むしろ耕作を習うがいい ― ヘルダーリンと3.11 ― (S. Tanaka) [J]   作成日:2017/03/22
 かつて訪れた岩手県の名所、浄土ヶ浜。その名のとおり、夕暮れに浮かび上がるその夢幻の姿は、極楽浄土を思わせるものでした。津波の被害で無残な姿となったその美しい海浜の岩山は、現在すでにその美しさを取り戻していると聞きます。(写真は浄土ヶ浜、筆者撮影。)
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 私にとって岩手の記憶はことさら美しく、まさに蝦夷の地に遡る生の自然そのものとの邂逅でした。自然を成すひとつひとつは、自然の一部として、自然のなかにあって、”自然に”本来の姿を取り戻していく。それが自然のもつ柔軟さであり、強さなのでしょう。(写真は宮古湾の海鳥、筆者撮影。)

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 震災とそれに続く原発事故の直後、この未曽有の出来事に直面したひとびとは、あらためて絆ということばを口にし、自然の猛威のまえに頭を垂れました。都心に生まれ育った私は、数度にわたる計画停電を経験し、照明というものがまったく点らず、交通信号さえ消え、車も一台も通らない闇の姿を知りました。

 国民的ドラマとして知られる『北の国から』の脚本家である倉本聰は『毎日新聞夕刊編集部・編「〈3・11後〉忘却に抗して」』収載の《闇に文明問い直そう》のなかで次のように語っています。「自然の中でいろいろな経験をしてきましたが、闇が一番怖い。暗闇の中にいると、人間は卑小なものだということに気づきます。闇の中に何かがいるという精神的な恐怖があるんですよ。何かとはお化け、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に始まり、その先にはサムシンググレートがいる。人間は謙虚にならざるを得ないんです。東京には真の闇がない。もう一度、闇の怖さを知り、文明社会を見つめ直すことが大事ではないでしょうか。(注1)」

 家庭教師としてボルドーに赴き、その地の経験を「アポロンがぼくを撃った」と語ったヘルダーリンが徒歩旅行の途上に出会ったものも、この闇であったと思います。鮮やかな南仏の陽光は、その背後にある深い闇と表裏一体をなすものです。その闇のもたらす恐怖感、サムシンググレートの実感、それに比して人間の卑小なること。

 ヘルダーリン研究の片隅にひっそりと居住まいするに過ぎない私にとって、3.11以降、ヘルダーリンはあらたな意味をもつ存在となりました。代表作である『ヒュペーリオン』、その第二部の高名な「ドイツ批判」(注2)には、これまで多様な解釈がほどこされてきましたが、私はまず、綴られたことばそのものに虚心に向き合うことが大切であると考えています。繰り返される「だが人間がいない」ということばはドイツ古典主義時代のヒューマニズムのひとつの姿を体現するものですが、しかし同時に、近代以降のヒューマニズムが陥りかねない人間中心主義との距離を明示してもいます。辛辣なドイツ批判に続く自然への賛美を視界の外におかないかぎり、この批判の矛先には誤解の余地がありません。

 人間が自然と深くかかわることを軽視する先には、なにが見えてくるのか。

 東日本大震災から六年、忘却の足並みは予想を超えてはやかった。しかしこのことは、今に始まったことではありません。関東大震災当時、同じ反省を日本人は迫られていました。近代日本の資本主義のあり方への省察の契機として再評価が進む渋沢栄一。哲学者の月本昭男は、その渋沢が大震災を経験して語った、「近来政治界は犬猫の争闘場と化し、経済界亦商道地に委し、風教の頽廃は有島事件の如きを讃美するに至ったから此大災は決して偶然ではない」という言に賛同しつつ内村鑑三が『主婦之友』誌に綴った慟哭の文章を紹介します。「然るに此天災が臨みました。私共は其犠牲と成りし無辜幾万の為に泣きます。然れども彼等は国民全体の罪を贖わん為に死んだのであります。(略)払ひし代償は莫大でありました。然し挽回した者(ママ)は国民の良心でありました。」月本はこの言にふれつつ、内村が描いた「自給自足の小国」としての日本の将来像を紹介します。(注3)
 
 その後の日本人の歩みは歴史が示すとおりです。
 
 無常という概念の水源のひとつとして知られる鴨長明の『方丈記』ですが、これが優れた災害文学であることは、思いのほか知られていません。(作中にはいくつもの天災地変とその際の人心とが綴られています)鴨長明は三十一歳のときにみずから元暦の大地震を経験し、その惨状に衝撃を受けます。山崩れ、地割れ、津波、無数の建物の破壊。「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか。(注4)」は、現在の私たちの恐怖と重なります。しかし、余震が次第に終息に向かうなかで、人心が変化を見せはじめることもまた、しっかり綴られています。「すなはち、人みなあじきなき事をのべて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出ずる人だになし。(注5)」

 人間は弱い生き物かもしれません。しかし同時に、みずからの弱さを自覚することで強くなる途を拓くこともまたできる、唯一の生き物かもしれません。

 先のドイツ批判に続くくだりでヘルダーリンは次のように語ります。「もし彼が、精神の生きる余地がないような或る専門に押し込められているなら、そんなものは軽蔑して突きのけ、むしろ耕作を習うがいい。(注6)」「耕作」とは大地との対話であり、みずからの手で土に触れることです。

 先年、長編アニメーション制作からの引退を表明した宮崎駿監督の代表作『となりのトトロ』(脚本も担当)には塚森とよばれる神域の象徴であるクスノキの巨木が登場しますが、主人公たち家族三人は注連縄のかけられたその巨木の前で「よろしくお願いします」と語り、頭をさげます。ここには、忘れられがちな、しかし忘れてはならない自然との向き合い方が実現されています。

 私はかつて、震災により自宅が壊滅的な打撃を受けた仙台出身の学生に次のように語ったことがあります。「この震災で多くのいのちが失われました。けれど、そのいのちは、ほんとうに失われてしまったものなのでしょうか。人間が自然の循環のなかにしっかりと抱きとめられ、そこから逸脱しようとしないかぎり、すべてのいのちは死と再生の無限の循環のなかにあります。」このことばを伝えるとき、私の脳裏にはひとつのアニメーション作品が浮かんでいました。

 宮崎監督は『もののけ姫』(同じく脚本も担当)のラスト、シシ神がデイダラボッチへと姿を変え、タタラ場のみならず、山野をも破壊したのちに再び緑が芽吹く場面で、登場人物のひとりに「シシ神は花咲じじいだったんだ」と語らせています。自然はときに自然それ自体をも破壊しつくす。しかし、その後に待つ再生が約束されている。シシ神とデイダラボッチはともに自然そのもののシンボルでしょうが、この「花咲じじい」としての役割は人間自身にも果たすことができます。里山とよばれる自然と人間との共生空間は、自然のみが存在する原生林などよりも生物多様性に富んでいます。人間は自然にたいして破壊者にも、また、花咲じじいにもなれます。

 宮崎は震災直後、次のように語っています。「放射能が届かないからいい、俺の所にはガソリンがあるからいいといった問題ではない。もう一度、どういう国を作っていくのか、いや応なく問われる。英知を集め、若者が生き生きとし、年寄りが穏やかに死んでいける国を作っていくチャンスが訪れたと思うしかない。(注7)」先の内村鑑三の描いた未来像への渇望と重なる思いを読み取ることができます。
震災とその後の原発事故がもたらしたものは、文明への問いかけであろうと思います。産業革命以降の社会のあり方が今後も持続可能なものであるのか、この問は否応なくわたしたちの前に立ちふさがっています。

 自然のなかで、自然と触れ合いつつ生きること。「むしろ耕作を習うがいい」。ヘルダーリンのことばは、そのことのもつ意味を強く静かに語りかけてくれます。

(注1)毎日新聞夕刊編集部・編「〈3・11後〉忘却に抗して 識者53人の言葉」58ページ、現代書館 2012年12月15日 第1版第1刷
(注2)ヘルダーリン全集 第3巻『ヒュペーリオン』145-146ページ、河出書房新社 昭和44年5月17日5版発行
(注3)いにしえとの対話:月本昭男「内村鑑三 震災後の望み」読売新聞2011年4月18日夕刊3版
(注4)新井満『自由訳 方丈記』110ページ、株式会社デコ 2012年6月9日発行
(注5)同 111ページ
(注6)ヘルダーリン全集 前掲書146ページ
(注7)宮崎駿氏インダビュー「困難な時こそ作り手に覚悟」読売新聞2011年4月1日朝刊12版・文化欄

田中周一(昭和大学)