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R・W・ファスビンダーへの長い旅(T.Shibutani)[J]

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映画批評
  投稿日: 2006-9-25 0:38
渋谷哲也(東京国際大学)
 きっかけはまったく知らぬ人からの一本の電話だった。2001年10月末だった。その人物曰く、あるドイツ映画を輸入し日本上映をするので手助けして欲しいとのこと。その映画とは『ベルリン・アレクサンダー広場』、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の上映時間15時間に迫る超大作だ。私がやるべき仕事はこの映画に日本語字幕をつけることだった。これは恐ろしく骨の折れる作業になるだろう。そもそも当時の私は映画の字幕をきちんとつけた経験がなかった。大学院のゼミで真似事のようなことはやったが、仕事として責任を持って請け負うのは初めてである。やれるかどうか心配だったが、字数やタイミングの調整、表記の統一などは字幕会社のスタッフに任せればいいということだった。つまりこちらは表現を切り詰めた日本語訳をとにかく出していけばよい。とはいえ15時間分の字幕である。しかも当時の私は映画版を通して見た事はおろか、原作小説を読んだことさえなかった。これは大変なことに巻きこまれようとしている。電話の向うの説明の言葉を聞きながら、私はひどく動揺した。
さらに困惑に拍車をかけたのが、この上映の意義の大きさと不確定要素山積の現実との間のギャップだった。映画の規模を考えると、ファスビンダー映画の中でもっとも日本公開の可能性が低い。だがその重要度はどの作品にも増して高い。だからこそ商業ベースを離れた自主的な取組みでしか実現できないものだろう。今回も上映権だけは獲得したが、それ以外は具体的に殆ど白紙状態だという。これから上映館の交渉をし、宣伝も自分たちで行なう。そもそも個人の出資企画ゆえに関係者にギャラが払えるかどうかもわからない。無謀な大博打だが、すでに動き出していた。しかしだからこそやりたい、やらねばならないとも思う。使命感というより祭に参加するときのような好奇心が高まった。電話をもらったその場で、私は喜んで仕事を引き受ける旨を相手のO氏に伝えた。

約一年後の2002年8月末、東京・御茶の水のアテネ・フランセ文化センターで『ベルリン・アレクサンダー広場』は公開された。15時間を2日で見通すというハードスケジュールだったが、それでも2週間で1000人を越える観客動員があった。その後大阪、名古屋、山形、東京再上映など順次公開された。それまで一般映画ファンの間ではまったくといっていいほど無名の存在だったファスビンダーの映画が、青天の霹靂のように日本公開される。しかも一番手強い作品がその口火を切ることになったのだ。しかし手応えは確実にあった。公開に携わった我々皆が嬉しい驚きを隠せなかった。

だが映画の上映権は2002年末までしかなく、ビデオ化権を獲得する予算もなかった。結局何度かの劇場公開とケーブルテレビでの放映だけで、『アレクサンダー広場』プロジェクトは終結した。そして手許に残ったのは、スタッフの個人的な視聴を目的としたVHSダビングの映画本編一式である。これは現在までに都内三箇所の大学で連続上映会を開催してもらう機会を得て、ささやかながら日本の観客に届く機会を生み出している。今後も自主上映の機会を探りたいと思う。ともかく映像は今ここにある。幻の作品などでは決してない。

ファスビンダーの次の上潮が来るまでには間があった。『アレクサンダー広場』宣伝活動の一環で、インタヴューや論文をまとめた単行本出版の企画が通っていたが、原稿の回収、編集作業は遅々として進まぬまま1年、また1年と過ぎ去っていった。その間私は映画字幕翻訳の仕事を初めて個人で受け、タイミングや字数調整のノウハウを身につけるチャンスを得た。また紀伊國屋書店・映像情報部との付き合いが始まり、DVD発売作品でストローブ=ユイレの映画やカラヤンの「指揮の芸術」シリーズなど、既存の字幕を修正する仕事を幾度が引き受けていた。偶然に偶然が重なるような実務作業のうちに私は字幕翻訳のテクニックを習得した。

そして2005年、紀伊國屋書店DVDでファスビンダー映画を連続発売する企画が実現する。世界のファスビンダー受容を見れば遅すぎるくらいだったが、私としては満を持してのタイミングだったと思う。手始めにその年の秋にDVDボックス2つ、計6作品を発売する。その中にはかつて劇場で一般公開された映画が半数混じっていた。『マリア・ブラウンの結婚』『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』『ケレル』である。それ以外の作品は公的には日本初公開となるだろう。そこで当然の成り行きの如く私は新しい作品の字幕翻訳を引き受けた。また劇場公開時の字幕がある『マリア・ブラウン』は、配給会社とのやり取りの中で既訳の使用許可を取らずにDVD用に新訳をつけることになった。話が決まってほぼ半年後の発売となる。4本の劇場映画の字幕作成は、以前の『アレクサンダー広場』と比較すれば分量は少なかったが、今回は全ての作業を一人でやることになる。しかもDVDは保存版だ。いい加減なミスは絶対に避けねばならない。

2005年9月にボックスⅠが、10月にはボックスⅡが無事発売され、順調に売上を伸ばしているという。ただしすぐにボックスⅢの準備に取りかかれるほどの好調とはいかないようだ。ファスビンダーはいまだマイナーな作家なのだ。ヴェンダースとは違う。かつて日本の有名な映画批評家たちがファスビンダーを黙殺した影響がいまだに尾を引いている。しかしそれだけでは抑えておけないものが、今漸く頭をもたげ始めているのではないか。『アレクサンダー広場』の自主上映会に足を運んでくださる一般映画ファンの方々はいつも少なからずいる。また2005年11月にアテネ・フランセ文化センターで行われた「ドイツ映画史縦断1919‐1980」、2006年3月同じくアテネ・フランセでの「ファスビンダー特集」は、狭いホールながら連日満員立ち見の出るほどの盛況だった。しかも若い観客が非常に多い。ドイツ映画は地味で退屈だというお題目を繰り返している場合ではない。これからなのだと思う。

映画やDVDと合わせて、これも偶然なのか必然なのか、単行本『ファスビンダー』がようやく2005年9月に発売に漕ぎつけた。また現在刊行中の「ドイツ現代戯曲選」全30巻のラインナップにはファスビンダーの戯曲が2作取り上げられ、私が翻訳することになった。既訳のある『ゴミ、都市そして死』は、今回新訳で勝負することになる。身の引き締まるような経験だ。なお、すでに刊行されている『ブレーメンの自由』は、2007年1月末に劇団「青年団」の若手公演としてドラマ・リーディングが企画されている。関東圏在住の方々にはぜひ足をお運びいただければ幸いである。

『アレクサンダー広場』公開をめぐる騒ぎに巻きこまれてから約4年の月日が流れ、あのときより確実に日本でファスビンダーに接する機会は増したと思う。だがなおさら紹介する任務の重みが増してきたと実感する。映画にせよ演劇にせよ、ただその上映・上演を見ただけで全て咀嚼しきれるものではない。今訳し終えたばかりの『ゴミ、都市そして死』は、反ユダヤ主義の非難を受けて話題ばかり先行した問題作だ。しかしこの戯曲は、悪しきユダヤ人ステレオタイプだけに注目しては評価しきれない。むしろ作品の重層的な構造を見極めたうえでユダヤ人イメージの機能を考察する必要がある。そのときファスビンダーの他の作品との関連も無視するわけにはいかないだろう。

だが正直言うと、ファスビンダーにずっと向かい合っているとひどく消耗するのも確かなのだ。生涯現役いや死後も現役であり続ける驚くほどの活力を持った作家が相手だ。でもその現在が続く以上、自ら進んで巻きこまれた者としては落し前をつけるためにも追いかけてゆくしかなさそうだ。ファスビンダーをめぐって汲めども尽きぬ泉のようにアクチュアルな問題との接点が見つかってゆく。だからこそファスビンダーは厄介なのだと思う。よくも悪くも作品として客観的に眺めていることができない。すでに別の場で言及したことだが、ヴェンダースが9・11以降の視点で様々な人間の共存を描いた『ランド・オブ・プレンティ』(2004)は確かに祈りに満ちた美しい映画だ。しかしそれは所詮映画の夢でしかない。ファスビンダーがその30年前によそ者同志の交流を描いた『不安と魂』は、優しくそして厳しく観客の現実に切り込んで来る鮮烈さを現在も失っていない。だが日本ではこの映画を普通に視聴できる環境にないのが現状だ。やるべきことは多い。旅はまだまだ続く。


(注記)私的なエッセイとしてこの文章を綴ったため、上記イベントや出版に関わった人々との共同作業、数多くの方々の協力や激励について、本文では敢えて言及しませんでした。でもむしろ重要なのはそうした現実的な関係の方なのだということを、感謝の念とともに最後に付け加えさせていただきます。

渋谷哲也(東京国際大学)
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