黒姫童話館と子安美知子先生 (M. Horiuchi) [J]   作成日:2019/06/06
 長く伸びる山の背が、淡い午後の太陽に照らされ、さわやかな風が吹き抜ける6月、早稲田大学名誉教授であり、ミヒャエル・エンデ文学を多様な側面から研究し、紹介した故子安美知子氏を偲んで植えた山桜の若木が、2年目の黒姫の夏を迎えようとしています。
長野県の北、新潟との県境に近い黒姫高原に立つ黒姫童話館は、日本で開催されたミヒャエル・エンデ父子展で展示されたミヒャエル本人の直筆イラストを引き取り、エンデ文学専用の展示室を設ける形で、1991年開館しました。ミヒャエル・エンデの貴重な資料を常設展示している、世界でただ一つの施設です。
[img align=right]http://www.jgg.jp/uploads/photos/153.png[/img] ドイツだけではなく世界的に有名なファンタジー作家であるミヒャエル・エンデは、『モモ』や『はてしない物語』で児童文学賞を受賞し、『ジム・ボタンの大冒険』はドイツで人形劇やアニメーションにもなりました。エンデは1995年に亡くなるまでそのプライベートな品々を定期的に黒姫童話館に送り続けましたが、その数は現在、三千点に迫る数となっています。その多くは私的な物ですが、少年時代の詩的作品、日頃持っていた作品製作に関するメモ帳、書簡に至るまで、エンデ文学を創りあげた足跡を追うことができる文学的にも貴重な資料も数多く含まれています。
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 では、どうしてそのような有名なドイツ人作家の資料が、ドイツではなく日本にあるのでしょう?どうしてエンデは日本の小さな童話館に自分の本や私物を送り続けたのでしょうか?それは本当に不思議な縁から始まっています。当時早稲田大学教授であった子安美知子先生は、ミヒャエル・エンデのプライベートも共に過ごす数少ない友人として、来日中のエンデに付き添っていました。エンデ父子展が終わる頃、黒姫童話館設立とエンデ作品展示室の話を聞いていた先生は、エンデ氏と待ち合わせていたホテルのロビーで黒姫の方々と会い、詳しい話を聞いて「希望はあまり持たない方が良いかとは思いますが・・・」と念を押しながら、ちょうどロビーに下りてきたミヒャエル・エンデに打診をしたそうです。するとエンデは遠くから彼らを眺めながら「良さそうな人だ、保管してくれるならありがたい」とその場で快諾をしました。

 後で先生から聞いた話ですが「エンデさんは、絵画や彫刻を見る時はいつも、題名や作者を見ないでまずは作品を味わう人、直観を信じ、自らの感性を信じた人だったから、黒姫の人達を一度見てもらいたいと思って、実はわざと彼と待ち合わせのホテルでお話しした」そうです。人懐こい笑顔を浮かべながら、「日本でエンデの作品がいつでも見られたら、素敵でしょ、それに黒姫の方が、本当に打算のない、良い文学との出会いができる場所を真剣に創りたいという意志を持ってらっしゃることがお手紙などのやり取りでもよくわかっていたから」と、話されていました。また、エンデ氏に、どうして黒姫に絵画を預け、資料を送ることにしたのかと先生が尋ねた時があったそうです。すると彼は当たり前のように「見るからに良さそうで、正直そうな人だったから」とだけ答えたそうです。そしてその話に必ず、「きっとエンデさんならそう言ってもらえると感じていたの」と先生は付け足しておられたのを今でもよく思い出します。

 開館後、お忍びでミヒャエル・エンデが童話館を訪問したことがありました。エンデは有名な作家になった後、三回来日していますが、その全てに同行していた先生は、このお忍びの訪問も事前に聞かされており、「非常にやきもきさせられた」そうです。当日突然現れた人気作家に驚く周囲の人々に取り囲まれながら、エンデ氏は、子安先生に付き添われて展示室を回った際、ふと立ち止まりました。それは彼の小学校の通知表の前でした。子安先生は苦笑いをしながら「なつかしそうにしばらく眺めていて、それからにやりと笑ってね、私が落第しないでいたら、作家にはならなかったかもしれない、人生に無駄なことなどひとつも起こりはしないんだ、と言ったのよ」と彼のユーモアを披露してもくれました。

 子安美知子先生は、東京大学大学院を修了後、早稲田大学の語学教育の要として設立された語学教育研究所の発足を機会に招聘され、当時外国語教育にも用いられていた自由教育理論を基に新しいドイツ語教材研究およびドイツ語学習を発信していきました。後に語学教育研究所の所長になり、退官なさるまで、ドイツ語教育に尽力しましたが、その中でシュタイナー教育と出会い、そしてミヒャエル・エンデのインタビューをきっかけに、エンデ氏の生涯の友となります(エンデ氏もまた、シュタイナー学校で学んだことがありました)。子安美知子先生のエンデ研究は、世界でいち早く、エンデ文学が児童文学の範疇を超えた、その作品に多様な哲学的側面を持つものであることを指摘した点で、現在のエンデ文学の見方に大きな影響を与えました。そしてそれを指摘してくれたことに、エンデ自身も大きな感謝を抱いていたようです。彼と子安先生は、同じような世界観、人生哲学をシュタイナーから得ていたこともあり、エンデがドイツではなかなか話せないようなことを先生だけに語るということもしばしばありました。子安美知子先生を恩師とする私自身も、ドイツ留学時代に、フラウ・コヤスの学生ならば、と幸運にもエンデ氏の私宅の出入りを許され、晩年のエンデと同席を許され、現在は子安先生の後を引き継ぐ形で、黒姫童話館のエンデ資料管理に協力しています。

 子安美知子先生は、惜しまれながらも2017年に亡くなられました。[img align=right]http://www.jgg.jp/uploads/photos/155.png[/img]
その後家族の方々と話し合い、子安先生が本当の意味で自由に喜びを持って取り組まれたエンデ文学研究の砦でもある黒姫の地に、記念植樹をすることになりました。黒姫山が見渡せる童話館前の丘の上に、今でもその山桜の木は立っています。

 エンデ氏が子安先生とともに黒姫童話館に来た時、館を背にして見下ろした黒姫の風景を「僕はバイエルンの山の中にあるガルミッシュというところで生まれた。この風景はそれを思い出させる」と言ったそうです。今、その山に囲まれて、最大の価値と量を誇るミヒャエル・エンデ関連資料をこの日本の地にもたらした子安美知子氏もまた、大好きだったドイツを思い出しながら黒姫の風景を眺めているのかもしれません。子安先生が生涯をかけて心を砕いたエンデ展示室は、彼の生涯が一望できるように作られ、その作品がわかりやすく説明されています。二階に保存されているエンデ資料は、毎年開かれている読書会などで一般にも公開されています。

 ドイツファンタジーの素晴らしさを日本で感じることのできる黒姫童話館に、ぜひ一度足をのばしてみてはいかがでしょう。

堀内美江(早稲田大学非常勤講師)
*写真はいずれも黒姫童話館HP(http://douwakan.com/dowakan)より。上から順に、ミヒャエル・エンデ展示室入り口、黒姫童話館、山桜の木