DVD『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』-ドイツ語授業への活用について (Y. Igarashi) [J]   作成日:2019/09/10
 NHKエンタープライズより発行されている『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』というDVDをご存じの方も多いと思う。筆者はかれこれ10年もの長きにわたり、自らの授業の中にさまざまな形でこのDVDを取り込み、活用してきた。日本独文学会のホームページに寄稿する題材としては、いささか軽過ぎやしまいかと憚られはするものの、この魅力ある映像素材、そしてドイツ語授業への活用例について、ここに紹介させていただきたい。しばしお付き合いいただければ幸いである。
Ⅰ.旅人・関口知宏
 まずはこのDVDの元となったテレビ番組について、簡単に記しておきたい。
 2004年、NHK-BSの番組企画で、日本列島を鉄道で縦断するという旅に挑戦した俳優の関口知宏氏。この旅の様子は毎日テレビで生中継され(『列島縦断 鉄道12000キロの旅 ~最長片道切符でゆく42日間の旅~』)、大きな反響を呼んだ。翌2005年、ドイツで行われる日独交流音楽イベントの司会を務めることとなった関口氏のもとに、同じくNHK-BSから、「せっかくドイツへ行かれるのならば、ドイツ旅行も番組にしませんか?」との話が持ち込まれる。こうして制作、放送された番組が『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』であり、2006年にはDVDとして発売されている。関口氏にとって初の海外ロケによる鉄道旅番組となった同企画は好評を博し、2006年、『関口知宏が行く ヨーロッパ鉄道の旅』としてシリーズ化され、イギリス、スペイン、ギリシャ/トルコ、スイスを舞台とする4編の番組が放送された。その後、中国大陸を鉄道でめぐるという大型企画を以て、一度は鉄道旅から離れることを表明していた関口氏であったが、2015年、10年近いブランクを経て、『関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅』という新たなタイトルを冠した番組で鉄道旅への復帰を果たす。この新シリーズでは、オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコ、イタリア、ハンガリー、クロアチア、スウェーデン、ポルトガル、イギリスと、計10編の番組が制作され、2年がかりで放送された。


Ⅱ.『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』
 DVD『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』(以下、『ドイツ鉄道の旅』)は、関口氏が8日間かけてドイツを時計回りにぐるりと鉄道で一周する様子を追いかけたものだ。フランクフルト中央駅から始まり、ヴィースバーデン、ケルン、ブレーメン、ハノーファー、ゴスラー、ヴェルニゲローデ、ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒ、ニュルンベルク、ミュンヘンと旅し、ドイツ最高峰のツークシュピッツェでゴールを迎える。青空の下に広がるドイツの夏景色、雄大な自然、歴史ある美しい街並み、そして鉄道車内や訪れる先々で出会った現地の人々との心温まるふれあい。そうした旅の様子が映像とナレーションを通じて綴られていく。
 この『ドイツ鉄道の旅』をとりわけ興味深いものとしているのが、関口氏自作のイラストと文章による旅の絵日記が随所に挿入される構成であろう。色鉛筆でやわらかに彩色された抒情性豊かなイラストの数々は、写実的なものもあれば、時に寓意的な要素を孕んだものやファンタジックなものもある。そこに関口が綴った文章が自らのナレーションによって重ね合わされることで、「旅人」関口氏が「見て」「感じて」「考えた」ドイツという国の一面が、映像とはまた違った形でありありと浮かび上がってくるのだ。

 ドイツ語教育を生業とする筆者にとって、注目せずにいられないのが、この旅の中で関口氏がドイツ語を使う場面である。大学時代には第二外国語としてドイツ語を選択しておられたのであろうか、使い古されたドイツ語の辞書を手に、彼が車内でドイツ語の勉強に励む姿が何度か映し出される。しかし、残念ながら、カメラの前で関口氏がドイツ語を話す場面となると、あまり多くはない。アメリカに一年間滞在していた経験を持つ彼は、ドイツの旅先で出会う人々とも基本的には英語でやりとりをする。関口氏の側からまず「Excuse me!(すみませんが)」と英語で話しかけてみて、相手が英語を話さない場合には、ドイツ語の通訳が間に入ることになるが、英語で答が返ってくる場合は、そのまま関口氏と一対一で英語での会話となる。そのため、画面を通して確認できる彼のドイツ語となると、英語の中に「Danke(ありがとう)」「Schauspieler(俳優)」「Sehr schön!(とてもきれいですね)」といった単語がごくたまに混ぜられる程度だ。
 しかし、『ドイツ鉄道の旅』においては、全編にわたってドイツ語に関連したプロジェクトが展開されており、これが絵日記と並び、旅の大きな見どころともなっている。音楽を趣味とし、曲作りやライブ活動なども行っていた関口氏が、8日間の旅の間になんとドイツ語の歌を作り上げるというものだ。このプロジェクトに乗り出すいきさつは、関口氏の著書『関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅』および『CD BOOK 関口知宏の音楽でめぐる鉄道の旅』(ともに徳間書店)に詳しい。これらの著書によると、日本での鉄道旅番組が大好評を博していた関口氏のもとには、旅行関連の仕事の依頼が殺到していたそうである。ところが、依頼はいずれも国内旅行のものばかり。かねてより「日本の魅力を世界に、世界の魅力を日本に伝える旅をしたい」と考えていた関口氏としては、自分の可能性を広げるためにも、次はぜひ外国を旅してみたいとの思いがあった。そうしたところに、まさに絶好のタイミングで舞い込んだ『ドイツ鉄道の旅』の企画。関口氏は、自分は日本だけではなく海外でもやれるのだということを強くアピールするため、番組のプロデューサーに対し、次のように宣言してみせたという。
 「僕はただ日本の旅を続けるのではなく、さまざまな国を旅することによって見えてくる日本というものもあると思っています。なので僕は、このドイツの旅に賭けています! 旅の終わりに、旅の感想としてドイツの何らかの伝統的楽器を使った、ドイツ語の曲を作ってごらんにいれます」
 勢いにまかせて言ってはみたものの、自分はドイツ語が話せるわけでもない。そして、ドイツの伝統的楽器が何であるのかもわからない。果たして本当にやり遂げることができるのか。さまざまな迷いを抱えながらも、ドイツの旅が始まり、同時に曲作りのプロジェクトもスタートする。旅の初日、関口氏は「日本と世界をつなぐ架け橋になりたい」という自身の思いを一編の詩にまとめた。『虹』と題したこの日本語の詩を、まずは関口氏自らが英語に翻訳する。その後、旅を続ける中で、同じ車内に乗り合わせたドイツの人々に英訳した詩を見せ、彼らに手伝ってもらいながら、それをドイツ語へと翻訳していき、遂に『Regenbogen』というドイツ語の歌詞が完成するのだ。
 歌詞作りと並行し、作曲も進められていく。旅の初日、ヨーロッパの伝統的楽器であるリュートを作る工房を訪れた関口氏。初めて接するリュートの音色は、どこか懐かしさを感じさせるものであったと関口氏は後に記している。彼は迷いに迷った末、30万円という大金を支払い、中古のリュートを購入。それ以後、彼はこのリュートを手に提げてドイツ各地をめぐり、行く先々で弦を爪弾いてみる。最初は手強く、思うようにならなかった楽器にも次第に慣れていき、少しずつ旅の印象が一つのメロディへと集約されていく。
 そして8日目。ツークシュピッツェの頂でドイツの旅が遂に終わりを迎えた。番組のエンディングとして、旅の間に作られた曲『Regenbogen~虹~』の完成版がドイツの美しい景色の映像に合わせて流される。旅先で出会った人々の協力を得て書き上げられたドイツ語の歌詞につけられた曲は、軽やかなテンポの明るい調べで、弾むような弦楽器の伴奏がなんとも心地よい。驚くことに、関口氏は作詞と作曲だけではなく、編曲、演奏、歌唱のすべてをたった一人でこなしているのだという。この曲を耳にした人は誰しも、メインボーカルの関口氏に加え、誰か女性の歌手がコーラスで参加していると思うことだろう。しかし、実際に歌っているのは関口氏一人だけ。録音した自らの歌声をコンピュータに取り込み、加工することで、まるで女性が歌っているかのようなもう一つの音声を作り上げ、二つを合成してデュエットのように仕立て上げているのである。俳優の余技との一言では到底片づけることのできない、なんとも鮮やかで手の込んだ仕事ぶりに、深く感服せずにはいられない。


Ⅲ.ドイツ語授業とランデスクンデ
 さて、筆者は現在、関東圏の5つの大学に非常勤講師として勤務し、主に基礎文法を中心とした第二外国語としてのドイツ語の授業を担当している。週1回、90分(もしくは100分)の授業の中、まずは基本的な文法事項を一通り説明し、練習問題に取り組ませ、その後答合わせをする。その上で、綴りと発音の規則をしっかりと身に着けるために例文の発音練習を繰り返し、さらには会話テキストを用いて簡単な会話練習やペアワークなどを行う。こうして書き出してみただけでも、ルーティーンとしてこなすべき内容は、既に盛りだくさんな印象である。しかし、筆者が受け持つ学生たちの多くは、自らドイツ語を選択しながらも、ドイツ語が話されている国々(ドイツ、オーストリア、スイスなど)については、ほとんど知識を持ち合わせていないというのが実情だ。そのため、上述したルーティーン的内容に加え、さらに何らかの形でランデスクンデ的な内容も授業の中に盛り込む必要がある。地図を参照させながら代表的な都市について説明してみたり、ドイツ事情をコンパクトにまとめた文章をコピーして配布してみたりと、さまざまな方法を取り入れてはいるが、こうしたランデスクンデは、国や地域について知るという本来の目的もさることながら、むしろ90分間という授業時間にメリハリをつけ、履修者たちに授業への集中を促すという意味合いにおいても必要不可欠なものであると筆者は考えている。複雑なドイツ語の文法に辟易し、すぐさま居眠りやスマホへと逃げてしまいそうになる履修者の意識を、ランデスクンデを間に挿むことによって一度リセットし、リフレッシュさせた上で、再びドイツ語の学習へと引き戻そうというものだ。90分間、ひたすらに教科書をこなすだけという授業では、ついて来られる学生はごく一部に限られてしまうことだろう。しかし、だからと言って、ランデスクンデばかりに重きを置いて、ドイツ語の学習をおろそかにするというわけにもいかない。履修者の様子を常に確認しながら、バランスよく配分していく必要がある。


Ⅳ.ドイツ語授業におけるDVD『ドイツ鉄道の旅』の活用
 授業の中にランデスクンデ的内容を盛り込む際、学生たちの関心を惹きつけやすいのは、紙媒体の資料よりも、やはりDVDなどの映像資料である。筆者は日頃より、授業の中に取り入れられそうな映像ソフトがないものかと目を配り、良さそうなものがあればすかさず購入して手元にコレクションするようにしているが、その中の一つである『ドイツ鉄道の旅』は何かと使い勝手が良く、それゆえ、気がつけば10年にもわたって授業の中で使い続けてきた。以下、いくつかの項目に分けて、筆者なりの活用方法を紹介させていただくとしよう。

1. 隙間時間のつなぎとして・リフレッシュ効果を期待して
 DVD『ドイツ鉄道の旅』の収録時間は110分。通常の90分間の授業では、全編を通して見せることは難しい。しかし、『ドイツ鉄道の旅』は、8日間の旅の行程が1日ごとにチャプター化されており、各チャプターの長さは10数分から20数分である。適当なチャプター、あるいは各チャプターのそのまた一部分を抜き出して見せたとしても、前後関係がわからなくて困るというようなことはまずないため、授業内のいわゆる隙間時間につなぎとして使用するにはもってこいの素材である。
 筆者は、教科書の単元の切れ目、練習問題の答合わせ後や小テスト実施後の隙間時間などに10分ほどの時間を割き、適当な部分を抜き出して見せることが多い。また、学期中盤、学生たちの授業態度に中だるみが見られる時期などには、通常よりも少し長めに30分ほどの時間を割いて見せることで、リフレッシュに努めることもある。
 ただし、いずれの場合も、漫然と映像を見せるだけではなく、「この街は・・・」「この川は・・・」といった簡単な解説を加えながら、教科書に掲載された地図で街や川の位置を確認させたり、それらの綴りを黒板に書いて発音させたりするようにしている。あくまでも、ドイツ語の授業の一環として見せていることを忘れさせないための工夫でもある。

2. 教科書の補足説明として
 会話テキストを利用する授業においては、テキストで扱われるシチュエーションの補足説明として映像を利用することも少なくない。たとえば、鉄道を舞台とするテキストが出てくる場合などは、ドイツの鉄道駅をスクリーンに映し、駅舎や車両内部の様子などを見せながら、日本とドイツの違いを解説する。このような機会に筆者が決まって用いるのは、『ドイツ鉄道の旅』の冒頭の場面だ。
 フランクフルト中央駅、石造りの壮麗な外観が映し出され、関口氏が正面入り口から駅の構内へと歩みを進めていく。プラットホームを覆い尽くすガラス屋根の下に至り、大きく両腕を掲げながら高い天井を見上げる関口氏。その周囲をカメラがぐるりと360度回転しながら、彼の驚きに満ちた表情を映し出す。
「ジャーン! ・・・・デカっ!」
関口氏の素直なリアクションに、画面を見つめる学生たちの顔にも思わず微笑が浮かぶ。確かに、日本の駅にはまず見られぬ圧倒的なスケールだ。学生たちの中には、画面の中の関口氏とほぼ同じタイミングで「デカっ!」とつぶやきを漏らしてしまう者もいる。
 ここで筆者がすかさず解説を挿む。
「さあ、よく見て。ドイツの鉄道駅には、日本の駅のような改札口がないんだよ。ほら、関口さんは、自分が乗る列車のホームへまっすぐに向かい、そのまま乗り込んでいるでしょう。発車後、車掌が回ってきて検札をするから、その時に乗車券を提示するんだ」
 これらドイツの鉄道事情を、ただ口で説明するだけでは、学生たちもなかなか思うようにイメージできないことであろう。しかし、画面の中、プラットホームを歩いてICEへと乗り込む関口氏の姿を通すことによって、格段にイメージしやすくなり、「なるほど」と納得してもらえる筈だ。そして、駅や車内のイメージが得られたことにより、会話テキストのシチュエーションの中へも移行しやすくなるのである。

3. 旅のイメージトレーニングとして
 ここ数年、筆者は都内の某女子大学にて、『旅行のドイツ語』と題した授業を担当している。これは、初級科目を修了した二年次以上の学生を対象とする半期の自由科目で、ドイツ語圏を「旅行」する際に出会うであろうさまざまなシチュエーションに合わせ、ドイツ語の表現を学ぶというものだ。履修する学生はいずれもドイツ語に興味を持ち、将来はドイツ語圏への旅行をしてみたいと考えているケースがほとんどである。この授業では特定の教科書は使用しておらず、回ごとに「街歩き」「買い物」「食事の注文、支払い」「ホテルの予約」など旅のシチュエーションを設定し、これに沿って筆者が作成したプリントを毎回配布している。このプリント教材を使いながら、まずは基本となる会話テキストで表現のパターンを確認し、一通り発音練習をしたところで、ペアになって役割練習を行い、さらには単語を入れ替えて会話のバリエーションを作成させてみる。既に習った基本文法を適宜復習しつつ、できるだけ口頭での表現に慣れることを目標に、授業を進めていく。
 学生たちがいざドイツ語圏を旅行するとなった場合、日本から飛行機で入国し、その後国内を移動する際には、鉄道を利用するケースがほとんどであろう。そのため、『旅行のドイツ語』の授業においては、全15回のうち3回分を「列車の旅」と題し、鉄道旅に必要な表現を集中的に練習する。「切符の買い方」「目的地への行き方のたずね方・答え方」「発車/到着時刻のたずね方・答え方」などのやりとりに加え、ドイツ鉄道 (DB) のホームページやスマホアプリを用いて、自らが乗る列車を選んだり、乗り換え駅や所要時間、料金などを確認してみたりと、実際の旅を想定した練習も行う。
 このように鉄道の旅に特化した内容の回ともなれば、当然、『ドイツ鉄道の旅』を利用しないわけにはいかない。ただ、この授業における利用は、前述したようなドイツの鉄道事情を紹介するランデスクンデ的な意味合いもさることながら、履修者たちにドイツの旅をより具体的にイメージさせるという意味合いの方が強い。いつか実際に旅をする時のために、まずは関口氏の旅を通じ、心の準備をしてもらおうというわけだ。

 たとえば、旅の冒頭、関口氏はフランクフルトから最初の目的地ヴィースバーデンへと向かう際、マインツ中央駅にてSバーンに乗り換えが必要となるのであるが、彼は乗り換えのホームをうまく見つけることができずに少しまごついてしまう。そこで関口氏は、案内窓口の女性係員に次のようにドイツ語で(!)たずねてみる。〔この場面は、『ドイツ鉄道の旅』において、関口氏がセンテンスとしてドイツ語を話す唯一の場面である。〕

「Excuse me, wie kann ich nach Wiesbaden ... zum S-Bahn?(すみません、ヴィースバーデンへはどう行けばよいでしょう、Sバーンで。)」

英語とドイツ語が混在している上、ドイツ語の部分も文法的には正しくない。しかし、女性係員は即座に彼の意図を理解し、「S-Bahn?」と繰り返しながら、少し離れたところにある電光掲示板を指さし、「8時26分、1番線(Gleis eins)です」とドイツ語で答える。そして、関口氏がその答をうまく呑み込めていないと見るや、親指を立てながらドイツ語と英語で「Eins, one」とホームの番号を示し、「まっすぐ行ってエレベーターで下に降りるのよ」というような内容を手振りで教えてくれる。その後、Sバーンのホームに辿り着くことができた関口氏であったが、残念ながら、乗ろうとしていた列車をギリギリのところで逃してしまい、次の列車を待つはめになってしまった。

 一連の場面を見せながら、旅先ではこのように迷ってしまうことや、まごついてしまうことも少なくはない、初めて訪れる国ともなれば、むしろスムースに進まぬことの方が多いものであると学生たちに説明する。そして、困った時には、恥ずかしがらずに周りの人にたずねてみることが大切だと重ねて強調する。画面の中の関口氏のように、たとえ英語とドイツ語が混じっていようと、あるいはいくらか文法的に誤りがあったとしても、ポイントを押さえてさえいれば、どうにか理解してもらえるものなのだ。相手の答がわからなければ、もう一度聞き返せばよいし、紙を差し出して文字や数字を書いてもらってもよい。将来、自分が旅をする際に、必ずやこうした場面に出くわすであろうことをイメージしてもらうために、マインツ中央駅におけるこの場面は、『旅行のドイツ語』の授業において特に欠かすことができないものである。

4. ドイツ現代史を知るきっかけとして
 毎年秋、筆者は担当するほぼすべての授業の中で、ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)やドイツ再統一(1990年10月3日)など、現代史に刻まれた重要な出来事について説明する機会を設けている。授業進度の関係で思うように時間が取れないこともあるが、ドイツ語を自ら選択し学んでいる学生たちには、ぜひとも知っておいてほしい事柄であるだけに、可能な限り時間を割くように努めている。説明の際、『ドイツ鉄道の旅』の一部を学生に見せることも多い。

 旅の4日目、首都ベルリンへとやって来た関口氏は、ポツダム広場へと足を運ぶ。そこには、過去を記憶しておくために、ベルリンの壁の一部が残されている。すっくと切り立った壁の前に立つ関口氏。彼の身長を大きく上回る高さであることがよくわかるが、すぐ間近に見る壁は、学生たちが想像していたよりもずっと薄いものだ。せいぜい20センチといった厚さでしかなく、その気になればすぐにでも叩き壊すことができそうに思えてしまう。この決して厚くはない壁が28年もの長きにわたって東西を隔てていたという事実に、多くの学生たちが複雑な思いを噛みしめずにはいられないようだ。
 その後、ポツダム広場からブランデンブルク門へ。関口氏が門を歩いてくぐり抜ける場面では、その高さや幅に驚く学生も少なくない。かつての「東側」へと入ったところで、門の上に設えられたクアドリガの像を見上げつつ、東西分断の歴史にしばし思いを馳せる関口氏。冷戦時代には、この門をくぐるどころか、近づくことすら許されていなかったのである。
 そして、ベルリン滞在の最後に、関口氏は電車で郊外のベルリン・グルーネヴァルト駅へと向かう。第二次世界大戦中、この駅から5万人を超えるユダヤ人たちが各地の強制収容所へと運ばれていった。今日、同駅では、ユダヤ人たちを乗せた列車が出ていた17番線ホーム上に、連行されたユダヤ人の数と移送先である収容所名、日付を刻んだプレートが設置されている。関口氏はかがみ込み、無数のプレートを一枚一枚見ながら、刻まれた文字や数を読み上げてみる。
「800人、リガ・・・1000人、アウシュヴィッツ・・・」
読み上げても読み上げても、プレートの数にはきりがない。そして、「・・・すげえ数」と静かにつぶやき、それきり言葉を失ってしまった関口氏の表情をカメラが映し出す。

 いつもならば、映像の内容に関連し、筆者があれやこれやと言葉を連ねて説明するところであるが、ここでは必要最低限の事実関係を伝える程度にとどめておく。関口氏の表情や、その後に続く彼の絵日記から、学生たち一人一人にも何かを感じ取ってもらい、考えてもらうきっかけにするためだ。映像の後には、参考図書などを紹介し、興味や関心を持った学生は図書館などで探して読んでみるよう指示する。
 今年2019年は、ベルリンの壁の崩壊から30年、そして来年2020年は、ドイツ再統一から30年と、節目の年が続く。世界史の授業において慌ただしく済ませてしまうことが多いとされるこれら現代史のトピックを、第二外国語学習者向けの授業の中でどのように紹介するのがよいか、頭を悩ませておられる向きもあることだろう。さまざまなアプローチが可能であろうが、選択肢の一つとして、この『ドイツ鉄道の旅』も考慮に入れてみてはいかがであろうか。


Ⅴ.おわりに
 前述したように、関口氏による海外鉄道旅は、ドイツの旅から始まった。もしもこの『ドイツ鉄道の旅』がうまく行っていなければ、その後に続くヨーロッパ各国の鉄道旅番組も制作されることはなかったであろう。幸いなことに、すべての旅はテレビ放送後にDVD化され、恒例となった旅の絵日記も書籍化されて発売されている。そのため、スイスやオーストリアなど、ドイツ以外のドイツ語圏をめぐる旅の様子もあわせて授業の中で紹介することが可能だ。
 関口氏のヨーロッパ鉄道の旅は、残念ながら2017年に放送されたイギリスの旅をもって終了し、それ以後、新作は制作されていない。彼の鉄道旅のファンとして、そして何よりもドイツ語教育に携わる一人としては、ぜひとも関口氏に近い将来、また別のルートによる『ドイツ鉄道の旅』に挑戦していただきたいと願わずにいられない。前回のドイツの旅から既に14年。その間に変わったもの、変わらないものを、さまざまな経験を重ねた彼の目や言葉を通してまた私たちに伝えていただきたいものである。再び画面を通じてお目にかかる時を心待ちにしつつ、筆者も自らのドイツ語の授業をさらに活気あるものにするべく研鑚を重ねていきたい。

五十嵐 豊(大東文化大学非常勤講師)