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テキストデータベースと私(T.Higuchi)[J]

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ゴールデン・リレーエッセイ
  投稿日: 2008-1-27 21:40
樋口忠治(九州大学)
高等学校卒業時にドイツ語担当の磯部講師(医学部進学課程教授)に勧められて、九州大学文学部独文科に赴任してまもない高橋義孝教授のもとで学ぶことにした。ここでは、ドイツ文学の他、S.フロイトやC.G.ユングの深層心理学およびA.ハウザーの芸術史の哲学を学んだ。また、印度哲学科の伊原照蓮助教授から古典サンスクリットの手ほどきを受けた。古典サンスクリットを学んだことは、後にドイツ語文法の理解をする上で大いに役立った。例えば、ドイツ語における「再帰動詞」の全体像は、サンスクリット文法におけるアートマネーパダとパラスマイパダの理解がなければ判らない。
当時アメリカからわが国に伝わってきた「電子計算機」に関心を持ち、九州工業大学に赴任した頃から、ドイツ語の情報処理を試みた。最初はパンチカードの時代であった。山口大学文理学部独文科に転勤してからは、専攻学生の教育と指導に当ったが、傍ら、接続法の研究のために、トーマス・マン全集(S.Fischer Verlag)におけるすべての用例の抜書きを作成した。これには約5年を要した。その分析の結果は高橋先生の退官記念論文集に入っている。そこで考えたのは、データは自分一人だけが利用すべきではなくて、不特定多数の誰もが利用できなくてはならない。それによって、自分の研究の結果が追試験され、客観的なものとなるということだった。こうして私はデータ作成の作業に取り組んだ。7年後に九州大学教養部に移ったのは、九州大学に大型計算機センターが設置され、データベースの作業を進めるためには遠隔地にいては困難であるとの判断からであった。

九州大学に転任してからはセンターの利用が便利になり、他方、情報処理の手段もカードから電話回線利用のターミナルへと変わっていき、さらにパソコンとLANの時代へと変わっていった。こうして、当初の目的であったトーマス・マンの全作品(S.Fischer Verlag)のデータベース化を完成することが出来た。平成元年には東京大学大型計算機センターを始めとする全国大型計算機センター長会議の決議により「データベース創造賞」を受けた。その後、さらにゲーテ全集のデータベース作成にとりかかり、幸いハンブルク版全集およびワイマル版全集中の書簡集50巻のデータベース化を終えた。かつて私が初めて命名した„Textdatabase“という名称が現在では、欧米諸国で広く用いられていることを私は密に嬉しく思っている。

私は九州大学では「教養部」のドイツ語授業を担当するという立場であったから、文学部とは異なりドイツ語専攻の学生を持たなかった。従って、テキストデータベースを利用する研究方法を学生に指導し後継者を育てる機会が無かった。今や私は高齢であり、データそのものと利用方法の知識は私の死とともに消滅するであろう。そこで、若い友人の一人である首都大学東京の保阪靖人氏に依頼して、私に代わってデータベースの保存と利用者への提供等をしてもらうことにした。

従来の言語研究は、現代におけるコンピュータのような高速で便利な手段を持たなかったから、すべてを個人の記憶とノート等への記録に頼ってきた。それが如何に正確さを欠き時間がかかるものかは、経験したものでなければわからない。例えばトーマス・マン全集の中からある表現や用例を探すという単純なことであっても、それは数日では到底できないし、数ヶ月かかるかもしれない。それではとうてい調べようとする意欲は殺がれてしまうから、誰しもそうした仕事は避けてしまう。いきおい研究者の印象だけが頼りとなるから、主観的な判断になってしまう。データに基づく研究であれば、ドイツの研究者とのハンディキャップも無い。ましてや、研究室の教授でも反論できない証明ができるという発見が若い研究者達にも可能になる。19世紀初頭に誕生したベルリン大学におけるゼミナールのような雰囲気がそこに生まれるのではないか。

もちろん、言語研究の基礎は従来の学説を理解することから始まる。そこから定説に対する疑問が生まれることによって、それを確かめようとする段階に至る。疑問の生じないところには研究の進歩は無いし、疑問を解く手段が無ければ研究の進展は無い。データベースの出番はそこにある。視覚による調査と異なり、コンピュータによる検索は12,000ページのトーマス・マン全集を10秒以内で調べ終わる。従って、一日のうちに何度でも仮説を立てて、調べ直すことができる。時間だけではない。そもそもこのような膨大なテキストの全体をつぶさに繰り返し調べるという作業を過去の言語学者が行ってきただろうか。ワイマル版全集150巻中の書簡集50巻もテキストデータベースとして利用できるが、これを研究の対象とするならば新たな発見となる論文がいくつも書けるであろう。私自身は自分だけが知っている宝の山に入って、誰にも追随できない研究をすることには面白味を感じない。しかし時代は変わり情報化の時代となった。その意義が理解される時がもうそろそろ来てもいいのではないかと思っている。


樋口忠治(九州大学)
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