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トップ  >  2006年  >  <阪神ドイツ文学会>国際シンポジウム RÜCKKEHR ZUR LYRIK. Brechts Gedichte als Lieder のご案内
2006年11月10日
阪神ドイツ文学会会長
林   正 則

ブレヒト・シンポジウムのご案内


  阪神ドイツ文学会では大阪大学文学研究科とともに、ブレヒト没後50周年にちなんだ国際シンポジウムを開催いたします。どなたでもご参加いただけますので、ご来場をお待ちしております。



と き: 2006年12月3日(日)13時00分~17時00分
ところ: 大阪大学中之島センター 10階  佐治敬三メモリアルホール
  〒530-0005 大阪市北区中之島4-3-53 (添付の案内図をご参照ください)
  電話:06-6444-2100 FAX:06-6444-2338

シンポジウム: RÜCKKEHR ZUR LYRIK – Brechts Gedichte als Lieder –
 ブレヒトは2300以上もの詩を書いた最も生産的な詩人の一人である。ブレヒトほど音楽に深く関わった詩人や劇作家はほとんどいないだろう。彼の詩の多くは著名な作曲家たちによって曲をつけられ、今日でも世界中の音楽家や音楽愛好家に大きな影響を及ぼしている。本シンポジウムではブレヒトの詩とそれに付けられた音楽の相互関係を探り、ブレヒトの詩におけるテクストと音楽の共生の実態に迫りたい。
 科研費プロジェクト「ブレヒトと音楽」の協力を得て、パネラーにブレヒト30巻全集、ブレヒト・ハンドブックの編集者Jan Knopf氏とハンドブックの編集協力者で音楽学者のJoachim Lucchesi氏を迎える。ドイツ文学、演劇学、音楽学のコラボレーションにより、シンガー・ソングライターとしての若きブレヒト、20年代に始まった作曲家との共同作業、戦後の日本のブレヒト受容などについて論じ、討論したい。なおシンポジウムはドイツ語、日本語の2言語で行われ、通訳がつく。会員以外の人にも広く参加を呼びかける。

司 会: 森川進一郎(兵庫県立大)
報 告: Joachim Lucchesi / Jan Knopf (Universität Karlsruhe)
  市川明(大阪外国語大)/ 大田美佐子(神戸大)
通 訳: 森田陽(大阪外国語大・学生)

報告1 Joachim Lucchesi : »Der eingeschmolzene Zuschauer«
― Musikauffassungen des jungen Brecht ―

Bertolt Brecht, der wohl einflußreichste Dramatiker und Schriftsteller des 20. Jahrhunderts, ist ohne die Musik zu seinem Gesamtwerk nicht denkbar. Die 48 abgeschlossenen Dramen, die meisten der rund 50 Dramenfragmente sowie ein Großteil seiner lyrischen Produktion weisen einen engen Bezug zur Musik auf. Warum, so wäre zu fragen, beläßt der junge Brecht es nicht bei dem geschriebenen Wort, warum muß er fast alle Texte musikalisieren, sei es durch Musikanweisungen, durch die Wahl musikalischer Gattungen oder gar durch eigenes Vertonen?

報告2 Jan Knopf : Verlorene Erinnerungen
― Das vermeintliche Liebeslied von der Marie A. ―

Das berühmte Lied Erinnerung an die Marie A. schrieb Brecht nach seiner eigenen Eintragung unter den Text der ersten Niederschrift am »21.II.20 abends 7h im Zug nach Berlin«. Der Text ist weitestgehend flüssig, fast ohne Korrekturen und dazu noch metrisch genau sowie im Reimschema stimmig in ein Notizbuch geschrieben und trägt dort noch die Überschrift Sentimentales Lied, die später ergänzt wird durch »No. 1004«. Erst 1925 erhält es in den Erstdrucken den endgültigen Titel, der dann in der Forschung dazu führte die Marie A. mit der Jugendliebe Brechts, Marie Rose Aman, zu identifizieren. Brecht legte aber eine falsche Fährte ...

報告3 市川 明 : 「あとから生まれてくるものたちへ」
―― ブレヒトとハンス・アイスラー ――

 ラジオ、トーキー、レコード、1920年代、新しいメディアの開発は若い劇作家、演出家、音楽家たちを新しい創造へとかき立てた。教育劇に未来の演劇を見出そうとする劇作家ブレヒトと、十二音音楽を独自に発展させようとする作曲家ハンス・アイスラーが出会い、オラトリオ『処置』が誕生、二人の共同作業が始まった。
 ブレヒトの代表的な詩「あとから生まれるものたちへ」は三部構成で、1934年から38年にかけて書かれた。まず第2部(34年)と第3部(37年)が出来るが、アイスラーはすでに37年に作曲し、独立した二つの『悲歌』として発表している。58年には俳優で歌手のエルンスト・ブッシュが「歌いやすい」形に曲を改め、現在はこのヴァージョンで親しまれている。ブレヒトのテクストにつけられたアイスラーの曲は200以上に及ぶが、この詩を手がかりに二人の共同作業の実態、テクストと音楽の共生について探りたい。

報告4 大田美佐子 : ブレヒトと日本の作曲家たち
―― 林光と萩京子のブレヒト・ソング ――

ブレヒトとヴァイルの音楽劇「三文オペラ」は、1932年(昭和7年)ベルリンでの初演からわずか5年を経て、不完全な形ではあるものの、千田是也によって東京で紹介された。日本の新劇においてブレヒト演劇の理論は大きな役割を担ってきたが、日本の音楽界においてもブレヒトの影響は特別な痕跡を残している。
その意味を探るうえで重要なのは、作曲家林光の存在である。戦後日本の作曲界に日本語オペラを作ろうという機運が生まれる中で、戦後間もない1950年代からすでに林は「演劇と音楽の関係を根底から変えた」(メルスマン)ブレヒトの音楽劇の理念と実際の舞台に触発され、「こんにゃく座」を中心とした自身の創作活動を展開してきた。今回の報告では、林光、その後継者でもある萩京子による「ブレヒト・ソング」を中心に、ブレヒトが戦後の日本の作曲界に与えたインパクトを検証し、その展開の行方を考察する。


◎懇親会
大阪大学中之島センター9階 交流サロン「サロン・ド・ラミカル」 17時30分より
会費は5,000円(院生・学生2,500円)です。当日受付にてお申込ください。

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