モルゲンシュテルン没後百周年に寄せて(N. Miyauchi)[J]   作成日:2014/04/09
2014年の今年、クリスティアン・モルゲンシュテルンの没後百周年を迎えた。詩集『絞首台の歌』(Galgenlieder)で知られるこのドイツの詩人は、普仏戦争の終結した1871年に生まれ、第一次世界大戦が始まる年の3月に亡くなった。
いわゆる「真面目な」詩もたくさん書いたけれども、モルゲンシュテルンといえばやはり、『絞首台の歌』に代表される、愉快な言葉の響きと楽しい言葉遊びに満ちた諧謔詩であろう。一世紀を経た今なお、ドイツ人ならその一つや二つを暗唱できるといわれるほど愛され続けている。

モルゲンシュテルンの詩の魅力はドイツ語そのものと大きく関わっているので、翻訳では伝わりにくい。そのため日本では、彼の名は一般に知られているとは言い難い。しかし昨今、モルゲンシュテルンの『絞首台の歌』的な世界とのつながりを感じさせるものを、我が国でも目にする機会が増えたような気がする。そこで没後百周年にかこつけて、21世紀の日本で『絞首台の歌』を読む意義を唱えてみたい。

その前に、まずは『絞首台の歌』の成立の発端から話を始めよう。

1895年、モルゲンシュテルンは七人の友人と連れ立って、ポツダム近郊のヴェルダーにある、当時ガルゲンベルク(絞首台山)と呼ばれていた丘に遠足に出かけた。そこで彼らはその地名にちなんだ結社を作ることを思いつき、参加者は絞首台兄弟(Galgenbrüder)と称するようになった。互いにRabenaas、Schuhu、Veitstanzなどという変名で呼び合い、居酒屋で怪しげな儀式を執り行った。こんな若者たちの悪ふざけの場から『絞首台の歌』の一連の詩は始まった。次に示すのが、その名も「絞首台山」(Galgenberg)という詩である。

  Blödem Volke unverständlich
  treiben wir des Lebens Spiel.
  Gerade das, was unabwendlich,
  fruchtet unserm Spott als Ziel.

  Magst es Kinder-Rache nennen
  an des Daseins tiefem Ernst; –
  wirst das Leben besser kennen,
  wenn du uns verstehen lernst.

  愚かな連中にはわかるまいが、/我らが為すのは人生の遊び。/この世の必然こそが/我らが嘲笑の的となる。
  子供の復讐とそしられようと/これぞ存在の奥底の真面目。/君も人生がよりよくわかろう、/もしも我らの理解を学ぶなら。

詩集『絞首台の歌』の序文の中で、モルゲンシュテルン自身が「絞首台の歌の成り立ち」と題して次のように述べている。
 
  「絞首台の詩は一つの世界観を示すものだ。締め出されたもの、脱物質化したものの何はばかるところのない自由が表現されている。登録前の大学新入生は、ご存知のように、高校生と大学生の間のうらやむべき過渡的段階だ。絞首台兄弟は人間から宇宙へのうらやむべき過渡的段階だ。まさにそういうこと。絞首台からは世界がちがって見えるし、他の人々とはちがうものが見える。」

モルゲンシュテルンと友人たちによる絞首台兄弟の活動は楽しそうである。伝わってくる雰囲気は、少年たちの秘密基地の遊びのようでもあり、そのような場がきっかけとなって作られた詩集が「人間の中の子供へ」捧げられているのも納得がゆく。

「人間の中の子供」は、当の人間が何歳になっても生き続けられる。モルゲンシュテルン自身は42歳で世を去ったので、老いた人間の中にも子供が生き続けることを実感できずに終わってしまったが、筆者はモルゲンシュテルンの享年をいつの間にやら越えて加齢を続ける自らの中に、子供が生き続けているのを折りにふれ感じるし、近年、定年を迎え街に再び繰り出してきた団塊世代、とりわけ何十年間も会社人間だったらしい初老の紳士方が男同士でグループを組んで楽しそうにしている様子をしばしば目の当たりにするにつけても、その感を強くする。定年後、つまり仕事を辞めたあとの人間は、自らの内の子供を躊躇なく解放できるのだろう。

モルゲンシュテルンの詩に「幼児性」を見て取るのは容易だが、それはその詩が「人間の中の子供」に捧げられているのだから当然ともいえる。つまり、いわゆる大人が持つべきとされる興味の方向から外れている。幼児は身近にある物で――例えば(これはモルゲンシュテルン自身が挙げている例だが)クルミの殻を船に見立て、そこに鳥の羽根で帆柱を立て、砂利石を船長だと思って――遊ぶのを好むが、大人はとにかく重厚強大な材料と莫大な資金を動かして、巨大タンカー、巨大ビル、巨大プラントを作りたがる。そしてそれを仕事にして必死になって行う。とりわけ日本の高度経済成長期はそんな傾向があったと思う。21世紀の日本はもはやそういう社会ではない。低成長で草食系である。想像力を駆使して身の丈に合った遊びを生み出す「幼児性」は倹約の精神とも結びつき、それは現代人に欠かせないエコロジーの精神と重なる。そういう意味からも、モルゲンシュテルンの『絞首台の歌』の世界は現代日本にマッチしていると思う。

この3月初めに、クラフト・エヴィング商會の「星を賣る店」展(於:東京・世田谷文学館)を訪れる機会があった。そこに展示されていた細々した物、説明書きがなければ単なるガラクタにしか見えないようなさまざまな作品に、モルゲンシュテルンの世界と通じる感性の存在を感じた。モルゲンシュテルンは玩具の展覧会に胸を躍らせたという。「現実よりは幻想が、実物よりは模型が、彼のなかの永遠の子供を魅惑してやまなかった」と、今は亡き種村季弘氏は『ナンセンス詩人の肖像』の中で書いている。「星を賣る店」展には若い人が大勢訪れていた。

ハラルト・シュテュンプケなる科学者による『鼻行類:新しく発見された哺乳類の構造と生活』という謎の生物学報告書がある。そこで取り上げられたNasobēm(鼻行類)を始め、Steinochs、Wasseresel、Dreiachtelhase、Mondschafなど架空の動物を多種生み出したモルゲンシュテルンは、「動物服を着て」(Im Tierkostüm)という詩も書いている。

  Palmström liebt es, Tiere nachzuahmen,
  und erzieht zwei junge Schneider
  lediglich auf Tierkostüme.

  So z.B. hockt er gern als Rabe
  auf dem oberen Aste einer Eiche
  und beobachtet den Himmel.

  Häufig auch als Bernhardiner
  legt er zottigen Kopf auf tapfere Pfoten,
  bellt im Schlaf und träumt gerettete Wanderer.

  Oder spinnt ein Netz in seinem Garten
  aus Spagat und sitzt als eine Spinne
  tagelang in dessen Mitte.

  Oder schwimmt, ein glotzgeäugter Karpfen,
  rund um die Fontäne seines Teiches
  und erlaubt den Kindern ihn zu füttern.

  Oder hängt sich im Kostüm des Storches
  unter eines Luftschiffs Gondel
  und verreist so nach Ägypten.

  パルムシュトレームは、動物の真似をするのが好きだ。/二人の若い仕立屋を/動物服だけに習熟させる。
  たとえば、カラスになって/柏の高枝にとまり、/空をにらむ。
  またしばしばセントバーナードになって/たくましい前足の上に毛むくじゃらの頭を乗せて、/迷い人を救った夢を見て吠える。
  あるいは細縄でできたネットを/庭に張り蜘蛛になって/日がなそのまん中に座ってる。
  あるいは泳ぐ、出目金が/池の噴水の周りをぐるりと。/そして子供たちに餌を投げさせる。
  あるいはコウノトリの扮装で/飛行船のゴンドラにぶら下がり/エジプトあたりまで旅に出る。

この詩を読むと、近頃隆盛を極めて、ここかしこで見かけるようになった着ぐるみによるご当地キャラ(ゆるキャラ)たちを思い出さずにいられない。かつて、縫いぐるみなどは大人の社会とは縁のないものであった。少なくとも、大人になったらそんなものには無関心を装うものとされていた。工業技術の発展で豊かになった現代社会は、人間の中の子供、すなわち幼児性を発現しやすくなったともいえそうだ。

「菓子パンの包み紙」(Das Butterbrotpapier)という詩は、現代の脳科学、生命科学の進展を見通していたようにも取れる。モルゲンシュテルンの時代には絶対であったろう、人間の精神だけは特別という「人間中心主義」を考えると画期的である。この詩は長いので前半部分のみ以下に掲げる。

  Ein Butterbrotpapier im Wald, –
  da es beschneit wird, fühlt sich kalt...

  In seiner Angst, wiewohl es nie
  an Denken vorher irgendwie

  gedacht, natürlich, als ein Ding
  aus Lumpen usw., fing,

  aus Angst, so sagte ich, fing an
  zu denken, fing, hob an, begann,

  zu denken, denkt euch, was das heißt,
  bekam (aus Angst, so sagt’ ich) – Geist,

  und zwar, versteht sich, nicht bloß so
  vom Himmel droben irgendwo,

  vielmehr infolge einer ganz
  exakt entstandnen Hirnsubstanz –

  die aus Holz, Eiweiß, Mehl und Schmer,
  (durch Angst), mit Überspringung der

  sonst üblichen Weltalter, an
  ihm Boden und Gefäß gewann –

  [(mit Überspringung) in und an
  ihm Boden und Gefäß gewann.]

  菓子パンの包み紙、森の中、――/雪に包まれてしまい、寒い……
  不安になって、決してこれまでは/何事か考えるなんて
  なかったけれど、紙きれでできたものとしては/それも当然のことだけど、
  不安のあまりなんだ、考え/始めたんだ、考えようと
  し始めた。どういうことだと思うかい、/精神を得たのだ(不安のあまりに)、
  それも、もちろん、単に/天のどこかからではなく、
  それよりもまったく/まさに生成した脳物質の作用で――
  それはパルプ、蛋白、粉、脂肪が、/(不安から)ふだんの
  世界の年代を飛び越えて、/そこに出現したもの――
  〔(飛躍によって)その包み紙に/出現したもの。〕

冒頭でも記したように、モルゲンシュテルンの詩の魅力は言葉の響きそのものの面白さと言葉遊びに拠るところが大きいので、原語であるドイツ語でないと十全に味わうことができない。つまり日本語に翻訳できない要素にこそ魅力の大きい部分がある。例えば『絞首台の歌』の中でもとりわけ有名な一篇Der Gingganz。以下に引用するので、ドイツ語を解する皆様にはぜひ声に出して読んでみていただきたい。

  Ein Stiefel wandern und sein Knecht
  von Knickebühl gen Entenbrecht.

  Urplötzlich auf dem Felde drauß
  begehrt der Stiefel: Zieh mich aus!

  Der Knecht drauf: Es ist nicht an dem;
  doch sagt mir, lieber Herre, – : wem?

  Dem Stiefel gibt es einen Ruck:
  Fürwahr, beim heiligen Nepomuk,

  ich GING GANZ in Gedanken hin...
  Du weißt, daß ich ein andrer bin,

  seitdem ich meinen Herrn verlor...
  Der Knecht wirft beide Arm’ empor,

  als wollt’ er sagen: Laß doch, laß!
  Und weiter zieht das Paar fürbaß.

  長靴が従者と歩く/クニッケビュールからエンテンブレヒトへと。
  はなはだ出し抜け、野に出たところで/長靴の命令、「わしを脱がせろ!」
  従者、答えて「これは異なこと、/旦那様――どなた様からで?」
  これには長靴ぎくりとなる。/「まったくだ、聖ネポムーク様、
  拙者ギングガンツは上の空……/知っての通り、わしも人が変わってしもうた。
  ご主人様を失くしてこの方……」/従者は両腕差し上げる、
  「お気になさいますな」とでも言うように。/そしてこの二人組、先へと進む。

なんとリズミカルなこと。14行にわたって続くヤンブス四詩脚が、長靴と従者(靴脱ぎ台)の二人が連れ添ってテクテク歩くさまを言葉の響きからも伝えてくれる。ドイツ語を解する喜びをあらためて感じていただけたのではないだろうか。

ドイツでは詩人の没後百周年を記念していろいろなイベントが企画されているが、朗読や音楽がらみの、耳に訴えるものが多いのは、上で繰り返し述べたようなモルゲンシュテルンの詩の特徴を反映しているのだろう。

この詩人はその長いとはいえない生涯を、特定の地に居を定めずに過ごした。ドイツ内のみならず、ノルウェー、スイス、イタリア等の各地を転々とした。宿痾だった結核の療養のためという理由もあろうが、そういう性質(たち)でもあったのだろう。理想の住まいを問われて「テント」と答えたと伝わっているし、長年の友人の一人は、モルゲンシュテルンが一年間の賃借契約にサインするのをためらっているのを見たと証言している。一所にしばりつけられるのを恐れたらしいのだ。そういう詩人であるから、初の自らの文学館の開設を喜ぶかどうか断言はできないが、没後百周年を記念して、『絞首台の歌』発祥の地ヴェルダーに常設の展示施設がこの3月にオープンし(正確には、ごく小規模な展示室が2007年に作られ、それを拡大整備)、併設のギャラリーではこの一年を通してモルゲンシュテルンをテーマにした展覧会チクルスが開催されるという。

モルゲンシュテルンが晩年傾倒したルドルフ・シュタイナーの人智学協会でも、命日(3月31日)に近い3月最後の週末に記念集会(講演、朗読、歌やオイリュトミーの上演など)を行なった。また、人智学的なセラピーを行う保養施設というものが、世界にどのくらい存在するのか筆者は知らないが、カナリア諸島にあるそのような施設で、没後百周年を記念したワークショップ型の催しがやはり3月に開かれたようである。

文中繰り返し、モルゲンシュテルンの詩の翻訳の難しさを述べたが、まとまった訳書としては、種村季弘氏による70篇ほどの翻訳を収めた『絞首台の歌』(書肆山田、2003年)が公刊されていることを記しておく。また筆者のウェブサイトでもモルゲンシュテルンのコーナーを設け、目下のところ37篇の詩の拙訳などを掲載している。一度訪れていただけると嬉しい。

宮内伸子の「驚異の部屋」、第2室:クリスティアン・モルゲンシュテルン
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/Deutsch/miyauchi/morgenstern.html

宮内伸子 (富山大学)