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追悼の儀式――マルターラー演出の『未来を予防する』(E.Hirata)[J]

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演劇批評
  投稿日: 2006-1-30 10:39
平田栄一朗(慶應義塾大学)
 二〇〇五年のバイロイト音楽祭で『トリスタンとイゾルデ』を演出したクリストフ・マルターラーは押しも押されもせぬ巨匠である。一九九三年の『ヨーロッパ人をやっつけろ』(ベルリン・フォルクスビューネ劇場制作)以来、次々と話題作を発表し、いまやドイツ語圏を代表する演出家の一人となった。マルターラー演劇の真骨頂は、少数派の好事家をうならせる実験的な上演に挑戦しているのに、一般客にも人気があることである。物語性はほとんどなく、台詞は断片的で意味不明、身振りと劇の進行は緩慢、しかも俳優たちは上演中に眠ったように動かなくなる…。非劇的な要素を大胆に舞台化しているのに、観客は退屈するどころか哄笑し、舞台に引き込まれる。マルターラー演劇はアヴァンギャルドとポピュラリティという相反しがちな要素が両立しうる稀有なカルト演劇である。
 『トリスタンとイゾルデ』の演出は残念ながら評判が芳しくないが、同年に制作したほかの二つの演劇公演(『未来を予防する』と『ショウジョウバエ』)は双方とも批評家から高い評価をえた。ここでは五月にウィーン芸術祭で初演された『未来を予防する』を取りあげたい。第二次世界大戦後六十年を機に過去の問題を再検討したこの上演は、歴史問題において周辺諸国と折り合いをつけられない日本にもまったく無関係ではないと思われるからである。

一見不可解な表題(原題は “Schutz vor der Zukunft”)はオーストリアのナチス問題を辛辣に揶揄したものである。一九四〇年から一九四五年までウィーン郊外のオットー・ヴァーグナー精神病院では数千人の「反社会的な」精神病患者がナチスによって安楽死させられた。マルターラーは、現在も存続するこの精神病院の広大な敷地にある建物と劇場を用い、「未来」を「予防」された患者、とりわけ障害児たちを追想する「儀式の演劇」を創造した。

 儀式の演劇は広大な病院敷地の入り口から始まる。観客は遊園地用の列車に乗せられ、最初の「パビリオン」に向かい、内部に展示してある当時の資料、情報、写真を見学する。その後ふたたび列車に乗り、別のパビリオンで降ろされた観客は、当時の患者たちの面影を再現するインスタレーションに立ち会う。患者たちが書いたと思わせるような花や子供の絵が十二枚ほど展示され、その下にあるスピーカーに耳を当てると、安楽死した子供たちの名前、病歴、死亡日などのクロニカルな情報が聞こえてくる。これらのインスタレーションには患者や子供たちそのものの写真や絵はなく、「手沢」の展示によって彼らの痕跡を観客が感じとるように設定されている。

 このような長い通過儀礼を経て、観客はようやく劇場で死者と邂逅することができる。二部構成の前半は、おそらく六十年以上前に同じ場所で行われた患者たちのコンサートであり、観客はホール内に設置された宴会場の卓に座り、子供の仮面をつけた俳優たちの歌や演奏を聞く。過去のコンサートは同時に現在の不気味な会合でもある。ホール前の演壇に立つ企業家や政治家は、不健康で特異体質の人間たちは、医療費などがかさむゆえに社会の大きな経済的負担であると語る。市場経済に不適格な人びとは、ナチス時代の犠牲者と同様に未来を奪われても仕方がないといわんばかりなのである。

 休憩も儀式の一部となっている。ロビーでは演奏と俳優たちの演技が続き、トイレ内でも患者の病歴がスピーカーから聞こえてくる。観客は休憩できず、死者とひたすら向き合わなければならない。

 後半は、コンサート終了後もはや人気のなくなった夜中のホールが舞台である。そこに子供の面をつけた俳優たちがふと現れ、無邪気に遊戯をしたり、いたずらをしたり、楽器演奏をする。しかしそれらの身振りは観客に向けられた本格的な演技ではなく、当時の障害児たちがあたかも病室からこっそり抜け出して人目を省みずに行う戯れとなっている。ホール脇に座る観客はもはや上演ではなく、当時ありえたかもしれない子供たちのひそやかな遊戯を傍観することになる。通過儀礼の開始から五時間近く経過した夜中前、子供たちは暗闇のなかに戻っていき、死者を蘇らせた儀式は静かに幕を閉じる。

 ナチス犯罪が行われた場所で犠牲者を回顧する『未来を予防する』は、一九七七年にクラウス=ミヒャエル・グリューバーがベルリン・オリンピック・スタジアムでドイツ史を放浪者/競技者によって巡らせた『冬の旅』に比肩するだろう。『冬の旅』が壮大な時空間と力強い演技によりモニュメンタルな回想劇として語り継がれるのに対し、『未来を予防する』は夜のしじまに行われた追悼劇として、ひっそりとだが、その功績を演劇史に留め続けると思われる。

平田栄一朗(慶應義塾大学)
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