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会議派、それとも書斎派?(M.Watanabe)[J]

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理事のリレーエッセイ
  投稿日: 2007-10-28 11:32
渡辺学(学習院大学)
 1985年10月、ドイツ民主共和国東ベルリンのフンボルト・グリム会議。フンボルト大学のドイツ語学文学部門の主催。フランス語学文学も運営に大いに協力していた。思えばこれが筆者の原点だった。旧西ドイツから欧州入りし、電車で東西の国境を越えたことから感じたさまざまな落差。フリードリヒ通り駅での検問の緊張が、すぐ前に立っていたドイツ人研究者(これがいまケルンのフォスカンプさんだった!)との会話でゆるんだこと。コートの襟を立てて歩いた、零度まで気温が下がった霧もやのアレクサンダー広場にあるカフェでの談笑。会議終了後にはグループでサンスーシ宮殿を見学。あとで「ワイマル友の会」の援助も得られたかもしれなかったとの話を耳にしたのだが、ZPSK(『音声学・言語学・コミュニケーション研究誌』)の広告記事で会議のことを知り当時自腹を切って出かけ、そもそもはじめての海外で最初から国際会議で発表するという大それた能天気な計画は、東西ドイツはもとよりチェコ、ポーランド等々からのセクション参加者の流暢なドイツ語にひるみ、「場違い」な思いに一変した。わたしの様子を見た参加者の質問はどこかしら手加減した、好意的なものに思われた。憐憫に富むものですらあったろう。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの受容やその思想の応用可能性等の共通テーマに取り組む参加者全員の真摯さはさすが微動だにしなかったが。
 緊張するタイプとて、発表もそのあとの質疑応答も決まってあまりうまくいった試しはないが、毎度乗り越えるべきハードルは、その都度要求されるものの内実はともかく、ある意味で1985年の「場違いさ」を克服しようとした若い自分の課題を上回るものではない。2002年の北京、2006年のソウル。アジア・ゲルマニスト会議の経験は楽しい思い出だ。回りに気を配って祖国から手土産のスナックをもってきてくれる朋あり、「お前また来たのか!」と半ばあきれつつ再会を喜びあうメンバーあり。ドイツ語圏からの参加者は、「学術語としていかにドイツ語がいまも生きているか」をアジアの遠い地で再認識、もしくは新発見することとなる。アジアとヨーロッパのゲルマニストのコミュニケーション手段としてのリンガ・フランカとしてドイツ語が「蘇生」する日々。ゲルマニストにとってはしばしのパラダイスであろう。1996年のベルン、1997年のポツダム、2001年のヴッパータール、2002年のウメオ、2003年のハイデルベルク、2004年のケルン、2005年のチューリヒ、同年の香港。どこでも思い出に残るのは、学会そのものもさることながら、レストランやカフェ、パーティでの語らいである。それぞれが帰国後文通やメール交信が続く例もある。海外渡航時の拠点だってできるかもしれない。むろん海外に出かけるだけが能じゃない。国際会議やワークショップは日本に誘致するべきもの、日本に居ながらにして参加できるものでもある。日本独文学会の3ゼミナールはその最たるものだ。2008年8月金沢でのアジア・ゲルマニスト会議にも大いに期待しよう。「言語接触」研究、異文化(間)コミュニケーションの理論篇を実践に移せる絶好の場だ。

 Stubenhocker oder Konferenztyp? 別に二者択一ではないのだろうが、自分はどちらのタイプだろうか。この問いはどこか「僕って誰?」に似ている。時と場合によって違っていた気がする。その両方であった、あるいはどちらでもない。どこかでサーモスタットが働くのかもしれない。ずっと自室にこもって仕事に沈潜しているといつのまにか人恋しくもなる。つぎの会議の日程をチェックするときだ。会議から戻って疲れが癒えると、仕事に戻らざるを得ない。本来会議など見向きもせず、仕事に取り組むべきなのは十分にわかっている。でもそうなれない。

 もしもどちらかのタイプに偏する人がいたとしたら、ショック療法(?)的に、「書斎派は会議派に、会議派は書斎派になろう!」と呼びかけたい。とくに若い世代に。オンライン会議やヴィデオ会議よりもおもしろい、対面型会議(学会)がある、と。そこでは学識や知見の即効的な深まりは期待できなくても、Vitamin Bや論文構想上のヒントが得られるかもしれない。「思いて学ばざるは…、学びて思わざるは…」。遠い昔の中国の知恵でもある。もっとも、こんなことを考えること自体、年を重ねた証拠にちがいない。Hälfte des Lebens. あるいはAbend des Lebens. 時の流れが仮借ない不可逆なものなら、ふと立ち止まってしばしの間それぞれの来し方行く末をながめやるのもいいのかも。そうした営為から生まれいずる結果としての一こま一こまの集積が日本独文学会の未来をつくることになるのだろうし。

渡辺学(学習院大学)
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