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シラーの『群盗』の日本に於ける或る受容(O.Sakai)[J]

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ゴールデン・リレーエッセイ
  投稿日: 2007-12-10 22:52
酒井 府(獨協大学)
私の脳裏に六十年以上も長い事、強烈かつ鮮明に残っている一本の日本映画があった。正確な年度の記憶は無いが、太平洋戦争中の1943年か1944年に、つまり私が九歳か十歳、いわゆる国民学校(小学校)三年生か四年生の時、地上を走る京王線新宿駅から遠からざる、現在はもうとっくに廃止されて存在しない幡代駅(現幡ヶ谷駅の一つ手前)の近辺で、京王線に沿って存在し、やはり現在は跡形もない幡代映画館で観た映画である。
その映画のタイトルは『戦国群盗伝』と言い、勇壮活発にして、波乱万丈の活劇的な時代劇であり、ともかく子供心にも面白かった故に、その幾つかのシーンとその背景に流れる印象深い音楽共々、その映画は忘れられずに私の脳裏に刻まれたのである。そして父にか、或いは六歳上の長兄に言われたのか覚えてはいないが、それが前進座と呼ばれていた劇団による映画であり、シラーと言う、ドイツの作家の作品を基にした映画である事も忘れられずにいた。その上、興味を抱いていたせいもあり、その映画の主役級の三人の俳優、河原崎長十郎、中村翫右衛門、河原崎国太郎の顔と名前も、当時、時代劇で一世を風靡した阪東妻三郎、嵐寛寿郎、大河内伝次郎、月形龍之介等に劣らぬほど覚えていた。

幸い私達は父母共々、1945年3月末に栃木の山奥にいわゆる縁故疎開をしており、被害を免れたが、その幡代、幡ヶ谷駅一帯は同じ年の5月25日、米軍の空襲に会い、幡代映画館も我が両親の家も灰燼と帰したが、『戦国群盗伝』は私の脳裏から消え去る事がなかった。

その『戦国群盗伝』への私の思いと憧憬を新たにさせたのが、一昨年のSchiller生誕二百年祭と私が勤務していた獨協大学に於けるそれに纏わる様々な企画であった。私はそこで此の『戦国群盗伝』を日本に於けるSchiller受容の意味で企画の中に取り上げたらどうかと思い、何人かの同僚に相談をしたのだが、戦後も上演された戦前の久保栄による『群盗』の翻案『吉野の盗賊』に就いて知る人は居るものの、私と同年輩または若い同僚の間には『戦国群盗伝』に就いて知る者は居なかった。

そこで私は先ず前進座に電話をし、此の作品が戦後ヴィデオ化された事を知り、その著作権が東宝にある事も知り、東宝にも電話をしたが、既に絶版となっており、両者からもそのヴィデオは手に入らぬ事を知った。従って結局、二百年祭には間に合わなかったが、新たなる私の執念はそのヴィデオ探しに向かい、私が教えていた女子大学院生の努力により、そのヴィデオが荒川区立南千住図書館にある事を知った。早速私はそこへ出向き、『日本映画傑作全集』の中の一巻『戦国群盗伝』のヴィデオを借り出して昨年、我が家で観たのである。実に六十二、三年ぶりの再会で懐かしさ此の上も無かったと言えば大げさと思われるかも知れないが、全てのシーンとは言えぬもののかなりのシーンは私の脳裏に刻まれていた通りであった事を確認した。

そのヴィデオで知った新しい知識は、此の映画の原作は左翼作家同盟に属し、新築地劇団にも係わった三好十郎であり、脚色は山中貞雄、滝沢英輔、三村伸太郎、稲垣浩、八尋不二ら、気の合った映画人グループが共同で用いた梶原金八と言うペンネームを使った山中貞雄であり、監督は滝沢英輔である事、更に此の映画は私が戦時中に見た1943年または1944年よりなお遡る1937年の作品であった事である。

その後、私は此のヴィデオを個人的に手に入れようとしてはいるが、いろいろと忙しさにかまけて目下の所、手にしてはいない。しかし荒川区立南千住図書館へ行って知った三好十郎の原作、山中貞雄の脚本、及びそれらの解説を、私は久保栄の『吉野の盗賊』共々獨協大学図書館で借り、比較検討はしている。なお久保栄は戦後、岩波文庫より『群盗』を翻訳出版しており、これと前者を比較検討すると、背景の時代、人物達は異なるとは言え、当然ながら、その類似性に興味が湧くのであり、受容の一つの形となる。更に此の二作品と『戦国群盗伝』を比較すると、『戦国群盗伝』には思い切った筋の転換とその背景、人物の設定があり、考えようによっては娯楽作品とも言え、此の映画の解説にもあるようにアメリカ西部劇を髣髴させ、受容の別の形を提示している。これらの受容に就いては、いずれ書こうと思ってはいるが、此処に幾つかの興味深い事を挙げて置きたい。

先ず、『吉野の盗賊』の久保による執筆は1933年10月-11月であり、初演は、同年12月、築地小劇場に於ける前進座によるものであり、一方『群盗』の日本に於ける初演はそれに遅れる事、三年近い1936年、新協劇団での久保栄翻訳、演出によるものである事。『戦国群盗伝』は東宝の前身PCLと前進座の第一回提携作品で、当時第三助監督としてその製作に係わった若き黒澤明が御殿場ロケの騎馬合戦シーン撮影の体験を戦後の有名な『七人の侍』等に生かしたと言われている事である。

酒井 府(獨協大学)
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