関楠生の高橋健二研究のこと(Y.Koshina)[J]   作成日:2007/09/20
「ゴールデン」というのがちょっと面映いですが、趣旨には賛同しますので、皮切りの役目を引き受けます。去る6月に日本独文学会60周年を記念したシンポジウムで基調報告を行ないました。自分なりの切り口で学会60年を振り返ったつもりでしたが、皆さんの反応は「可もなく不可もなし」というところだったでしょうか。「総花的過ぎてつまらない」とは自分でも思いましたが、一応還暦のお祝いですから、致し方なかったと思います。しかし、そのとき指摘した過去のさまざまな問題点については、今後私たちが掘り下げて検証を進めなければならないと思っていました。
その矢先、関楠生氏の『ドイツ文学者の蹉跌―ナチスの波にさらわれた教養人―』(中央公論新社)が刊行されました。ナチス・ドイツとの日独友好関係の下で難しい対応を迫られたドイツ文学者の問題を扱っています。この問題を取り上げるのは学会ではほとんどタブーのようになっていましたし、当時を知る人もめっきり少なくなり、このまま放置すれば検証の機会もなくなると思われていました。その憂慮を関氏の著書は吹き払ってくれました。関氏は当時のドイツ文学者の代表格である高橋健二の場合を集中的に調査検討し、トーマス・マン、ヘッセ、ハイネを高く評価しつつ世に紹介していた高橋健二が、時勢の変化に応じて、それを少しずつナチズム系文学の紹介に差し替えていき、ついにはドイツ文学の価値観を塗り替えてしまうまでのプロセスを、もっぱら高橋のそのつど発表するエッセイを引用しつつ検証しています。私は過去の検証とはまさにこういう仕事であるべきだと思います。つまり、憶測をまじえて人の政治的立場をあげつらうのではなく、残されたテキストに語らせるという方法で、人の心の推移を浮かび上がらせることです。それによって私たちは、すぐれた先達が、時代の変化にどう対処しようとしたかをつぶさに知り、他人事でないとの思いでそれを受けとめることができます。関氏は高齢病身のうえ目を悪くされているなかでこの仕事を貫徹されました。独文学会は関氏の著書のおかげで一つの社会的責任を果たしたように、私は感じています。

神品芳夫