Japanische Gesellschaft für Germanistik
 
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日本独文学会

 

2003年秋季研究発表会

 
 

研 究 発 表 要 旨

 
予 稿 集
 
2003年10月18日(土)・19日(日)
 
第1日 午前10時より
第2日 午前10時より
 
会場 東北大学川内北キャンパス
 

目次


 

第1日 10月18日(土)

 
口頭発表・文学1(10:40〜13:30) B会場
司会:森本浩一・山下 剛

1)カフカの手紙と現代日本の若者のメール
前田江利子
2)異郷者の場としてのホテル—ヨーゼフ・ロート「ホテルの世界」「ホテル」「異郷のホテルの午後」—
押領司史生
3)フランツォースのガリツィアbr> 伊狩  裕
4)ゲオルク・ハイムの『解剖』における逆説と二義性について
仲井 幹也
5)春樹ワールドの中の「カフカ」—村上春樹『海辺のカフカ』をめぐって— 野村 廣之
 

口頭発表・語学(10:40〜12:55) C会場
 司会:大島 徹・佐々木克夫

1)他動詞化構文としての「同族目的語」構文
島  憲男
2)be-動詞表現について —4格目的語化と「視点」概念—
成田  節
3)Gattung und Individuum (1): Referenz der Nominalphrase
田中  愼
4)Gattung und Individuum (2): Referenz des Topiks
Patrick Kühnel
 

シンポジウムⅠ(14:30〜17:30) A会場

ドイツ語教師トレーニングプログラム
ドイツ語教員養成 — 研修会 — 外国語としてのドイツ語教育
Von Beruf DeutschlehrerIn
Ausbildung - Weiterbildung - Ein erfolgreicher Unterricht
司会:山原芳樹・Martina Gunske von Kölln

1)複数外国語教育とドイツ語教員養成
杉谷眞佐子
2)現職者研修としての「授業見学」 —その有効性と問題点
森田 昌美
3)いかにして読解力を養成するか —理論から実践へ—
太田 達也
4)新しいメディアを利用したドイツ語学習  —CALL、その可能性と限界—
岩崎 克己
 

シンポジウムⅡ(14:30〜17:30) B会場

18世紀ヨーロッパのなかのドイツ文学
Die deutsche Literatur im europäischen Kontext des 18. Jahrhunderts
司会:森 淑仁

1) ゾフィー・フォン・ラロッシュと英国
宮本 絢子
2) クニッゲと『人間交際術』
笠原 賢介
3) モーゼス・メンデルスゾーンにおけるユダヤ性
平山 令二
4) ロシアのJ. M. R.レンツ
佐藤 研一
5) 18世紀ドイツの知識人とフリーメイソン
水上 藤悦
 

シンポジウムⅢ(14:30〜17:30) C会場

H. v. クライストの散文作品を読み直す
Erzählungen, kleine Schriften, Briefeを中心として
Relektüre der Prosa Kleists - über Erzählungen, kleine Schriften und Briefe
司会:古澤ゆう子

1) 『聖ツェツィーリアまたは音楽の力』と『人形芝居について』
古澤ゆう子
2) テキストで交差(Kreuz)する複数の「幽霊(Spuk)」を読みなおす —『ロカルノの女乞食』
真鍋  正紀
3) テキストの身振り —『聖ドミンゴ島の婚約』
高本  教之
4) 『決闘』について
猪股 正廣
5)《Zwei Fälle gibts...》—クライストの言葉のネットワークから Der Zweikampfを読む
新本 史斉
 

口頭発表・文学2(14:35〜17:25) D会場

 司会:吉用宣二・石塚秀樹

1) イラク戦争と記録演劇『同胞アイヒマン』
守屋  勉
2) ボートー・シュトラウスと劇団シャウビューネ —ゴーリキー『避暑に訪れた人びと』改作を手がかりに
大塚 直
3) 精神を表象する身体 —ジャン・パウル『巨人』試論
北原  寛子
4) グリム兄弟における言語・法律・文化 —WaldとForstのはざまで
大野 寿子
5) 「太陽英雄」としての太鼓たたき —『太鼓たたき』(KHM193)における 宇宙的鼓動について
梅内 幸信
 

ポスター発表(14:30〜17:30)

G会場

1) 滅びと平安 —シュティフターの廃墟像
磯崎康太郎
2) Wilhelm Raabeの最晩年から没後 「第三帝国時代」を通過する一作家像を追って —歴史のうねりと時代評価の連動
永末 和子
3) 「声に出して読みたいドイツ語」について考える —ドイツ語学習の見地から
木戸 芳子
H会場
1) エンツィクロペディーへ —初期フリードリヒ・シュレーゲルの言語思想
胡屋 武志
2) 舞台における「寝台(ベッド)」の表象 —劇作品における小道具と音楽の関係について
井口三奈子
3) ノヴァーリスと発明概念
平井 敏晴
 



第2日 10月19日(日)

 

シンポジウムⅣ(10:00〜13:00) A会場

ディアスポラの文学
Literatur der „Diaspora“

司会:鈴木道男

1) シールズフィールドと分裂するアメリカ
原  研二
2) シュニッツラーと反ユダヤ主義
松崎 裕人
3) 生まれ(ていなかった)故郷 —オノト・ワタンナの日本
宇沢 美子
4) 故郷喪失者の文学 —ローゼ・アウスレンダーの詩的世界
藤田 恭子
5)「文学」における移動と越境
恒川 邦夫
 

シンポジウムⅤ(10:00〜13:00)B会場

詩人としてのインゲボルク・バッハマン再読 —没後30年を節目に
Ingeborg Bachmann als Lyrikerin - Wiederlesen anlässlich ihres 30. Todesjahres

司会:山本浩司
 
1) 戦後抒情詩におけるバッハマンの位置
飛鳥井雅友
2) バッハマンとツェラーン
関口 裕昭
3) 場所と身体の詩学 —バッハマンのビューヒナー賞講演 Ein Ort für Zufälle
稲本 恭子
4) バッハマンの遺稿から出版された詩について
池谷 尚美
5) バッハマンとアイヒ
山本 浩司
 

口頭発表・文学3(10:00〜12:50) C会場

司会:松山雄三・丹治道彦

1) シラーとサドにおける崇高の概念
本田 博之
2) 文学史概念としてのシュトゥルム・ウント・ドラング
今村  武
3) 読書するヴィルヘルム・マイスター—ゲーテの小説に描かれた近代的読書の成立—
山本 賀代
4) ゲーテ形態学とヘルダー歴史哲学の類縁性について
濱田  真
5) 『ドイツにおける文芸の現状に関する書簡』 —Fr. ニコライのシェークスピア評価を中心に
渡部 重美
 

口頭発表・文化・社会(10:00〜12:50) D会場

司会:斎藤成夫・大島 衣

1) 原詩と歌詩の間 „Zwischen Original- und Liedtexten“ 《テキスト比較から見えてくる解釈の可能性》
岩川 直子
2) 「我が邦に人種問題なし」の意味するもの —日独文化連絡協議会におけるユダヤ人問題をめぐる議論から
葉  照子
3) 「共和制は必然的に民主的である」? —共和制をめぐるカントとフリードリヒ・シュレーゲル
田中  均
4) Kneipenlandschaft Internet - Wie Homepages Gäste rufen... -
Rudolf Reinelt
5) Möglichkeiten zur Steigerung der Attraktivität des Deutschen als zweite Fremdsprache an japanischen Hochschulen
林 エルケ
 

ポスター発表(10:00〜13:00)

G会場

1) テクスト言語学と言語実用論 Textlinguistik und Pragma-linguistik
脇阪  豊
2) 初級ドイツ語文法を数学の公式を使用するように学んでみよう
Lernen wir erst die deutsche Grammatik, wie wir die Formeln der Mathematik praktisch anwenden!
金谷 利勝
3) 歴史的観点から見た正書法改革
中村 直子
 

H会場


1) CALL統合環境としてのWEB対応授業支援システム「WebOCM」
(ウェブ・ オーシーエム)の概要
日本ドイツ語情報処理学会/
細谷行輝・保阪靖人・市岡正適
2) 心態詞schonの韻律的特徴について
生駒 美喜
 




第1日 10月18日(土)

 

口頭発表・ 文学1(10:40〜13:30)  B会場

司会:森本浩一・山下 剛
 
1. カフカの手紙と現代日本の若者のメール
前 田 江 利 子
 カフカは手紙をたくさん書く人だった。彼が遺した作品にもまして、その手紙の量が多いというのは注目すべきことだろう。『フェリーツェへの手紙』『ミレナへの手紙』はかつての恋人に宛てた手紙として有名である。彼女たちに手紙を一日に二度、三度と書き送る。その他に友人マックス・ブロートや彼の妹たちに宛てた書簡集。そして死の数年前に書き送った両親に宛てた何通もの手紙。こういったことから「書く人カフカ」にとって手紙という活字は何よりも大切なコミュニケーションの手段であったといえるだろう。
 ところで、現代の日本の多くの若者が、電車やバスの中、さらには交差点の横断歩道を歩きながらでさえ、あの小さな携帯電話の画面に食い入るようにして、文字を打ち込んでいる姿をよく目にする。カフカの思念に満ちた手紙とは少し赴きは違うかもしれないが、現代の日本の若者たちのあいだで頻繁にやり取りされるメールはまさに活字におけるコミュニケーションであるといえるだろう。また彼らは「メル友」という自分自身をメールに仮託して、非日常的な自分に成りす まして会話を行ったりもする。自分という今ある存在を偽ってまったく違う自分になりすますのだ。活字においては、相手がすぐそばにいないがゆえにどんな嘘も許されてしまう。この活字を使った戦略は、カフカにはおなじみであった。
 文学を生涯の目的としたカフカは活字によって生き延びた。文学が活字の文化であるとすれば、メールもまた活字=文学である。メールのもまたカフカの手紙のやりとりのように文学の一形式なのである。近年、ベンヤミンが予言したように「文学の危機」と言われている。しかし、メールによって活字文化は復活した。メールによって若者たちは無意識のうちに文学という行為を行っているのである。カフカの永遠性は今もなお若者の心に潜んでいるのである。
 今回の発表では、カフカにおける現代の若者のメール、現代の若者におけるカフカ的要素、この二つの要素の入れ子状態を追うことによって、現代の若者の心理に潜む「永遠のカフカ像」を考察する。
 

2. 異郷者の場としてのホテル —ヨーゼフ・ロート「ホテルの世界」「ホテル」「異郷のホテルの午後」—

押 領 司 史 生
 ヨーゼフ・ロートは、ホテルを主題とするフュトン「ホテルの世界」、「ホテル」、「異郷のホテルの午後」を、1929年から1931年にかけて「フランクフルト新聞」紙上に相次いで発表した。これら三つのテクストを手掛かりに、ロートと、彼にとって私生活においても作品世界においても欠かせないものであったホテルとの結びつきの意味を考察してみたい。「ホテルの世界」においては、「我が家」と「祖国」になぞらえられたホテルとその従業員に対する「私」の個人的な共感と愛着が語られる。一方、「ホテル」においては、ホテルの公共空間であるロビーや食堂を舞台に客の層が時間帯によって入れ替わる様子が淡々と、しかしその意味を見逃すことなく描かれている。「異郷のホテルの午後」は三つのテクストの中で最も社会批判的な性格が強いテクストであり、「私」のような「真の異郷者」と、大衆社会の到来とともにホテルに進出するようになった小市民的な「定住者」とのホテルでの遭遇を描いて、異郷者に対して定住者が持つ非寛容さを浮き彫りにする。それは、時代の趨勢がナショナリズムに傾きつつあった状況に留意するならば、特に注意を要する問題でもある。この点に関するロートの問題意識は、他の二つのテクストにも織り込まれている。ロートは、ホテルの精神的存立基盤をコスモポリタニズムであると見做し、異郷者たちの場としての可能性を見いだそうとした。同時に、そこに定住者の論理が入り込むことを拒否しているのである。
 

3. フランツォースのガリツィア

伊 狩  裕
フランツォースというと、例えば代表作として『道化師』が挙げられるように、ゲットーものの作者というイメージが強い。しかし、フランツォースが描いた「半アジア」は、ドイツ人、ポーランド人、ウクライナ(ルテニア)人、ユダヤ人、ルーマニア人、アルメニア人、ロマ(ジプシー)などが混住する場所であ り、フランツォースも決して東方ユダヤ人の世界だけを描いたのではなかった。フランツォースがユダヤ人と並んでとくに強い同情と関心を寄せたのは、ウクライナ人であった。当時ウクライナ人はロシア帝国とオーストリア帝国に分断され、ロシア帝国領内においては、ウクライナ語の使用は禁止されていたが、オーストリア帝国では、ウクライナ語は、地方語の一つとして公認されており、19世紀後半のガリツィアでは、リヴィフ(レンベルク)を中心としてウクライナ人の活発な文化活動が行われていた。フランツォースは、自分が編集する雑誌〈Deutsche Dichtung〉に、ウクライナ民謡やシェフチェンコの詩のドイツ語訳を掲載したり、「半アジア」シリーズにウクライナ文学史を執筆したり、あるいは、フツーレを主人公とした小説『権利のための闘争』を執筆したりと、ドイツ語圏へのウクライナ文化、ウクライナ文学の紹介に力を注いだ。ウクライナの文化、文学に対するフランツォースの関心と関わりを明らかにしない限り、そして、ガリツィアで起きていたドイツ文化とウクライナ文化の交渉を明らかにしない限 り、フランツォースのガリツィアを語ったこととはならない。
 

4. ゲオルク・ハイムの『解剖』における逆説と二義性について

仲 井 幹 也
 『解剖』は、全19段落中、死者の内部に夢が生じる第11段落を境に前半と後半に分けられる。腐乱死体の解剖という素材の惨たらしさが強調される前半と、死体の内部で愛の独白が続けられる後半は著しい対照をなしている。ハイムが常套とする醜悪な素材に基づくセンセーショナリズムは、彼の他の作品の場合と同様に、市民社会の伝統的イデアリズムに対する拒絶や反抗の表明であり、「決闘の傷跡のある愛想のいい」医師たちに死肉をあさるハゲタカや拷問吏のイメージを重ねているのは、進歩主義的イデオロギーや科学的実証主義の体現者たちをグロテスク化することによって、現実性のゆらぎの中に新たな意味連関の可能性を探る表現主義的戦略の一つである。他方後半での愛する者への死者の独白は、腐臭に満ちた解剖室の窓の外に広がる七月の美しい自然と相俟って、死体解剖という死の儀式に、同時に生の賛歌を歌う祝祭の相を付与し、腐乱し崩壊することによって死体は生き続けるという逆説がこの作品のリリシズムを支えている。しかしこのリリシズムは、あくまでも醜悪さと恐怖の重石によって高く飛翔することはない。グロテスク化によって得られる幻想性は、陳腐で惰性的に受け入れられる現実性を突き崩す刃であると同時に、常に表現に二義性を付与する。死のおぞましさと死に基づく法悦、この相反するものが未分化なままの綱渡り的表現こそが、ハイム文学の危うさでありながら、また醍醐味でもある。
   
 
 5.春樹ワールドの中の「カフカ」—村上春樹『海辺のカフカ』をめぐって—
野 村 廣 之
村上春樹『海辺のカフカ』(新潮社:2002)は,日本におけるカフカ受容という問題を考える上で,非常に興味深い作品である。村上は,作品の表題の中に「カフカ」という固有名を取り入れ,主人公に「田村カフカ」という偽名を名乗らせている。これほどまでに堂々と「カフカ」を引用している長編小説は,おそらく他にあまり例がないであろう。ところが,表題と主人公の名前においてカフカとの関連を強調しておきながら,カフカ作品との具体的な関連は必ずしも明白ではない。「(…)読み終わってからも,『海辺のカフカ』とカフカ文学とのつながる部分を考えてしまいました。しかし,僕にはその共通点が15歳の少年をとおしてはみつけられなかったと思います。なぜ海辺の“カフカ”というタイトルでなければならなかったのでしょうか?」というある読者からの質問にたいして,村上は「この物語とフランツ・カフカの物語を重ね合わせることは,あまり意味がないような気がします。カフカエスクな世界を描くことを目的として僕はこの小説を書いたわけではありません」と答えている。ここで村上自身が答えているように,この作品はいわゆるカフカエスクな作品ではないのである。しかしながら,より根源的な部分においてカフカ的 な世界認識を共有しており,その上でなおかつカフカ的なペシミズムを乗り越えようとしている作品である。その意味で,きわめて野心的な長編小説であると言い得るだろう。
 


口頭発表・語学(10:40〜12:55) C会場

司会:大島 徹・佐々木克夫
 
1. 他動詞化構文としての「同族目的語」構文
島  憲 男
本発表では、「依存している動詞と語源的あるいは意味的に関連する4格文肢」である同族目的語(kognates Objekt)の生起している以下のような文を取り上げ、「他動性 (Transitivität)」の観点からの分析を行う。そして、同族目的語の生起している文(=同族目的語構文)では同族目的語の生起していない自動詞文より「他動性」が高いことを示すことを目的とする。

a. Er lebt ein trauriges Leben. (Brinkmann 1962/1971: 410)
b. Sie kämpft einen schweren Kampf. (Götze/Hess-Lüttich 1989: 94)
c. Sie tanzten einen Walzer. (Nobuoka/Fujii 1978: 32)
d. Er schlief den Schlaf des Gerechten. (Schulz/Griesbach 1960/1972:220)

ここでは、「他動性」をプロトタイプ理論に基づき「典型的自動詞(性)から典型的他動詞(性)」へと連続するスケール的特性と捉え、個別言語の記述レベル を超えて、人間言語一般に適応可能な普遍性の高い記述・説明概念と考える。具体的には、Hopper /Thompson (1980: 252) に従い、「他動性」を10種の「パラメータ」の複合概念と規定するが、特にその中でも同族目的語構文の分析に肝要な “Participants”、“Aspect”、“Affectedness of O”、“Individuation of O” の4種のパラメータを用いる。第1のパラメータでは文中に現実に生起している文肢の数による比較を通じて、また第2のパラメータでは同族目的語の有無による文のアスペクト変化を通じて、同族目的語構文は同族目的語の生起していない対応する自動詞文より他動性が高められていることを示す。さらに同族「目的語」がどの程度動詞に影響を与えられていると考えられるか(第3パラメータ)、あるいはどの程度動詞から個別化されていると考えられるか(第4パラメータ)という観点からの考察も加え、同族目的語構文は「他動性のスケール」上で相対的に典型的他動詞構文寄りに位置づけられることを示す。
最後に言語類型論からの成果を援用して本発表での主張を援護したいと考えている。
   

2. be-動詞表現について —4格目的語化と「視点」概念—

成 田  節
実例観察に基づいて、be-動詞表現(ここでは動詞派生のbe-動詞を対象とする)の基本的な特徴は「4格目的語化に伴う焦点化」にあるということを明らかにするのが発表の意図である。「視点」とは広義には「事柄の見方」だが、be-動詞表現との関連では、何に焦点を合わせて出来事を見るかという「焦点化」が重要である。たとえば(a) Er belädt den Wagen mit Heu.では、対応する(b) Er lädt Heu auf den Wagen.とは異なり、積まれる対象(Heu)ではなく、干草が積まれる場所(Wagen)が4格目的語となっているが、それに応じて(a)は「車」を焦点化して「彼が干草を車に積む」という出来事を描いていると考えられる。(a)は「車が一杯になる」と解釈されることが多いとしばしば指摘されている が、これも焦点化によって説明可能である。また、実例観察から、(a)のタイプでは「場所」は必須だが、「対象」は表されないことが多いということや、(a)のタイプは「場所」を主語とした受動文が多いということなどもわかり、この点にも上述のbe-動詞表現の特徴が現れている。母語話者の内省に基づき、容認される表現と容認されない表現の作例ペアを示しながら論を組み立てていく方法に対して、実例観察を土台にした考察方法の長所と短所を考えるというような、方法論に関する問題提起も行ないたい。
 

3. Gattung und Individuum (1): Referenz der Nominalphrase

田中 愼(Shin Tanaka)
Dieser Vortrag stellt zusammen mit dem nachfolgenden Teil von Patrick Kühnel einen Versuch dar, unterschiedliche Strategien der Referenzherstellung vor allem im Japanischen und Deutschen herauszuarbeiten und daraus einige Konsequenzen für die Syntax und Semantik der jeweiligen Sprache zu ziehen.
Bei der Betrachtung grammatischer Eigenschaften der Nominalphrase wie Numerus, Genus, Determinierern und Klassifikatoren zeigen sich folgende Default-Eigenschaften:
(1) Syntaktische Kategorien der Nominalphrase
 
Numerus
Genus
Klassifikator
Determinierer
Deutsch/Englisch
+
+
fakultativ
+
Japanisch/Chinesisch
-
-
obligatorisch
-
Deutsch oder Englisch verfügen über ausgebaute Numerus-, Genus- und Determiniererparadigmen, während Japanisch oder Chinesisch, in denen solche Kategorien nur peripher anzutreffen sind, sich durch das konsequente Klassifikatorensystem auszeichnen.
(2) Ich habe drei Äpfel gekauft./ Ich habe drei Stück Kuchen gekauft.
(3) *私は3リンゴを買った。/ 私は三つのリンゴを買った。
Im ersten Teil unseres Beitrages wird zu zeigen sein, dass sich dieser Unterschied auf jeweils spezielle Referenzstrategien zurückführen lässt. Die Nominalphrase ist im Japanischen in erster Linie ein Stoffname: „リンゴ“ ist zunächst als Bündel der Eigenschaften von „リンゴ“, als die Gattung „リンゴ“, zu verstehen. Lediglich in jenen Fällen, in denen die die konkrete Anzahl von Interesse ist, erscheint Markierung durch einen Klassifikator. Beim „Apfel“ im Deutschen wird ein Individuum konzeptualisiert: „Apfel“ muss zuerst identifiziert werden (entweder als ein beliebiges Objekt, als ein bestimmter Gegenstand oder auch als Gattung), wobei die Zahl des Objekts einen wesentlichen Faktor darstellt.
 
4. Gattung und Individuum (2): Referenz des Topiks
Patrick Kühnel
Analog zur Nominalphrase kann man die unterschiedlichen Referenzstrategien, die in Tanakas Beitrag genannt werden, auch auf die Satzebene anwenden. Im zweiten Teil wird auf Eigenschaften der Topikreferenz eingegangen.
Man kann annehmen, dass das Topik ein Bindeglied zwischen dem diskursiven Kontext und dem Satz darstellt. D. h. durch das Topik wird der Satz in die kognitive Wirklichkeit integrierbar gemacht. Zu diesem Zweck stellt das Topik eine Art Referenz auf einen Aspekt des „common ground” her. In unserem Zusammenhang wäre es interessant zu sehen, welche unterschiedlichen Referenzstrategien es bei der Topikkodierung gibt. Es wird sich zeigen, dass das Japanische und Deutsche sich nicht so sehr hinsichtlich der Dichotomie Topikprominenz vs. Subjekt-prominenz unterscheiden, sondern, dass Topiks parallel zu Nominalphrasen im Fall des Japanischen auf eine Klasse von assoziierten Sememen verweisen, die als ein kognitiver Lokus adressiert werden, während im Deutschen das Topik auf Entitäten, d. h. auf abzählbare Individuen referiert. Wenn, wie für das Japanische angenommen, Topik-Referenz eher die Charakteristika von lokaler Deixis trägt, statt sich auf Entitäten zu richten, dann ist dort die Anzahl der referierten Individuen prinzipiell unbestimmt, bzw. unbegrenzt. Die Frage nach dem Status des Theta-Kriteriums im Japanischen würde unter diesem Gesichtspunkt dann weitgehend gegenstandslos werden.
 


シンポジウムⅠ(14:30〜17:30) A会場

ドイツ語教師トレーニングプログラム
ドイツ語教員養成 — 研修会 — 外国語としてのドイツ語教育
Von Beruf DeutschlehrerIn
Ausbildung - Weiterbildung - Ein erfolgreicher Unterricht

司会:山原芳樹・Martina Gunske von Kölln
 
Einleitung
Bei dieser dreiteiligen Veranstaltung (Vorträge - Posterpräsentation - Diskussion) geht es um die Verknüpfung von theoretischen Erkenntnissen wissenschaftlicher Disziplinen mit der alltäglichen Unterrichtspraxis.
Es stellt sich die Frage, welche Theorien für die Unterrichtspraxis relevant sind und wie solche Erkenntnisse in die Praxis umgesetzt werden können. Nach einer theoretischen Kurzeinführung (4 Vorträge, s.u.) in die jeweilige Thematik sollte anhand von bereits erprobten Projekten aufgezeigt werden, welche Realisierungsmöglichkeiten sich anbieten. Der gegenseitige Austausch mit KollegInnen wird im zweiten Teil (Posterpräsentation im gleichen Raum) individuell stattfinden und im dritten Teil auf Plenumsbasis fortgeführt werden. Während der Abschlußdiskussion sollen außerdem Überlegungen angestellt werden, wie man die Zusammenarbeit weiterhin intensivieren kann.
Themenblöcke des Symposiums
Themenblock 1: Ausbildungsmöglichkeiten zur SprachlehrerIn
Vortrag 1 (DeutschlehrerInnenausbildung im Rahmen multilingualer Fremdsprachen-erziehung) Masako Sugitani, Kansai Universität
Themenblock 2: Weiterbildungsmöglichkeiten für SprachlehrerInnen
Vortrag 2 (Unterrichtsbeobachtung als Mittel der Weiterbildung)
Masami Morita, Ryuutsuukagaku Universität
Themenblock 3: Unterrichtsalltag
Umsetzung von theoretischen Erkenntnissen in die Praxis: Beispiele von funktionierenden, ausbaufähigen Konzepten
Vortrag 3 (Vom methodischen Ansatz des Lesefertigkeitstrainings zur praktischen Umsetzung) Tatsuya Ohta, Keio Universität
Vortrag 4 (Neue Medien & CALL-Einsatzmöglichkeiten auf dem Prüfstand)
Katsumi Iwasaki, Hiroshima Universität
Posterpräsentation (im gleichen Raum!!!)
Die Umsetzung der Theorie in den Alltag ist ein schwieriges Unterfangen. Im Anschluß an die vier Vorträge veranschaulichen die Vortragenden ihre Ideen durch konkrete Beispiele. Durch die Ausstellung erfolgreicher Konzepte zur jeweiligen Thematik wird den Teilnehmenden die Möglichkeit offeriert, auch mit den Vortragenden individuell ins Gespräch zu kommen.
Abschlußdiskussion
Das gesamte Symposium wird zweisprachig abgehalten, um ein möglichst breites Publikum zu erreichen.
シンポジウムはドイツ語と日本語の2ヵ国語で行う予定です。
   
Kurzreferate
1. 複数外国語教育とドイツ語教員養成
杉 谷 眞 佐 子
現在、日本における外国語教育研究や、ある程度共通のカリキュラムを持ち公式に制度化された教員養成課程は、英語と「外国語としての日本語」を除くと殆ど存在していない、或いは存在してもあまり機能していない、といえるのではないだろうか?その背景には語種により大きく異なる社会的要請の相違があろう。しかし「一般教育」では異なった視点も考慮されるべきである。「国際化」の下に日本では英語教育のみが促進されているが、他方で多言語・多文化教育を推進する国や社会もある。本報告では、一般教育として複数言語教育の枠内でドイツ語教育を位置づけた場合の、英語とは異なった重点目標の置き方、そのための教員養成課程のカリキュラムの可能性について、日本の大学で開設されている外国語教員養成中心の修士課程、EUやポーランドの事例等を参考に、外国語教育政策の観点から考察していく。
 
2. 現職者研修としての「授業見学」 —その有効性と問題点
森 田 昌 美
学習者を中心に据え、学習者の言語運用能力・社会行動能力を育成することを目的とした授業を実現するためには、教員養成の講座とならんで、わたしたち現職のドイツ語教師にもさまざまな研修が必要である。全国各地でドイツ語教育に関する講習会・研究会が開かれ、数多くの教師がそれに参加している。これらの情報交換・意見交換の場をさらに広げて、教師がコミュニケーション志向の多様な授業活動形態を知り、それらを授業の中で実現できる力量を獲得するための効果的な方法の一つは、教師間で互いに「授業見学」を実施することである。授業内容や授業方法のみならず、教師の教授態度そのものが学習者に及ぼす影響は測り知れない。他の教師の授業を見ること、また自分自身の授業を他の教師にみてもらい、その観察結果について話し合うことは、ドイツ語教育の質的な向上をはかる契機となる。本発表では「授業見学」の持つ有効性と問題点について発表者の経験を踏まえながら考察する。
 
3. いかにして読解力を養成するか —理論から実践へ—
太 田 達 也
スキーマ理論は、トップ・ダウン処理とボトム・アップ処理の相互作用に基づく情報処理として読解プロセスを説明するものであった。同理論を基盤とするL2読解研究では、もっぱらトップ・ダウン処理に重点が置かれたものが多いが、ドイツ語を学ぶ日本人を対象としたL2読解授業においては、ボトム・アップ処理とトップ・ダウン処理の両側面の訓練および両者の相互連関作用の活性化がなされるべきである。言語習熟度の高い「上級」では読解ストラテジーの訓練そのものに比重を置くことは可能だが、学習時間100〜200時間程度の「中級」では、語彙の獲得や統語分析と読解ストラテジーの訓練との連携が重要となる。また、読解ストラテジーのメタ認知を活性化するためには、グループワークを取り入れ読解プロセスについて言語化を促す方法が推奨される。本発表では、読解力養成のためのテクスト選択・教材作成や授業方法について、理論上の研究成果をいかに授業の実践に取り入れるかの具体例として提示する。
 
4. 新しいメディアを利用したドイツ語学習 —CALL、その可能性と限界—
岩 崎 克 己
本発表では、日本の多くの大学における授業環境(学習時間数・クラスサイズ・使用可能なメディア等)を考慮したうえで、ドイツ語授業におけるCALL(コンピュータ支援外国語教育)の様々な実例を紹介し、その可能性と現状での問題点について論じる。発表とそれにひき続くポスターセッションでは、コンピュータ上の学習プログラムを利用した自習支援から、WWW上のリソースの活用、さらにはコミュニケーションや情報発信の道具としてのコンピュータを利用したプロジェクト型授業(例:ヴァーチャルドイツ語旅行など)まで、CALLの持つ多様な可能性についても具体的に紹介する。なお、その際、ドイツ語授業における新しいメディアの持つ有用性を単なる授業技術のレベルで考えるにとどまるのではなく、その可能性と限界を外国語教授法の枠組みまで含めて、あらためて問いなおしてみたい。
 


シンポジウムⅡ(14:30〜17:30) B会場

18世紀ヨーロッパのなかのドイツ文学
Die deutsche Literatur im europäischen Kontext des 18. Jahrhunderts
司会:森 淑仁

 18世紀のヨーロッパは、市民階層を中核とする近代国家の社会的現実が形成され始める、近代の胎動期である。この歴史的状況下のドイツ文学をみると、発酵期独特のいわば»fruchtbaresChaos«のエネルギーが氾濫していておもしろい。大作家から群小作家までこぞって、新しい文学の創出を志しているからであろう。その際、注目に値するのは、かれらが古典古代のみならず、ユダヤ人の文化をも含む同時代のヨーロッパ文化全体を視野に収め、そこからさまざまな文学的・思想的滋養を吸収して、自分たちの文学を形作ってゆく点である。近代のドイツ文学が誕生するためには、逆説的だが、ドイツ語圏を越える、多様な文学・思想の伝統が不可欠であった。
 従来の18世紀ドイツ文学史が、ゲーテやシラーをドイツ国民文学の中心的創始者とみなし、かれら「ドイツ古典派」を頂点と記してきたとするならば、本シンポジウムでは、それとは逆に、かかる視点では見落とされがちな18世紀ドイツ文学の多元的様相に焦点を当てようとする。つまり、巨人ゲーテらの形成する文学のピラミッドではなく、むしろ、当代文学界の裾野に広がる、多彩で豊饒なる文学の諸断面を照射しようと思う。
 18世紀は、「旅の世紀」や「手紙の世紀」とも呼ばれるように、多くの作家たちがみずから国境を越えて、くりかえし旅に出、あるいは膨大な量の文通を交わし、さまざまな文学潮流と交わった。つまり、ドイツの市民的知識人は、ドイツ領邦国家間はいうに及ばず、当時の先進国イギリスやフランスから、いわば辺境のロシア領リヴォニアやロシア本国に至るまで移動し、さもなくば書簡の上で往来し、文学的な刺激を与えあった。しかもその際、かれらが接触したり交際したりする範囲は、単に市民階層にとどまらず、上は王侯貴族から下は農奴まで、かつては交流もなかった社会層にまで広がっていたのである。このようにみただけでも、18世紀知識人の文学的・思想的地平が、いかに飛躍的に拡大していったのか、分かるであろう。
 本シンポジウムは、かかる視座に立って、ゾフィー・フォン・ラロッシュ(Sophie von LaRoche)(1730-1807)、クニッゲ(Adolf Frh. von Knigge)(1752-1796)、メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)(1729-1786)、J.M.R.レンツ(Jakob Michael Reinhold Lenz)(1751-1792)、あるいはフリーメイソン運動などにみられる具体的な文学活動や社会活動に考察の焦点を合わせながら、18世紀ドイツ文学の知られざる相貌の多様な断面とその»fruchtbares Chaos«の実態に迫ってみたいと思う。(文責 佐藤研一)
 
1. ゾフィー・フォン・ラロッシュと英国
宮 本 絢 子
 書簡体小説『シュテルンハイム嬢の物語』(1771)によってゾフィー・フォン・ラロッシュは、ドイツ人最初の女性作家として一躍有名になった。この作品における、貴族社会ではなく市民社会のモラルを是とする主人公ゾフィーや英国贔屓ぶりに作者の生涯を貫く指針が見て取れる。
 18世紀にドイツで英国熱が高まったのはヴォルテールやボドマーやヴィーラントなどの活動によるところが多いとされるが、彼女の場合はそれに加えて夫が、親英政策をとるマインツ宮廷の顧問会議長シュタディオン伯の秘書だったことが大きい。結婚後の宮廷社会暮らしで、彼女はシュタディオン伯の話し相手を務めなければならず、話題提供の必用上英語を習い、英国の書物に幅広く親しんでゆく。
 彼女はそれまでも教養市民層の娘としてフランス・イタリア文化に親しんでいたが、次第に英国文化に傾倒してゆき、フランス旅行(1785)で革命前の貧富差の大きさを、オランダ・英国旅行(1786)で豊かな国土と秩序だった社会を、そして第3回スイス旅行(1791)でフランス革命避難民の悲惨を経験してその度合いは強まる。
そのため彼女の作品のほとんどは英国と何らかの繋がりをもつものとなっている。今回の発表では、作品を通して彼女と英国とのかかわりをみてゆきたい。
   
2. クニッゲと『人間交際術』
笠 原 賢 介
 18世紀後半のドイツで活躍した文筆家A. Frhr. v. クニッゲは、『人間交際術』の著者として広く知られている。クニッゲと『人間交際術』については、同書の一部を森鴎外が抄訳したこともあって、比較文学の立場から我国でもすでに詳細に紹介がなされている。〈クニッゲと森鴎外〉というテーマが発見されたのは1970年代であったが、奇しくもこれとほぼ時を同じくしてドイツでもクニッゲへの関心が高まっていった。クニッゲへのこの関心は、「啓明結社」で活躍したり、フランス革命の理念を擁護する論陣を張ったりといった啓蒙主義的な文筆家としてのクニッゲに向けられたものであった。そこで明らかになったクニッゲ像は、森鴎外との関係で描き出されたそれとは、かなり異なったものとなっている。このようなクニッゲ像に関しては、1960年代〜70年代ドイツのゲルマニスティク特有の〈偏差〉を割り引かねばならないとしても、その後様々な修正や繊細化を経ながらクニッゲの作品と伝記についての研究が蓄積され、現在に至っていることも見過ごされてはならない。
 この発表では、このような成果も踏まえながら、また、問題をドイツ文学史の枠内における〈啓蒙〉から〈ヨーロッパ啓蒙〉のコンテクストへと解き放ちながら、クニッゲと『人間交際術』を考察してみたい。森鴎外との関連からなされた叙述によってある種の方向へ固定化されたかに見えるクニッゲ像の訂正を試みてみたいと思うのである。
  
 3. モーゼス・メンデルスゾーンにおけるユダヤ性
平 山 令 二
 レッシングの『賢者ナータン』のモデルであるモーゼス・メンデルスゾーンは、ドイツにおける初のユダヤ人哲学者として知られている。メンデルスゾーンは、著作活動により、また実践活動により、ゲットーに閉じ込められていたユダヤ人の解放に尽くし、他方ドイツ文化をユダヤ人に紹介する役割も果たした。生涯を通じてドイツ文化とユダヤ文化の媒介者であった。メンデルスゾーンはユダヤ人として傑出した人物だっただけに、頑迷なキリスト教徒や「善意の」キリスト教徒から改宗の要求や誘いを受けた。その代表的な例が、ラーヴァターとの論争である。また、ラーヴァターとの論争の宗教論的な総括とも呼べるのが主著『エルサレム』(1783)である。それらの著作活動の中で、メンデルスゾーンは、ユダヤ教を地域的な民族宗教と貶めようとするキリスト教徒たちに反論し、ユダヤ教の方がキリスト教より本来の普遍宗教である、と主張する。メンデルスゾーンのこのような主張を支えていたのは、彼がほとんど独学で学んだ当時のヨーロッパ、取り分けドイツの哲学や思想が自分の主張を裏付けているという確信である。
 今回の発表では、ドイツの啓蒙主義の文化の中で、メンデルスゾーンのユダヤ教の普遍性への確信がどのようにして生まれたのかということを跡付けてみた い。

 4. ロシアのJ. M. R.レンツ
  佐 藤 研 一
 劇作家J. M. R. レンツは、生まれも育ちもロシア領リヴォニアである。17歳でケーニヒスベルクに遊学し、アルザスで「疾風怒濤」の運動を担った後、ワイマールを訪ねるもゲーテと一悶着起こし追放の身となり、アルザスやスイスの各地で転々と流亡の日を送った。その間、分裂症に襲われ、心ならずも帰郷を強いられたのは、28歳の夏である。そして職を求めて、モスクワに辿り着き、その地で11年の病苦と窮迫の生活の果て、41年の人生は行路病者として尽きた。こうしてレンツは、短い生涯の大半を、いわば文化果つるロシアで暮らしたのである。だが従来の文学史は、かれをドイツの劇作家と記し、のみならず、その作家生命も精神の病に侵される時点で断ち切られたとみなす。それゆえに、リヴォニアの青少年期も、モスクワ時代も等閑視される傾向が強い。
 しかし私の考えでは、リヴォニア時代こそ、後年の「疾風怒濤」の運動の土壌にほかならず、モスクワ時代もまた、作家レンツの死を意味するどころか、新たな文学的展開を胚胎している。本発表では、この点を明らかにするために、まず、ドイツ文化とエストニア・ラトヴィア文化の絡みあう特異な辺境リヴォニアを背景に、レンツの農奴に対する共感的な視線を読み解く。ついで、モスクワ時代に焦点を当てて、残された書簡を手掛りに、フリーメイソンの作家ノヴィコフやカラムジンらとの交流も跡付けながら、レンツの活動を検討しようと思う。
   
  5. 18世紀ドイツの知識人とフリーメイソン
水 上 藤 悦
本発表では18世紀ヨーロッパの知識人の間に広く深く浸透したフリーメイソン運動を手掛りにして同時代のドイツにおける知識人と政治、或いは「国家」との関係のあり方について考察してみたい。18世紀は中世以来の社会秩序が最終的に解体し、市民階層の有能な知識人を官僚化しつつ近代的国家が形成されていく歴史的転換期であった。教会による宗教的支配から独立し、すでに精神的自由に目覚めた知識人たちの多くはしかしそこで過去の宮廷社会と未成熟な市民社会の間で自己の社会的位置を見出してはいない。レッシング、レンツ、フォルスターなどに典型的にみられるようにこの時代の知識人はしばしば自己の社会的独立と影響力を求めてほとんど寄る辺のない放浪を余儀なくされている。フリーメイソンはそうした知識人にとって新しい「社会的交流」を実現しつつ未だ存在しない「社会」を先取りする18世紀に特徴的な知的ソサイアティであったといえる。自由な社会的交流を実現しようとするそのような秘密結社はしかしやがて新しい「国家」との関係において政治的自己規定を迫られることになる。これまで様々な伝説と臆断に包まれてきた18世紀の秘密結社については近年ようやく実証的な歴史研究によってその実態が明らかにされつつある。本発表ではそうした最近の研究成果を参照しながらレッシング、ゲーテをはじめとする作家達とフリーメイソン、啓明結社との関係について論じてみたい。
 


シンポジウムⅢ(14:30〜17:30) C会場

H. v. クライストの散文作品を読み直す —Erzählungen, kleine Schriften, Briefeを中心として
Relektüre der Prosa Kleist - über Erzählungen, kleine Schriften und Briefe

司会:古澤ゆう子

昨年(2002年)はH. v.クライスト(1777-1811)生誕225周年、来る2011年が没後200周年である。本国ドイツにおいては昨年来、その記念祭的催しが劇場や出版会を巻き込んで大々的に繰り広げられている。またここ十数年来、単著は勿論のことアンソロジー形式によるクライスト研究書が数多く出版されているが(ドイツ語圏の研究者のみならず、アメリカ人、オーストラリア人、ハンガリー人等によって)、それらの試みにより今まさに新たなクライスト像が呈示されつつある。さらに従来の研究を刷新する可能性を持つ、Roland ReußとPeter StaengleによるBrandenburg(Berlin)版全集が、現在編纂の途上ながらも、大部分公刊されている。だが、これを受けた本格的研究は(紹介を除けば)、未だ本邦においてはなされていない。本シンポジウムは以上のような現在進行中のクライスト研究を視野に入れた上で、従来型の巨視的アスペクトからのクライスト解釈の再提出を避けんがために、とりわけクライストの散文作品のみに対象を限定して、その徹底的読み直しを目指すものである。
 元来言語によっては「表現されえないもの」、それを言語によって表現すること。敷衍化するなら言語芸術全般に関わる問題に違いない、こうした問題をクライストの散文は一身に担っていると言える。それは、「パラドクス」、「省略記号」、「撞着語法」の多用に代表される修辞的問題として表現形式上で確認され、また物語上では「失神」、「絶句」、「夢遊病」等の表現内容としても読まれうるものである。問題は、しかし、散文作品たるそのテキストにおいて、それらが単に緊密に結びついて一世界を描き出すのではなく、むしろ互いに齟齬をきたしつつ、ともに一義的解釈に抗うかの相貌を見せながら、異なる意味世界を同時に現出せしめている点である。それゆえ解釈には多角的・複眼的なアプローチが要求されるのだが(アンソロジー形式の研究書が多く現れる所以でもある)、まさにシンポジウムという形式こそがそれに相応しく、また必要とされる。
 本シンポジウムでは、それぞれ異なる視点からのクライスト論が計5つ報告される。そのいずれもが「読み直し」を図る仕事であるが、しかしシンポジウムの狙いは単なる発表者各人の論文口頭発表の集成ではない。むしろ個別発表を経た後に、パネラー間、また参加者とのあいだで活発なディスカッションを行ない、クライストをめぐる複数の視点・論点を交差する場を作り、その交差によって張り巡らされる網の目の中に現在のクライスト像を呈示することを目指す。
 
1. 『聖ツェツィーリアまたは音楽の力』と『人形芝居について』
古 澤 ゆ う 子
聖ツェツィーリアの音楽の威力は身体を感覚的に麻痺させる一過性の衝撃ではない。修道院襲撃の首謀者の暴挙をその場で阻止するのみならず、4人兄弟の innerstes Gemüt を徹底的に転換させる。その後の長い一生を狂人とみなされながらも「いと高きもの」をたたえて「喜び」のうちに過ごした彼らは、しかし、知性を破壊されたわけではなく、一応の論理をもつ強固な宗教的確信を抱くにいたったとみえる。加えて、尼僧により演奏されたこの楽曲には、聖女の「指揮」という知的操作が必要不可欠だった。一方『人形芝居』では美少年が「意識」により優雅さを失い、まことの美は操り人形と神にしか持ち得ないとされる。エデンの園の知恵の実を食したことのない熊は、剣術師の攻撃の真偽を正確に見分ける判断力を持ち、人間の技術を凌駕する。 Wahrnehmen を受動的とみなすカントとは異なり、ここでは感覚は知覚であり積極的な活動、それも認識し判別する活動とされているのではないか。意識化されてはじめて認識する過程は否定的にとらえられ、事物の直接的把握においてもうすでに認識することが可能とみなされている。つまり、ここに読まれるべきは、思索もしくは意識によって仲介されない直接的認識活動である。
 
2. テキストで交差(Kreuz)する複数の「幽霊(Spuk)」を読みなおす —『ロカルノの女乞食』
真 鍋 正 紀
R・ロイス/P・シュテングレ編新全集版が既存の全集版と決定的に差異化を果した理由の一つは、校正によってこれまで不当に、あるいは正当に捨象された異稿間の文綴と句読法の異同、誤字脱字や表現の相違が、可能な限りすべてここに参集されて同一紙面上に注として並列して示されたからだ。だがそれらはテキストの一意な読みを妨げる異物・雑音でもある。書くという作業は複数の[技術的]メディアを通じてなされる以上、そこには技術的な誤謬繰り返し侵入する。それらを特定の意味を担うテキストの仕組みと区別するのは本来不可能であり、校正によりそれらを消せば、同時に特定の解釈を選んでその他の読みを不可避に捨象することになる。近年B・タイゼンらが指摘したように、クライストのテキスト作法は、読者の理解をある種困難にするこれらテキストの誤謬・雑音までも含めて機能しているのだから、同全集の短編散文集II/5(1997)で新たな相貌を見せた『ロカルノ』を読む意味はまさにこの、再構築されたテキストの雑音・異物と真剣に取り組むことにある。雑音・異音を発しながら毎夜繰り返し古城の一室を横切るテキスト内の不可視の「幽霊」も一意には捉えられない。この「幽霊」の探索を縦軸にそこに交差してくる複数のシステムを横軸として「読みなおし」の網を広げてゆく。
   
3. テキストの身振り —『聖ドミンゴ島の婚約』
高 本 教 之
Brandenburg(Berlin)版全集により、『聖ドミンゴ島の婚約』において主人公の名前Gustavが四度Av(u)gustと書き換えられていたことが広く公にされた。交差配列を形成するこの書き換えは、「まるで崩折れんかのように立ち上がる」という、それ自体「撞着語法」である、主人公の身振りの描写と同時になされ、その新たな名のもとで主人公はヒロインのトーニを殺害する。取り返しのつかない一度の誤解により悲劇的結末が出来するこの小説では、白人−混血−黒人間のディスコミュニケーションの様相が、対話における疑念と釈明のやりとりを通して繰り返される。そしてそれは対話のみならず、身振りの描写により浮かび上がってくるものである。また同時に、この小説には登場人物の呼称の変化(例えば主人公の場合: Fremder→Offizier→Vetter)に応じて、話者間の対話の内容と身振りも変化するという場面が散りばめられている。登場人物の身振りと、敢えて異なる名前を付けてそうした描写を行う、いわば作者の身振り。この両者の絡み合い(テキストの身振り)を作者による仕掛けとみなし、そこからこの小説を読み直す。それによって、言語を介しては表現され難いものを、飽くまで言語のうちで表現しようとするこの作家の独自の在り方が明らかになる。
 
4. 『決闘』について
猪 股 正 廣
 『決闘』は、聖レミーギウスの日に暗闇から飛んできた一本の矢と共に始まり、聖三位一体の祝日のあくる月曜日に開催された法廷での証言を経て、聖マルガレーテの日に行われた神明裁判をめぐる物語である。時代は14世紀末と記されており、それはクライストのアネクドーテ『奇妙な決闘の話』、またそれに若干先行するベヒラーの『ヒルデガルト・フォン・カルージュとヤコプ・デア・グラウエ』が典拠としたフロワサールの『年代記』が記述している時代でもある。中世キリスト教社会を背景とした騎士物語の舞台装置の中で、作家がそこから如何に隔たった世界を構築したのかをたどることも一つの課題であろうし、また出典として上記のほかにセルバンテスの『ペルシーレス』も挙げられるが、私はさらに、クライストの同時代人によって当時盛んに翻訳されていたイタリアルネッサンス文学のとりわけアリオストの『狂えるオルランド』との関連も指摘できるのではないかと考える。戯曲家であるクライストがこの短編作品を構想するにあたり、どのような演劇的イメージをもって筆を進めたかについても、特有の文体である schon eben kaum..., als / dergestalt... , dass / inzwischen 等の使い方から論ずることも可能であろう。なにしろ当発表にはシンポジウムの中で同じ作品を扱うことになる新本氏の発表との Zweikampf になるやもしれぬという目論見も潜んでいるので、夏休みに入ったばかりのこんなに早い時期に作戦の全貌を明らかにするわけにはいかない。ただしフリードリッヒ・フォン・トロータの戦術の如く「地中に根を生やそうとするかのように」防御に徹し、観衆の非難に動かされて攻撃に移ろうとした矢先に足が縺れて倒れるようなことにはならないようにと願っている。
 
5. 《Zwei Fälle gibts...》 —クライストの言葉のネットワークからDer Zweikampfを読む
新 本 史 斉
 「落下(Fall)」、「偶然(Zufall)」、「堕罪(Sündenfall)」...あるいは「沈む(sinken)」、「没する (untergehen)」、「崩落する(zusammenstürzen)」...文学以前の初期の「手紙」以来、〈fall〉という文字に内包される言語イメージは、無数のヴァリエーションの形をとって、クライストのテクストの至る所に撒き散らされている。いかにも「落下」、「崩壊」が主題化されている『壊れがめ』、『チリの地震』だけではない。クライストの作品はすべからく、地上的存在を下方へと引きつける常態的な力でありながら、人為による物質的・社会的・法的・認識的建築を突如崩壊の危機に曝す突発的な力として発現しもする、このNaturgewaltの支配する舞台上で演じられているのである。
『決闘』も例外ではない。1811年夏に出版された『短編集』第二巻の巻末に置かれたこの作品では、「神明裁判」たる「決闘」に二つのfallが持ち込まれることによって、一義的に「真実」を明かすはずの「神の言葉」は曖昧な判じ絵へと変わり、紛争の当事者全てが例外なく「疑念(Zweifel)」あるい は「絶望(Verzweiflung)」の試練に直面させられることとなるのである。過去のテクストに書きつけてきたfallをめぐるいくつかのイメージを自己引用するかに見えるクライストの筆致に注目しつつ、それ自体、地上におけるクライスト最後の闘いともなっているこの作品の内包する可能性について考 察したい。
 

口頭発表・文学2(14:35〜17:25) D会場

司会:吉用宣二・石塚秀樹
  
1. イラク戦争と記録演劇『同胞アイヒマン』
守 屋  勉
 2001年9月11日の同時多発テロ以降、ドイツの作家・知識人の多くが明確な態度表明を行っている。アフガン戦争を経てイラク戦争に至り、その傾向はますます顕著になった。戦場からの報道に作家たちの声はかき消されがちではあったが、政治問題が再び作家の最大の関心事になったように思われる。
 唯一の超大国であるアメリカの強硬政策を批判するグラス、ヴァルザー、ハーバーマスなど、反戦論が主流であったが、偽りの平和主義を攻撃したビアマンやエンツェンスベルガーなど、その立場はさまざまである。
 こうした状況は1960年代と極めて似ている。作家や知識人は、それぞれの視点から政治的発言をし、特にドイツ演劇の分野では、「記録演劇」と呼ばれる、一次的記録資料を素材としながら、極めて強い政治的メッセージを持つ形式が好まれた。核兵器を背景にした東西冷戦下の恐怖の均衡の中で、ベルリンの壁建設やキューバ危機など一触即発の事態が頻発し、68年の学生運動へと向かっていった。記録演劇の主要作品は日本においても、同時代に翻訳・上演され、話 題を集めた。
 今回は、イラク戦争に関するドイツの作家・知識人の見解を概観するとともに、記録演劇の中でも最近の議論と特に関連の深い、ハイナル・キップハルトの『同胞アイヒマン』(Bruder Eichmann、1983年初演・出版)をとりあげ、比較・考察してゆきたい。
   
2. ボートー・シュトラウスと劇団シャウビューネ —ゴーリキー『避暑に訪れた人びと』改作を手がかりに
  大塚  直
 60年代半ば、演劇は自明性を喪失した自らの在り方を内省し問わざるを得なくなるが、そこに高次の反省水準を持つ演劇集団として登場してくるのが70年代の「ベルリン・シャウビューネ」である。その功績は実は文芸制作員シュトラウスの仕事に拠るところが少なくない。シュトラウスは“弁証法から考古学へ”の移行を提起し、時代の諸矛盾を合一へと導くのではなく、多様性を多様性のままに提示することを主張する。彼の関心は、現代社会の起源である〈19世紀〉 の深層構造・無意識的なシステムを明るみに出すことにあった。よって、彼が関与した上演はすべて「ドラマの危機」(ションディ)の時代に集中するが、どれも歴史の外的条件を描くのではなく、そこに置かれ葛藤を抱えた登場人物の精神構造を「言葉」で表現することによって逆に歴史・社会をあぶり出す試み、また演劇における〈主体〉の覚醒、自己内省の可能性を探る試みとなっている。今日なお検討に値するのは『避暑に訪れた人びと』で、人民階層の出身でありながら 彼らとの結びつきを失い日々を無為に暮らす小市民たち/インテリ連中の独善的な態度が、すでに客観的意義を失った芸術活動に勤しむ団員たち自身の生活状況と重ねて自己言及的に演じられる。また、テクスト中心主義を離れることなく映像メディアの美学を演劇に持ち込むなど、「ポストドラマ演劇」の視点から見ると過渡的な演出ではあるが、彼ら68年世代の演劇的営為をめぐる〈自己省察〉を美しく結晶化している。
   
  3. 精神を表象する身体 —ジャン・パウル『巨人』試論
  北 原 寛 子
 身体の描写は、しばしば肉体や知覚についての記述を超えて、精神に関する記述として解釈することができる。あるいは、精神性を強調すると却って身体性が浮き彫りになることがある。本発表では、ジャン・パウルの代表的長篇小説『巨人』(1801-03)を、精神あるいは身体に関する記述に注目してテキスト分析し、考察を試みる。
物語は、主人公アルバーノが支配者にふさわしい人間に成長する過程を描いている。アルバーノは、小国の支配者の後継ぎとして生を受けたが、小国間の権力闘争に巻き込まれ、出生の秘密を隠されて田舎で養育される。そのため、彼の性質は素朴である。だが彼は、より「高い人間」になろうとする意志を抱いており、精神的な側面を強調された人物といえる。これに対してロケロルはアルバーノとは全く対照的な人物で、演劇や恋愛に没頭するニヒリスティックな天才ということになっている。ロケロルは悲劇的な最期をむかえ、彼の表立った快楽主義は否定される。しかし、アルバーノの身体性は精神の名の下に隠蔽されているに過ぎない。たとえば目隠しや傷からの出血などは、精神の高揚という名の下に隠蔽された身体的な快感そのものといえる。なぜこうした快感の隠蔽が起こったのか、テキスト分析をもとに、文化的背景も含めて説明を試みる。
 
4. グリム兄弟における言語・法律・文化  — WaldとForstのはざまで—
大 野 寿 子
ヤーコプ・グリムのドイツ慣習法研究書である『ドイツ法律古事誌』(Deutsche Rechtsalterthümer, 1828)、『判例集』(Weisthümer, 1840-78)には、古代ゲルマンおよび中世ドイツにおける「樹木」Baum、「森」Wald、「森林(営林)」Forstをめぐる慣習、「森林法」Forstrechtやその先駆けとなった掟に関する記述が多数存在する。これらの記述を手がかりに、古の人間の森をめぐる精神的かつ物理的営為を検証す る。さらに、この慣習法研究によって培われた森に関する知識の、『子供と家庭のためのメルヒェン』(Kinder- und Hausmärchen, 1812)と『ドイツ伝説集』(Deutsche Sagen, 1816)における森の描写とその象徴性への影響関係を考察する。グリム兄弟が古の「生」の残滓と見なす民間伝承を自ら蒐集し始めた19世紀初頭、実際の森林がその豊かな姿をすでに喪失していたことは、森林史に関する諸研究、および営林局(Forstamt)の記録により明白である。彼らが、言語、文学、法律を含むあらゆる精神文化研究の根本理念として掲げる「古のもの」、「自然的なもの」、「詩的なもの」等の諸概念が、自生する豊かな「森」Waldの中に象徴的に表現されていること、「森」が実際の「森林」Forstと意図的に区別されていること、さらに彼らがあらゆる知識を駆使して両概念の相互規定を試みたことを検証する。
 
5. 「太陽英雄」としての太鼓たたき —『太鼓たたき』(KHM193)における宇宙的鼓動について
梅 内 幸 信
 森羅万象を支配する対立原理は、男女の自己実現の過程を扱う『太鼓たたき』にも大きな影響を与えている。深層心理学の理論を援用すれば、主人公による姫救出への旅は、「自我の確立」を意味することが分かる。また、彼を「太陽イメージの具現」と捉えれば、この童話は、「太陽英雄」が「雪と氷の山」という冬の象徴的イメージである「ガラスの山」を克服し、「春の豊饒の女神」のシンボルである姫を救出する物語であると解釈される。その際、主人公に力を貸す3人の人食いは自然力(雲・風・光)の、そして、2人の大男は昼と夜、あるいは主人公の無意識に潜む極性をもったシャドウの化身にほかならない。太陽英雄である太鼓たたきは、自己を実現するためには、通過儀礼として、3度に亙る試練を通じてグレート・マザーの悪しき側面を克服するために「母殺し」を、同様にして老賢人の知恵を獲得するために「父殺し」をせざるをえない。さもなくば、天体の運行、あるいは宇宙の鼓動は生じない。
 太鼓は、最初の楽器であり、その鼓動は、母親の胎内の鼓動、心臓の鼓動にその起源をもつ。この関連において太鼓は、母なる大地の鼓動ばかりではなく、太陽の鼓動をも象徴的に表している。主人公が物語の前半部で、また、姫が後半部でそれぞれ3度ずつ発する打撃音は、耳を傾ける者に日常性の毒による麻痺からの目覚めと、母なる大地と父なる太陽の鼓動への調律を要請していると結論づけられる。
 


ポスター発表(14:30〜17:30)

G会場
 
1. 滅びと平安 —シュティフターの廃墟像
  磯 崎 康 太 郎
  アーダルベルト・シュティフター(1805-68)は画家としても、作家としても、廃墟のモティーフを愛好した。とりわけシュティフターの初期の創作活動から、彼の廃墟像の変遷とその意味を検討してみたい。1829年頃からおよそ10年の間に、少なくとも5枚の絵画が「ヴィッティングハウゼンの廃墟」をモ ティーフにして描かれた。その時々の印象や心情を添えて対象を描いた、それらの絵画には、創作上の発展過程も認めることができる。また、そこに描かれている廃墟と環境との相関図は、シュティフターの文学にも表現されていると言えよう。1840年から執筆に着手された『喬木林』雑誌稿(1841)は、「ヴィッティングハウゼンの廃墟」をめぐる絵画の解説書としても読むことができる。その廃墟像は、『信頼』(1846)等の物語にも見られるように、人間にとって不気味な運命や破滅を意味するものとして、崩れかけた建築物の「現在」の姿から、喪失した過去へと思いを馳せるための装置であると考えられる。さらに、過去とは異なる「現在」への意識は、建築物に及んだ自然の再生力として描かれている。しかし、この再生力は廃墟を土に戻す力として描かれているのではない。建築物に内在している人間の力と自然の力とが「等式」を生み出した状態が「平安」の情感を醸し出す廃墟であるならば、その「平安」の状態は、人間の新たな営みが始まる再出発地点として機能していると考えられる。
   
  2. Wilhelm Raabeの最晩年から没後 「第三帝国時代」を通過する一作家像を追って
  —歴史のうねりと時代評価の連動—
永 末 和 子
 文学史上、三月革命後の作家は、さまざまに分類され、名称がつけられた。ラーベはそれらに異議を唱えた作家でもあった。長期の文筆活動の間、売れない作家として辛酸を舐める。浮沈の原因は人気、つまり読者の側のぶれに大いに関係した。もちろん本の購買は今日とはよほど異なり、読者が書店に赴き、選択して購入するという形態ではなく、越中富山の薬売りのように業者が読者に接し、良きにつけ悪しきにつけいわばご注文を承る形が醸成されていた。そこで業者が作家の作品に嘴をいれることもあった。ラーベはこれを拒絶した。森鴎外は『椋鳥通信』の中で、ラーベに関し記載する。彼の訃報と顕彰の事実が旅に病み客死を遂げるトルストイとその一族の模様を報じる記事と相前後して記される。鴎外はラーベの処女作Sperlingsgasseの舞台のSpreegasseに足を運んだようだが、顕彰の動きはそれに勝った。念願のドイツ統一から、華やぐ放逸のワイマール時代を挟んで、第一次世界大戦と世情は変化し、民族意識の昂揚が始終低音部に鳴り響くなか、彼の文学は愛国的との評価を受けた。Antisemitismus運動の教科書として利用されたこととも考え合わせるとき、共通するものとして彼の政治的関心度の高さがあげられる。彼の歴史物語と称されるものが史実に舞台を借りた現在の物語であり、終始一貫したその態度が時代の評価と連動する原因となったといえよう。
 
3. 「声に出して読みたいドイツ語」について考える —ドイツ語学習の見地から
木 戸 芳 子
斎藤 孝著『声に出して読みたい日本語』(草思社、2001年)がベストセラーとなった。ドイツ語の学習においても、「声に出して読む」、それも「ドイツ語として是非とも学ばせたい小説、詩歌、名句などを声に出して読む」ことの重要性は、従来から指摘されてきたことである。
ドイツの学校教育のなかで、「声に出して読む」ことが、どのように、母語として並びに外国語としてのドイツ語学習の中に取り入れられているのか、実例を探ってみたい。具体的には、たとえば学習指導要領などのなかで、「声に出して読む」ということがどのように位置付けられているかについて情報を収集し、ドイツに見られる特色を明らかにしたい。
同時に、「声に出して読みたい日本語」に相当する「声に出して読みたいドイツ語」作品として、どのようなものが想定されるかについても、ドイツの教育関係者にコメントを求め、その結果を紹介したい。
できるだけ幅広いデータをインターネットやメールなどを通して入手し、それらを整理して提示することにより、ドイツ語学習のモティベーションを少しでも高めるために、「声に出して読む」ことの意義を積極的に生かしていく方法論について、会員の皆さんと語り合う場を提供できればと考えている。
 

ポスター発 表(14:30〜17:30)

H会場

1. エンツィクロペディーへ —初期フリードリヒ・シュレーゲルの言語思想
胡 屋 武 志
 Fr. シュレーゲルはアテネーウム誌第二号第一輯(1799)に所収の論考『哲学について—ドロテーアに宛てて』の中で文字の持つ「魔力」について語る。「生は書くことである」と述べる彼にとって人間の唯一の使命は、「神性の思考を造形的な精神の鉄筆によって自然の文字盤に彫り込む」ことであるが、ここに彫り刻まれた文字の「死した筆跡」は「精神がおこなう、極めて深くにある直接的な表現」の覆いとなり、神性の思考を包み隠してしまうであろう。こうした覆いを剥ぎ取り、人間が神性に触れる可能性を開く認識能力は「悟性」Verstandである。「本来的に形而上学的な能力」、「反省と普遍性の中間にあるヌース」と呼ばれる悟性は、「完全に独立し、完全に完成され、完全に無限な表象」である思考をつかさどる能力であるという意味でそれ自体、精神において最も神的なものである。
 シュレーゲル思想のうちにある、精神と文字に基づくこうした言語哲学的モチーフは、ある理想的な形象へと結びつく。この形象はエンツィクロペディーと呼ばれるが、彼にとってこの語は、フランスのアンシクロペディストたちによる啓蒙的な大事典の構想の具体化とは異なり、万有を記述した来るべき「啓示」としての象形文字・書物(聖書)を表す秘教的な理念である。本ポスター発表は、言語とエンツィクロペディーの連関を考察することによって初期シュレーゲルの思想そのものの輪郭を炙り出す一つの過程となろう。
 
2. 舞台における「寝台(ベッド)」の表象劇作品における小道具と音楽の関係について
井 口 三 奈 子
具体的な作品の実例を挙げ、戯曲とその上演との関連を織り交ぜながら、小道具「寝台(ベッド)」の表象が持ちうる意義について考えたい。
「寝台(ベッド)」が置かれるのは寝室であるということを念頭に置くと、「寝台」は一般的にはプライヴェートな小道具であると言えるであろう。しかし、時代・職業・身分によって異なる場合もある。「寝台」という人間の日常生活に欠かせない小道具(生誕・苦悩・秘密・反省・病い・癒し・逝去などの場や神の居場所として)が戯曲の中に採用されると、舞台上で観客に見つめられる公共の小道具となる。今回のポスター発表では、プライヴェートな小道具が、その境界を越えて舞台上へ持ち込まれるときの変遷を劇作品の中に探る。
スイス人劇作家フリードリヒ・デュレンマットの執筆活動後期の傑作とされる喜劇『メテオール(流星)』の舞台中央に置かれる「寝台」は、存在感を持ち、場面に合わせて、死をむかえる厳かな場所となり、情愛の場となり、生命誕生の場となり、また祈りの場ともなる。
小道具と同様に劇空間を盛り立てるのが音楽である。小道具が視覚的に訴えかける空間的な形象性を特徴とするのに対して、音楽は聴覚を媒介として、時間的に展開され把持される。劇作品における小道具と音楽の関連についても、デュレンマットの同朋であり近年ドイツ語圏の演劇界で注目されるスイス人演出家クリストフ・マルターラーの手法などと比較しながら考察を行いたい。
 
3. ノヴァーリスと発明概念
平 井 敏 晴
 ノヴァーリスを、ルルスからライプニッツを経てヴァレリーへと至る結合術的世界表象、すなわち、世界は限られたエレメントの順列組み合わせによって表現・構成されるという思想の系譜に位置付けたのは、ジョン・ノイバウアーの『アルス・コンビナトリア』(原研二訳、ありな書房)である。この著作におけるバロック時代の発明術への言及が、本発表を試みるトリガーである。発明術とは、結合術の1つであって、絶対者の理性を表すタブローであるという。
 ノヴァーリスの断章には「発明」という言葉が見られるが、その分析にあたり、発明術に関するノイバウアーの論述を無視することはできない。とはいっても、両者の意味範囲には明らかな差がある。本発表の目的は、この格差を提示するとともに、格差が生じた文化史的背景を明らかにすることである。特に、ノヴァーリスの「発明」には所有の観念が特徴である点に着目する。所有の観念は、果たしてタブロー性と結びつくのか。
 ユルゲン・ダイバーは、ノヴァーリスにおける自然科学受容の研究をまとめた著書(2001年)の一節で、ノヴァーリスの発明概念について言及している。発表者の本テーマへの関心もノヴァーリスの自然科学受容から発展したので、ダイバーとの違いも示す。セッションにおける議論を通してこのテーマを展開させる方向を探りたい。
 


第2日 10月19日(日)

 

シンポジウムⅣ(10:00〜13:00) A会場

ディアスポラの文学
Literatur der „Diaspora“

司会:鈴木道男

 このシンポジウムは「ディアスポラ」をキーワードとするが、この言葉を離散の民であるユダヤ人に限定した概念としてではなく、最近の英語圏の文化研究でそうであるように、民族、文化、言語の越境、拡散というより普遍的な意味合いで考えていることを最初に断っておきたい。そのため、19世紀以降の時間的な軸に沿いながら、アメリカ文学、フランス文学の研究者の協力を得て、地域的な広がりをもう一つの軸として、5つの報告が構成されている。そうすることで、ドイツ語圏のユダヤ人文学という限定を超えて、文学における移動と越境の問題を広い視点からとらえ直してみようというのが、われわれの基本的な意図である。
人間の移動がこれまでになく活発になった現代においては、文学作品の創作も受容も、ひとつの国に結びついたかたちではとらえきれないものとなっている。国籍を越えて海外で創作活動を行う日本出身の作家が、最近では目立ってきているのも、その一例である。こうした国籍を越えた文学の展開は、移動や越境、自らの故郷、民族、文化、用いられる言語、人間のアイデンティティについての問いをあらためてわれわれに提示している。
しかし歴史的に見れば、このような移動や越境を伴う創作はくりかえし行われてきた。なんらかのかたちで自己の出自を逸脱していく作家たちが、どの言語によって、自己を何者として意識して創作していくのかという問題は、現代に限らず、多様な局面でさまざまな言語の文学に現れていたと考えられる。
今回の報告の内容を簡単に示せば、まず19世紀前半に活躍したオーストリア出身のアメリカ人作家シールズフィールドは、ドイツ語でアメリカを舞台にした作品を書き、生涯にわたって徹底して自分の素性を隠蔽したという意味で、ドイツ文学における特異な例を示している。一方世紀転換期の作家シュニッツラーの場合には、この作家とユダヤ性との複雑な関係が取り上げられる。ついでアメリカ文学の視点からの報告では、20世紀初頭において、中国系カナダ人でありながら日系女性として創作を行ったワタンナの例が示される。この女性は、アイデンティティの構築という点で興味深い例を提示する。また20世紀のブコヴィナ出身の作家アウスレンダーの場合は、苛酷な迫害を経験した同化ユダヤ人の問題が論じられる。最後にフランス文学の視座から、クレオール文学を手がかりに、文学における移動と越境の問題が考察されることになる。こうして様々な言語と時代の対象を取り上げながら、それらに共通する問題を抽出していくが、同時に、アメリカ文学、フランス文学の研究者との交流を深め、ドイツ文学研究の視点を相対化し、今日の文学状況についても考えるヒントを提供することを試みたい。
 
1. シールズフィールドと分裂するアメリカ
原  研 二
この報告では、19世紀前半のオーストリア人作家カール・ポストゥルのアメリカ大陸 を舞 台にする作品を取り上げる。メッテルニヒ体制のオーストリアを脱出し、アメリカ人チャールズ・シールズフィールドとして創作活動を行ったポストゥルの作品には、アイデンティティの喪失というテーマが色濃く流れている。アメリカという多民族国家において、民族のしがらみを越えたところによりどころをもとめようとして、再三理想的な社会形成の夢を確立しようとしながら、シールズフィールドの作品は実際には、そのようなアメリカ像の確立がきわめて暴力的な論理に基づくことを明らかにしている。
彼の作品には、良く知られた小説『船室の書』の副題「諸国民の性格」が示すように、アイルランド人、イギリス人、フランス人、スペイン人、クレオール人、ドイツ人、メキシコ人、北アメリカの先住民、メキシコ先住民、さらに「アメリカ人」な ど、さまざまな出自の人間が登場する。しかし、理想を投影されるはずのアメリカ人は、逆説的にかれが拒否したはずの権威的暴力的な存在につながっていく。この権威的暴力的傾向を拒否する限りにおいて、自己の出自である民族から離れて行われる創作活動が、ますます離心的な性格を強めざるを得ないことを、いくつかの作品をてがかりに考えてみたい。
 
2. シュニッツラーと反ユダヤ主義
松 崎 裕 人
なぜアルトゥア・シュニッツラーと「ディアスポラ」なのか。確かにシュニッツラーは ユダ ヤ人作家であり、19、20世紀転換期ウィーンのユダヤ問題に敏感に反応している。だが他方、彼の作品群は、むしろ同時代のブルジョア社会の様相を色濃く伝えている。歴史家P.ゲイが19世紀を「シュニッツラーの世紀」と呼んだように。
だが、シュニッツラーが同時代の文学的肖像を描いたと目されれば目されるほど、なぜ彼がユダヤ人作家として当時のユダヤ問題をも作品舞台にのせざるを得なかったか、その「居心地の悪さ」が際立ってくる。
ドイツ語作家として19世紀末ウィーン社会の姿を詳細に描く作家。でありながら、反ユダヤ主義によって、自身がユダヤ人であることを否応なく意識させられる作家。われわれが注目するのは、そのようなシュニッツラーの二重の位置である。
本発表では、主に長編小説『外への道(Der Weg ins Freie)』(1908)を読み直し、シュニッツラーにおける反ユダヤ主義への視点について考察したい。
 
3. 生まれ(ていなかった)故郷 —オノト・ワタンナの日本
宇 沢 美 子
 二十世紀初期に活躍したWinnifred Eaton Reeveはアジア系アメリカ文学の嚆矢と目される欧亜混血の作家である。中国系カナダ人としてモントリオールに生まれ、ジャマイカ経由で渡米し、日本人風のペンネームOnoto Watannaを用い、日本趣味満載の小説を執筆し、一躍時代の寵児となった。「日系」の仮面生活を続けること十数年、その後ハリウッドで脚本家となるが大成せず、やがてカナダでマッチョな牧場小説を書き、文壇の重鎮として生涯を閉じた。本発表ではこのワタンナの出世作『日本鶯』他をとりあげ、彼女の〈越境性〉について、特に彼女が作り上げた「生まれ(ていなかった)故郷」日本について考察を進める。
 通俗作家に徹したワタンナの武器は、作品の中に豊富に盛り込まれた日本の文学、芸術、習俗、演劇に関する情報であり、古き日本も新しき日本も含め、様々な日本のイメージが採取され作品に盛り込まれた。ワタンナの作り出した「生まれ故郷=日本」という虚構は、彼女の作品に信憑性を与えるための、アメリカ市場向けの方便だったばかりでなく、日米合作で進んでいたジャポニズムという仮想・仮装空 間への彼女の参入を意味した。換言するなら、それは、北米やヨーロッパで実際に活動していた日系人との直接的・間接的な関わりのなかで組み上げられ「信憑性」を獲得したり、逆にその虚構性を暴かれたりした、「現実」でもあった。
 
4. 故郷喪失者の文学 —ローゼ・アウスレンダーの詩的世界
藤 田 恭 子
旧ハプスブルク帝室直轄領ブコヴィナでは、ドイツ化政策が進められた結果、皮肉にもこの地域がルーマニア領となった第一次世界大戦後に、ユダヤ系ドイツ語詩人が輩出した。彼らは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツとルーマニアによる苛酷なユダヤ人迫害を経験する。生き延びた者も、戦後この地域がウクライナとルーマニアに分断されると故郷を離れ、ヨーロッパ諸国のみならず、イスラエル、アメリカ、ブラジル等世界各地に離散した。ローゼ・アウスレンダー(1901-1988)も、その一人である。
苦難のなかで多くのブコヴィナ出身の同化ユダヤ人を支えたのは、ドイツ語文化圏の帰属者としての言語的文化的アイデンティティである。アウスレンダーは1921年に経済的理由からアメリカへ移住するが、同化しきれず10年後に帰郷し、迫害を受けた。戦後、再びアメリカへ渡り、英語に切り替えて詩作活動の継続を試みるが、母語による自己表現への思いを捨てきれなかった。だが1964年に憧れの「首都」ウィーンへ「帰還」した詩人を待っていたのは、失望だった。強烈な故郷喪失の感情のなか、アウスレンダーはわずかに残された母語という遺産を引き継ぎ、そこから生まれた独自の「ことば」の世界に自己存在を託していこうとする。彼女は故郷喪失者としての人生を自らの「ことば」の根源として受け入れ、この「ことば」が向かう他者の存在へと目を向けていく。その軌跡を辿りたい。
 
5. 「文学」における移動と越境
恒 川 邦 夫
二つの事例から「文学」における移動と越境の新たな文脈と展望について考えてみたい。
第一の事例は現代ハイチ文学の多言語化についてである。長く仏語表現文学であったが、独裁政権時代に一つの抵抗の形として、クレオール語表現文学が生まれた。ついでアメリカ合衆国に移住した移民二世の中から英語表現の作家が現れた(E.ダンティカ)。さらに近年スペインに移住した女性(M.デュセック)がスペイン語で小説(『カリブの谺』)を書いてベストセラーとなった。しかし根底にはつねにハイチがある。このように一つの源泉が多言語表現となって花開くとき、それらはどのように研究されるべきなのか。文学の多言語化は、単一言語表現の文学を研究することを基本としてきた文学研究の「閉鎖性」に疑義を投げかけると同時に、創作家における「源泉」の重要さと作品受容のレヴェルにおけるグローバル化との特異なねじれ現象に目を開かせる。
第二の事例はカリブ海のヴァージン諸島の生活について、18世紀にドイツ人の福音修道会士が書き残した膨大な資料の発掘と出版である。現在この大部の資料を英訳する道が探られている。島民は英語表現であり、資料に書き記された歴史は彼らの歴史だからである。そこには他者の言葉で記された記録が唯一の自分たちの歴史資料であるという逆説がある。ここにも、移動と越境が生み出した一つの言語と文 学のねじれた関係があるように思われる。
 

シンポジウムⅤ(10:00〜13:00)    B会場

詩人としてのインゲボルク・バッハマン再読
—没後30年を節目に
Ingeborg Bachmann als Lyrikerin
- Wiederlesen anlässlich ihres 30. Todesjahres

司会:山本浩司

バッハマン研究は78年に出版された作品集を受けて、80年代以降著しく進展し、95年に刊行された『様々な死に方(Todesarten)』の歴史批判版を契機に、新しい段階に達したようである。フェミニズムやポストモダンのテキスト分析理論にはじまって、現在でもさまざまな視点から論文や研究書が陸続と刊行されている。研究対象としては、『マーリナ』をはじめとする後期の小説が大部分を占め、詩に関する研究はまだ開拓の余地が残されているように思われる。さらにこの数年間に、散逸していた初期の散文がまとめられ、遺稿詩集や回想録が刊行されるなど、全集に収められなかった作品や伝記的資料が多数出現したことは、バッハマン研究がひとつの転換期に来たことを意味する。
 本シンポジウムの母体となった研究グループは、これまで十分に解明されたとは言いがたいバッハマンの抒情詩を精読するために、2年ほど前に発足した。„ Die gestundete Zeit“„Anrufung des Großen Bären“の2冊の詩集に収められた詩を、遅々とした歩みではあったが、一篇ずつ丁寧に読み、議論を通して理解を深めてきた。その意見交換の中で、今回のシンポジウムが発案され、テーマが煮詰められていった。抒情詩人として出発し、生涯詩作を放棄しなかったバッハマンを理解する上で、詩は—これには広い意味で放送劇も含む—、小説と比肩し得る重要なジャンルであり、後の小説で展開されるテーマの多くがすでに萌芽として抒情詩にも現れているのではないか、というのがわれわれの問題意識の発端であり、輪読と議論を通して次のようなテーマが構成されるにいたった。
没後30年をひとつの節目に、これまでの研究を概観し、詩人・放送劇作家としてのバッハマンを照射することにより、今後の研究へのひとつの指針を提起するのが当シンポジウムの狙いである。
各発表者の要旨は以下に述べられるが、一言でまとめると次のようになる。飛鳥井は戦後抒情詩で果たしたバッハマンの詩の斬新さとその意義を、50年代当時の詩壇の状況から照らし出す。関口は大きな影響を受けたパウル・ツェラーンを試金石にして、それとの比較からバッハマンの詩の特質を考察する。稲本はビューヒナー受賞講演に対象を絞って、バッハマンの詩論を場所と身体をキーワードに読み解く。池谷は遺稿詩集に収められたいくつかの詩を通して、既発表の 詩にはない新たな面を探り出す。山本はバッハマンの放送劇をアイヒのそれと比較して論じる。
   
1. 戦後抒情詩におけるバッハマンの位置
  飛 鳥 井 雅 友
後には小説などでも高い評価を受けるバッハマンであるが、50年代の半ば、『猶予時刻』『大熊座への呼びかけ』の両詩集出版当時は、当然のことながら、彼女は主として抒情詩人として評価され、それによって、すでに時代を代表する詩人としての地位を確立していた。
本発表では両詩集出版当時の論評をはじめ、50年代から60年代初頭におけるバッハマンに関する議論をとりあげて、彼女の詩を文脈のなかから捉え直すことを試みる。このことは同時に、彼女の詩を「魔術的」とも「宇宙を包容する」とも評して絶賛した50年代の詩壇を、バッハマンを通して再検討する試みでもあり、戦後詩史への展望を開く上で重要な手がかりを提供してくれるはずである。
   
2. バッハマンとツェラーン
  関  口 裕 昭
ここ数年来、ドイツのゲルマニストの間で、「バッハマンとツェラーン」というテーマ が好 んで取り上げられている。作品にあらわれた影響については、『マーリナ』(特にその枠物語「カグラン王女の秘密」)にツェラーンの詩からの引用が数多く織 り込まれていることが以前から知られていた。しかし90年代に入って遺稿や書簡が公表されるにつれ、予想を超えた密接な個人的関係があり、またバッハマン の処女詩集も、ツェラーンの本質的な影響の下で成立したことが徐々に解明されてきた。両者の往復書簡集が封印されている現在、さまざまな推測が飛び交って いるが、作品を精緻に比較分析することが、そうした謎を解く有効な手段に違いない。
本発表では、バッハマンの処女詩集『猶予時刻』から、上述した視点から見て問題を含んだ数編の詩を取り出し、ツェラーンの詩と比較考察する。出発、愛と別 離、傷つけられた都市の風景、過去の歴史の克服といった主要なモチーフが、ツェラーンの影響を受けつつ、どのようにそれを変奏し、バッハマンが戦後詩人と しての独自の自己を形成していったかを考察したい。
   
  3. 場所と身体の詩学—バッハマンのビューヒナー賞講演  Ein Ort für Zufälle
  稲  本 恭 子
ベルリンを描いた1964年のビューヒナー賞講演Ein Ort für Zufälleを、場と身体の詩学論として読む。またビューヒナーや、他の受賞作家たちからの引用が交差する場として、「アウシュヴィッツ以後」の文学の 中に新たにバッハマンを位置付け直すことを目的とする。その際、東西冷戦下のベルリンがいかに一つの場として描き出されているか、空間や時の把握に着目し て論じる。狂気の発作を意味するビューヒナーの語Zufälleが示唆するよう、ベルリンは「発作のための場」として描かれる。自己同一性を失った匿名の 狂人の集団は、理性の首尾一貫性が野蛮へと反転したアウシュヴィッツ以後という歴史を背景に、論理的首尾一貫性に突如襲い掛かる「偶発」的なものとして読 み解かれる。また都市は、現在の空間が過去からの圧力で歪曲し、ずらされたverrückt場と化す。場の崩壊とともに場を知覚する感覚も失調をきたし、 狂気Wahnsinnとは狂った感覚Sinneに他ならないことが明らかになる。また溢れる程過剰な物流に対し、時は滞留・逆流する。首尾一貫性に対する 偶発性としての発作、場の歪曲、身体の損傷、時の滞留というモチーフは、崩壊した場と無反省に流れていく時に杭を打ち込む反省のモメントとして読み解くこ とが可能である。
   
4. バッハマンの遺稿から出版された詩について
  池  谷 尚 美
本発表では、バッハマンの遺稿から発見された詩を取り扱う。それらの詩は数年前に相次いで二冊の詩集として刊行されている。両詩集に収められている詩は、 断片に終わったものも含め、60年代前半に書き留められた。
バッハマンの創作活動は、1961年の『三十歳』を契機に、散文へと転じられたと見なされ、インタヴューの発言でも、そのことは言明されている。これを裏 付けるかのように、50年代に刊行された2冊の詩集の後、発表された詩の数は極めて少ない。
今回取り上げる遺稿詩集は、詩がバッハマンの創作活動の上で果たしていた役割の大きさを裏付けるものである。これらの作品は、この時期バッハマンが陥って いた精神的危機の状態を克明に表現していると見られ、作家の個人史と重ねて読みたいという誘惑に駆られる部分がある。その一方で、未刊の散文連作『様々な 死に方』と共通するテーマが散見されることからも、「詩版様々な死に方」と位置付けられてもいる。
本発表では、未完に終わった散文『様々な死に方』との関連を視野に入れつつ、これらの詩をできるだけ、散文とは独立した詩作品として捉える。特に注目した いのは、ベルリン、プラハ、アフリカ滞在の折に書かれた詩であり、それらの詩を基に、バッハマンの詩における新たな一面を探っていくことを試みるものであ る。
   
5. バッハマンとアイヒ
山 本 浩 司
 文学が各方面で撤退戦を強いられている今日からすると、50年代は、ラジオという新興メディアのなかでなお文学が覇権を握れた最後の時代だった。そこで はリスナーの「内的舞台」に直接訴えかける「抒情的言語」が神聖視された。このように抒情的に理解された放送劇にとって、作家は「声」だけで世界を創造で きる神に等しい特権的な位置を占めていた。なかでもバッハマンとアイヒは、このいわゆる「伝統的放送劇」にとって欠かすことのできない存在だ。驚異的な多 作によって50年代放送劇の代名詞にまでなった(„Eichmass“)アイヒに対して、バッハマンはわずかに „Der gute Gott von Manhattan“ 一作によって、金字塔を打ち立てた。この二人の功績なくしては、このジャンルも文学史の裏通りにくすぶりつづけていたはずだ。ところが二人は、それぞれ 60年代になって抒情詩=放送劇から「変節」ともとれる方向転換を行う。バッハマンは小説に転じフェミニズム的関心を装った巨大な未完プロジェクト„ Todesarten“に行き着くし、アイヒも、詩(„Maulwürfe”, 68)と放送劇(„Man bittet zu läuten“, 64)の枠組みにとどまりながらも、その内実を裏切っていく。問題はこの変化が本当に変節なのかどうかだ。本発表では、「書物としての世界」のトポスや言 語批判的な観点などを取り上げながら、50年代的な保守的文学理解とは初めから異質な二人の作家の問題意識に光を当ててみたい。
 

口頭発 表・ 文学3(10:00〜12:50) C会場

司会:松山雄三・丹治道彦
   
1. シラーとサドにおける崇高の概念
  本  田 博 之
  シラーとサドの比較研究における従来のアプローチ方法としては、第一に、シラー(1759-1805)の初期戯曲にみられる冷徹な理性使用をサド (1740-1814)の啓蒙思想と比較するもの、第二に、彼らの成熟期にあたる1795年の『人間の美的教育書簡』と『閨房の哲学』という、それぞれが 人間の教育あるいは陶冶が問題となる著作に着目するものが挙げられる。本発表もその指針とする、フランス革命を思想的背景として持つ後者のシラーとサドの テクストには、互いに正反対の力動性を持った人間の衝動論が展開されているが、その善悪を超えたところに立つのが両者の特徴をなす「崇高」である。
この観点のもとでは、人間の根本衝動を「社交性」と「非社交性」という2つの性質として捉え、文明状態における人格の形成が他者との和合ではなく、絶え間 ない抗争を通じて実現されると論じたカント後期の「戦争ですら崇高なものを持つ」と述べられる『判断力批判』における崇高論も視野に入ってくる。ところ で、そうした崇高の描写は、シラー後期の戯曲においても見られるはずである。たとえば、「戦争こそ人間の運命の原動力だ」と語られる『メッシーナの花嫁』 (1803)においては、同時に、「書くことで精神的な犯罪をやってみること」とサドが語るような崇高性が登場する。このような実践的な描写を追求するこ とで、後期の悲劇論を包含するシラーの崇高の概念は考察されるべきであろう。
   
  2. 文学史概念としてのシュトゥルム・ウント・ドラング
  今 村  武
シュトゥルム・ウント・ドラングを文学史概念として規定しようとする際には、常に様々な問題がつきまとう。それらは主に、この概念定義の揺れ、その前提と なる文献学的研究の欠如、そしてシュトゥルム・ウント・ドラングに組み込まれる作品ジャンル、の三つに由来する。本発表は、これらの問題点を概括し検討す ることで、概念の拡大と深化の根拠を明らかにする。その際特に日本におけるシュトゥルム・ウント・ドラングの受容史に注意を払う。そしてこの文学運動を新 たに定義する方向性を提示したい。
シュトゥルム・ウント・ドラングの概念規定の曖昧さの最たるものは、年代規定に関する問題である。現在においてもシュトゥルム・ウント・ドラングの始まり と終わりさえ明確でない現状にそれは容易に見て取れる。ここでは現時点において最も妥当と思われるこの文学運動の年代規定を今一度検討して、一応の年代設 定を試みる。
文献学的研究の欠如とはすなわち、かのグループに属する詩人とその文学作品を指す用語としての「シュトゥルム・ウント・ドラング」の発生と伝播の状況が説 明されていないことを指す。これはまた、この文学運動の後年における使用方法と意味内容の変遷の歴史、受容史につながる重要な問題である。ここでは当時の この言葉の発生状況に焦点を当て、どのように「シュトゥルム・ウント・ドラング」が一般的に使われはじめたのかを説明したい。
この文学運動の代表的ジャンルであるとされてきた戯曲のみに関心を向けてきたこれまでのドイツ文芸学における研究姿勢を反省し、シュトゥルム・ウント・ド ラングの詩人の多方面にわたる活動に注意を喚起する。これにより戯曲以外のジャンル、あるいは別の芸術分野に関する研究は、この文学運動の全体像を明らか にするために必要なことが示されよう。「シュトゥルム・ウント・ドラング」は、幅広い思想・学問・芸術の分野にまたがる批判性を原動力とする活発な創作・ 執筆活動であり、今後の学際的な取り組みが期待されるのである。
   
3. 読書するヴィルヘルム・マイスター —ゲーテの小説に描かれた近代的読書の成立—
山 本 賀 代
ゲーテの4つの小説には様々な読書形態が描写されている。本報告ではとりわけヴィルヘルムをめぐって描かれた読書状況を考察し、1800年前後に成立した とされる近代的読書に対するゲーテの視点を検証する。
 感情文化として書物を受け入れるヴェルター的な感受性を備えつつ、かつ書物による教化へのあこがれを抱く『修業時代』のヴィルヘルムは、当時のドイツの 実情を反映した様々な読書状況を体験する。18世紀後半には書物はあらゆる社会層に浸透し、利用のされ方も存在意義も多様になっていたことが跡づけられる が、書物と読者との関係はいずれも批判的に観察されている。この多彩な読書体験を経て、ヴィルヘルムにとって読書はもはや物語の主人公に同一化したり、作 者と架空の友情関係を結ぶことではなく、目の前にいる現実の他者との関係を促進するためのメディアに変容することが予感される。
 新しい読者ヴィルヘルムの姿は「文庫小説」『遍歴時代』に見いだされる。ここでは活字となって不特定多数に読まれる書物は問題にされず、個人的に書かれ た手稿が個人的な人間関係を育むためにまわし読みされ、流行の貸出図書館のアンチ・テーゼとしての「文庫」に保管される。内容的にも形式的にも、前近代的 な、手書き文化時代の書き手と読者との関係に支えられた『遍歴時代』は、近代的読書の成立に対するゲーテの批判精神から生まれた小説なのである。

4. ゲーテ形態学とヘルダー歴史哲学の類縁性について
濱 田  真
 1770年のシュトラースブルクでのヘルダーとゲーテの出会いは、従来のドイツ文学史では、文学史上の一大事件であるとして注目されてきた。これに対し て、1783年からほぼ10年にわたるヴァイマルでのヘルダーとゲーテの思想交流については、その重要性はほとんど指摘されてこなかった。1780年代に は、ヘルダーは『イデーン』の執筆に従事し、ゲーテは形態学をはじめとする自然研究の土台を固めたが、両者の交流を抜きにしてはこれらの思想営為を理解す ることは難しい。ゲーテは『形態学序説』のなかで、ヘルダーの歴史哲学研究のおかげで自らの自然研究が促進されたと述べているし、ヘルダーも『イデーン』 執筆が進んだのはゲーテのおかげであることを認めている。ゲーテ形態学とヘルダー歴史哲学は、生物の形態と人類史という異なった対象を扱ってはいるもの の、思想的には極めて密接な関係にあると言えよう。
 本発表では、1780年代の両者の思想交流の内実を、ゲーテ形態学とヘルダー歴史哲学に注目して明らかにしたい。具体的には、ヘルダーの歴史哲学構想に おいて、ゲーテ形態学の柱である原型論とメタモルフォーゼ論がどのような形で表れているかを、『イデーン』の叙述を中心に考察する。それによって両者の思 想の共通点と差異点を、18世紀後半の思想状況にも目を配りながら考えてみたい。
 
5. 『ドイツにおける文芸の現状に関する書簡 』— Fr.ニコライのシェークスピア評価を中心に
渡 部 重 美
 フリードリヒ・ニコライの『ドイツにおける文芸の現状に関する書簡』(Briefe über den itzigen Zustand der schönen Wissenschaften in Deutschland: 1755)は、1)いわゆるゴットシェート派(ライプツィヒ派)とボードマー派(チューリヒ派)の美学論争に最終決着をつけるのに大いに功績があった点、 2)この著書がきっかけとなってレッシングはニコライに興味を持ち、メンデルスゾーンを含めた三者の共同作業—その成果の一例が『最新文学に関する書簡』 (Briefe, die neueste Literatur betreffend: 1759-1765)である—が始まった点、3)後に『ドイツ百科叢書』(ADB = Allgemeine deutsche Bibliothek: 1765-1805)という形で結実した、文芸批評に関するニコライの基本的な考え方が述べられており、彼の作家、批評家あるいは出版者としての活動を考 える際の手掛かりを与えてくれる点など、いくつかの点で非常に重要な著書である。今回の発表では、その中の特に第11書簡におけるシェークスピアの評価に ついて、『最新文学に関する書簡』第17書簡におけるレッシングのシェークスピア評価、ユストゥス・メーザーがフリードリヒ二世の『ドイツ文学論』に対し て行ったイギリス評価と関連づけながら論じたい。
 

口頭発 表・ 文化・社会(10:00〜12:50)  D会場

司会:斎藤成夫・大島 衣
 
1. 原詩と歌詩の間 „Zwischen Original- und Liedtexten“
 《テキスト比較 から見えてくる解釈の可能性》
岩 川 直 子
 リート解釈では通常、付曲者がインスピレーションをうけた原詩ではなく、リートとして歌われるテキスト(歌詩)をベースにして Interpretationを行う。しかし多くのリートテキストの場合、詩人のオリジナルの詩とは若干異なることが多い。大抵の場合は作曲技術上の理由 で、あるいは付曲者の恣意的な好みで変えられることが多いのだが、中には付曲者の詩の解釈を反映している改変も見られる。本発表では、詩人のオリジナルテ キスト(原詩)とリート付曲用に使われたリートテキスト(歌詩)との間に見られる差異がいかにして発生するかを整理分類し、若干の具体例に即して付曲者の 原詩に対するスタンスあるいは解釈といったものがテキスト比較によってわかる場合とそうでない場合とがあることを示す。発表者がこれまで分析してきた数百 曲のリートを基に概ね以下のように分類してみた:
1)繰り返し(リフレーン)2)韻律上の操作 3)行や節の削除あるいは付加 4)句読点の異同 5)単語あるいはフレーズの変更 6)タイトルの付加や 変更 7)性別の変更 8)その他
 次に、原詩と歌詩の情調がまったく変わってしまった珍しい例としてハイネの「帰郷( die Heimkehr )」の61番目の詩„ich wollt, meine Schmerzen ergössen“のフェリックス メンデルスゾーンによる付曲とシューベルトと同時代の作曲家ヴェスク—Johann Vesque von Püttlingen(1803-1883)の付曲を挙げ、その成立事情を紹介しながら同一の詩による全く別な解釈があることを例証したい。最後に、似て も似つかぬこの2曲のCD鑑賞をして発表の閉めとしたい。
 
2. 「我が邦に人種問題なし」の意味するもの —日独文化連絡協議会におけるユダヤ人問題をめぐる議論から
葉  照 子
 日独防共協定(1936)3国同盟(1940)両協定に挟まれた1938年に日独文化協定が締結された。この提携を働きかけたドイツ人のモチベーション の一つはナチスのユダヤ人排除の政策に協力、同調させるためであったことは既に明らかにした。日独文化連絡協議会の席で独側はその意図を明確に示し、日本 からのユダヤ人講師排斥を求めた。日本側は 「我が国に人種問題なるものは存在せず」という発言で応戦した。そこから日本側の態度を「八紘一宇の精神」が博愛的、人種平等であったために同盟国に抗し てまでユダヤ人を助けたと言って、当時の思想を美化し見直そうとする動きが、現在一部で顕著である。
 しかし「我が国に人種問題なし」という発言をそのまま受けとることは出来ない。そこにはまず日本が欧米白人社会に向けて提案した「人種差別撤廃」が拒絶 された事件が前提としてあった。しかしこれは大アジア主義にとって武器となり、大東亜共栄圏のためのプロパガンダの固有の側面になった以外のなんの価値も なかった。次にユダヤ人の満州移住計画「フグ計画」を推し進めようとする政策的立場があり、同盟国と言えどもそのままユダヤ人排除の政策を受け入れるわけ にはいかなった。
 一方日本の国是であった「八紘一宇」と「一視同仁」の思想でなされた皇民化政策は、日本が侵略したアジア諸国民の権利を侵し、様々な形で戦争に駆り出し た。そのスローガンを生んだ人々こそが皇国の国体破壊要素としてユダヤ人をその元凶として挙げ、反ユダヤ主義を日本に広めた。「八紘一宇、一視同仁」思想 が、人種平等を謳っていたのではないことが、アジアにおける現実からも明らかである。皇国主義者たちにとってナチスの反ユダヤ思想は日本国内の思想問題に うまく補強剤として使われていった。そこに積極的なユダヤ人救助の思想はない。
 世界からの視線を意識した日本側の発言は、同盟国に対しても反論し得たし当時レトリックとして十分機能を発揮した。よって近年この文言を表面的に捉え、 「八紘一宇、一視同仁」の精神がユダヤ人を救ったという主張は、ユダヤ人問題を使用して、戦前の思想賛美、戦争肯定に問題のすり替えを行なっているだけで あり、当時のレトリックを現代版に焼き直ししたものであると指摘しておきたい。
   
3. 「共和制は必然的に民主的である」? —共和制をめぐるカントとフリードリヒ・シュレーゲル
田 中  均
 フリードリヒ・シュレーゲルは「共和制の概念についての試論」(1796)でカントの『永遠平和のために』(1795)の共和制論を批判して、「共和制 は必然的に民主的である」と述べている。本発表はこれを手掛かりに二人の共和制論を比較する。
 カントは民主制を、人民が立法権と執行権の両者を行使する政体とみなし、これは「必然的に専制である」と述べる。この批判は立法権における決定と執行権 における決定との差異に関する一種の判断力論に基づいている。彼は立法権と執行権の分離を、立法権において一般意志が成立するための必要な条件とみなして いるのである。
 これに対してシュレーゲルは、人民の多数派が実際に意志したことを一般意志とみなす「政治的虚構」を構想する。この構想の背景にあるのは、政治制度(構 成された諸権力)よりも、共同体の道徳的統一(構成する権力)の方を重視する態度である。しかし古代には実在した共同体の道徳的統一が近代には失われてい る、とみなすシュレーゲルは、近代において専制君主が人民の教育者として支配することを正当化する。
 カントが政治と道徳を分離することから共和制についての議論を始め、一般意志を制度によって確保しようとしたのに対し、シュレーゲルは共同体の道徳的統 一の上に政治を基礎づけようとした。しかしこの統一は理想に留まるがゆえに、逆説的に個人による絶対的支配を正当化したのである。
   
4. Kneipenlandschaft Internet - Wie Homepages Gäste rufen... -
Rudolf Reinelt
1. Dieser Beitrag untersucht Homepages von Kneipen als virtuelle Landschaften, die deren Ortsgebundenheit in Ubiquität transformieren und als „von Arbeit und Praxis getrennter Bereich“ (s. Ausschreibung) Gäste in eben einen solchen rufen können.
2. Kneipenhomepages (KHP), ein fundamentaler Widerspruch in sich, sind - im Prinzip - jederzeit AM JEWEILIGEN ORT des Benutzers (anytime-anywhere) verfügbare virtuelle Bilder von Kneipen, einer extrem ortsgebundenen und von längeren Kundenbesuchen (Reinelt 2003) abhängigen Institution.
3. Fragen der Präsentation behandeln z. B., welche neuen Werbe- und Gestaltungsmöglichkeiten und -notwendigkeiten (Reinelt 2004) sich bei der Einrichtung einer solchen Homepage ergeben, und welche kulturellen Unterschiede sich trotz aller Ubiquität aufgrund des engen Angesprochenenkreises finden, z.B. zwischen KHPs in Deutschland und Japan.
4. Erstellte KHPs können auf ihre Repräsentativität und den Aufbau und die Bedeutung ihrer Teile hin untersucht und als virtuelle vs. reale Landschaft im Deutschunterrricht benutzt werden.
5. Schliesslich stellt sich nach der Analyse eines Typs von Homepages, dessen Bezugsbereich Kneipen diesen extrem entgegengesetzte konträre Eigenschaften wie extreme Ortsgebundenheit aufweist, die entscheidende Frage nach deren Nutzen.
Reinelt, R. (2003) Homepages for Nominication. Communication Association of Japan 32, Sapporo..
Reinelt, R. (2004) What documents design. Tilburg, paper.
 
5. Möglichkeiten zur Steigerung der Attraktivität des Deutschen als zweite Fremdsprache an japanischen Hochschulen
林 エ ル ケ(Elke Hayashi)
Was kann eine Lehrkraft dazu beitragen, Studenten für die deutsche Sprache zu begeistern? Motivationssteigerung durch attraktive Unterrichtsinhalte und didaktisch wertvolle Lehrmethoden sind hierbei ausgesprochen wichtige Aspekte. Jedoch erreicht man damit nicht die angehenden Studenten, die Deutsch nicht wählen, weil sie nicht ausreichend über Möglichkeiten, die ihnen bei Kenntnis des Deutschen offenstehen, informiert sind. Dem Deutschen haftet unter japanischen Studenten im negativen Sinne das Flair des notwendigen Übels und im positiven das eines anspruchsvollen Hobbys an. Die Möglichkeit, es sich als Arbeitssprache, also quasi als Investition in die eigene berufliche Zukunft, zu sehen, liegt den meisten fern. Genau hier setzt meine Idee des PR für Deutsch ein. Ich möchte Ideen vorstellen, die zukünftigen Erstsemester von der Erlernbarkeit der deutschen Sprache zu überzeugen und auf die Notwendigkeit eingehen, sie auf Möglichkeiten auf dem Arbeitsmarkt bei Kenntnis des Deutschen hinzuweisen. Drittens soll auf Studienanreize wie Auslandsaufenthalte und Stipendien etc. näher eingegangen werden. Die Effektivität von PR für Deutsch soll anhand meiner eigenen Erfahrung mit konkreten Zahlen beispielhaft dargestellt werden. Auch auf die Tendenz, für Deutsch als zweite Fremdsprache an japanischen Universitäten Lehrbücher zu verwenden, die in Deutschland und nicht explizit für japanische Lerner erstellt wurden, soll in diesem Zusammenhang eingegangen werden.
 

 ポス ター 発表(10:00〜13:00)

G会場

1. テクスト言語学と言語実用論  Textlinguistik und Pragmalinguistik
—言語とその隣接領 域の協働の可能性を考える—
脇 阪  豊
テーゼ:言語の発現をテクストとみなすことは、言語とその隣接領域との関わりを考えるための前提であり、かつ方法論上の基礎である。
このテーゼについて、以下の諸点を手がかりに考えたい。
(A) 主として研究史の観点からの資料提供
1)レトリックと文法の歴史:「適切さ」と「正しさ」をめぐって。
2)H. Paul、F. de Saussure、E. Husserlの3者を現代言語研究につなぐK. Bühler の再検討。
3)「制度と研究」の観点:諸文化圏ごとのテクストへのアプローチのあり方の検討。
(B)  次の各項について私見を紹介しながら意見交換を行なう。
1) P. Hartmann からH. Feilke まで:「原初的な言語の記号性」
2) S. J. Schmidt とMedienforschung:隣接諸領域間の関連性
3)H. Weinrich とテクスト文法:「人間学的実用論」の文法
* 予稿集をご覧の方で、事前に資料をご希望の方は、メールアドレスを添えて下記までご連絡下さい。連絡は9月25日—30日の間にお願いします。10月5日 ごろまでに、メールで資料をお送りします。連絡先:VET07405@nifty.ne.jp
   
2. 初級ドイツ語文法を数学の公式を使用するように学んでみよう
Lernen wir erst die deutsche Grammatik, wie wir die Formeln der Mathematik praktisch anwenden!
金 谷 利 勝(Toshikatsu Kanaya)
Wir Japaner hören, sprechen, lesen und schreiben viele Wörter und Sätze der japanischen Sprache und der englischen Sprache. Nach langen Übungen lernen wir Japaner die Grammatik der Sprachen, die Regeln der Sprachen, die diese Sprachen innehaben. Nach wir die zwei Sprachen ganz vollendet haben, studieren wir in den Hochschulen die andere Sprache als die zweite Fremdsprache, zum Beispiel Deutsch. Hier möchte ich einen Vorschlag machen, auf eine andere Art und Weise Deutsch zu studieren. Ich erkläre nicht, wie dieser Satz gebildet worden ist. Ich gebe den Studenten die Sätze mehrere Male. Der Lehrer gibt den Studenten die Formeln der Mathematik. Er erklärt nicht, wie die Formeln gebildet wurden. Er tauscht die Zahl wiederholt aus. Er bittet die Studenten die Formeln auswendigzulernen. Als der Lehrer, der den Studenten in der Mathematik die Formeln lehrt, möchte ich ihnen die deutsche Grammatik lehren. Ich zeige den Studenten einen Satz: Ich wohne in Bonn. (die erste Form des deutschen Satzes.) Die erste Stufe; ich tausche „ich“ (das Personalpronomen-die erste Person) Die zweite Stufe; ich tausche „er“ oder „sie“ (die dritte Person) mit den Namen der Einzelpersonen aus. Die dritte Stufe; ich tausche „Bonn“ mit den Namen der anderen Städte aus. Die vierte Stufe; ich bilde die Sätze mit den Stätzen der ersten, zweiten, dritten Stufen. Die fünfte Stufe; Ich bilde Fragesätze und Negationen. Die sechste Stufe; ich bilde Fragesätze und Antworten. Ich bilde viele Sätze von der ersten Stufe bis zur sechsten Stufe der Reihe nach. Ich habe dieses mit einem bis zu mehreren hundert Sätzen gemacht. Meine Methode wird den Studenten helfen, wenn die Studenten in Zukunft ins Ausland gehen und die Sprache des Auslandes schnell und kurzfristig lernen müssen. Ich möchte behaupten, dass die Studenten an der Universität in Japan eine zweite Fremdsprache lernen sollen. Dabei ist eine Sprache mit höherer Kultur besser für die Studenten. Die Studenten lernen auch die anderen guten Faktoren in der Sprache. Deutsch ist eine dieser Sprachen.
   
3. 歴史的観点から見た正書法改革
中 村 直 子
現在、移行期間にある新正書法が登場した時には、新しい正書法規則の是非についての議論が多くなされた。しかし、今回は、そのような視点からではなく、歴 史的観点から見て、正書法改革がどのようなものであったかを提示したい。現代において、公的にドイツ語の正書法が定められたのは、1901年のベルリンに おける正書法会議においてである。(施行は1902年より)いわゆる旧正書法はこれに則っているわけであるが、現代の正書法規則の整備において、見落とす ことのできないのは、コンラッド・ドゥーデンに始まる、ドゥーデン正書法辞典の業績である。また、さらにさかのぼって、近代における正書法規則の規範化の 過程では、ヨハン・クリストフ・アーデルングの功績も無視することはできない。これらがどのような内容であったかを知るというのも、現代の正書法規則を知 る上では重要であろうが、なぜこの時期に、どのような思惑で改革が意図されたかを知ることも、興味深いと思われる。そのような視点から、正書法改革を捉え ることを、今回の目的としたい。
   

 ポス ター 発表(10:00〜13:00)

H会場

1. CALL統合環境としてのWEB対応授業支援システ「WebOCM」 (ウェ ブ・オーシーエム)の概要
日本ドイツ語情報処理学会/細谷行輝・保阪靖人・市岡正適
 大学にCALL教室が設置されると、我々外国語教育担当教師がCALL教室を利用 しな ければならない雰囲気が醸し出されるようです。しかし、外国語教育といっても、コンピュータ教材開発に企業がしのぎを削る英語と異なり、ドイツ語教育で は、ソフトや教材の不足は決定的です。
 今回発表するWebOCMは、CALL教室を含むコンピュータ支援環境でのドイツ語教育の問題点を解決すべく細谷らのグループが開発しているもので、 ユーザはブラウザ[インターネットエクスプローラ]だけを使うという極めて汎用性の高い統合システムであり、また、独自教材の利用が可能な Templateでもあります。具体的には、出欠記録の自動化、小テストの作成と採点および成績集計作業の自動化、さらに、ブラウザ上の任意の単語をダブ ルクリックするだけで意味を即座に表示するワンタッチ辞書機能(この機能はどんなホームページ上でも利用できます)も実現されています。Umlautなど のドイツ語文字はもちろん利用できます。個々の機能は個別のソフトで実現できますが、WebOCMの特徴は、それらが統合され、操作が簡明であり、教室運 営にかかわる教師の負担が大幅に軽減されている点にあります。
 WebOCMは、既に、大阪大学を始めとして、いくつかの大学で試験的に導入されていますが、本学会でこのシステムを紹介させていただき、皆様に評価し ていただきたいと思います。
 

2. 心態詞schonの韻律的特徴について

生 駒 美 喜
本研究では、心態詞schonについて、その韻律的・音声的特徴を音響音声学的手法を用いて明らかにすることを目的とする。
心態詞は、日常会話に頻繁に用いられ、話者の聞き手への心的態度や意図を表す。schonは、心態詞として様々な意味・機能を持つが、更に時間的な副詞としても用いられる。例えば、Peter kommt schon. という文では、schon を時間副詞と見た場合「ペーターはもう来る」という意味になるが、心態詞としては、「ペーターはきっと来る」という話者の確信の気持ちや、「ペーターは来ない」と言った聞き手に対する修正、更には「ペーターは来るよ、でも... 」と相手の意見を留保つきで一応は認める、など様々な意味合いを表すことが出来る。母語話者でない者にとってその意味を判断するのは難しい。
一方、話し言葉においては、韻律的特徴が話し手の意図・心的態度に重要な役割を果たすとされる。また、心態詞doch の意味・機能が韻律的特徴と深く関わっていることがこれまでの研究でも明らかにされている。 schon が話し言葉で用いられた際にも、アクセントの有無を含む韻律的特徴が意味・機能と結びついていると考えられる。
本研究では、schonを含む短い文を状況文および対話に埋め込んだ発話を音響分析し、その結果を基に、schon の様々な意味・機能と韻律的・音声的特徴との関連について考察を試みる。会場にて、実際の音声データも紹介する予定である。
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