第56回ドイツ文化ゼミナールに参加して(M. Miyake)[J]   作成日:2014/07/07
第56回ドイツ文化ゼミナールは、2014年3月23日から29日の間、リゾートホテル蓼科にて開催された。私自身、ドイツ文化ゼミナール(通称「蓼科ゼミ」)への参加は2回目だったが、前回(2012年)はアートランドホテル蓼科が「リゾートホテル蓼科」としてリニューアルを迎える前の休業中の時期にあたった為、開催地は葉山。つまり、今回初めて「蓼科」ゼミへの参加がかなったことになる。ホテルはロビーも宿泊部屋も広間も広く、何より良かったことは、個々の部屋のみならず、ロビーのソファ、喫茶室のテーブルなど、テクストの予習をできる場所が提供されていることだった。普段から自室よりも喫茶店などでのほうが気分が変わって作業がはかどるタイプの私は、ほとんどの予習作業を喫茶室の静かでくつろげる空間で、コーヒーをすすりながら(500円と少しお高めであったが)進めることができた。また、恒例の夜の飲み会では、喫茶室に隣接しているバーカウンターのある部屋で毎晩さまざまな人と(深い時間まで)語り合うことができる。とにかく、ホテル内の設備を空間的、時間的にかなり自由に使わせてもらえることに驚いた。
今回のゼミナールは、„Nachleben der Toten“というテーマのもと、ベルリン・フンボルト大学のUlrike Vedder教授を招待講師に迎え、全国から教員、講師、博士課程・修士課程の学生など、実行委員も含めて50名以上が参加した。今回は学部生の参加者もいて、幅広い世代間での交流が可能になったといえる。プログラムは、a) Vedder教授の講演が計3回、b) 参加者からの講演および短い発表、c) グループワーク、d) 映画、記録映像鑑賞などのAbendprogrammという形で構成されていた。そもそも私は3月24日に別の会合が入ってしまっていたため、3日目の25日からの参加となり、Vedder氏の講演については最終日以外の2回分を逃してしまった。全体のテーマ„Nachleben der Toten“に関する問題設定などの導入を共有できなかったことは残念だったが、それでも3日目以降他の参加者と共に議論を交わすことで追いつくことはできたように思う(急な事情で途中参加に変更になったにもかかわらず柔軟にご対応いただき、なおかつ全日参加できなかった私にこのようなコラムを執筆させていただける機会をくださった実行委員の方々には心より感謝している)。

参加者による各講演では、各自のテーマや専門分野における生者と死者の関係や死者のモチーフについての興味深い話が聞けた。「死者」という題材をとおして浮き彫りになる探究テーマは、「自然」「記憶」「モノ(Ding)」「遺言」「戦争」「震災」など多岐に渡った。「かつてあった(いた)」が今は「失われたもの」、そしてそのあとに「遺されたもの」と、生きているわれわれがどのように向き合うのかという問題、またそもそもそれと向き合うことの(不)可能性の問題が、すべてのテーマに共通していたように思う。各講演につき質疑応答の時間が比較的長めに設定されていることも生産的であった。批判的なものも含め、多方面からの質問や指摘、補足情報などが飛び交うこのような時間が、一番刺激的である。まだ蓼科ゼミで発表の経験の無い私は、質問者と講演者のやりとりを聞きながら、自分がこのように難解かつ核心を射た質問を受けたらどうするだろう、と心の中でシミュレーションしてみることができた。講演とは、テクニックを要する行為である。その点で経験の浅い私などのような者には、どのような論理立てで議論を進め、質問や指摘にはどのように対応するか、またどのように聴衆を惹きつけるかなど、大いに学ぶところがあった。中には、講演の中に時折巧みにユーモアを織り交ぜ、冗漫になりそうな議論に再び注意を喚起させるような講演者もいた。ゼミナール期間中10人以上の講演を聴くことができる利点は、テーマについての理解の深化もさることながら、研究者としてのテクニックを学ぶという実践的なところにもあると実感した。

グループワークについては、個々のグループが読むテクストが事前に提示され、参加者はそれを見てどのグループに参加したいかを事前に申し込み、それを基に各日A, B, C, Dの4つにグループ分けがされる。第三希望まで出せるようになっているので、第一希望どおりにいかない場合でも、比較的興味の対象のグループに入ることができる。各グループ毎にあらかじめ読んでおくべきテクストが複数(メインとなる対象テクストの他に、数点のOrientierungstextが)設定されているため、予習はだいぶ大変だが、そのかわり普段自分の研究だけでは触れることの少ない類のテクストも精読する良い機会である。そしてそこには思わぬ出会いもあったりする。私の場合、一昨年の葉山ゼミのグループワークで読んだテクストが、図らずも大きな刺激となり、その後修士論文を執筆するうえで重要な論点を与えてくれた。

グループワークは全部で4回行われ、各回に4グループ(A~D)共通のテーマが与えられている。今回の場合は、
1日目:„Generationenromane“
2日目:„Kommunikation mit den Toten“
3日目:„Das kulturelle Erbe und bildliche Erinnerung“
4日目:„Testamente und letzte Worte“
という内容になっていた。また、10人前後の各グループには議事進行役を務めるグループリーダー(Gruppenleiter/in)が1人決められており、彼/彼女は課題となるテクストについての問題提起をしたりさまざまな意見のまとめなどをして、議論の活性化を試みる立場にある。たいていはそのテクストや作家についての専門知識のある参加者がリーダーに任命されることが多いが、それにしても大変な役目である。グループリーダーはテクストやその周辺の事情をあらかじめ簡単に調査し、ゼミナール開催前にグループ参加者に1~2ページのガイドラインをメーリングリストで共有してくれた。そのガイドラインには作品テクストの背景や全体テーマとの関連性、投げかけうる疑問点、想定される論点などが提示されており、予習をするうえで大いに役立った。実際のグループワーク時の議事進行の方法は、個々のリーダーによって様々だった。一人一人順番に意見を聞き、全員が意見を表明することになる方法、リーダーが質問や意見を発し、それに対する意見やコメントが自発的に出てくるのを求める方法など。どの方法がそのグループに適しているかは参加者のタイプや扱うテクストの性質にもよるので難しい判断になるが、活発な議論が成立するか否かはリーダーだけではなく、議論を構成する参加者全員の責任である。その点において、私が参加したどのグループについても、開始から30分ほどは皆が手探り状態で議論を進め、意見もポツリポツリと出るほどであっても、誰かから刺激的な意見が出ると、それが誘発剤のように働き、さまざまな意見が他の参加者からも湧き出てくるという瞬間が生まれた。自分とは異なる意見を交換し合う楽しさがそこにはあった。そして、Vedder教授はその最中、4グループを順番にまわり、各グループの議論に少しずつ参加してくださった。他のグループを抜けて途中から入ってきても、こちらのグループで何の議論がされているのかを瞬時に把握し、それについて当意即妙な指摘・コメントをはさんでくださるあたりは流石であった。

グループワークの中でも私にとって特に刺激的だったのは、2日目の„Kommunikation mit den Toten“だった。それは、私が参加したグループが難解極まる文章で名高いエルフリーデ・イェリネクによる小説„Die Kinder der Toten“を読解対象としていたことにもよる。演劇学を研究する者として「死者」という題材を取り扱うにあたっては、それがどのように語られうるかという問題もさることながら、それがどのようなイメージで現われるかという問題にも強い関心がある。その点で、イェリネクのテクストは決して描写的に死者の姿を提示するものではないが、その複雑な言葉のコラージュの奥におぼろげに感じられるイメージ(アレゴリーといってもいいか)というものがあった。グループの議論の中で、イェリネクのテクストについて「パフォーマティブなものの挑発(Provokation des Performativen)」という言葉が出てきたが、ゼミナールで読んだ他のテクストが、死者にまつわる事柄を比較的言語による意味の作用によって語ろうとしている印象を受けたのに対し、イェリネクのテクストには確かに読む者に対するパフォーマティブな効果があるように思われた。そのことに気づくことができたのも、グループでさまざまな観点からの意見を聞いたゆえである。もしも1人でこのテクストに対峙していたら、その難攻不落ぶりに匙を投げていただろう。「このテクストは難しい」、そのことを皆で共有しながら、それでもその中から少しずつそのテクストのエッセンスを抽出していく。それがグループワークの醍醐味だ。

3日目と5日目の夜には、それぞれAbendprogrammとして映画を鑑賞した。3日目の夜に観たのはハインツ・リューマン主演の映画„Lachende Erben“(1933)であった。広大なワイン農園とワイン製造会社、および莫大な財産を残して逝去した父親が残した「条件付き」の遺言(レコードによって父親自身の肉声で伝えられる)によって、大きな騒動に巻き込まれることになる息子(リューマン)とその周囲の人々をめぐるコメディで、死者の言葉(遺言)と遺産に振り回される人々の悲喜こもごもが滑稽に描かれた大変に愉快な映画になっている。5日目の夜の映像は打って変わって深刻なもので、ヒトラーの秘書であった女性Traudl Jungeの証言を記録したドキュメンタリー映画„Im toten Winkel“であった。地下壕に入ってから最期を迎えるまでのヒトラーの様子とその周辺の出来事を時に落ち着き払って、時に感情的に語る元秘書の姿をカメラは淡々と映している。これを観て、何を感じればいいのか、どう判断すればいいのか、観る者を戸惑わせるような映像だった。あまりに多くの死が関わった出来事を前にした時の人間の無力さ、判断力の無さを追体験させられているような感覚を覚えた。

 4日目はRuhetagとして夕食まで自由に過ごせる時間が提供された。この時間には近隣の観光スポット(酒造工場やそば打ち体験など)を巡るツアーも組まれていた。私は私用の作業があったため残念ながらツアーには参加できなかったが、その代わりホテルの周りの彫刻庭園や湖の近くを散歩でき、テクスト読解で疲れた身体をリフレッシュできた。もちろん、この間に後半のプログラムに向けた予習も十分にできる。

 蓼科ゼミの大きな魅力の一つは、やはりなんといっても全国あるいは世界の独文学者、先生方、学生と知り合えることである。事実、私も一昨年度の葉山でのゼミナールで知り合った方々との再会を果たすことができ、互いの研究やキャリアの進捗を報告し合えることを嬉しく思った。食事(朝・昼・夕)の席で相席になった人と情報交換をしたり、共通の知人の話で盛り上がったりなど、自分の交流の輪が広がっていくのは楽しいものである。今回の招待講師であるVedder教授やそのパートナーのErik Porath氏も非常に温かい人柄で、Porath氏などは私が演劇学研究のテーマとする「リズム」について参考になるであろうと、ご自身が編纂した論文集を数点紹介してくださった。今回私にとって特に良かったのは、今夏に留学をひかえた身にとって、多くの留学経験者の方に経験談、アドバイスをいただけたことだった。留学に向けて、期待と共にいいようのない不安を抱えていた私には、諸先輩方の心強い励ましやエールの言葉はとても有難かった。また夜の飲み会の席では、頑張ってドイツ人の輪の中に入ってみる。普段より聞き取り能力の弱い私だが、酔いが回って普段以上に早口になったドイツ人たちの会話の内容は、理解できても60%程度。それでも、こちらもお酒の力を借りて陽気になり、会話に入っていけるのだから不思議だ。

思えば、私が知っている他大学の研究者仲間や先生方の多くは、蓼科ゼミがきっかけで知り合った。蓼科ゼミは、「集まる」ということのダイナミズムと生産性を肌で感じることができる場であると思う。しばらくの間日本を離れる私としては、今よりも一回りも二回りも大きくなり、立派な研究成果を発表できるようになって、いつかこの場に戻ってきたいものである。その暁には、旧知の皆様、そして未来の若手研究者の皆様、蓼科で逢いましょう。


三宅舞(慶應義塾大学文学研究科独文学専攻博士課程2年)  
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