Japanische Gesellschaft für Germanistik
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「千と千尋」のドイツ語(A.Fujii)[J]

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理事のリレーエッセイ
  投稿日: 2008-1-13 20:10
藤井 明彦(早稲田大学)
 初級を終えたドイツ語クラスの教材に,宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』のドイツ語版を使い始めてから4年近くになる。読む箇所を毎年少しずつ替えて行くうちに,テキストの分量も増えて映画全体の2/3ほどになった。ドイツで発売された(従ってPAL方式の)DVDのまずドイツ語字幕をパソコンに打ち込み,それを聞き取りで補って行く。字幕は実際のセリフの8割程度をカバーしていて,ドイツではようやく最近発売された『となりのトトロ』の字幕などと比べると,はるかに打率が高い。といってもスクリーン上で字幕に与えられているスペースはやはり狭く,現在完了形は殆どすべて過去形で表示されたりする。
 このDVDは,映画が2002年2月にベルリン国際映画祭で最優秀作品賞である「金熊賞」を受賞してから約1年後に発売されたものだが,ユバーバ+ゼニーバの吹き替え役に,「七色の声」を持つと言われるハードロックの歌姫ニナ・ハーゲンNina Hagenを起用するなど,非常に力のはいった,かつ非常に丁寧な作りになっている。本編の他におまけDVDが付いているエディションもあって,そこではスタジオでのNinaの迫力ある吹き込みの様子も見ることができる。
 テキストを読みながら,学生にドイツ語圏での宮崎アニメの評判を紹介することもある。宮崎監督は時に「日本のウォルト・ディズニー」とも呼ばれるが,ディズニーとの大きな違いは世界観の多層性にあり,繊細なタッチや中間色の多用は作画に限ったことではなく,善悪二元論に安易に堕すことのない人物造形(例えばユバーバやカオナシ)にも見られるという批評を紹介すると,頷く学生が多い。また,工業化・都市化によって伝統的な風物を失って行く日本の現状に対する絶望感がこの映画の下敷きになっていると,一種のエコロジー的な立場から分析をする評論家もいると言うと,さもありなんといった顔をする。でも,中学生の頃にこのアニメに出会った今の大学生世代にとっては,あの場面のあのセリフはドイツ語ではどうなっているのだろう,という個別的・具体的な興味の方が強いようだ。
 実際,先に刊行されたコミック版(単行本)が,日本語の意味を誤解していたり,単純な直訳で済ませている箇所が多く魅力に乏しかったのに比べて,このDVD版のドイツ語には感心させられることが多い。まず,直訳でもよさそうなところをひとひねり工夫して訳す点。例えば,あの世界に迷い込んで来た千尋にハクが言う「ここへ来てはいけない」は«Du hast hier nichts verloren!»。千尋を湯婆婆のところへ連れて行くように言われたリンさんが叫ぶ「あたいが殺されちまうよ」は«Ich bin noch nicht lebensmüde!»。また,終わり近くになるが,ちょうどタイミングよくやって来たハク竜について銭婆が言う「いい時に来たね」は«Genau aufs Stichwort!»,演劇用語で「ちょうど<渡し台詞>に応じて」の意だろう。その少し前の場面で,ハクとは以前に会ったことがある気がすると言う千尋に対して銭婆が応じる重要なセリフ「一度あった事は 忘れないものさ」は,ドイツ語では«Wenn sich einmal die Wege gekreuzt haben, vergisst man das nie.»。この翻訳文は原文に比べて,文字どおり優るとも劣らないクォリティーを持っている。
 宮崎アニメのセリフの日本語はおおむね簡潔だ。主語もよく省略される。そうするわけにも行かないドイツ語は,例えば,美味しそうな食べ物の匂いを嗅ぎつけた父親の「案外まだやっているのかもしれないよ」に«Vielleicht hat noch irgendwo eine Imbißbude auf.»と主語を補う。また,始まってすぐの場面で,道とも言えない道に強引に車を進める父親に,千尋が思わず「お父さん 大丈夫?」と叫ぶが,一体何が大丈夫なのかを表現しようとするドイツ語は«Kannst du hier überhaupt fahren?»。映画の後半から例を引けば,こわい魔女だと聞いていた銭婆に優しく迎えられて,ひと時の安らぎを得るものの,油屋に残して来たハクや両親のことが心配で,留まろうか戻ろうかと迷ったあげくに千尋が銭婆に言うセリフ「おばあちゃん やっぱり帰る」は,«Zeniba, ich werde jetzt wohl lieber wieder zurückgehen.»。wohlの挿入で千尋の揺れる気持を表しているのには感心するが,日本語の「やっぱり」の持つ簡潔な表現力も印象的だ。ただし,このような翻訳の際の補足がいつもうまく行くとは限らない。例えば,当初クサレ神と思われた河の主が,河に捨てられた自転車やゴミなどの汚れをすっかり吐き出した時に言う「よきかな」は«Das hast du gut gemacht!»と訳されている。duはセン(千尋)のことだが,「よきかな」の主語はもっと茫洋としたものだろう。出てくる神様たちがおおむね寡黙なことも考えると,«Gut gemacht!»だけの方がよいのかもしれない。
 日本語の表現にそのまま追随せずに,論理立てて表現し直そうとする姿勢も目立つ特徴のひとつだろう。日本語の「みんな」をalleと訳せないケースは多いはずだが,至る所にあったテーマ・パークもバブルがはじけて「みんなつぶれちゃった」の「みんな」は適確にも«die meisten davon»,「大丈夫 お父さんがついているんだから カードも財布も持っているし」の後半部は,«Und wenn’s (= das Geld) nicht reicht, habe ich auch noch meine Karten.»で,まず現金,足りなかったらカードと几帳面に順序づけている。また,映画の終わり近く,ハク竜の背中に乗った千尋が,幼い時に川に落ちたことを語る場面の「その川はもうマンションになって 埋められちゃったんだって」は«Der Fluss wurde dann später zugeschüttet. Da, wo er war, stehen heute viele Häuser.»。千尋の言い方の稚拙さは意図的にそうなのかもしれないが,子供が落ちておぼれそうになるほどの規模の川が埋められた後でそこに建つものとしては,やはりドイツ語のviele Häuserの方がふさわしいだろう。
 もちろんこういった創意工夫もいつも成功するとは限らず,千尋一家の車が迷い道にさしかかった時の父親のセリフ「一本下の道を来ちゃったんだな」のドイツ語訳«Ich hätte eine Straße vorher abbiegen müssen.»は,位置関係が逆になっている。画面で見る限り,新居の青い家に行けるのはやはり一本上の道のようだ。「千尋というのかい ぜいたくな名だね」の訳«Du heißt also Chihiro. Ein ziemlich ungewöhnlicher Name.»には,本来文句を言うべきではないだろう。漢字がらみの場面の翻訳は非常に難しい。でも,千尋は珍しい名前ではないし,湯婆婆は「尋ねる」というぜいたくを千尋から奪うわけだと,やっぱり言いたくなる。漢字がらみではないが,「エンガチョ」は一体どう訳すのだろうと,最初から楽しみにしていた。釜爺(ドイツ語では母音が一つ落ちてKamaji)が,ハンコに付いていた奇妙な虫を踏みつぶしたセンに「エンガチョ 千! エンガチョ(……)きった!!」という部分は,«Ich schlage durch, damit dir kein Unheil geschieht! (……) Geschafft!»となっている。エンガチョ自体が訳されているわけではないが,全体の趣旨を表現しており,また画面のなかの二人の仕草ともぴったりだ。
 このような検討をしているうちに,授業時間は比較的速く過ぎて行く。最後に,DVDの音声を聞きながら目はテキストの文字を追うという時間を設けている。アニメの中核要素である動画を消して,耳をすませば,ドイツ語吹き替えの声優たちのうまさがひとしお感じられる。特にYubaba+ZenibaとKamajiは出色の出来だ。そしてこのアニメの至るところに素晴らしい音楽が流れていることにも改めて気がつく。
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