルトは私にもこの『魔笛』が吹けるよう、彼の魔法をかけておいてくれたのだろうか? 日生劇場では、果たしてどんな響きを聞かせてくれるのやら…。我が試練の時は続く。

(11月8日、9日 14時 一般公演)

日生劇場オペラ教室『魔笛』公演(原語上演ながら、台詞は日本語)

高島 勲(演出家) 
日付
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Title
内容
2015/09/01
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