シラー没後二百年祭(A.Aoki)[J]   作成日:2005/12/14
 「『群盗』公演 ― 失敗?!」― 今回のヴァイマル・シラー祭のプログラムには、ちょっとしたハプニングがあった。予定されていたヴァイマル国立劇場の劇団主宰の『群盗』が、俳優の病気で急遽ベルリンの役者たちによる“Räuber-Short”と題されたパフォーマンスに変更されたのだが、公演が始まるや劇場は観客の怒りでいっぱいになってしまった。机を前にして座った四人の俳優が主要な役所の台詞を朗読、舞台向かって左側に腰掛けているのは合唱隊。そして、彼らのバックに置かれたスクリーンには、意味不明の映像が流され、それも次第に暴力的で残酷なシーンに変わってゆき、不快な電子音楽とともに際限なく繰り返されるので、途中で「止めろ!」と声を上げながら席を立つ聴衆もいたほどだ。公演後は、地元の新聞を筆頭に批判の声ばかり寄せられ、翌日の講演会に参加したドラマトゥルクは、「あれがなぜシラーの『群盗』なのか」、といった非難への対応に大忙しの様子だった。四人の俳優のうちの一人は、元赤軍派幹部の息子という話も裏で飛び交い、それがまた批判を助長したようである。翌日の『マリア・ストゥアート』は、シラーの作品をそのまま使ったものであったが、マリアとエリーザベトを除く役柄はすべて黒服を来た合唱隊だったので、誰が誰の役をやっているのかさっぱりわからない、というのが大方の感想であった。
 ベルリン的な『群盗』は、ヴァイマルに集まった人たちには受け入れられなかったわけだが、グロテスクでゴシック的な特徴が過度に強調されたこの演出は、逆にシラーがドイツの人々に深く根付いていることを垣間見せてもくれた。観客の反応もそうだが、この過激な演出にしても『群盗』が文化として共有されていなければ不可能なわけであり、その意味では、見るに堪えないながらも興味を引き起こす公演であった、と私は思う。


 紹介が後になってしまったが、私は、このたびシラー没後二百年を記念して11月3日から6日まで開催されたヴァイマル・シラー協会主催、マールバハ・シラー協会協賛のシラー祭に参加してきた。初めての大会訪問だったにもかかわらず、一人ではるばる日本からやって来た私を、ヴァイマル・シラー協会会長のダーンケ教授ご夫妻をはじめとして、ゲーテ=シラー・アルヒーフの方々、そしてその他の会員の方々はとても温かく迎え入れてくれた。今から50年前の1955年に、没後150年を記念して行われたトーマス・マンのシラー講演の朗読をヴァイマル国民劇場の俳優たちが再現することによって幕を開けた本大会は、朝から晩までプログラムが盛りだくさんで、第一日目は、この朗読の後、テューリンガー風料理を皆で囲んでの夕食会となった。マスとポテトのサラダや、木苺の砂糖漬けにカスタードソースをかけたデザートなど、これまであまり口にしたことのないものばかりで、とても珍しかった。

 二日目は、シラー・ハウスでの特別展示会を、マールバハのシラー・アルヒーフのスタッフの案内で見学。生い立ちから亡くなるまでのシラーの足跡にそって、作品の初版本やそれにまつわる遺品、手書きのノート、ステッキや帽子まで陳列され、なかなか見る機会のない貴重な資料を見ることができた。参加者は学者や研究者ばかりだろうと思っていたら、マールバハの会員もヴァイマルの会員も、むしろ一般の方たちの参加の方が多く、市民の文学への関心の高さには、ここでも驚かされた次第である。午後は、ヴァイマルのシラー・ギムナジウムの生徒たちが、シラーの詩を歌ったり朗読したり、また劇を上演してくれたりしたが、14、5歳の少年たちがパフォーマンスを交えながら、シラーの20分もかかるような長い詩を朗々と謳う姿は、愛嬌もあって、会場からは大きな拍手が沸き起こっていた。

 そして三日目は、いよいよ講演会で、第一部がシラー協会への本の贈呈式、第二部が研究者や劇場関係者による研究発表会だった。実は、ちょうど日本を発つ前日に、拙著『シラーの「非」劇 ― アナロギアのアポリアと認識論的切断』(哲学書房)が出来上がったばかりだったので、シラー協会などに献本できればと数冊ドイツまで持参していったのだが、その旨をダーンケ夫人に伝えると、前日の晩になって突然、私の本の献本も講演会の第一部プログラムに公式に組み込まれてしまった。当日は、ベルリンのオランダ大使による『オランダ独立史』のオランダ語翻訳本献呈に続いて、拙著の献呈と記念スピーチまで行うはめに……。いささか緊張はしたが、本の内容を紹介しながら日本におけるシラー受容の歴史などを話すと、意外にも好評で、その後は様々な方から声をかけていただいた。おかげでシラー研究の第一人者エラース教授やディークマン博士などともお話ができ、知り合いになることができたのは大変有意義なことであった。

 それにしても、日本との大きな違いとして感じたのは、この大会のためにはるばる遠くから来られた一般市民の方たちの講演会や催し物に対する関心の高さであった。劇場でも休憩の時間になるとすぐに、あの解釈は良かったがこの点はいただけない、などと、熱心に意見を交換し合っている姿には驚かされた。そこで知り合いになって自宅に招待してくださった老夫婦も、週に一度は現代作家を読む会に参加し、頻繁に意見を交換しているとのことであった。その後、シラー祭の帰りにはマールバハのシラー・アルヒーフにも立ち寄ってきたが、作家ペーター・リュームコルフ氏による詩人の記念朗読会の会場は満席で、しかも聴衆のほとんどはシュトゥットガルト近郊にお住まいの文学愛好家の方々であった。旧東独のシラー協会も、旧西側のシラー協会も、研究者はむしろ少数で、実質的に本を愛する一般の方々に支援されていることを知り、その文化的伝統への関心の高さには頭の下がる思いだった。こうして、滞独中は天気にも恵まれ、ヴァイマル~マールバハを満喫し、充実した一週間となった。

青木敦子(学習院大学) 
日付
NAME
Title
内容
2015/07/29
burberry soldes pas cher tre de c
Sac Goyard Pas Cher
pour r?aliser in situ sa sc www.nowmansland.fr/ ulpture dont la jumelle en robe blanche tr? Sac Goyard Pas Cher Ma?tre de c? à réfléchir à la manière dont on mène notre vie. pour la première fois,www.nowmansland.fr/, elle n’a pas obtenu gain de cause sur la modification des conditions de d Acheter Sac Goyard Pas Cher é