第60回ドイツ文化ゼミナールに参加して (T. Eki)[J]   作成日:2018/07/29
 今年2018年3月11日から16日にかけての6日間、ドイツ文化ゼミナールが開催された。第60回という節目の回である。私自身は2年ぶり2度目の参加で、3月当時は博士課程に在籍していた。堂々と「還暦」を迎えた文化ゼミ(敬称略、以下同)に対して若輩もいいところではあるが、この大会について若輩なりの雑感を交えながらお伝えできればと思う。
 この文化ゼミは、八ヶ岳連峰に連なる蓼科山(たてしなやま)のふもとに位置するリゾートホテル蓼科で行われる。「春が来たのに、冬の蓼科へ…」とは、あるベテラン参加者の言である。「魔の山(Zauberberg)で会いましょう」 これは文化ゼミの前に交わされるジョークである。春を迎えた下界に颯爽と背を向けて、年によっては雪の舞う蓼科で山籠りをし、濃密なドイツ文学の時間を過ごすわけだ。ただし今年の蓼科にはすでに春が訪れていたようで、雪もなく暖かい日が多かった。中日に設定されたAusflugで諏訪湖畔を散歩したときなどは、春の陽気に汗ばむほどであった。もちろんそのせいで文化ゼミ全体の魔的な雰囲気が損なわれたというわけではないです(念のため)。

 今回のゼミを統括するテーマは「宗教的体験(Religiöse Erfahrung)」という、これまた重厚な議論を期待させるものだった。また夕食後のプログラムが終わると必ずソワレが開かれ、「永遠(L’Eternité)」という名のバー(本当です)で、選りすぐりのワインやビールを飲みながら、夜が更けるまでとっくり話し込むこともできる。文化ゼミのドイツ語名は „Tateshina-Symposion“ という。実行委員長の香田教授が繰り返し強調したところによれば、このSymposionは元々「ともに飲むこと」を意味するそうだ。したがってこの終わりなき永遠のソワレも、欠くことのできないプログラムの一環となっている。日本からの参加者に関して言えば、各年代の研究者の方々が全国各地から駆けつけ、学生の参加者も関東を中心に、関西や九州などから来ていた。今年の参加者は、途中入山・下山の方も含め総勢60人弱にも上る。普段なかなか会う機会を持つことのできない人たちと知り合い、腰を落ち着けて話ができるのは嬉しい。刺激にもなる。

 私にとってとりわけ嬉しかったのが、ベルリンやウィーンからの若手研究者の参加である。聞くところによれば、ドイツ語圏の若手研究者を蓼科に呼ぶのは例年にない試みだったようだ。年の近さゆえに打ち解けるのに時間がかからない。ドイツ語圏の研究者がどのような研究にどのようなモチベーションで取り組んでいるのかを知り、一方で日本の研究状況を彼ら彼女らに伝えることができたのは、素晴らしいことだった。このことは文化ゼミで得られた充実感に大いに与っている(大事なことを言い忘れているが、国際学会である文化ゼミは基本的に全てのプログラムをドイツ語で行う)。

 「宗教的体験」という全体テーマに対し今回のシンポジウムは、中世研究のJutta Eming教授(ベルリン自由大学)を招待講師として迎えた。Eming教授は連日行われた講演で、宗教/文学の絡み合いを民族大移動やカロリング朝の昔から説き起し、その相互に内包し合う関係を、呪文、口承文芸、多面的な悪魔モティーフといったじつに豊富な例証によって鮮やかに示した。しかし話は古代・中世にとどまらない。Eming教授によれば、啓蒙以降の幻想的なもの(ロマン主義)やショック・驚愕(シュールレアリズム)も、宗教的なるものの機能を代理的に果たすからだ。この考えに応じるかのように、他の講演者は近代文学において宗教性がいかに大きな役割を果たしているか、また作家がどれほど自覚的にこの問題に向き合ってきたかを力強く示していた。文学を宗教的観点から、あるいは宗教を文学的観点から切り込むアプローチがあるのではなく、両者はいつもその核心を相互浸透的に共有している。そのことを改めて思い知らされた。

 ところで私個人にとってとりわけ大きな関心事になっていたのは、一日のプログラムの午前か午後いずれかに割り振られるGruppenarbeitenだった。光栄なことに一つのグループの司会進行を任せていただいたからだ。このGruppenarbeitenは文化ゼミの中核をなすプログラムである。テーマに沿って選定されたテクストを参加者が事前にそれぞれ読んできて、2時間のディスカッション、これを4日に分けて計4回行う。一人最大4つのディスカッションを行う計算だが、参加者は各回10〜20人ほどの4グループに分けられるため、グループ数はのべ16にもなる(選べるテクストも16!)。

 専門を異にするもの同士で一つのテクストに集中して取り組む作業は、知的刺激に満ちている。自分の発見がどこまで通用するのか、自分の知識が議論を通じてどのような広がりを持っていくか、その場で体感できる。普段は宙に浮いてしまう疑問もぶつけることができる(単純な間違いに何度か赤っ恥をかいたけども)。それぞれの議論ではキリスト教やユダヤ教の伝統のみならず、騎士文学やロマン主義宗教、さらには演劇理論からのアプローチが試みられ学ぶところも多かった。

 Gruppenarbeitenでは現役の研究者が闊達に議論をする一方で、誰もが議論に参加できる雰囲気があり、そのための配慮も行き届いていたように思う。このことは講演後のディスカッションにも言える。ベテランのドイツ人参加者の方が言うには、文化ゼミは後進を育てる(pädagogisch)場でもあるという。そもそも私に司会の役が回ったことも、教育的配慮以外のものではない。議論は常に開かれており、若手の発言も歓迎される。実際、学生参加者の多くも発言機会を積極的に利用していた。一方で該博な知識に基づいて素早く鋭い意見を発し、その場の対話で議論を深めていく研究者の姿には、一刻も早くそのレベルまで自分を高めるよう発破をかけられる思いであった。

 シンポジウム全体ではドイツ文学における宗教性を取り扱うかぎり、むろんながらユダヤ・キリスト教に最大の焦点が当てられることになった。しかし連日の講演では、イスラム教や東洋の宗教を通じてヘブライズムの枠組みを相対化・拡張しようと試みる発表者も多く、はっとさせられた。とくに実行委員長の香田教授は講演のみならずGruppenarbeitenにおいても、非キリスト教圏・非ヨーロッパ圏からの視点というものに、参加者の意識を促しているように見受けられた。これらのことは図らずも自らの足場を顧みるきっかけになった。

 日本の宗教は何なのか、ShintoismusとBuddhismusの違いは何かと問われ、「まいったな…」と困ってしまう経験をしばしばする。Ausflugで参加者とともに諏訪大社を訪れ同じ質問をされたときも、懲りずにまごついてしまった。日常生活で宗教を意識することはもはやほとんどなく、あやふやな知識しか持たないがゆえに、ドイツ文学における宗教性という問題に接する際にも、自己の立場を省みることはあまりない。しかし深い理解がもし自己理解を伴うのであれば、信仰とまでは言わなくとも、どうあっても自分をどこかで規定しているはずのナショナリティその他が、どのような形をとって固着しているのか、あるいはどのように忘却され衰弱しているのかに向き合う必要があるのではないか。そのようにしてはじめて、ドイツのGermanistikだけではありえなかったドイツ文学の可能性も開かれるのではないか。ほとんど飛躍してしまっているが、個人的にそんな課題を受け取った気分でいる。その意味でも、文化ゼミが例年韓国や中国からも研究者を招待していることは意義深いことであるように思う。

 そこそこの映画好きとして嬉しかったのが、コロンビアの若い映画監督によって撮られた „Der Schamane und die Schlange“(2015, 邦題:彷徨える河)の上映会である。20世紀初めの実話に着想を得て、アマゾンのシャーマンと西洋の植物学者の過去・現在を描いた映画だ。アマゾンの脱魔術化の功罪を、異様なリアリズムと卓越した映画的幻想によって観るものに突きつける力作であった。外来種としてのキリスト教がもたらしたカタストロフというアポカリプス・ナウ的悪夢からの逃避、そこから過去と現在が溶け合うシーンは、極上の映画的イリュージョンだった(拍手)。ゼミのテーマに沿いかつ良質の映画を見せていただいた。

 とりとめのない感想の羅列になりつつある。最後に委員の方々へのお礼を申し上げたい。運営がとてもスムーズでプログラムに集中することができてしまっていたがために、ゼミの途中はのどかな気持ちで「大変ナンダロウナ」くらいにしか思っていませんでした。しかしプログラム最終盤のSchlussfeierで、裏方のお仕事のごく一部を聞き知って冷や汗をかいた。このとき聞き知った一部も、私が乏しく想像するよりもさらにほんの一部なのだろうと思う。他の参加者の方々も間違いなく同じ感想を持っていると思うので「我々」と書くが、我々が文化ゼミに没頭し満喫できたのは、長きにわたって綿密に企画準備し、会期中は黒子に徹し我々参加者のサポートをしてくださった実行委員みなさんおかげである。そしてDAADやホテルの従業員の方も。ありがとうございました。

 聞くところによると、実行委員会はすでに次回に向けて始動しているとのことである。今から楽しみである。宣言通りの雑感となってしまったが、ひとまず61歳を迎える文化ゼミのますますの活躍と健勝を祈念して筆を擱くことにしたい。

益 敏郎(京都大学非常勤講師)