私のドイツ語事始(Y.Muroi)[J]   作成日:2007/10/13
 ドイツ語を始めたのは高校一年の年末であったと記憶している。三十年以上ものつきあいにもなるわけだが,当初はいわゆる独学だった。
人見知りするたちなので,誰かに教わろうなどとはつゆほどにも思わなかったし,NHKのテレビやラジオの講座は決まった時間に器械の前に座っておとなしくしていなければならず,また他人のペースに合わせるのももどかしいのであまり熱心ではなかった。辞書と文法書で何とかなると思っていたふしがある。

 生意気な年頃であるから,黄色い表紙のレクラム文庫の何か一冊を買ってきて,いきなり辞書を開いて試してみた。でも,形容詞の格変化なんか知らないものだから,二番目の単語(一番目は冠詞,きっと男性1格のderだったのだろう)がもう引けない。やっぱりそうは問屋が卸さんよな,と当たり前のことを確認して,一緒に買ってきた参考書を地道に進めて行くことにした。独学時代に一番お世話になったのは,三修社から出ていた『基礎ドイツ語』という月刊誌だった。懸賞問題がついていて,「詭弁家」という名で投稿していたのを,これを書いているうちに思い出した。担任の教師のいぶかしげな顔をものともせず,大学をドイツ語で受験し,今ではそれを生業にしている。
 動機は当時の自分の意識から見ても決して誇れるものではなかった。まわりの人とは違うことをやってある種の優越感をもちたかったのかもしれないし,権威的な英語教師への反感が関係していたのは確かである。そんな私が皮肉なことに語学を教えている。そうはなるまいと努めているつもりではあるが,学生の目には権威的なドイツ語教師と映っているのではないかと気になる。
 大学に入ってからは授業の中で多くのことを学んだ。独学というのは抜けている穴が多く,しかもそれに気づくことの少ない勉強法なのだ。でも,あることを疑問に思い,それにしばらくこだわって,いろいろ調べ,考え,解決したときのうれしさはまた格別である。効率は悪いかもしれないし,また独りよがりになるおそれもあるけれど,このようなかかわりかたを一時期することは悪くないと思うのだが,いかがだろうか。


室井禎之(関東支部選出)