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うずめ劇場『レオンスとレーナ』東京公演 (K.Sanada)[J]

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演劇批評
  投稿日: 2005-11-24 23:58
真田 健司(中央大学)
うずめ劇場の『レオンスとレーナ』(ゲオルク・ビューヒナー作、藤沢友/ペーター・ゲスナー演出)東京公演の最終日を観た。小劇場の金曜ソワレといえば、多少空席が目立つくらいが普通だ。ましてや、『ダントンの死』や『ヴォイツェク』よりもマイナーな「古典」作品が、どれだけ客を呼べるのだろうと思っていた。あに図らんや、階段席上の黒いクッションはびっしりと尻で埋まり、定員120の芝居小屋は戸外の秋風を忘れさせる熱気に満ちた。
劇団主宰のゲスナーは1962年ライプツィヒ生まれ。1993年より北九州を中心に演劇活動を続け、第1回利賀演出家コンクール最優秀演出家賞などを受賞している。彼のいわば一番弟子であり、看板役者でもある藤沢が、今回は脚本・演出・主演(レオンス役)の3役をこなしている。

岩淵達治・飯吉光夫両氏の訳を参照しつつ、藤沢とゲスナーが「議論を重ねて手作りで訳出し、構成」したという上演台本は、意外なほど原作に忠実であった。それでいて、飽食の隠喩としての「4ポンドの種入りサクランボウ」を「日本中のラーメン屋」のハシゴにパラフレーズするあたり、言葉を演じ手と観客の感覚に引き付けようという苦労が偲ばれる。しかし来るべき怠惰の楽園を象徴するの「マカロニとメロンとイチジク」が「寿司とステーキとマスクメロン」に化けたからといって、それ(だけ)でビューヒナーの世界が我々に身近なものとなるわけでもない。最大の問題は、王子レオンスの饒舌や道化役ヴァレーリオ(地曵宏之)の地口が、テクストを律儀に辿ろうとするあまり、ひたすらその表面を滑っているように聞こえること。23歳で夭折した叛逆的劇作家に対して、脚本・演出は少々遠慮しすぎたのではないだろうか。

「なぜいまこの作品を?」という問いが無粋なら、「あなたたちが語りたい物語とは?」という問いに対する答え、少なくともその手がかりがもっと欲しい。存在の耐えられない退屈さに病む王子の「理想を求める旅」――その目的地は原作にいうイタリアでも、玄奘の目指したガンダーラ(藤沢)でも、香田証生が殺害されたイラク(ゲスナー)でもいいだろう。それより、彼(ら)がいま立っているのはどこなのか? その「いま・ここ」が共有できさえすれば――たとえそれが誤解や幻想だったとしても――演劇は成功するのだが。

この問いに最も主体的に取り組んでいたのは、レーナ役の後藤ユウミであったようだ。「行くあてはないけど、ここには居たくない」という歌詞の一節を本公演のコピーとして選んだ彼女は、ロマン主義的世界苦を背負う王女に、「元リストカッター」である自分自身を読み込んだ(公演プログラムで言及されている「自傷行為」は、むしろ『レンツ』の主人公を思わせるが)。しかしこうした「主体的」解釈が、演出全体の中でいかなる位置を与えられているのかが見えないため、結果としてやや浮いてしまった感は否めない。

「いま・ここ」を問うことは、おそらく「私/あなたは何者か?」と問うことと同義なのだろう。劇の冒頭で王子が自分自身を「ニート」と呼んだとき、この意味で脳裏をよぎった『レオンスとレーナ』の舞台がある。1996年、ベルリーン・フォルクスビューネの天井裏の稽古場。役者たちは“Obdachlosentheater Ratten 07”というホームレス集団で、上演は彼らの社会復帰支援プロジェクトと銘打たれていた。それは、演技の巧拙がどうの、作品の社会批判的解釈がどうのという以前に、演劇が社会とつながっていることを肌身で感じさせる舞台だった。(あれから10年、ドイツでは「失業」や「職探し」をテーマとする劇作品が市立劇場の表舞台を賑わすようになっている。)

思うに、うずめ『レオンス』の「いま・ここ」がいまひとつ見えにくかったのは、東京の室内小劇場という「アウェイ」の場ゆえかもしれない。劇団「黒テント」の新拠点“theatre iwato”は、アングラ臭こそあるものの、劇中のポポー王国以上に狭く、抽象的なスペースだ。対して「ホーム」である北九州での初演は、新日鐵の東田第一高炉跡に組まれた特設舞台で行われている。野外の空気の中、役者はのびのびと動き回り、また地域の過去と現在が同居する空間にあって、「世代間の隔絶」という彼らの物語もおのずから機能していたのだろう。(この北九州公演については、日本ゲオルク・ビューヒナー協会機関誌『子午線』第5号に堺雅志氏(長崎外国語大学)の劇評が掲載されているので、ご一読いただきたい。)

この『レオンスとレーナ』は、やはり北九州で観てみたいと思う。しかし、もし他所で再演することがあれば、彼らには余所行きではない言葉で、もっと無遠慮に、そして完膚なきまでに熱く、詳しく語ってほしい。自分たちが何者であるのか、を。

(参考リンク)日本ゲオルク・ビューヒナー協会 http://www1.kcn.ne.jp/~yhonda/

真田 健司(中央大学)
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