「京都ドイツ語学研究会」へのお誘い (Y. Nishimoto)[J]   作成日:2014/09/07
「京都ドイツ語学研究会」という組織が生まれて、来年には創立30年になろうとしています。色々な困難を克服しながら、この研究会は現在なお不思議なほどの生命力を維持し元気いっぱいで存続しています。年3回開催される例会(研究発表会)も今年の5月には第83回を数え、会員数も100名前後を維持しています。
 1971年ドイツ留学から帰り、京都の立命館大学にドイツ語教師として就職した当時は、京都ではドイツ語学に関する情報はまるでありませんでした。日本独文学会やその京都支部に入会して初めて、京都ではドイツ語学の研究者が圧倒的に少ないことが分かりました。京都支部会の会員数は160名くらいいましたが、その中でドイツ語学と関係づけられる人は多くて5名ほどでした。 当時の京都の大学でドイツ語学科を持っていたのは、私の記憶によりますと京都大学、京都府立大学、京都外国語大学それに大谷大学と京都産業大学くらいのものでした。大学院生が多くいた大学は京都大学文学部だけでした。学科名はドイツ語学・ドイツ文学科と銘打っていましたが、ドイツ語学の教授陣が配置されることは一度もなかったとのことです(もったいないことですが)。

 まわりのドイツ語の先生方を見回してみるとほとんど全員と言っていいくらい文学の研究者です。ドイツ文学研究に関しては京都は素晴らしい研究者を輩出してきたことは、誇りにすべきことだと思いましたが、ドイツ語学に関心をもつ学生を育てる場が京都になかったことは何とも歯がゆい思いでした。京都の大きい私立大である同志社大や立命館大でもいわゆる「ドイツ語科」はありませんでした。 一方阪神の方では阪大、神戸大、大阪外大、大阪市大をはじめ私立大学の関大、関学、甲南大、大阪学院大など多数の大学でドイツ語学科がありました。

 78年、私が京都大学の教養部に移った時でも、ドイツ語学は散発的に研究されているだけで、研究者間の連絡網や情報交換の場がない状態が続いておりました。「ドイツ語学」というと「中世ドイツ語や古代ドイツ語そしてラテン語などを読める語学力」として理解していた方が多くいたことも確かです。

 86年、轡田・三島・上田三氏の論文「日本におけるドイツ語教育の状況をめぐって」が「ドイツ語教育部会会報」の別冊として発表されました。日本のドイツ語教育に「健全な規模縮小」を提案したこの論文は、教養科目としてのドイツ語を担当していた教員に少なからず衝撃を与えたと言えましょう。この論文に関しては賛否両論あったように記憶していますが、第二外国語の必要性の意味やその教授法の改善に関する研究が注目視されたのもこの頃であると言えましょう。

 このような状況のなか、京都を中心に「ドイツ語学」または「言語」そのものに関心を持っている研究者や大学院生にとって、せめて研究情報を効率的に取得し、それぞれ個人の研究テーマに生かせる場を作ろうとする機運が高まって行きました。その頃、私の研究室で、週に一回ほど集まって言語学の勉強会していた数人のドイツ語学やドイツ文学の若い研究者が中心になって「京都ドイツ語学研究会」の基本構想が練られました。研究会の立ち上げには、河崎靖(京大)、故 村上重子(京産大)、橋本政義(京外大)、岸川良蔵(鳥羽商船高専)、西本美彦(京大)の五人が発起人となり、第1回例会の場で「京都ドイツ語研究会」を発足させるために、関西の多くの関係大学やドイツ語教員に招待状を送りました。

 第1回研究会は昭和61年12月3日、当時の『ゲーテ・インスティトゥート・京都』で開催され、参加者から「会則」も認められました。特に会則の3.「本会はドイツ語学・ドイツ語教育およびこれらに携わるものが、相互の研究交流を深めることによって、それぞれの研究の充実を目指すとともに、相互の親睦をはかるものとする」は、例会(研究発表会)の運営の基礎となりました。第一回例会のテーマの中心をなしたのは、自由討論会「いま大学でドイツ語は必要か?」でした。この日に会員数は21名に増えました。

 例会は年に3回開催し、例会での発表内容は会報『京都ドイツ語学研究会会報』(B4で60-100頁前後)に発表しました。この会報にはそのほか研究論文や研究ノートそして書評などの掲載もしてきました。例会の発表テーマはドイツ語学やドイツ語教授法をはじめ、英語学、スラブ語学、日本語学等、とにかく言語に関係するテーマであれば、特別な制限は設けませんでした。ドイツ語学の研究者が、ドイツ語学だけの知識で満足しないで、自分の研究テーマ以外の分野の知識を深め、自分の研究に資するという考え方が自然と受け入れられていったと思います。今までに数え切れないほどの大学院生、非常勤講師、私学・国公立大学の研究者、日本を代表的するドイツ語・言語研究者のほか、著名なドイツ人の教授が例会を盛り上げてくれました。例会では個別研究発表のほか「シンポジウム」、さらには「言語学リレー講義」と称して、言語を問わず活躍されている先生方に講演をしていただくことも重要な取り組みの一つです。

 初めの頃の『会報』の原稿はワープロで書いてもらいました。大学のゼロックスで『会報』200部を作成できるほどの枚数を数人の世話役がコピーし、一冊分ごとに束ね、表紙と製本だけを印刷屋に頼むことにしました。『京都ドイツ語学研究会会報』の発行は2001年(第15号)でとりあえず最終号を迎えました。その段階では会員数92名とあります。『会報』は、2002年には本格的な研究会誌 『Sprachwissenschaft Kyoto』に引き継がれました。この会誌も2014年5月には第13号が刊行されました。

 研究会の誇るべき運営の一つは「会費」であるかもしれません。研究会の会費は会則により『本会の会費は年2000円とする。但し、大学院生は1000円とする』と規定されています。この会則は30年間一回も改正されていません。専任校のある方から2000円の会費をお願いし、一部賛助会員からは一口5000円の会費をお願いしています。会費を値上げしないために、ドイツ語関係の出版社から広告を掲載させていただき、会の運営、会誌の発行の費用としています。

 また会の運営は選挙で役員に選ばれた世話人代表1名と世話人7名で行われ、例会の開催、発表者の交渉、会誌の編集・発行、役員会の開催などすべてを原則交通費の支給もなしにボランティア精神で行って頂いています。今では『Sprachwissenschaft Kyoto』の印刷・製本を業者に回していますが、その費用を支払うだけで、ほとんどの収入は消えてしまします。不思議なもので、それでも会誌は会員にはもちろん、ドイツ語学科を設置している大学等に今でも配布できています。

 最新版の第13号を見てみますと、論文3本、例会発表要旨6本、言語学リレー講義要旨1本となっていまして、会員数100名となっています。この会が今まで続いて未だに
健在でいる理由は、先に記した会則3.の会の理念のほかに、会則4.の「本会はドイツ語学・ドイツ語教育およびこれらに関連する領域に関心を持つ研究者・大学院生等をもってその会員とする」という、入会の資格の幅をおおきく広げていることも、大きな理由かもしれません。定年などで脱会される人がいますが、毎年着実に数名の入会者がいることで会員総数はここ25年以上も100名前後で変化がないのは嬉しい驚きであります。

 この研究会には、もう一つ重要な活動があります。創立当時から止むことなく続けられている、いわゆる勉強会または読書会と呼ばれるものです。 月一回土曜日の午後を丸々使って行われるこの勉強会には平均10~15名が参加しています。 今まで、ドイツ語史、ラテン語、ギリシャ語、ゴート語、古高ドイツ語、初期新高ドイツ語の勉強のほかドイツ語学の理論書などの精読を行ってきました。現在では「ドイツ語史」と「ラテン語」の勉強が行われています。

 最後に付け加えておきたいのは、例会や勉強会のあとの懇親会です。懇親会とはいえ、実際にはこの場で腹を割った議論が展開されます。議論はドイツ語学ばかりではなく、言語学一般にまで及び、特に若い研究者にとっては、ある分野の代表的な研究者と直接意見交換や情報交換ができる貴重な場であり、欠かせない活動の一つと言えるかもしれません。
懇親会の費用の大部分は、専任校のある先生方にお願いし、院生や非常勤講師の負担を最小限にするという伝統は今でも守られています。

 この『京都ドイツ語学研究会』に関心をお持ちの方は、資格を問いません。「言葉が大好き」で結構です。研究会のホームページにお越し下さい。みんなでお待ちしております。 


西本美彦(京都大学名誉教授)