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ゼバスティアン・シッパー監督作品 『ヴィクトリア』について思うところ (Y. Iguchi) [J]

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映画批評
  投稿日: 2016-8-21 23:42
井口祐介(筑波大学大学院人文社会科学研究科文芸言語専攻〔一貫制博士課程〕在学)
 渋谷のシアター・イメージフォーラムで、5月7日に公開されたゼバスティアン・シッパー監督の『ヴィクトリア』(2015年、ドイツ)が好評のうちに上映を終えた。『ヴィクトリア』は2015年2月に開催された第65回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に選出され、芸術貢献賞を含む三つの賞を受賞、同年のドイツ映画賞でも作品賞、監督賞、主演女優賞(ライア・コスタ)、主演男優賞(フレデリク・ラウ)を含む6つのローラ像 1)を獲得、ヨーロッパ映画賞でも候補に挙がり、話題となった。米アカデミー賞の外国映画賞のドイツ代表作品の有力候補とも目されたが、作品中の台詞の半数以上が英語であったため、同賞の選考条件を満たせず、ドイツ代表作品とはならなかった。日本でも劇場公開に先駆けて、2015年10月に第28回東京国際映画祭で上映されたが、前売りチケットは発売初日に即日完売している。
 批評的な成功を収めた他にも、『ヴィクトリア』が注目を集めたのにはもう一つ大きな理由があった。それは、この映画が、およそ140分という長尺にも関わらず、ワンショットで撮影されているという点である。すなわち、2時間20分の間、カメラも役者も一度も休むことなく撮影を続け、その映像が一本の映画となっているのだ。

 映画の概要を簡単に述べておこう。物語の舞台は早朝のベルリン、クロイツベルク地区とミッテ地区である。主人公であるスペイン人の少女ビクトリア(ライア・コスタ)2) はクラブを出たところで、ゾンネ(フレデリク・ラウ)、ボクサー、ブリンカー、フスと名乗るドイツ人の青年たちに声をかけられる。ピアニストになるという夢を諦め故郷を離れ、3ヶ月前にベルリンのカフェで働きはじめたばかりの彼女にはまだ友達がいなかったこともあり、彼らはすっかり意気投合する。フスが酔いつぶれてしまったことから、ビクトリアはフスの代わりに彼らの「仕事」に関わることになるのだが、彼らの「仕事」とは、ブリンカーが服役中に世話になったギャングの手下として銀行を襲撃することだった。襲撃は成功するものの、やがて警察に追い詰められ、激しく銃撃されることになる。ビクトリアとゾンネはウェスティン・グランド・ホテル・ベルリンに逃げ込むのだが、銃撃の際に重傷を負っていたゾンネは失血死してしまう。ビクトリアは銀行から奪いとった多額の現金を手に、早朝のベルリンの街へと消えていく。

 映画のワンショット撮影とは、アンドレ・バザンやジークフリート・クラカウアーらのレアリスト理論家によって奨励された長回し(ロング・テイク)の、ある種の究極形であるといえる。3) しかしながら長編映画をワンショットで撮ることは、映画誕生から長い間、技術的に不可能であった。というのも、撮影に使われるフィルムの長さには限界があり、上映時間にして10分強がせいぜいのところであったからである。そのような技術的な制限のもと、アルフレッド・ヒッチコックは編集を工夫することにより、疑似ワンショット撮影の映画を製作している。それが『ロープ』(1948年、アメリカ)である。4)『ロープ』の上映時間は80分、殺人を犯した若者二人の悪事が露見するまでを描く密室劇であり、オープニングとエンド・クレジットを除けば、七つのショットによって構成されている。ショットとショットの繋ぎ目は、カメラが登場人物の背中や衣装箱の蓋を大映しにすることによる暗転によってそれとははっきりわからないようになっている。5) 実際にワンショット撮影による長編劇映画が実現したのは、一説によるとアレクサンドル・ソクーロフ監督による『エルミタージュ幻想』(2006年、ロシア/ドイツ/日本/カナダ/フィンランド/デンマーク)とされている。『エルミタージュ幻想』の上映時間は96分、サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ宮殿(現在のエルミタージュ美術館)を舞台に、エカチェリーナ2世、ニコライ1世、ニコライ2世とその家族たち、そして現代のエルミタージュ美術館の様子を、時空を超えて描くものである。

 『ヴィクトリア』と、『ロープ』および『エルミタージュ幻想』という先駆的作品と大きく違うのは、まずその上映時間である。『ロープ』および『エルミタージュ幻想』は長編劇映画としては比較的短めであるのに対して、『ヴィクトリア』は140分という長尺である。また『ロープ』および『エルミタージュ幻想』が原則として密室劇であるのとは対照的に、『ヴィクトリア』では登場人物たちもカメラも、クロイツベルクからミッテまで、室内から室外まで縦横無尽に動き回ることになる。しかもその中には車での移動、そして銃撃戦というアクションシーンまで盛り込まれている。そして物語は早朝からの2時間20分をフィルムに収めたため、暁から曙、そして夜が明けるまで6)が観客に提示されることになる。

 『ヴィクトリア』に限った話ではないが、ワンショット映画の特色としては、撮影によって切り取られた時間が、そのまま観客に対して提供されることになる。もちろん映画にはプリプロダクションやポストプロダクションの時間が必要なのだが、『ヴィクトリア』の素材となった映像そのものの撮影に要した時間は140分のみであるのは確かだ。その意味で、『ヴィクトリア』と正反対の方法論によって作られたと思われるのが、リチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』(2014年、アメリカ)である。

 この映画の最大の特徴は、ある少年とその家族の十二年間にわたる物語を、実際に十二年間にわたって撮影し、編集したことにある。主人公は物語の冒頭では六歳の少年だが、彼がやがて大学に入学するまでの十二年間を、彼とその家族との関係性を中心に、この映画は描き出していく。撮影は2002年夏から2013年10月にわたって断続的に行われたとされ、エピソードとエピソードの間に一年弱程の時間経過があることが、主人公メイソンを演じたエラー・コルトレーンの成長からもわかる。それぞれの年のエピソードの数や長さは均一ではなく、長いものもあれば短いものもある。子どもが少年となり、やがて青年へと成長を遂げていくその過程を、この映画は観客に見せていく。それは言葉によって説明されるのではなく、外見の変化、そしてエピソードの数々によって示されることになる。観客は、観て、感じることによって、十二年をわずか166分のうちに体験することになる。

 この映画の上映時間は166分という長尺だが、これはまた十二年という長さを観客に追体験させるための重要な要素ともなっている。とはいうものの、十二年分のエピソードに166分という尺は決して長すぎるものではない。十二年分の映像素材を166分という尺にまとめるにあたっては、エピソード間に比較的大きな時間の経過が織り込まれ、そこには「行間」が生じることになる。映像を切って繋げるという意味での編集が映画全体の構成において大きな役割を演じているという点については疑いがないだろう。『ヴィクトリア』ではその「行間」が考えられ得る限り最小であるのに対して、『6才のボクが、大人になるまで。』では逆に最大であると言える。この点について、両者は正反対の方法論に基づいていると言えるだろう。長回しの究極形である『ヴィクトリア』と、切って繋げるという意味での編集が極めて重要な意味を持った『6才のボクが、大人になるまで。』が、2014年と2015年に相次いで発表され、批評的な成功を収めたことは大変興味深い。

 『ヴィクトリア』を観ると、「こんな映画をどうやってワンショットで撮影したのか」という純粋な感嘆が漏れるとともに、その圧倒的な臨場感に驚かされる。ワンショット撮影の映画では、通常の興行ベースに乗るような映画作品では当たり前の技術が使用できない。たとえば、登場人物たちに会話シーンによく見られる、話者の顔を交互に切り返して編集するショット・リバースショットもワンショット撮影では不可能だ。あるいは登場人物たちと適度に近く、適度に距離を置くという撮影も、『ヴィクトリア』では採用していない。カメラはほとんど常に、タイトルロールであるビクトリアの傍らにある。すなわち、観客は、観客というよりもむしろビクトリアの同行者として、悪夢のような2時間20分を「体験」することになる。この「体験」とは、近年人気を博している4D上映のアトラクション的なものではなく、あたかも自分が映画の主人公の傍らにいるかのような錯覚のことである。

 ラストシーン、ビクトリアはウェスティン・グランド・ホテル・ベルリンから出て、早朝のベルリンへと消えていく。もはやカメラは彼女を追わない。ビクトリアの姿は徐々に小さくなっていく。やがてエンドクレジットに切り替わるときには、観客は安堵のため息をつくに違いない。彼女とともにジェットコースターのような体験を経た私たちは、もはやビクトリアの前に立ちはだかるであろう新たな苦難を直視する必要性から逃れたからだ。そのことに感謝しつつも、私たちは140分を共有したビクトリアの幸運を祈ることしか叶わない。

1) ドイツ映画賞の受賞者に贈られるトロフィーには、ジョセフ・フォン・スターンバーグ監督の『嘆きの天使』(1930年、ドイツ)でマレーネ・ディートリヒが演じた役名と同じ「ローラ」という愛称がつけられている。なお、世界的ヒットとなったトム・テュクヴァ監督の『ラン・ローラ・ラン』(1998年、ドイツ)の主人公も同じ名前である。
2) なお、スペイン語では「v」の発音は[b]でなされるため、スペイン語の人名としての「Victoria」の日本語表記は、「ビクトリア」とするのが慣例となっている。そのため、ここでは映画のタイトルとしては日本での劇場公開時のタイトルである『ヴィクトリア』を、主人公の名前としては「ビクトリア」を併用する。
3) 長回しを多用した監督としては、テオ・アンゲロプロスを挙げることができるだろう。アンゲロプロスは、ロング・ショット(遠景の撮影)を長回しすることにより、あたかも絵画のようなシーンを映画の中に作り上げている。
4) 『ロープ』とは全く違った形での疑似ワンショット映画として、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年、アメリカ)を挙げることができるだろう。この映画ではあたかもワンショットで撮影されたかのようなシームレスを装った編集がなされているが、同時に、編集がなされていなければ不可能な映像であることも明示的である。
5) とは言うものの、筆者の観た限りでは劇中で明らかに編集がなされているのがわかる繫ぎ目があった。ジョーン・チャンドラー演じるジャネットが登場する場面では、カメラが登場人物の背中にパンあるいはティルトして暗転する前に場面が切り替わってしまっている。
6) 物語の冒頭では、早朝4時頃に物語が始まっていることが示唆される。しかし中盤過ぎの銀行襲撃が6時半頃であることが明示されるため、実際の物語開始時刻は、午前5時頃ではないかと推察される。

井口祐介(筑波大学大学院人文社会科学研究科文芸言語専攻〔一貫制博士課程〕在学)
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