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「ドイツ語教育・学習者の現状に関する調査(教員・学習者向け)」実施に寄せて(Y. Takaoka)[J]

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外国語教育コラム
  投稿日: 2014-6-3 9:24
高岡佑介 (南山大学)
 アンケート調査とは、つくづく厄介なものだ。昔からそう思っていた。

「調査へのご協力をお願いいたします」
 手元に届いた調査票の冒頭にはそう書かれている。お願いされてもそれに従う義理はないのだが、頼まれた手前むげに断ることもできず、どこか釈然としない気持ちを抱えたまま、用紙をめくり回答を記入していく。しかし、決して少なくはない質問に答えていくうちに、こちらは時間と労力を失うばかりでほとんど何も得るところがないことに気づく。アンケートのなかに、回答者の側から見て質問の意図が不明瞭であったり、質問の順序がちぐはぐであるように感じられる箇所があると、どのように回答したらよいかと考えこんでしまう。だんだん回答に時間がかかっていること自体が不条理に感じられ、質問の数も必要以上に多いような気がしてきて、しだいにげんなりしてくる。
 このアンケートに答えるのは本当に自分でなくてはならないのか。そんな疑問が頭をもたげる。よく考えてみたら、自分以外にもたくさんの人のもとに同様の調査票が届けられているはずだ。全員とはいかないまでも、きっと大勢の人から回答が寄せられるだろうから、いま自分がこのアンケートへの回答を放棄したとしても調査を実施する側はそれほど困らないのではないか。回答が一件減ったからといって、調査自体に大きな支障が生じるとは思えない。
 そもそも、いま自分が記入しているこの回答は最終的に何の役に立つのだろうか。調査結果はデータの分析後、報告書としてまとめられ公表されるそうだ。希望者には結果の概要が知らされるらしい。しかしこちらはたまたま回答を依頼されただけで、もともと個人として調査のテーマに関心があるわけではないので、フィードバックをもらってもあまりうれしくない。回答者という立場で時間と労力を割いて調査に関わる者としては、調査結果が社会的に有意義な仕方で利用されれば本望であるが、実際には当該のテーマに関心を持つ一部の人びとにのみ参照されるだけで、調査報告書も時間が経てばすぐにお蔵入りしてしまうのではないかと、ついつい悲惨な末路を想像して、暗澹たる気分になる。
 あれやこれやと自問自答を繰り返しながらも何とか回答を済ませ、記入漏れがないか確認した後、調査票を返信用封筒に入れる。出来上がりだ。しかしまだ終わりではない。回答済みの調査票を持って待っていても、誰も取りに来てはくれない。アンケート用紙の返送も、調査協力者がおこなわなければならないのだ。
 外に出て、回答済みの調査票が入った封筒を投函しようと郵便ポストの前に立つ。はて、自分は何の因果でこんなことをしているのだろう、今日は他にたくさんやることがあった気がするけど何だったかなと、もやもやした疑問が頭をよぎる。そんな想念を振り払い、とにもかくにもせっかく手間をかけて調査に協力したのだから、得られたデータはぜひとも有意義なかたちで活用してもらい、しっかりとした成果につなげてほしいと願いながら、返信用封筒をポストに投函する。

                              *

 このように、私はアンケート調査を依頼される度、調査を実施する側と比べて調査に協力する側の負担が際立って大きく感じられてしまい、「ああ面倒くさいな」という気持ちを抱いていた。
 今回、ひょんなことから「ドイツ語教育・学習者の現状に関する調査委員会」(以下、「調査委員会」)に加わり、調査の企画・準備から実施に至る一連のプロセスを間近で見ていて痛感したことがある。それは、アンケート調査とは、初発の構想の段階から微細な注意を要する作業の連続であり、調査に協力する側と同様、調査を実施する側にとっても骨の折れるものであるということだ。
 ここでは調査委員会の業務に従事するなかで、とくに印象に残った三つの点について述べることにしよう。
 第一に、調査票を作成する過程で、調査項目の選定と、回答の際に調査協力者にかかる負担とのバランスを取ることに苦心した。言うまでもなく、調査項目はリサーチ・クエスチョンに基づいて決定される。調査項目に応じて、適切な回答形式を持った、必要にして十分な数の質問文を用意し、それらを回答者にとってもっとも負荷が少ないと思われる順番で配列する。これを調査票作成における基本方針とした。しかし実際に調査票を設計していく過程では、ある程度議論がまとまる度に、関連の深い、一定の重要度を持つように思われる調査項目や設問のアイディアが次々と提案された。学術研究に携わる者なら、新たな意見や案が出されているのだからうれしい悲鳴を上げるところなのかもしれないが、繰り返される議論とその都度おこなわれる修正作業に疲れ果てた人間にそのような心の余裕はない。新しい提案がなされる度、修正によって調査票の構造が歪まないように、設問の流れが悪くならないようにと、ずいぶん骨を折った。調査委員会では、回答者があれこれ考えこまずにすむような、「なめらかな」調査票の作成を目指した。その努力がいくばくかでも反映されていることを願うばかりである。
 第二に、今回調査票をお送りするドイツ語教員・学習者の方々に調査への協力をお願いすることが決まるまで、陰に陽にたくさんの方から助力を受けた。調査対象の選出は、多くの方の協力の上に成り立っている。こうした支援に応えるためにも、一人でも多くの回答者からデータを得ることを目指して、調査実施の準備が進められた。
 第三に、調査の結果は報告書のかたちでまとめあげ、誰でもアクセスできるようにウェブ上で電子データとして公開することが調査委員会発足当初から取り決められていた。この決定の背景には、調査により得られた知見は広く社会で共有されるべきであるという認識がある。今回のアンケート調査の目的は、ドイツ語教育の実態について信頼のおけるデータを獲得することだ。それによって目指しているのは、今後のドイツ語教育のあり方について共同で検討する際に、各自の意見形成の材料として誰もが利用できる資源を作り出すことである。調査結果はそのような社会的利用に資するものでなくてはならない。

                              *

 以上、調査委員会での経験を振り返って、思いついたことを書いてみた。あまり長々と書くのも憚られるので、このあたりで筆を置こうと思う。調査票の設問数と同様、文章も必要にして十分な量にまとまっている方がよい。

「調査へのご協力をお願いいたします」

 何度も目にしてきたこの言葉を、今度は自分が言う番になった。
 しかし、最初に述べたとおり、私はアンケート調査に対して人一倍大変さを感じている人間である。とにかくアンケート調査を大変だと思う気持ちでは人後に落ちない。
 調査協力をお願いする関係者の方々にかける負担は、決して小さなものではない。そのことを考えると、調査への協力を積極的に呼びかけることには若干のためらいを覚えてしまう。けれども調査実施の準備に携わった者としては、一件でも多くの回答が寄せられることを切に願っている。
 公式には、協力を積極的に呼びかける立場を取るべきなのだろう。しかし私が筆を執っているということは、少なくともこの場においては、公式的な性格はあまり意識しなくてよいということである。
 そこで、調査への協力を切望しながらもどこかで躊躇してしまうどっちつかずの今の気持ちに素直に従い、次の言葉をもって本コラムを締め括ることにしたい。

「調査へのご協力を、過度な負担にならない範囲で、ぜひともお願いいたします」

 一人でも多くの方から回答をいただければ、幸甚の至りです。


高岡佑介(南山大学)
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