Japanische Gesellschaft für Germanistik
 
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トップ  >  2002年  >  2002年度秋季研究発表会予稿集



日本独文学会

2002年秋季研究発表会

研 究 発 表 要 旨



2002年9月28日(土)・29日(日)



第1日 午前 9時45分より

第2日 午前10時より



会場 新潟大学 (五十嵐地区)

目次



第1日  9月28日(土)


口頭発表・文化・社会・文学1(11:00~13:00) A会場

 司会:原 亮、志村 恵

1. フランスの,,啓蒙主義“とドイツの啓蒙主義

織 田 晶 子

2. ヴァーグナーのオペラにおける夫婦像

三 宅 新 三

3. 言語への視線 ― Fr.シュレーゲルの批評と文献学

胡 屋 武 志

4. Alfred Kubin ≫Die andere Seite≪ ―悪夢と楽園―

竹 腰 祐 子



口頭発表・語学(11:00~13:00)     C会場

 司会:小川一治、小林敦彦

1. 時制用法の決定因子としての時制形式と副詞規定語の関係について

中 村 雅 美

2. 枠外化の再検討 ― 転写前後の談話を手がかりに

中 川 裕 之

3. 『二重過去完了』の意味機能について ― hatte+過去分詞 +gehabtを中心に

金 子 哲 太

4. lassen 構文の意味的・統語的分析 ―不定詞の意味上主語の形態について

磯 部 美 穂

口頭発表・ドイツ語教育・文学2(11:00~13:00)   D会場

 司会:宮内俊至、岡本亮子

1.明治3年(1870)大学南校におけるドイツ語教師カダリ著の教科書について

金 谷 利 勝

2. Stereotypie und Fremdsprachenunterricht

Matthias Grunewald

3. Muendliche Fehlerkorrekturen im Fremdsprachenunterricht aus der Lerner- und Lehrerperspektive

Klaus Blex

4. Was meinen wir in Deutschland mit dem Begriff ,,literarisches Chanson“?

Wolfgang Ruttkowski



シンポジウムⅠ(14:30~17:30)   A会場

ドイツ文学とユダヤ人問題

Deutsche Literatur und die Judenfrage

司会: 羽田 功

1.キリスト教会とユダヤ人

羽 田  功

2.反ユダヤ主義とシオニズム―ユダヤ人の発見

野 村 真 理

3.ユダヤ人の自己憎悪-フロイトの内なる自己憎悪

村 井  翔

4.イディッシュ語とドイツ語、その境界/断絶 ― 映画『ショアー』に即して

細 見 和 之



シンポジウムⅡ(14:30~17:30)    B会場

Kulturwissenschaftの課題と実践

Aufgaben und Praxis der Kulturwissenschaft

司会:池田信雄

1.ドイツにおけるKulturwissenschaft(en)と日本における「異文化」研究としてのゲルマニスティク

吉 田 治 代

2. 文化現象としての自然と科学 ― 19世紀後半の自然科学の流行と文学

磯 崎 康 太 郎

3. メリュジーヌ型説話における聖と俗

清 水  恵

4. 親子の情に背いて ― 市民悲劇における成長のテーマ

菅  利 恵

5. Grenzgaenger としてのリルケ

黒 子 康 弘



シンポジウムⅢ(14:30~17:30)  C会場

ドイツ語助動詞構造の歴史的発展をめぐって

Entwicklung der periphrastischen Verbalausdrucke im Deutschen

司会 : 重藤 実

1. 完了形と受動形の歴史的発展

嶋 﨑  啓

2. 古高ドイツ語における‘sein + 現在分詞’について

平 井 敏 雄

3. 未来形と開始相表現の歴史

重 藤  実

4. wurde文の歴史的発展

工 藤 康 弘

5. 助動詞表現と文法化の歴史

荻 野 蔵 平



口頭発表・文学3 (14:30~16:30)  D会場

司会:北村純一、別本明夫

1. アルザスの「ドイツ協会」のゆくえ ― シュトゥルム・ウント・ドラング研究に関する二、三の新たな課題

今 村  武

2. 神性の比喩としての人間の形姿 ― ゲーテ『親和力』における「像」の問題をめぐって

中 井 真 之

3.H.v.クライストの散文作品における対話と身振りの様相 ―『チリの地震』と『聖ドミンゴ島の婚約』を中心に

高 本 教 之

4. ,,Artistik und Engagement“ ―ハイネ『イデーエン ル・グラン書』についての一考察

富 重 純 子

ポスター発表(14:30~17:30)   E会場

「シラーとサド」は可能か? ― 「美」と「崇高」の非社交的社交性

本 田 博 之

ルーヴルのフリードリッヒ・シュレーゲル  ― 絵画批評にあらわれるその思想世界

武 田 利 勝

レニ・リーフェンシュタール復権をめぐるいくつかの問題

渋 谷 哲 也

Eine intuitive Visualisierung von Intonation/Satzakzenten/Rhythmus fuer den  Fremdsprachenunterricht?

Markus Rude

WWW上で使用するドイツ語学習マルティメディア教材

栗 山 次 郎

Ossi-WitzとDDR-Witz ― インター ネットの中のHeimat

佐 藤 裕 子



第2日  9月29日(日)

シンポジウムⅣ(10:00~13:00)    A会場

ドイツ青年運動と文学

Die deutsche Jugendbewegung und Literatur

司会:福元圭太

1. ホイットマンと青年運動

須 磨  肇

2. ルイーゼ・リンザー ― 青年運動という観点から

竹 岡 健 一

3. 青年運動とホモ・ソーシャリティー ― 同性愛と政治のディスクルス

福 元 圭 太

4. 身体問題としてのドイツ

田 村 和 彦



シンポジウムⅤ(10:00~13:00)    B会場

量から質へ ― 「新潟大方式」による外国語教育

Fremdsprachenunterricht: Von Quantitat zu Qualitat ? der Fall Niigata

 司会:金子一郎、福沢栄司

1. 集中コース(週4回通年8単位)とドイツ語教育の可能性

桑 原  聡

2. 一外国語必修(通年6単位)制度におけるドイツ語

宮 内 俊 至

3. Intensivkurs aus der Lernerperspektive

Stefan Hug

4. 講義による外国語科目「言語文化基礎」

佐 藤 信 行

5. 専門教育への貢献

木 村  豊

コメンテーター: 中山 純(慶応大学)



シンポジウムⅥ(10:00~13:00)    C会場

いわゆる「分離動詞」をめぐって

Einige Probleme der ,,trennbaren Verben“ im Deutschen

 司会:成田 節

1. 不変化詞動詞における項構造の交替現象について

岡 本 順 治

2. 不変化詞動詞の文の意味について

黒 田  廉

3. 不変化詞動詞と対応表現 ― コーパス調査による考察

成 田  節

4. いわゆる分離動詞の綴り方について ―アーデルングの正書法をもとに―

阿 部 美 規



口頭発表・文学4(10:00~12:00) D会場

 司会:吉田和比古、三国博子

1. 文学作品とエコロジー ― シュティ フターの枠物語を通して ―

松 岡 幸 司

2.「書くこと」をめぐる欲望の行方 ―カフカの『失踪者』における食と性

江 口 陽 子

3. 芸術形式としての象徴 ― ヴァルター・ベンヤミン『ゲーテの「親和力」』を手がかりとして

岡 本 和 子

4. ほら吹きの倫理 ― シュティラーの手記にみる現実否定をめぐって

葉 柳 和 則



ポスター発表(10:00~13:00)      E会場

ヴィクトル・ウルマンの音楽 ― 収容所からのメッセージ ―

中 野 有 希 子

カントの啓蒙論 ― その社会史的背景

斉 藤  渉

法、自由、中間休止 ― ヘルダーリンにおける「計算され得る規則」と「計算され得ない意味」の対立と統一をめぐって

大 田 浩 司

既存教科書のCALL教材化の試み

北 原  博

Praesentation von Lehr-und Lernmaterialien: ,,Unterrichtsgeschehen mit allen Sinnen erleben ― wie Lernende zu handelnden Personen im Unterricht werden"

Martina Gunske von Kolln






第1日  9月28日(土)


口頭発表・文化・社会・文学1(11:00~13:00) A会場

司会:原 亮、志村 恵



1. フランスの,,啓蒙主義“とドイツの啓蒙主義

織 田 晶 子

 啓蒙主義というものはフランスが本場であるとみるのが一般の通念であろう。そしてドイツの啓蒙主義はフランスの影響下にあり、プロイセンに於いて国家思想として働いたが、哲学思想としてはドイツに於いてそれほどの発展はなかったとみられている。

 だが当のフランスにはドイツ語のAufklarungに当たる、まとまった言葉としての"啓蒙主義“が存在しない。ディドロやヴォルテール等にしても、彼らは個人として理性の光1umieresを求めた哲学者、というより文筆家であって、体系というものは存在しないのである。

 ドイツの啓蒙主義は、フランスのような理性の光というよりも、むしろ自然法に基づいたものである。近代自然法は、神を認めながらもその直接的な支配を否定し、神から自立した人間理性にその根拠を求める法体系である。ドイツり啓蒙主義はこのような法哲学から発し、ヴォルフらによって最終的にまとめあげられ、啓蒙絶対君主フリードリヒ2世の下で国家の指針とされた。国家の政治思想として取り入れられた啓蒙主義、いわば国家啓蒙主義である。そしてオーストリアをはじめドイツ系諸国に大きな影響を及ぼした。このようなフランスとドイツの啓蒙主義のありかたの本質的な違いを明らかにした上で、ドイツ独自の啓蒙主義の成立と発展について述べてみたい。



2. ヴァーグナーのオペラにおける夫婦像

三 宅 新 三

 モーツァルト『フィガロの結婚』やベートーヴェン『フィデリオ』など、18世紀末から19世紀初頭にかけての近代初期に書かれたドイツ・オペラでは、強い愛情の絆によって結ばれた夫婦の姿が肯定的に描かれている。そこでは貞節という規範が重んじられ、近代市民社会の基礎単位である近代家族を特徴づける夫婦愛が称賛されていると言ってよい。
 それに対して、19世紀の半ば以降に書かれたヴァーグナーの主要なオペラに登場する夫婦の姿は、つねに否定的に描かれているようにみえる。そしてそれらの不幸な夫婦像の背後には、近代のブルジョワ的結婚に対するヴァーグナーの根深い疑念が感じられる。
 ヴァーグナーのオペラの女主人公たちは、19世紀のブルジョワ男性が理想とした女性像、すなわち、夫や子供に献身する従順で貞淑な妻という役割を担うことを拒絶している。その際、ヴァーグナーの批判の矛先は、夫婦のあいだに支配と服従の関係を築き、女性の性を抑圧する近代家族の家父長制に向けられていると思われる。愛と権力の対立というヴァーグナーのオペラにおける最も重要な主題が、破局にいたる婚姻の中に凝縮されている。
 この発表ではそのような不幸な夫婦像について、『ローエングリン』のローエングリンとエルザ、『ニーベルングの指環』のフンディングとジークリンデの例を中心に、リブレットの分析を通して考察してみたい。



3. 存在論の可能性  ― フリードリヒ・シュレーゲルの論理学構想

胡 屋 武 志

 1798年アテネーウム誌に掲載された断章の一つで論理学を「積極的な真理の要請から生じる実際的な学問」と規定しているように、シュレーゲルの思想において論理学が持つ意味は非常に大きい。カント同様、アリストテレスを論理学の父とみなし、以来学問としての論理学はほとんど変化していないと考えるシュレーゲルにとって、しかし、形式論理学の基礎にある同一律a = aは認識において常に妥当する自明の根本律としてあるわけでは決してない。別のアテネーウム断章で「哲学的グロテスク」と呼ばれる形式論理学は、1805/6年の講義『予備学と論理学』の中ではあくまでも経験的にのみ妥当する「実体の論理学」、「存在Seinの論理学」として否定的に論じられ、「積極的な真理」を描出するには不十分なものである。シュレーゲルが構想する「哲学の導入にして第一の部分」となるべき論理学は、「現存在一般の最も普遍的な教義」である存在論Ontologieの役割を果たすことになるだろう。この存在論は、無限の統一と無限の充満(多様性)という二つの理念を併せ持つ無限者の把握の<試み>であるが、発生論的法則に則っておこなわれるこの試みは果たしてその所期の目的を達成することが可能であろうか。いや、むしろつねにすでにそこに捺されている不可能性の烙印こそがシュレーゲルをこの試みへと駆り立てているのではないだろうか。



4. Alfred Kubin ≫Die andere Seite≪ ―悪夢と楽園―

竹 腰 祐 子

 ≫Die andere Seite≪(1909)は、画家Kubin(1877-1959)が残した唯一の長編小説である。中央アジアのどこかに位置する「夢の街」での三年間の滞在記の体をとるこの作品は、世紀転換期に跳梁した楽園小説のひとつといえる。ただし「夢の街」と名づけられたこの街は、父権原理の支配のもと、殺戮と犯罪の痕跡をもつヨーロッパ諸都市の瓦礫で築かれた、歴史ある「悪夢の街」でもある。ひとつの機能体としてのこの街の運動は、夢の意味の変遷を映す。時空の遠さを前提に、現実とは一線を画する別の世界でありつづける特権を、もはや「夢」はもちえない。憧れの源泉としての機能を超越した夢は、夢見る者自身と彼をとりまく世界の「もうひとつの側面」として、手を触れられる形をもってそこに在るのだ。

 作品の終末で「夢の街」は崩壊するが、作中の「わたし」は生き残る。よって「わたし」の滞在記は、楽園建設の失敗記として読まれることを可能にする。科学技術の進歩を頼みに楽園を築こうとする、作品が生まれた時代のもつ拡張の感覚は、たとえば塔に象徴され、現実のパリにはエッフェル塔がそびえ立ち、Scheerbartの≫Lesabendio≪(1913)では小遊星に塔が建つ。進歩を否定し、塔が崩れ、街が瓦解していく≫Die andere Seite≪の作品世界はまた、未来進歩小説の合わせ鏡といえるだろう。



口頭発表・語学(11:00~13:00) C会場

司会:小川一治、小林敦彦

1. 時制用法の決定因子としての時制形式と副詞規定語の関係について

中 村 雅 美

時制には、いわば‘時制性’の高い時制と‘時制性’の低い時制がある。つまり、例えば過去形のように、時制形式のみで時間指示を果たし、通常その指示する時間以外の副詞とは共起すらしない、高い‘時制性’を持つ時制や、現在形のように、時制形式だけでは明確な時間指示を行うことが難しく、そのためにその他の因子を必要とする低い‘時制性’の時制が存在するということである。時制の定義や時制の数が問題とされるとき、常に過去形がその時制の地位を譲らないでいる一方で、時に現在形がatemporalな時制とされるのも、この‘時制性’の程度が原因になっているのであろう。
 これまでの時制記述では、主に、時制が中心におかれ、時制と同様に時間指示を行う時間副詞類に関しては、一部の文法書で共起の可能性について一律に記述されてきたにすぎず、時制によっていかに副詞の役割の大きさに差があるのかについてはほとんど考慮されてこなかった。その点に関し、今回の発表では、まず、時制によって異なる、時制用法決定の際の時制形式と時間副詞類との影響力の違いを明確に示したい。そしてこの関係を再確認するとともに、副詞の側から時制機能を眺めることにより、副詞が時制に果たす役割を、これまで以上に重視すべきである、という副詞の役割の見直しを提案したい。



2. 枠外化の再検討 ― 転写前後の談話を手がかりに

中 川 裕 之

 有標語順を生む枠外化(Ausklammerung)は、基本語順や文枠と関連して、古くはBenes(1968)やEngel(1970)、最近ではZahn(1991)やIDS-Grammatik(1997)、Eroms(2000)等により、主として機能的(funktional)・経験的(empirisch)観点から論じられている重要なテーマである。本発表の目的は、(1)今までの文法記述ではどのように扱われているのかを明らかにし、(2)実際の談話資料を分析することで、(3)より妥当な説明を提案することにある。(1)では、Duden(1998)などの規範文法と、機能的観点からの文法記述を批判的に比較・考察し、相違点と問題点を浮き彫りにする。(2)では、母語話者により産出された自然な談話-具体的にはラジオ・インタビュー-を資料とし、帰納的(induktiv)に分析する。その際、この資料を用いることのメリットについても触れる。(3)では、構造上の条件と情報伝達上の要因を明確に区別・規定した上で、その相互作用によって生じる枠外化のメカニズムを説明する。一般的な文法記述から、テクスト種類に対応した文法記述へと向かう流れは、今や英語でも顕著な一潮流となっており(vgl. Biber etal. 1999)、テクスト種類を考慮した新たな文法記述を提案したい。



3. 『二重過去完了』の意味機能について ― hatte+過去分詞+gehabtを中心に

金 子 哲 太

 ドイツ語には、完了形が二重に構造化されたようにみえる統語形式が現れることがある。a) Er hat die Arbeit schon abgeschlossengehabt.(彼は仕事をもう終えてしまっている。)/ b) Frau R. hatte den Pachtvertrag gekundigtgehabt.(R女史は用益賃貸借契約を解約してしまっていた。)a)タイプの『二重現在完了』はおもに話し言葉で、b)タイプの『二重過去完了』はおもに文章語で散見される統語現象であるが、これについての文法書の記述はすでに16世紀に始まり、その存在は、等閑視されつつも現代に至るまで文法家たちに認められてきている。個別研究では、『過去時称消失』との関連でその出自が注目されたことが発端となって、1960年代初頭よりさまざまなアプローチで議論がなされてきているが、未だにその意味機能について統一的見解が得られるには至っていない。

 本発表では、考察対象をおもにb)タイプ,,hatte + 過去分詞 +gehabt“に絞り、先行研究から導き出された主要な意味用法を概観した上で、この統語形式が担う文法的な意味機能について考察することにしたい。そのさい、過去完了やその他の完了時称が担う意味の曖昧性との関連で、時間性とアスペクト性という意味論的観点から考察を進めることで、動詞カテゴリーにおける『二重過去完了』の位置付けを試み、『二重完了』という現象にどの程度文法的な概念としての価値を付与できるかについて考究していく1つのステップとしたい。

4. lassen 構文の意味的・統語的分析 ―不定詞の意味上主語の形態について

磯 部 美 穂

 lassen構文では、助動詞lassenの主語、不定詞の意味上の主語の有生性、不定詞の他動性が意味タイプの決定要素になると考えられる。この意味上の主語は、多くの場合、対格で表示されることから、lassen構文は、不定詞付き対格構文と分類される。しかし、不定詞が他動詞である場合には、意味上の主語が表示されないことや、対格以外の形態、前置詞句で表示されることがある。不定詞が、 bringen,schenkenといった二重目的語をとる動詞や他動性の高い動詞では、意味上の主語は、無表示と前置詞句表示となり、またsehen,horenなどの知覚動詞、fuhlen,erkennenといった感覚や認識を表す動詞の場合には、対格表示と無表示となる。
 本発表では、不定詞が知覚、感覚や認識を表す動詞の場合のlassen構文を対象とし、その意味上の主語に関して、事例分析を元に現代ドイツ語における傾向を示し、説明を加える。具体的には、知覚動詞などの場合においては、他動性の高い動詞とは異なり、二重対格を避けることや意味上主語を明確にするといった要因が当てはまらないことから、この場合のlassen構文では、不定詞の意味内容が、意味上主語の対格表示、無表示を決定していることを確認する。その上で、実際的な例を考察し、lassen構文における一つの意味構造を示す。



口頭発表・ドイツ語教育・文学2(11:00~13:00) D会場

司会:宮内俊至、岡本亮子

1.明治3年(1870)大学南校におけるドイツ語教師カダリ著  の教科書について

金 谷 利 勝

 江戸・徳川時代においては公的な外国語は中国語(漢学)とオランダ語(蘭学)であった。明治時代になってこれら2つの外国語のほかに英語、フランス語、ドイツ語の3つの西洋からの言語が勃興し、英学、フランス学、ドイツ学として長く学ばれるようになった。ここで、公的なドイツ語教育におけるドイツ語教科書について思いを巡らす時、明治3年(1870)に大学南校(後の東京帝国大学)の教師ヤコブ・カダリ―によって出版されたドイツ語教科書がその鏑矢だと思われる。これ以後にこの教科書を種本として日本人の手により何冊かのドイツ語教本が出版されている。初版本は明治3年(1870)に、改訂された第2版は明治11年(1878)に、さらに改訂された第3版は明治18年(1885)にそれぞれ出版されている。同一人によって発刊された、これら3冊の教科書を内容と形式の両面から眺めてみると、少しずつ変化していることがわかる。この変化は日本における公的なドイツ語教育の変遷を反映していると推測する。同時にこの変遷は明治政府の内部にいる人々とドイツ本国にいる人々との関わりの変遷でもあったと主張したい。その国の外国語政策はその国家の外交政策といくばくかの関係を持っているからである。大学南校で外国人教師カダリ―よりドイツ語を学んだ俊英が後に我国のドイツ語に関わる仕事に携わっていった様子が想像できる。



2. Stereotypie und Fremdsprachenunterricht

Matthias Grunewald

Die seit Anfang der 80er Jahre zunehmend geforderte Vermittlung interkultureller Kommunikationsfaehigkeit im Fremdsprachenunterricht fuehrte auch zu einer Thematisierung des Problems ethnischer, kultureller und nationaler Stereotypie. Mittlerweile herrscht ein breiter Konsens darueber, dass Fremdbilder zentrale Kategorien der Sprach- und Kulturvermittlung des DaF-Unterrichts sind, da die kulturell unterschiedlich gepraegten mentalen Repraesentationen bei der Aufnahme und Verarbeitung neuer Informationen ebenso wirksam werden wie in interkulturellen Gespraechssituationen. Allerdings wird ihnen bisher weder theoretisch und empirisch noch praktisch die notwendige Bedeutung geschenkt.

Im Rahmen des Vortrags soll versucht werden, die Entwicklungen der Stereotypen-Forschung in diesen drei Bereichen Theorie, Empirie und Praxis nachzuzeichnen. Die kulturelle und soziale Formung des Individuums erfordert, dass starker als bisher der (individuelle) Sozialisationsverlauf, der spezifische Bilderwerb und die Funktionalitat von Stereotypen in einem raumlichen, zeitlichen und kulturellen Koordinatensystem beachtet werden muessen. Aus diesem Grund soll auch auf die historisch gewachsenen Besonderheiten des Verhaeltnisses zwischen Japan und Deutschland als Grundmuster der gegenwaertig herrschenden deutschlandbezogenen Stereotypen eingegangen werden. Von diesen Ueberlegungen aus werden einige curriculare, didaktische und methodische Moeglichkeiten und Grenzen der Integration nationalstereotyper Sichtweisen in den Deutschunterricht an japanischen Universitaeten dargestellt.



3. Muendliche Fehlerkorrekturen im Fremdsprachenunterricht aus der Lerner- und Lehrerperspektive

Klaus Blex

Die muendliche Fehlerkorrektur im Fremdsprachenunterricht gilt fuer viele Betroffene als eines der wesentlichen Unterscheidungsmerkmale gegenueber Interaktionen zwischen Muttersprachlern und Nichtmuttersprachlern auserinstitutionellen Kontexten

Mein Beitrag moechte unter Berucksichtigung empirischer Befunde aus einigen der hierfuer relevanten Bereichen der Fremdsprachenerwerbsforschung (Fehlerevaluationen, Fehlerkorrekturen im Urteil von Fremdsprachenlernern, Observationsstudien zu Fehlerkorrekturen im Fremdsprachenunterricht) den Stellemwert dieser Arbeiten im Himblick auf ein effizientes Korrekturverhalten darlegen.

Bei meiner Analyse wurden vor allem Arbeiten aus dem anglo-amerikanischen Sprachraum, aber auch aus Deutschland beruecksichtigt. Ergaenzt werden diese Befunde durch Daten von Lehrenden und Lernenden an der Universitaet Bielefeld (Lehrendeninterviews, Lernerfragebogen).

Als Grundlage fuer die Lehrendeninterviews diente ein Raster von acht Leitfragenkomplexen. Die Lehrenden wurden darueber befragt, was sie ganz allgemein ueber muendliche Fehlerkorrekturen denken und wie sie deren Wirkung einschaetzen. Ebenso sollten sie darlegen, ob sie bestimmte Korrekturzeitpunkte oder Korrekturtypen bevorzuegen und auf welchen sprachlichen Ebenen (Grarnmatik, Lexik, Phonetik etc.) Fehlerkorrekturen vorgenommen werden.

In aehnlicher Weise waren die Lernerfragebogen konzipiert; von 100 Lernern wurden Aussagen hinsichtlich des Stellenwertes und der potenziellen Wirkung von Fehlerkorrekturen auf den Fremdsprachenerwerb elizitiert.

Die Auswertung all dieser von mir hier nur kurz skizzierten empirischen Befunde ergab ein sehr facettenreiches Bild hinsichtlich der Meinungen von Lehrenden und Lernenden zu mundlichen Fehlerkorrekturen im Fremdsprachenunterricht.



4. Was meinen wir in Deutschland mit dem Begriff ,,literarisches Chanson"?

Wolfgang Ruttkowski

Das ,,literarische Chanson in Deutschland" wurde im letzten Jahr hundert Jahre alt. Wir ,,erkennen" es, konnen es aber nicht eindeutig definieren. Da es eine Vortragsgattung ist, soll dies hier anhand von Tonbeispielen versucht werden.

Das Chanson wird von seinen Vorbildern in Frankreich abgegrenzt und dabei werden zwei Modelle des Vortragsstils unterschieden. Die Rolle von Text und Musik (und ihr Verhaltnis zueinander) sowie die Vortragskategorie des ,,rhythme fondu" und die Einstellung des ,,Camp" werden erklart.

Anschliesend wird das Chanson von der viel aelteren Vortragsgattung des Couplets abgegrenzt sowie von den juengeren Varianten des Folksongs und der Folkballad und vom sozialistischen Song von Bert Brecht.

Dabei werden vier inhaltliche Typen unterschieden: 1. die Selbstdarstellung oder Vorstellung, 2. die erzahlte Handlung, 3. die lyrische Momentaufnahme und 4. die (politische oder gesellschaftliche) Reflexion.

Mit der Offnung des anfaenglich intimen Podiums des Cabarets zum groesseren Raum des Songs aendern sich auch Schallform und Sprachstil der Buehnengesange, selbst wenn die Autoren teilweise die gleichen waren. Das Filmchanson kann in Nahaufnahme und Totale beide Stilarten reproduzieren.

Endlich wird geklawrt, was wir meinen, wenn wir von gewissen Operettenarien, Jazzballaden und Popsongs sagen, sie wurden ,,wie ein Chanson“ vorgetragen.


シンポジウムⅠ(14:30~17:30) A会場

ドイツ文学とユダヤ人問題

Deutsche Literatur und die Judenfrage

司会: 羽田 功

 今日のユダヤ人問題は、アメリカの影を色濃く引きずりながら、主としてパレスチナ問題として理解されている。全世界のユダヤ人人口のほぼ8割がアメリカ合衆国とイスラエルに集中していることを考えればそれも当然のことかもしれない。しかし、百年ほど前にはユダヤ人人口の9割近くはヨーロッパに集中していた。しかも、シオニズムやナチスのユダヤ人政策を持ち出すまでもなく、この百年を特徴づける問題特性の多くはヨーロッパの遺産、それも負の遺産とでも言うべき性格を色濃く持っている。とすれば、ユダヤ人問題の現在を考えるにあたっても、ヨーロッパのユダヤ人問題の歴史はなお多くの証言や思考の手がかりを与えてくれるはずである。

 本シンポジウムでは、「ドイツ文学」と共に「ユダヤ人問題」をキーワードとしてその関わりを文化史的に概観することで、現代につながる歴史的な意味合いを探る試みを展開してみたい。この作業は19、20世紀に偏りがちな、あるいは特定のユダヤ系作家に集中しがちなドイツ・ユダヤ研究やユダヤ系ドイツ文学の枠を越えた問題の広がりを確認すると同時に、「ドイツ文学」を手がかりとしながら「ドイツ文学」そのものの枠組を越え、これを相対化するための基本的問題の再検討をも目的としている。

 ドイツのユダヤ人問題を考える場合、「反ユダヤ主義」という用語によって問題に大きなフレームが与えられ、問題自体が性格づけられることが多い。だが、この用語がヨーロッパとユダヤ人の関係の在り様を語る言葉としてどこまでの射程距離を持っているのかはなお議論の最中にある。また、ドイツにおけるユダヤ人問題を「反ユダヤ主義」の視点から限定的に語るだけでも不十分である。さらにドイツ語・文化圏だけに固有な問題としてこれを扱うことも不可能である。そこで本シンポジウムでは、時代的には中世から近世・近代をへて現代のとば口まで、地理的にはドイツを中心としつつもこれに限定されることなく、幅広い角度から「ドイツ文学」と「ユダヤ人問題」が交差するさまざまな様態にフォーカスを当てるものとする。

 「ドイツ文学」の世界に「ユダヤ人問題」が残した足跡を追求することで、中世から近世・近代にかけて、ユダヤ人を取り巻く諸条件・諸言説の何がコンスタントなものとして伝承され、何が消えていったのかを見通しながら、これらをつなぐ横糸・縦糸を探ることが本シンポジウムの主要テーマである。



1.キリスト教会とユダヤ人

羽 田  功

 ドイツ語・文化圏にユダヤ人が本格的に姿を現すのは、歴史資料的には10世紀あたりからである。ところでこの時代、ドイツをはじめヨーロッパはキリスト教化の波に洗われていた。だが、キリスト教の立場からすると、ユダヤ人は「邪教徒」、「悪魔の子供」、「神殺しゆえに呪われ、見捨てられた民」にほかならなかった。つまり、宗教的に見ればユダヤ人はドイツ(ヨーロッパ)にとっては招かれざる客だったのである。しかし、それにもかかわらずユダヤ人はドイツのライン川沿いを中心に、ヨーロッパ各地に急速に定住していった。しかも、第一次十字軍を皮切りに、ヨーロッパのユダヤ人は中世を通じて迫害と追放の生活を余儀なくされていく。

 だが、それでもユダヤ人たちはドイツ(ヨーロッパ)に踏みとどまろうとした。こうしたユダヤ人とドイツ(ヨーロッパ)の関係をどのように理解すればよいのだろうか。この問題について、主に次の二点から考察を加えてみたい。第一点はキリスト教会によって形成された「ユダヤ人像」であり、第二点はドイツ(ヨーロッパ)におけるユダヤ人の経済機能である。しかも、互いに相反する方向を指し示すこの二点が同時に密接に絡み合っていること、またそれが後の時代に大きな影響を残して行くことが明らかとなるだろう。



2.反ユダヤ主義とシオニズム―ユダヤ人の発見

野 村 真 理

 ドイツにおけるユダヤ人差別の論理を時代的に図式化すれば、中世の理念的には超民族的なキリスト教帝国であった神聖ローマ帝国において、ユダヤ人差別は、キリスト教を否認する者に対する憎悪によって正当化されたのに対し、1871年のドイツ帝国成立以降、民族=国民国家ドイツにおける反ユダヤ主義者は、ユダヤ人をドイツ人とは異なる民族あるいは人種として差別し、排除しようとした。テオドール・ヘルツルに始まる西欧のシオニズムは、この民族的・人種的反ユダヤ主義に対抗するユダヤ民族主義の性格を持つ。しかしユダヤ人差別やそれに反発する言説の変化とはまさしく逆に、中世のユダヤ教徒が同時にエスニック・マイノリティとしての諸特性を実体的にそなえていたのに対し、近代ドイツのユダヤ人は、同化によってその特性を失い、ユダヤ教を信仰するドイツ人になっていった。このような状況のなかで、とりわけ第一次世界大戦を契機に、反ユダヤ主義者とシオニストの双方によって「発見」されたのが東欧のイディッシュ語ユダヤ人の大集団である。東方にドイツの生命圏を求めたナチスは、同化ユダヤ人が身につけたドイツ人の仮面を引き剥がすために東欧ユダヤ人を利用し、他方ドイツのシオニストは、東欧ユダヤ人によってユダヤ民族の実在を確信した。だが東欧ユダヤ人にユダヤ的民族性を代表させることに対しては、同化ユダヤ人はもちろん、シオニストのあいだにさえ激しい反発があった。



3.ユダヤ人の自己憎悪-フロイトの内なる自己憎悪

村 井  翔

「ユダヤ人の自己憎悪」とはよく聞かれる言葉だが、ここでは、1)ゲットーの壁を壊し、ユダヤ人をキリスト教社会に同化させるという啓蒙の時代以来、ヨーロッパ諸国の為政者たちがとってきた政策、2)それに起因する近代反ユダヤ主義(アンティ・セミティズム)の激しい高まり、3)同化ユダヤ人と東方ユダヤ人との軋轢、といった要因がからみあう19世紀以降のコンテクストにおける「自己憎悪」のみを問題にすることにする。

 今回は「自己憎悪」の一例として、ジクムント・フロイトのケースを見てみよう。とはいえ、フロイトのユダヤ人意識を探る上では欠かせない『人間モーゼと一神教』に触れることは故意に避けて、むしろそういった観点から見られることの稀な1890年代後半、自己分析の果てに精神分析の中心概念となるエディプス・コンプレックスを見出したとされる時期における「フロイトの内なる自己憎悪」を探ってみたい。1)この時期のフロイトが自分を神経症、とりわけ男性ヒステリーであると自己診断していたこと、2)当時のイメージでは、ヒステリーは「女性」もしくは「ユダヤ人」の病気であると表象されていたこと、といった文脈を踏まえて『夢判断』第6章に収められた「自己解剖の夢」などを読み直し、誘惑理論の放棄、エディプス理論の採用という精神分析理論確立の転換点においてフロイトの「自己憎悪」が果たした役割を探ってみよう。



4.イディッシュ語とドイツ語、その境界/断絶 ― 映画『ショアー』に即して

細 見 和 之

 イディッシュ語は、東ヨーロッパにおけるユダヤ人の日常語として、20世紀初頭には1千万人にもおよぶ言語人口を抱えていた、と言われる。しかし、ショアー(ホロコースト)をつうじて、その話者たちはナチによって百万単位で殺戮された。現在イディッシュ語は、研究対象として学ばれても、生活言語としてはほぼ壊滅状態に至っている。そこには皮肉なことに、イスラエルにおけるヘブライ語の完全復活という事態も関わっている。

このような現象は、クロード・ランズマン監督の『ショアー』(1985)においても確認することができる。ショアーを奇跡的に生き延びたユダヤ人証言者の口から、じつは私たちはほとんどイディッシュ語を聞くことができないのだ。

本発表では、『ショアー』において唯一イディッシュ語でなされているポドフレブニクさんの証言と、末尾近くで歌われるイディッシュリートに具体的に耳を傾けながら、ドイツ語とイディッシュ語、さらにはイディッシュ語とヘブライ語の境界/断絶について考えたい。

 最終的な焦点は、ある言語を基軸にした文化世界が死滅するとき、その死滅を「証言」する言語は自らをどこに位置づけることができるのか、という問いである。そしてこの問いは、その「証言」を聞く(=語らせる)者は自らの聴覚をどこに位置づけることができるのか、という問いと不可分でもある。



シンポジウムⅡ(14:30~17:30) B会場

Kulturwissenschaft の課題と実践

Aufgaben und Praxis der Kulturwissenschaft

司会:池田信雄

ドイツのあちこちの大学の文学部でゲルマニスティクの看板が下ろされ文化学(Kulturwissenschaft)の看板に掛け換えられているそうだ、という噂を初めて耳にしたのは80年代の半ばだっただろうか。いまでは文化学はゲルマニスティクをまさに駆逐せんばかりの勢いだということが日本でもよく知られている。日本の大学の独文学科もその多くが、ドイツ文学の研究だけでなく、ドイツ文化の研究を学生たちに奨励するようになってきている。こうした流れは、もはや押しとどめがたいもののようだ。本シンポジウムは、この傾向に安易に乗ったり、流されたりすることなく、そういう現象が起こってきている必然的理由を押さえた上で、日本のドイツ文学・ドイツ文化研究者として何が可能かを新しく問う試みである。

 問いの形に二つがある。日本でドイツに関わる文化学を遂行する際に、ドイツ語圏の文化学をそのまま受容していいのかどうか。たとえば、ドイツの文化学は、もはやゲルマニスティクのように民族文化の枠内の対象でなく、自国の文化を超えた文化一般を扱う学科となっているが、日本のゲルマニスティクはどこまで拡張すれぱ、それに相応するDisziplinたりうるのか。これがおそららく窮極的な問いの形だろうが、そう問う以前に、文化学をみずからの課題として引き受けるとき、どんな問題に直面せざるをえないかを問うことがまず一つだろう。もう一つは、文化学の方法を取り入れて研究を実践する中でぶつかる問題を体験し、問い直すことである。本シンポジウムでは、大きく分けて最初の二つの発表が前者、続く三つの発表が後者だと言うことができるが、それほど截然と区別できるわけではない。むしろ後半の議論のなかで問題が鮮明化することを期待したい。

 なお、本シンポジウムは蓼科の文化ゼミナールでの出会いがきっかけとなって企画された。ここ数年、蓼科の文化ゼミナールは、文学プロパーの研究者でなく、広い意味でのKulturwissenschaft(en)に携わる学者を招待講師に招いてきた。今年(2002年)はHumbolt大学のHartmut Bohme教授を招いて、その総括とも言うべきKulturwissenschaft als Provokation der Literaturwissenschaftというテーマのゼミナールが開かれた。昨年の参加者である黒子康弘氏をのぞく発表者全員が、今年のゼミナールに参加したのをきっかけに、文化学への越境と同時に文化学の考察を行おうと、このシンポジウムに集ったのである。

 これからも、蓼科文化ゼミナール参加者がこうした形でのシンポジウムを継続していってくださるとよいと思う。

1. ドイツにおけるKulturwissenschaft (en)と日本における「異文化」研究としてのゲルマニスティク

吉 田 治 代

 ドイツにおいてKulturwissenschaft(en) (以下、「文化学」とする)の誕生は、グローバル化やメディアの発展に特徴づけられる社会状況にあって、伝統的な精神科学を批判的に刷新していく努力の現れである。文化学は、文学研究などの個別分野に対し対象や方法論に関する自省を促し、また、それが打ち出すパースペクティブは、個別分野の間に引かれた従来の境界線を疑問に付している。この新しい文化学について、以下の3点を検討する。1)H. Bohmeは「文化」を「人間による仕事と生活様式の総体」という文化人類学的な意味で捉え、その研究を目指す文化学を構想する。まず、この文化学の概要を示す。2) 文化学は、諸科学について学際的・国際的に展開された議論、特に文化人類学と民族学をめぐる議論と深く関わっている。西欧とは異なる文化を研究対象としてきた文化人類学は、20世紀後半に西欧中心主義への批判が高まったのを受け止め、自己変革を行ってきた。この議論から文化学を逆に照肘する。それにより、文化学が、ヨーロッパの文化をもはや普遍的文化として捉えるのではなく、諸文化の中の一つとみなすべきとの要請への応答であることを明らかにする。3) ドイツ文化もまた一つの「局地的」な文化である。ドイツ文化を規範やモデルとしてではなく、「異文化」として研究するのが、いまや日本のゲルマニスティクである。ドイツの文化学と日本のゲルマニスティクをどう連携させたなら、いまこうした研究がアクチュアルな役割を果たしうるかを考察したい。



2. 文化現象としての自然と科学 ― 19世紀後半の自然科学の流行と文学

磯 崎 康 太 郎

 自然科学の発展は、西欧各国で次々に産業革命を成立させたが、とりわけ三月革命後の1850年代以降のヨーロッパ社会で、自然科学的知は広範な層に浸透していった。ドイツ語圏で科学と大衆を媒介したのは、科学関連の学術機関や専門家個人、科学を題材とする書籍の流行、抽象理論の実地での応用、すなわち産業化といった現象である。当時刊行された科学専門誌や思想書等から、生活圏への科学の浸透という文化学的主題の、産業革命後の一発達段階を看取できよう。分野毎の専門家の手によって、数多くの図版を備えた書物や「書簡」と名付けられることで読者へのメッセージ色の強い書物が出版された。また、社会への科学の応用効果については、諸階層・諸分野の枠を越えた議論がなされた。こうした現象に刺激された文学の分野においても、科学の発達に追従する文学や、これをユーモラスに描く文学や、ある種の現実逃避として自然や自然科学を慰めの源とし、これらを感傷的に眺める通俗文学が生まれた。さらに、一見科学とは縁遠いかのように見える文学作品においても、自然科学の発達と流行は看過することのできない影響力をもっている。
 この点については、文学史上「写実主義」と称され、今日なお名を残す作家たちの作品から考察したい。Aシュティフクー『晩夏』、G.ケラー『緑のハインリヒ』等から検討する予定である。そこでは、文学の自律的なあり方が模索されながらも、科学が作家の世界認識の前提をつくりあげている様子が見て取れる。



3. メリュジーヌ型説話における聖と俗

清 水  恵

 本発表では、中世文学のあるモチーフを、中世文学研究の枠を越えた文化学の研究手法で扱う試みとして、中世のフランスとドイツで成立した『メリュジーヌ物語』の背景を取り上げる。

 古くから世界各地の文化圏に広く分布しているメリュジーヌ型説話の代表的なもの(古代インド神話、ギリシア・ローマ神話、ケルト神話、マオリ神話等)を、聖と俗の関係という視点から比較分析してみると、説話の基底構造が明らかになり、その王朝起源神話としての性格が浮かび上がってくる。ちなみに、王朝起源神話とは、聖なる存在と俗なる人間との婚姻関係から生まれた子供が王朝の始祖となる神話のことである。一方でメリュジーヌ伝説は、アアルネ=トンプソンの『モチーフ・インデックス』においては「タブー」を主要モチーフとする異類婚譚に分類されており、その延長で蛇女と重ね合わされるメリュジーヌ現象についても様々な先行研究がある。そうした研究をふまえた分析結果をもとに、この神話モチーフが中世フランスとドイツで成立した『メリュジーヌ物語』にどのように引き継がれているかについて考察する。



4. 親子の情に背いて ― 市民悲劇における成長のテーマ

菅  利 恵

 所与の環境の中で自らの価値をどう確立させていくのか。この問題をめぐる言説の氾濫は、近代市民社会に特有の文化現象である。本発表では、この現象の一端を担うジャンルとしてドイツ18世紀後半の市民悲劇に注目し、発展途上の人間がそこでどのように描き出されているかを見ていく。とりわけ重視したいのは、市民悲劇の作品空間が近代家族の形態によって枠付けられていることである。教育の素材として、同時に親密な関係性の対象として「子ども」をクローズ・アップさせた近代家族は、伝統的社会とは様変わりした成長の道の主要な舞台であり、成長する者のふるまいや心理を基礎付けるシステムとして機能してきた。このシステムの具体的な働きや、そこで生み出される葛藤や希望の形態が、親子の諍いを描いた市民悲劇の中には、様々な仕方で表現されている。発表では主にレッシングの『ミス・サラ・サンプソン』とレンツの『イギリス人』を取り上げる。情愛に満ちた感傷的親子像と自己規律に方向付けられた教育とのつながりを指摘しながら、近代家族の空間を輪郭づけた上で、そうした空間と、二つのテクストに描かれた成長のあり方との関わりを明らかにする。また、家族や教育について描かれた他のテクストとの呼応関係にふれながら、同時代における成長についての言説の中で、それらの劇作品が持つ独自性や意義をも浮き彫りにしたい。



5. Grenzgaenger としてのリルケ

黒 子 康 弘

 言語は社会制度内の伝達手段であるからある種の普遍性が必須だ。その普遍性ゆえに、言語には、時として純粋な主観的内面性へと立ち返ることが禁じられてしまう。このことを不当だと考えた19世紅の音楽家(たとえばワーグナー)は、観念をすら純粋な内面的感情の中へと溶かしこもうとした。これに対して詩人は、音楽は観念性を欠いているために厳密な意味での自己反省が不可能だとして、音楽から詩へ富を奪還しようとした(たとえばマラルメ)。19世紀と20世紀の転回点にあって、音楽と詩は、そうした純粋な主観的内面性の獲得を目指してしのぎを削り、詩はいきおい音楽化し、音楽はポエジー化された結果、互いに浸食しあった境界上に不分明な領域が生じていた。リルケ後期の詩、たとえば,,Gong“は、そのような領域での詩人の歴史的経験を、韻律、統語、個々の言葉の選択等々、さまざまなレベルで重層的に表現したものである。そもそも、音楽と詩に限らず、造形芸術と詩、建築と詩、音楽と造形芸術などジャンルの相違をめぐる言説は、つとに古代にはじまりさまざまな時代に繰り返されたが、本発表が扱うリルケの活動した19世紀後半から20世紀前半にかけての時代には、ジャンル間の貫入、抗争、融合が、いっそう強度と切実さを増した。それはなぜなのか。複製技術の発明、もろもろの新メディアの登場、異文化の芸術とのポスト植民地主義的な相互作用等々、文化学的に持ち出される言説のトポスにはじめから依拠するのでなく、リルケの詩の詳細な分析、つまり伝統的な文学研究の方法を文化学的手法に接続することによって、私自身文化学と文学研究のGrenzgangerを演じたいとおもう。



シンポジウムⅢ(14:30~17:30) C会場

ドイツ語助動詞構造の歴史的発展をめぐって

Entwicklung der periphrastischen Verbalausdrucke im Deutschen

司会:重藤 実



 ドイツ語統語構造の歴史的研究において、助動詞構造は常に関心を集めてきた。それは、動詞領域における助動詞構造の発展が、ゲルマン語から現代のドイツ語にいたる言語変化における大きな特徴の一つであると考えられるからである。またインドヨーロッパ祖語は統合的言語であったと考えられ、分析的な言語構造への移行が、助動詞構造の発展において顕著に表れていると位置づけることも可能である。言語変化を理論的面から考察する場合にも、助動詞構造発展の歴史は、興味あるデータを提供してくれる。

 このシンポジウムは、werden や sein,haben を助動詞とする構造を取り上げ、通時的側面からドイツ語助動詞構造の発展を見ていくことをテーマとする。たとえば現在のドイツ語においては、werden は本動詞としての用法以外に、不定詞と結びつく未来形、過去分詞と結びつく受身形の助動詞としての用法、さらに「wurde 文」としての用法がある。これらの用法は、偶然に生じたものではなく、本動詞としての本来の意味との関連において、歴史的に形成されてきたものであろう。これらの用法の成立時期には違いがあり、またそれらの用法の確立時期もさまざまである。

 このシンポジウムでは、各時期における助動詞用法を、できるかぎり多くのデータに基づいて考察し、それらのデータを、ドイツ語史全体の中へ位置づけることを試みる。またこれらの現象を「文法化」として捉えることにより、ドイツ語の歴史的変化を説明する可能性も検討したい。



1. 完了形と受動形の歴史的発展

嶋 﨑  啓

 haben+過去分詞において、もともと habenと過去分詞がそれぞれ自律的意味を持ち、過去分詞が対格目的語を修飾するものであったとすれば、過去分詞の表す事態の動作主が文の主語と一致する必然性はない(das Pferd hat den Schweif gestutztにおいて尻尾の毛を切ったのが馬ではないように)。ところが、古高ドイツ語に最初に現れる haben+過去分詞の例を見ると、ほとんどすべての例において過去分詞の事態の動作主は文主語と一致する。この謎は、sein 受動との関連を考慮することによって解かれる。すなわち、X hat Y getan「XはYをなした」は受動の Y istgetan「Yがなされた」のいわば能動形として用いられるようになったということである。『オトフリート福音書』には、so haben wir gesprochen のような対格目的語のない例が現れるが、これも、so ist gesprochen のような主格主語のない sein 受動の例との関連から自然と理解される。本報告においては、受動という範疇を表すために試行錯誤的に用いられた sein+過去分詞、werden+過去分詞が、その発展の過程において wurde geworden のような一見奇妙な形なども生みつつ、最終的に能動の完了形の成立を促したことを述べる。



2. 古高ドイツ語における‘sein + 現在分詞’について

平 井 敏 雄

 現代ドイツ語に見られる多様な迂言的動詞表現は、総合的な動詞形式を特徴とした印欧祖語から、ゲルマン祖語・ドイツ語と分化する歴史的過程において発達・定着してきたものであり、時代が下るに連れて、分析的表現形式が従来の総合的表現形式と並んで生じる、あるいはそれに取って代わるこうした傾向は、多くの印欧諸語に共通する、通時的言語変化に際しての一つの大きな特徴と言ってよい。しかしながら、ドイツ語には、ある一時期においては、迂言的動詞形式の一つとして一定の定着を見ながら、その後廃れてしまい、現代のドイツ語においては用いられなくなった助動詞構造がいくつか存在する。本報告では、このうちの一つである‘sein + 現在分詞’について、古高ドイツ語におけるその現れを検証する。古高ドイツ語の前半期を代表する3つの大部の作品、Isidor, TatianおよびOtfridにおける、‘sein + 現在分詞’の全用例を詳細に検討し、特に前2作品については、原文ラテン語の語法との綿密な比較をも行うことで、古高ドイツ語においてこの語法が担っていた機能・意味、起源、助動詞構造としての定着の度合を明らかにし、また同時に、この迂言的動詞形式が現代のドイツ語に受け継がれなかった理由についても考えてみたい。



3. 未来形と開始相表現の歴史

重 藤  実

 開始相は動詞の意味によって表されることもあるが、複数の単語が組み合わされた構文によって表現されることもある。古高ドイツ語時代には開始相を表現する動詞を作る造語法があったが、中高ドイツ語から初期新高ドイツ語期には、主に不定詞や現在分詞を伴う助動詞構造が開始相表現として用いられたと考えられる。

 本発表では、中高ドイツ語から初期新高ドイツ語期のデータをもとに、特にwerdenを使った開始相を表現する構文の発展の様子を考察する。また開始相表現と意味的にも近い関係にある未来形の発展についても、開始相表現の発展との関連から、werden+不定詞の構文を中心に考察したい。



4. wurde文の歴史的発展

工 藤 康 弘

 wurde+不定詞は接続法2式の書き換えとして、現代ドイツ語において多用されている。wurde文が現れる統語的な環境として(1)非現実的な条件文+帰結文、(2)外交的接続法(Ich wurde sagen / Wurden Siemir bitte helfen)、(3)過去の視点から見た未来、(4)間接話法が挙げられる。特に(1)(2)(3)の構文ではwurde文の存在は大きい。本発表では中高ドイツ語以降の時期を対象とし、これらの用法がどのような歴史的発展を経て今日の状態に到ったのかを考察する。中高ドイツ語の資料としてDas Nibelungenlied,Iwein,Tristanを用い、初期新高ドイツ語の資料としてルター聖書、J. Pauli:Schimpf und Ernst,Th.Murner:Die NarrenbeschworungおよびBonner Korpusを用いる。

 そもそもwurdeのもとになっているwerdenは、競合するwollenやsollenを押しのけて、未来または推量の助動詞として発展してきたという歴史的経緯がある。本発表では接続法においても、同じような経緯があったという仮説のもとに分析を進める。すなわちwurdeは非現実的な条件文ではwollteとの競合、外交的接続法ではwollteやmochteとの競合、過去未来ではwollteやsollteとの競合から、今日の機能を獲得していったという仮説を検証する。



5. 助動詞表現と文法化の歴史

荻 野 蔵 平

 ドイツ語が属するインドヨーロッパ語は、元来極めて総合的な言語であったが、その後、地域によってさまざまなタイプの言語に変化していった。ヨーロッパを例にとっても、スラブ諸語が本来の姿を色濃く残す保守的な言語であるのに対し、英語、フランス語など西ヨーロッパの諸言語は高度に分析的な言語に移行していく。ドイツ語は、いわばその中間に位置しているといってよかろう。ところで、総合的な言語タイプから分析的な言語タイプへの移行は、名詞領域では前置詞、冠詞などの、動詞領域では助動詞の発達に顕著に見て取れるが、特に後者と密接に関係するのが「文法化(Grammatikalisierung)」という現象である。たとえば、「受動」という文法カテゴリーは、ラテン語ではamorと屈折によって表示されるが、ドイツ語では「なる」を意味するwerdenを「受動助動詞」に転用することでich werde geliebtと表現する、といった現象のことである。

 本報告では、まず、Meillet(1912)を出発点とする「文法化」の概念をHopper/Traugott(1993),Lehmann(1995)などに依拠しながら整理した後、本シンポジウムの他の発表で取り上げられるsein,werden,habenといった典型的なドイツ語助動詞構造の発展を文法化理論の観点から取り上げ概観する。さらに現代ドイツ語において観察されるbringen, kommenなどの「機能動詞構文」やer ist am Kochenといった文法化が現在進行中の現象についても言及したい。



口頭発表・文学3(14:30~16:30)  D会場

司会:北村純一、別本明夫

1. アルザスの「ドイツ協会」のゆくえ ― シュトゥルム・ウント・  ドラング研究に関する二、三の新たな課題

今 村  武

 1770年代にシュトラスブルクで展開されるヤーコプ・ミヒャエル・ラインホールト・レンツの言語政策論、ドイツ語論は、これまでの研究においては取り上げられて来なかった。本発表はシュトラスブルクにおけるレンツの著作と活動を概観した上で、シュトゥルム・ウント・ドラング研究に関する新たな課題を提示する。そして18世紀ドイツ文学研究の地平を拡大させうる可能性を指摘することをその目的とする。

 レンツのドイツ語論の文学史的位置は、ヘルダーの言語理論との比較研究から求められよう。またゴットシェート、アーデルングとの比較を通してシュトゥルム・ウント・ドラングのドイツ語観を明らかにしたい。

 レンツが設立したドイツ協会の活動をシュトゥルム・ウント・ドラングの一環として捉えるのであれば、ゲーテとヘルダーが離れた後のシュトラスブルクの文学史的位置についても再考されるべきである。とりわけ「市民の友」に印刷されたレンツの戯曲『軍人たち』に着目して、その批判性と影響圏を指摘したい。

 以上のような考察から、シュトゥルム・ウント・ドラング文学の内包する批判性の対象は、ドイツの古い慣習、制度を越えて、アンシャン・レジーム、対外戦争、言語的同化政策をも対象としていることが明らかとなろう。それはまた、極めて「ドイツ的」とされてきたシュトゥルム・ウント・ドラング概念の再定義を要請するはずである。



2. 神性の比喩としての人間の形姿 ― ゲーテ『親和力』における「像」の問題をめぐって

中 井 真 之

 当時の化学用語で作品のタイトルとなった「親和力(Wahlverwandtschaften)」の語をゲーテは一つの「比喩」表現として理解し、もともと有機体と無機物を区別する立場から論じていたが、『親和力』執筆にあたってはこの語を「倫理的な比喩」とみなし「選択(Wahl)」の語に含まれる倫理的な意味合いを強調する。「自然の必然性」の作用の中で、人間に倫理的な選択の「自由」の可能性があるのかを問題とするのである。

 オッティーリエの日記の中に、よき行為、よき詩をもとに「人間の形姿がもっともすぐれて唯一無比に神性の比喩を帯びている」という感情を喚起することに真の教育の目標があるという一節がある。人間が体現するという「神性」は詩「神的なもの」にもうたわれているように、より高次の存在を予感しつつ善と悪を区別し、善を「選択」しうるということにある。そのような倫理的な「範例(Vorbild)」によって、「形」なき、より高次の存在への信仰が可能となるとされる。

 ここにおいて、『親和力』における「比喩」の問題は自然物どおしの「類比」の問題から、人間が自らの「神性」を個々の行為のうちにいかに実現し形づくっていくかという問題へと移っていく。子オットーの死後自らの「罪」を自覚し、自然のデモーニッシュな力に抗して「良心」にもとづいて自ら「選択」した決断を固守するオッティーリエの形姿にその問題への答えが暗示されていると言える。

3.H.v.クライストの散文作品における対話と身振りの様相 ―『チリの地震』と『聖ドミンゴ島の婚約』を中心に

高 本 教 之

 劇作家として高名なクライストが、その散文作品において、登場人物の会話と身振りの記述に際し、いかなる技巧を凝らしているか。そこに着目すると、その文体・内容からも、「緊密に編み込まれた織物」に譬えられるテクストにおいて、対話と身振りの描写がそのほころびを浮かび上がらせる様が見えてくる。『チリの地震』では、暴動直前、フェルナンドの「町の総督の息子である」との名乗りに対し靴職人は、相手の実子を指しそれを抱くヨゼーフェに向かって「この子供の父親は誰なのだ」と問い返す。ここに読まれるのは、対話の相手がずらされ、また父親を名指す台詞に対しさらに別に父親を尋ねるという形で、問いが捻じ曲げられ折り返されるということである。この問いを聞いたフェルナンドは蒼ざめ沈黙する。では、その意味とは? 一方、取り返しのつかない一度の誤解が悲劇的結末を現出する『聖ドミンゴ島の婚約』で繰り返されるのは、白人―黒人間の疑念と釈明のやりとりである。その不一致の様相を読者に暗示するのが身振りについての描写である。その際の身振りは台詞を演出するものではなく、逆に齟齬をきたすものとして描かれる。 その齟齬の様相を追い、さらに、そこに見られるテクストのほころびを照らし出すなら、まずは、緊密に編み込まれたテクストがそれ自体、内在批評的解釈に抗う様態が、さらには読者にテクストの潜在層と顕在層間の往還を強いる作者の姿勢が明らかになる。



4. ,,Artistik und Engagement“ ―ハイネ『イデーエン ル・グラン書』についての一考察

富 重 純 子

 ArtistikとEngagement、あるいはまたAesthetikとPolitik。ハイネについての議論は、長らく、この二重性をめぐって行われてきた。というより、両端のいずれかに重点を置くことによって、個々の研究が積み重ねられてきたと言えよう。しかし、この対立項がどのように結びついて作品を生み出すのか、作品のなかで歴史と現在について省察するハイネの戦略は、はたして十分に明らかにされてきただろうか。

 「詩的想像力」と「イデオロギー的経験構造」という、芸術時代の美学およびその芸術理念にあっては互いを排除する契機が、ハイネにおいてはむしろ互いを要請している、というPreisendanzの指摘は、今なお、示唆に富む。ハイネは、SpiritualismusとSensualismus、また循環史観と発展史観などの類型論に、さまざまな、相反する、あるいは批判の対象とされるもろもろの思想的、政治的立場、宗教的伝統を還元するが、それは、そのような類型を表すようなものとして、対象を構成しているということである。あらゆる立場や見解を全体との関連に置き直すこと、言いかえれば揶揄することができるということ、それを作品は実演して見せるが、そこに嘲笑しえないものが垣間見える。

 ArtistikとEngagement という対立を再構成するのではなく、その下にある、ひとつの努力に目を凝らし、『ル・グラン書』を読む。



ポスター発表(14:30~17:30)    E会場



「シラーとサド」は可能か? ― 「美」と「崇高」の非社交的社交性

本 田 博 之

 従来のカントとサドに関する諸研究においてはシラー自体が論じられることは少ない。シラーがカント哲学体系に接近する契機となった『世界市民的見地における一般史の理念』には、すでに人間理性と社会の問題が論じられているが、『人間の美的教育書簡』におけるその問題は、J-P.ドゥボストが「カント・サド・シラー」論で論拠とする「政治的舞台」(フランス革命)の意味ではすでに薄れてしまっている。とはいえ、『美的書簡』に見られるような、創作の技巧的な光景(ヴィジョン)の方が直接的な光景よりも真実らしさを提示する想像力は、アドルノ/ホルクハイマーが述べる如く、「残酷さの想像」と「偉大さの想像」とを産み出す力でもあるし、近年、サドの用いた暗号や言葉遊びなどを含めたレトリック研究、言語哲学的研究が盛んであることに鑑みると、思想の文学的形式というシラーとサドの共通分母が浮かび上がる。つまり両詩人においては、統一体を形成しようとする性向と個別化に向かう性向を説くカント的理論が見られるだけではなく、想像力による驚愕および畏怖の対象ともなる自然もしくは野蛮への退行という言説もが明示されている。本発表は、『美的書簡』、『崇高について』等のテクストを扱い、「美」と「崇高」の理論と主体と他者との近代的関係という観点から「シラーとサド」論を検討することを目的とする。ポスター発表という場をお借りして様々なご教示を頂きたい。



ルーヴルのフリードリッヒ・シュレーゲル  ― 絵画批評にあらわれるその思想世界

武 田 利 勝

フリードリッヒ・シュレーゲルが、1803年から5年にかけて、自ら編集する雑誌『ヨーロッパ』で発表した一連の絵画批評は、後のカトリック改宗(1808)への徴候を示す資料としてしばしば言及されている。確かに、カトリック中世への熱狂的な「信仰告白」がこれらのテキストに色濃く現れていることは事実である。また、ほぼ同時期のゴシック建築論にもあるような、ドイツ的芸術への強い傾向を、至るところに認めることもできる。しかし、テキスト全体を覆うそのような色合いに惑わされずに、一つ一つの絵画批評を詳細に観察していくと、その批評のあり方はむしろ、初期の『アテネーウム』時代における文学批評とまったく直結していることがわかる。初期の批評――特に1798年の『マイスター論』と、のちの『絵画論』を結びつけるとき、その媒介となるのは「構成的特性描写」という概念である。「対象はどのように構成されているか」を問うこの批評は、同時に、「対象をどのように再構成するか」という「実験」でもある。本発表では、シュレーゲルが批評した、イタリア・ルネッサンスおよび北方ルネッサンスの絵画作品を実際に(なんらかの形で)鑑賞しながら、シュレーゲルとともに、それらを「再構成」するところから始めたい。その上で、シュレーゲル独自の「象徴的絵画」という概念が、その思想世界とどのように結びついているかを考察する。



レニ・リーフェンシュタール復権をめぐるいくつかの問題

渋 谷 哲 也

 レニ・リーフェンシュタールの評価をめぐる議論は戦後の様々な時期を経て変化してきた。近年では戦後が次第に遠のくにつれ、彼女のナチ加担の罪を今更問うことは無意味だという意識が次第に高まりつつある。とりわけ1980年代後半から、リーフェンシュタール復権の土壌は次第に整えられていった。『回想』の出版、長編インタビュー映画『映像の力(邦題:レニ)』の公開、そして世界各地での彼女の回顧展開催などにより、何よりも芸術家としてリーフェンシュタールの功績をポジティヴに捉える見解が優勢となり、ドイツ国内においてもそうした好意的な評価がはっきり見られるようになってきている。

 確かに旧来の議論で繰り返された≪政治か芸術か≫という二項対立を改めて呼び出すことは無意味だが、リーフェンシュタールの政治的な問題とその芸術活動と切り離すことはできない。むしろそれらを切り離して評価するときにこそ、政治と美学との危険な結びつきの核心に触れる問題が明らかになる。本発表はこの危険領域であるリーフェンシュタールの政治的な問題性に今一度意識的でありつつ、今日映画作家リーフェンシュタールをいかに評価するかという可能性を探ってみたい。その際伝説的なリーフェンシュタール像が彼女一流のパフォーマンスによる構築物であることに注目し、これまでの彼女の評価において見逃されていたメディアとジェンダーの視点を主軸に取り上げることにする。

 なお発表において、ビデオによる参考上映を行なう予定である。



Eine intuitive Visualisierung von Intonation/Satzakzenten/Rhythmus fur den  Fremdsprachenunterricht?

Markus Rude

Obwohl heutige DaF- und ESL1-lehrbucher die korrekte Aussprache auch auf Satzebene behandeln, ist mangelhaftes Akzentuieren und Intonieren ein weitverbreitetes Problem. Die zentrale Frage dieses Poster-Vortrags lautet, ob es moglich ist, eine Form der Verschriftung - bzw. einen visuellen Code - zu erzeugen, aus welchem Fremdsprachenlerner parallel und moglichst intuitiv die prosodischen Sprachbestandteile Intonation, Satzakzent und Rhythmus decodieren konnen.

Der Autor wird anhand deutscher und englischer Schriftbeispiele ein neuartiges Konzept - die Prosodische Schrift - erlautern. Prosodische Schrift ist eine nichtlineare Schriftform, bei der die drei prosodischen Merkmale Intonation/Satzakzent/Rhythmus codiert sind durch die drei geometrischen Merkmale Schrift-Kurvigkeit/Buchstabengrosen-Variation/horizontale Buchstaben-Deformation. Die Beispiele wurden im Deutschunterricht an Dokkyo Universitat (Soka) und im Englischunterricht an Rissho Universitat (Tokyo) angewendet. Zur Beurteilung des intuitiven Charakters werden Ergebnisse aus einer Umfrage unter 200 StudentInnen vorgestellt: Fur eine Mehrheit der StudentInnen scheint Prosodische Schrift implizit uber die Beispiele verstandlich geworden zu sein, obwohl die zugrunde liegende Theorie nicht explizit eingefuhrt worden war.

Auser rein visuellen Beispielen wird auch ein Beispieldialog vorgestellt, den zwei ESL-StudentInnen - ohne vorherige Nutzung oder Erlauterung Prosodischer Schrift - vorlasen. Es wird die Moglichkeit bestehen, den Originaldialog, die visuelle prosodische Verschriftung und die beiden zugehorigen auditiven Produktionen zu vergleichen.

1 English as a Second Language



WWW上で使用するドイツ語学習マルティメディア教材

栗 山 次 郎

 近年は種々の分野においてヴァーチャル・ユニヴァーシティもひろがり、ドイツ語教育に関しても種々の教材が作成されている。この発表では、その一つとして、WWWを利用してドイツ語を学習するマルティメディア教材を紹介する。

 当教材では(A)システム構築--ここではシステムエンジニアが中心となる--、(B)教材作成プラットホーム--これによってシステムエンジニアがドイツ語教師のコンテンツ作成を支援する--、(C)教材データベース--教師は作成したマルティメディア資料をここに蓄積する--、(D)学習進行--学習者が教材を利用して学習を進める場--などに工夫を加えている。発表では主として(D)を説明する。パソコンを使用しながら学習内容を表示し、学習者がこの教材を使用する手順を解説する。

 この教材は各課ごとに(1)登場人物のドイツ語会話により学習内容を動画で提示し、(2)会話に使用されているドイツ文の日本語訳を示すとともに、ドイツ文を解釈するのに必要な文法的な説明を日本語の文章で行い、(3)学習内容に関する表現をドイツ語音声、静止画、ドイツ語文章、日本語文章で示し、(4)ドイツ語の音声を聞いてドイツ語で書く、日本文を見て、それに相応しいドイツ語を書くなどの練習を課し、(5)学習成果をテストし、(6)テスト結果を明示する。学習者はこの教材を使用して、ドイツ語を聞く、読む、書く能力を養成できる。



Ossi-WitzとDDR-Witz ― インターネットの中のHeimat

佐 藤 裕 子

 ベルリンの壁が崩れ、東西ドイツが統一されてから間もなくOssi-Witz、Wessi-Witzというジャンルが誕生した。これらのWitzは統一後のドイツ社会の現実を反映しつつ、Ossi(東ドイツ人)とWessi(西ドイツ人)の姿がそれぞれステレオタイプ化されて展開する。その後、「心の壁」や「オスタルギー」という表現が広く使われ始めるのに伴い統合前のSED独裁体制下でのDDR-Witzが再び語られ、収集されるようになる。この現象はインターネットの中で顕著に観察され、例えば2002年8月現在、DDR-Witzに関するウェブサイトは約370を数えている。Witzに加えて、DDR自体に関するサイトもまた数多く開かれ、家具や電気製品の販売から、マッチ箱や切手、Ampelmannchenなど当時の人々の生活を伴っていたさまざまな「もの」の展示、StasiのWho's WhoまでありとあらゆるDDRに関する情報が提供されている。それは1990年に消滅した国家がヴァーチャルな世界において存在し、西側の物質文明の消費生活への強烈な願望の陰で、かつて惜しげもなく捨て去られたDDRの日常文化がルネッサンスを迎えたかに見える。Ossi-Wessi WitzもDDR-Witzも、統一後のドイツ社会における旧東ドイツの人々のIdentitatの模索や再構築と深く関連しているのではないだろうか。発表ではこれらのWitzを通して、統一後12年を経過したドイツ社会の中で、統計調査の数値として表れない旧東ドイツの人々のIdentitatの中身を探っていきたい。




第2日  9月29日(日)



シンポジウムⅣ(10:00~13:00)     A会場

ドイツ青年運動と文学

Die deutsche Jugendbewegung und Literatur

司会:福元圭太

 「ドイツ青年運動」とは何であったのかを要約することは極めて困難である。「ドイツ青年運動」に関する重要なモノグラフィーを著したウォルター・ラカーも、この社会運動を「曖昧で、無定形で、とらえどころがない」と言う。この「青年運動」の発生と終結の日付けにも諸説があるが、発生に関しては1896年、ヴァンダーフォーゲルの胚胎に見ることで大方の意見は一致する。その終結はしかし、1914年、あるいは1933年とする歴史家がいる一方、第二次世界大戦後も「ドイツ青年運動」の影響が存続している(旧東ドイツのFDJ、「緑の党」の基本理念等)ことを考えると、未だに「青年運動」は終わっていないという見方もある。  「曖昧で、無定形で、とらえどころがない」とはいえ、特に最初期の「ドイツ青年運動」の性格については以下のようなまとめが可能であろう。19世紀末のヴィルヘルム体制下、特に大都市では英仏に遅れて産業社会化が急激に進行し、機械化の波が押し寄せてくる。物質的豊かさと引き換えに精神的富の価値は暴落し、全般的な疎外状況が先鋭化する。もとより父権制社会であったプロシア・ドイツでは特に帝国建設に貢献したという自負を持つ中産市民階級の父親の権威が突出する。しかし父親たちの性は二重モラルに支えられていることを息子たちは知っていた。学校は才能の自由な開花を阻止する単なる「矯正」施設になり、教師は暴君でしかない。都市では自然が失われ、息苦しさは募るばかりである。このような状況に対抗し、「これではない」、アルタナティーフな社会を模索しようとした中産市民階級の息子たちのエネルギーが「ドイツ青年運動」を胚胎せしめたといえるのだ。この抵抗運動、すなわちプロテストは、まさにプロテスタント的・中産階級的・特殊ドイツ的な性格を持ち、自由主義運動そのものが弱かったドイツでは、プレ・リベラルな、ロマン主義的な、ある意味では中世への先祖返り的な性格を示すこととなった。このようにある程度の非合理主義をもともと内包していた「ドイツ青年運動」は様々なイデオロギーに絡めとられながらリゾーム的に分裂・統合・消滅を繰り返していくのである。 「ドイツ青年運動と文学」というテーマへは、ドイツ青年運動に影響を与えた文学、青年運動から生まれた文学、青年運動の周辺の各種の運動(教育改革運動、裸体主義運動、コロニー創設運動、新興宗教、ナショナリズム、左翼運動等々)から生まれた文学、表現主義やゲオルゲ、ヘッセといった文学史上大文字で書かれる事項との関連など、様々なアプローチの方途がある。シンポジウムのパネリストたちは、各自の専門と興味の方向にしたがって以下のような発表を予定している。シンポジウム参加者の積極的な意見開陳、発表者への教示を賜りたい次第である。



1. ホイットマンと青年運動

須 磨  肇

 W. ホイットマン(1819-1892)は、革命詩人 F. フライリヒラートが1868年初めてドイツに紹介して以来、徹底自然主義、印象主義、表現主義等に少なからぬ影響を与えてきた。ヴァンダーフォーゲルの最初の世代のメンバーらは、文学よりも音楽を重視しており、読むといっても古典よりグリンメルスハウゼン等を好んだ。しかし次第にヘルダーリンを読むように洗練されていった。1913年のマイスナー大会がきっかけとなって成立した「自由ドイツ青年」は大学生が中心だったので、文学的にもスノッブと言えるような傾向があった。この頃はゲオルゲが好まれたようだ。しかし青年運動の理論家であるH. ブリューアーは、ホイットマンの訳者であるG.ランダウアーと雑誌『アウフブルフ』の編集をしており、なおかつ彼の主著『男性社会における性愛の役割』(1917・1919)の中で男性同盟について述べているが、ホイットマンについては言及したことはなかった。ブリューアーのいう男性同盟はホイットマンの社会的エロチシズムに立脚した民主主義と軌を一にしているにも拘らずである。この事は、議論の余地があるのではないか。本発表では、今まで余り論じられなかったホイットマンと青年運動との繋がりについて可能な限り考察を試みたい。



2. ルイーゼ・リンザー ― 青年運動という観点から

竹 岡 健 一

 ルイーゼ・リンザーは、ナチスの戦争犯罪に対する厳しい批判で有名である。だが、1960年代以後、当のリンザーがかつてナチズムに同調していたのではないかという疑惑が出され、彼女自身その一部を認めている。しかし、それがナチズムへの信奉を意味するのか、それとも単なる日和見主義なのかは、今だにはっきりしていない。そこで、本発表では、青年運動との関わりという観点からこの問題に取り組んでみたい。そのさい、主として考察の対象となるのは、1934年にリンザーの名前で公刊された「上部バイエルンのドイツ女子青年団指導者キャンプより」である。この報告書は、しばしば指摘されるように彼女のナチズムへの共鳴の裏付けとなりうるのだろうか。当時の若者の間には、それでなくともナチズムに類した思想が流布していたし、ましてやこの報告書を執筆した時期のリンザーは、教員の国家試験を目前に控えた弱い立場にあった。就職難とナチ政権誕生を目の当たりにして、体制に迎合する文章を書いたとしても決して不思議ではない。ならば、この報告書の執筆とナチズムへの心酔は必ずしも一致しないという見方もできよう。そうした意味で、ナチスの政権獲得前後にドイツの青年が置かれていた状況、および当時のリンザーの思想傾向全般に注意を払いながら、この報告書の意味について、またそこから彼女のナチズムに対する態度についてどのようなことが言えるのかを考えてみたい。



3. 青年運動とホモ・ソーシャリティー ― 同性愛と政治のディスクルス

福 元 圭 太

 「青年こそが未来を担う中核的存在である」と青年を礼賛し神格化するいわゆる「青年神話」は、第一次世界大戦後は特に右派のプレ・ファシズム的イデオロギーに絡め取られていく。第一次世界大戦を機に「青年」に割り振られた「男性ジェンダー」は、国家形成力として明確に政治化されていくのである。ジェンダーとはこのように、男女の性役割を峻別することで、存立している父権制社会を維持するために発明された構築物であったはずだ。 「ドイツ青年運動」もその一つに数えられるいわゆる「男性同盟」にはしかし、ジェンダーの規範を撹乱させるホモ・エロティシズムという性質が構造的に付きまとっている。本発表では主に「青年運動」の誕生からヴァイマル期を経てナショナリズムへいたるまでの「男性同盟」に関する言説を、セジウィックのいう「ホモ・ソーシャリティ」の概念を用いながら分析してみたい。その際オットー・ヴァイニンガー、ハンス・ブリューアー、アルフレート・ボイムラー、アルフレート・ローゼンベルクらを俎上に乗せることができればと考えている。



4. 身体問題としてのドイツ

田 村 和 彦

 マザー・グースの歌謡集に「男の子ってなんでできてる? ―とめ金にカタツムリ、子犬のしっぽ、そんなものでできてる」というのがある。森や原野を集団で歩行したドイツ青年運動の若者たちの写真を見て思うのは、いったい彼らが「なんでできていたか」ということだ。都市文明を忌避し、自然食、節約、禁欲といった、エコロジーのはしりのような習俗を広げた若者たちが、独特の行動規範と身体組成を持っていたことはよく知られている。この青年たちの身体組成は、1871年に「帝王切開」によって産声をあげ、1918年の敗戦によって手足をもがれ、(この時点で「青年王」は退位した)ワイマール共和国において復活を期して頭をもたげ、やがて一人の「英雄青年」に率いられた褐色の集団と化すドイツという国家の「身体」とどうかかわるのだろうか。ドイツを他の西欧の「老いた」国々に対して「青年の国」とするレトリックは、ラングベーンやラガルド以前にもあったが、戦間期にこの国家の姿はより頻繁に若者の身体に重ねあわされる。若者たちの身体問題は政治にとって喫緊の関心であり、左右両派の「陣取り」の材料だった。国家と骨がらみの文学も青年たちにすりより、「若いドイツ」という神話形成に参与していった。本報告ではとりわけ、ハウプトマン、トーマス・マンら「老いゆく」世代の文学者たちの若者礼賛に注目して、彼らの夢想の意味(もしくは歪み)を見ていきたい。



シンポジウムⅤ(10:00~13:00)     B会場

量から質へ ― 「新潟大方式」による外国語教育

Fremdsprachenunterricht: Von Quantitat zu Qualitat ? der Fall Niigata

司会:金子一郎、福沢栄司

コメンテーター:中山 純

 新潟大学では今年度内に初修外国語の抜本的な改革案を策定することになっており、そこでは選択制の導入をはじめ、従来からの教育体制の全面的な見直しが要請されている。実効ある教育改善を図る上で量から質への転換が避けて通れない方策であるとしても、これをどのような具体的な形で実現するかが大きな課題である。当シンポジウムでは一地方大学の取り組みを叩き台に、現在の大学教育体制の制約の中で外国語教育に何ができて何ができないのか、教育制度などのハード面から進めた改革が、翻ってどのような教育的意義を現実的に支えうるのか、そしてその可能性と限界をどのように評価すべきか、などについて活発な意見交換を行い、また参加諸賢の議論から、本学の改革案の検討に資する示唆を得たい。

 新潟大学の外国語教育は、平成5年の教養課程の廃止、6年の教養部解体を直接の契機として変わり始めた。改革を導いた基本的な考え方は、学習機会の差異化と集中化であり、その具体的な形態は次の二つの新たな教育科目に代表される:

1 「集中コース」: 90分週4コマ通年8単位、クラス規模30人、スペイン語を除く全外国語(独・仏・露・中・朝)に設定、平成5年に発足。

2 入門講義科目「言語文化基礎」: 週1コマ前期2単位、クラス規模100人、履修する外国語の選択に先だって複数の外国語とその文化の概略を講義、  外国語学習への動機付けを図る。後期に一外国語を履修。平成9年から実施。

 これらは現在まで受講可能な学部が限定されるなど、規模の上では部分的な改善にとどまっている。現在検討中の改革案は、初修外国語の教育を全学的にこの二つの方式に集約し、従来型の教育形態(週2コマの初級コース)を最終的に解消する方向を目指している。そしてより高い学習の到達度は「集中コース」によって図り、また集中化と少人数化を全学的に展開するのために不可避となる選択制に対しては、「言語文化基礎」を拡充することによって学習者の裾野を広く維持しようとするものである。この改革案は言うまでもなく外国語教育を取り巻く外的状況の変化に対応しようとするものであるが、同時に教育現場の内的状況の変化を反映したものとなっている。 後者について言えば、この新たな教育科目の10年にわたる実施経験は、担当者の間に共通の外国語教育観を産み出しつつある。即ち、一つは外国語修得の中途半端を排したいわば"Wenn schon, dennschon"原理の確認であり、もう一つは外国語には、言語の習得は必ず個別主体性の原理に立ってなされるという他の教育科目と異なる固有の教育ポテンシャルがあり、これをできるだけ深く汲み上げ、教育基盤を強化することによって、市場原理などによる教育の合理化の論理によく対抗し得るという認識である。

 以上が「新潟大学方式」の概略であるが、シンポジウムでは以下の五つの視点から実施報告をおこない、この方式による量から質への転換が、外国語教育の意義、またいわゆる大学改革、第三者評価、更に間近に迫った独法化との関連においてどのような可能性と限界を持つことになるのか、コメントを仰ぎ、議論に繋げたい。またこの関連で、他大学におけるドイツ語を巡る状況、改革の事例などについて活発な情報交換を促すことも当シンポジウムの目的とするところである。

1. 集中コース(週4回通年8単位)とドイツ語教育の可能性

桑 原  聡

 ドイツ語教師を初めて早18年、最初の2~3年は、ドイツ語教育を通してドイツ文化の喧伝に努めようと高き志をもって教室に向かっていたものの、数年の後には教室に向かうに足取りも重く、逃げ出したい気分に襲われるようになった。こちらの思いに見合った反応が学生から帰ってこないからであった。それから学生の学習動機を向上させる試行錯誤の日々が続いたが、いずれもうまくいかなかい。最後にたどり着いたのは、制度の問題であった。選択必修、週2時間、一クラス50~60人のクラスでは、教師がいくら頑張っても限界がある。そこに教養改組の荒波が押し寄せてきた。その功罪は今は措くとして、新潟大学のドイツ語教育については一つの大きな利点をもたらしてくれた。平常時であればできなかったであろう制度の改変がどさくさに紛れて行なえたことである。そこから週4回の集中授業が生まれることになった。この新しい制度が何をもたらしたかを以下の点に即して述べてみたい。報告の要点は、制度の変革は教師の意識変革を促す可能性を持つという点にある。

1 嫌々行く教室から行くのが楽しい教室へ - 環境の変化が及ぼす効果

2 学習目的の押しつけから主体的関心の喚起へ

3 抽象的ドイツ語から学生の世界を表現するドイツ語へ

4 ささやかな実践の試み

5 環境の変化が引き起こす教師の変化



2. 一外国語必修(通年6単位)制度におけるドイツ語

宮 内 俊 至

 新潟大学法学部では1995年に法政コミュニケーション学科を新設して外国語・外国文化論の講義の充実を図ることになった。それにともない教養外国語科目について検討を重ねた結果、従来の「既修2単位+未修4単位」から「一外国語6単位」へと変更し、1999年度から実施されることになった。各言語の選択率は2002年度までの4年間の平均で、英35.5%、独23.4%、中16.0%、仏13.8%、西5.6%、朝3.0%、露2.7%という結果になっており、また学生はほぼ希望の外国語を聴講できている。

 ドイツ語については、毎年60名程度の希望があるため、30名ずつ2クラスとし、週3コマのうち日本人教員が2コマ、ドイツ人教員が1コマを担当している。この少人数化・集中化の成果としては、再履修が大幅に減ったこと、すなわち全体的な成績の向上、およびドイツ語とドイツへの関心の増大が主なものとしてあげられる。

 さらにドイツ語学習の動機づけのためには、専門教育との接合が不可欠である。そのために、ドイツ語の使用を前提とするゼミと講義が各学期複数開設されている。また毎年ボン大学の協力を得てサマースクール(4週間、6単位)を実施していることも、学習意欲とドイツ語能力の向上に一役買っているし、学術交流協定を結んでいるミュンスター大学法学部への留学の道を開いていることも学生にとってはよい目標となっている。

 現在までのところ、ドイツ語に関する限りにおいては、当制度は当初の予想を大きく上回る成果をあげていると思われる。



3. Intensivkurs aus der Lernerperspektive

Stefan Hug

Ausgehend von eigenen Lernerfahrungen moechte ich versuchen, die Intensivkurse mit den frueheren Deutschkursen am kyoyobu zu vergleichen und aus Lernerperspektive zu beurteilen. Die Einschaetzung der Studierenden wurde durch eine Umfrage in zwei Kursen ermittelt. Ziel ist dabei nicht, ein Loblied auf die Intensivkurse zu singen, sondern zu einer realistischen Einschaetzung dessen zu kommen, was unter den augenblicklich in Japan gegebenen Lernbedingungen an Reform des Sprachunterrichts moeglich und sinnvoll ist. Beim Vergleich der alten und neuen Kursformen wird es um folgende Punkten gehen:

Die ,,alten" Kurse am kyoyobu waren gekennzeichnet durch:

- Massenabfertigung mit Vorlesungscharakter, bei der ein Grossteil der Studierenden von vorne herein abschaltet,

- Frontalunterricht und damit einhergehend Anonymitat und Einzelkampfertum,

- ein Klima, in dem Leistung eher unangenehm auffiel (Strebertum) und

- Mangel an Konkurrenz, schon weil es kaum fusr allen usberblickbare

Leistungsnachweise gab; geprueft wurde nur akademische Leistung, bewertet nur durch den Lehrenden.

Die Intensivkurse zeichnen sich aus durch:

- Ueberschaubare Kursgrosse und bessere Kontrolle,

- soziale Formen des Lernens wie Partner- oder Gruppenarbeit, ebenso ein besseres Eingehen auf einzelne Studierende,

- andere (z. T. auch soziale) Formen des Leistungsnachweises als Abschlusspruefungen und

- Konkurrenz in Gruppen, z. B. bei kleinen Theaterauffuehrungen, bei der u. a. auch soziale Kompetenz gefragt ist (Kompensationsmoeglichkeit) und die

Studierenden am Bewertungsprozess beteiligt sind.

Schliesslich moechte ich auf studentische Kritik an den Kursen eingehen.



4. 講義による外国語科目「言語文化基礎」

佐 藤 信 行

 外国語教育の差異化を進める中で、少人数集中化と対極をなすのが講義科目「言語文化基礎」である。1998年度より実施。理工学部を対象として(3クラス=100名×3)第Ⅰ期に開講し、独・仏・露の教員が5回ずつ担当、内容は言語基礎(各外国語のABC)に文化基礎(文化的背景の一端を紹介)を加味したものである。第Ⅱ期に学生はこの中から1外国語を選択する。

 担当教員には5回で語ることのできる〈ドイツ語・ドイツ文化〉とは何かという問題が突きつけられる。これを担うには相当のパワーが要る。一方受講者は3外国語に5回ずつ気楽に関わるだけではあるが(2単位取得)、それぞれのエッセンスにふれ、学習上の重大なヒントを得ることもできる。このことは受講生のアンケート結果でも裏付けられるが、他方この新科目を真に実効ある外国語科目として定着させるためには更に多くの工夫が必要である。



4. 講義による外国語科目「言語文化基礎」

佐 藤 信 行

5. 専門教育への貢献

木 村  豊

 少人数化・集中化による初修ドイツ語教育の改善は、功罪あわせて専門課程にも甚大な影響をもたらさずにおかなかった。十把を一絡げにしたような画一的な量産品であったものが、突如個体としての顔をもって専門教育の現場に現れたのである。彼らは何を望んでいるか。ここでもわれわれは従来の教育が、無印良品を大量に生産する、という大きな過ちを犯していたことに気づかされた。顔をもった個体たちは、さまざまに異なる学習動機をもって、あるいは、そもそも学習は動機によって励まされるという経験を一度も味わったことなく進学してくる。このような多彩な、夢見る学生たち、あるいは昨今の学習環境によって汚染された学生たちに、共通解を与えようとする文学研究の従来型価値観、教授法が遠く及ばないことは明らかだった。新しい事態を前に変わらざるをえなかった専門教育現場の実態を、いくつかの観点から紹介する。

- ヨーロッパ文化履修コース(旧独文・仏文・露文)への進学者の増加。

- 関心領域の拡大ないし分散。ドイツ文学から、ドイツ文化全般へ。

- 主体的選択か‘おたく化’の亢進か。卒業論文テーマの多様化。

- 学びか自分探しの旅か。長短期留学生の増加。

 つづめて言えば、無際限に広がる個別性を前に、ありもしない専門性を掲げては教育は成り立たないということだ。研究は書斎に、教育は教室に。われわれは二足の草鞋を履くことの必要を痛感するにいたった。担当教員の意識改革効果である。また次のことも正直に言っておかなくてはならないだろう。リストラばやりの昨今、週4回集中・少人数クラスの設置は、解体に瀕した専門課程のために、進学予定者を担保する母集団の役割を果たしたのである。いわゆる‘青田刈り’効果である。



シンポジウムⅥ(10:00~13:00)  C会場

いわゆる「分離動詞」をめぐって

Einige Probleme der ,,trennbaren Verben“ im Deutschen

司会:成田 節

 このシンポジウムでは、一般に「分離動詞」と呼ばれている一連の動詞に関わるいくつかの問題をとりあげ、構文、意味、実際の用法、正書法の観点からの分析および考察を紹介し、それぞれの立場から問題を提起し、議論することを目的とする。

 一般に「分離動詞」(trennbareVerben)と呼ばれている一群の動詞は、従来、主に造語論の中で「非分離動詞」(untrennbare Verben)との対比において扱われてきた。しかし最近は「分離動詞」を「分離可能な前綴りを持つ動詞」としてではなく、「不変化詞(Partikel)+動詞」(あるいは「動詞付加辞(Verbzusatz)+動詞」)という一種の複合述語と見なし、「前置詞句+動詞」あるいは「副詞句+動詞」などと並行的に捉えることによってその本質に迫ろうとする研究が主流となってきている。(これに伴い名称も「不変化詞動詞」(Partikelverben)が定着しつつある。ドイツ語教育の現場からも「半合成動詞」「続け書き句動詞」「複合連記動詞」など、「分離動詞」に対する代案が提示されている。)

 最近の研究の主な論点としては、(1)不変化詞動詞の意味と用法をその構成要素である不変化詞と単純動詞の意味と用法から構成的(kompositionell)に導き出す可能性、(2)不変化詞動詞の項構造分析に基づく不変化詞(動詞付加辞)の類型化(例えばStiebelsはVerbzusatzを,,lexikalische Argumente", ,,lexikalische Adjunkte",,,Aspektmarkierung"に分類している)、(3)不変化詞動詞を複合述語と捉えることにより開けてくる他言語の複合述語との対照研究の可能性、などを挙げることができる。

 本シンポジウムでは、このような研究の流れを踏まえ、いわゆる「分離動詞」の問題の内、これまであまり取り上げられなかった側面にも目を配り、多少なりとも視野を広げて「不変化詞動詞/分離動詞」について分析・考察をする。その際に新たに問題とされるのはたとえば次のような点である。

i.不変化詞動詞においてはどのような項構造の実現パターンが見られるか?

ii.不変化詞動詞の多義性にはどのような規則性が見られるか?

iii.不変化詞動詞とその対応表現である「前置詞句+基礎動詞」はどのように使い分けられるのか?

iv.不変化詞動詞(=「分離動詞」)と切り離せない問題として正書法の問題があるが、18世紀のAdelungの正書法をも視野に入れると1998年施行の新正書法はどのように評価できるか?

 以下、各発表の要旨である。



1. 不変化詞動詞における項構造の交替現象について

岡 本 順 治

 ドイツ語において従来、「分離動詞」と言われてきた動詞群が程度の差こそあれ、統語的にも意味的にも一様ではないという観察から出発する。この類の動詞を、本発表では、「不変化詞動詞」(Partikelverben)と呼ぶが、その理由は、とりもなおさずこれらの動詞が「不変化詞(Partikel)+動詞(Verb)」という構造であると見なすことで、広くゲルマン諸語に見られる共通した現象として扱うことができることが明らかになってきたからであり、また研究の進展に伴い、ドイツ語での固有性も明らかになりつつあるからである。

 このような観点から、本発表では、ドイツ語の不変化詞動詞を、(1)3つの種類に分けることを提案し、(2)その項構造(Argumentstrukturen)の実現形を基礎動詞(Basisverben)の項構造と比較し、(3)特定の不変化詞動詞内での項構造の実現パターンにある種の類型が存在しないか否かを考察する。その結果、接頭辞動詞(Prafixverben)(従来の非分離動詞)と同様に不変化詞動詞にも特定の項構造の交替現象があるが、統語構造との関係は一様ではないことが明らかになる。Van Riemsdijk(1990), Koopman (1993), Zeller (2002)で示されているような、PPの投射と機能範疇を設定することが、問題の一つの解決策となると思われるが、その際に項構造と意味役割の関係が果たして本当の意味で説明できたことになるのか否かを最終的に検討する.



2. 不変化詞動詞の文の意味について

黒 田  廉

 不変化詞(Partikel)は多様な意味の動詞語彙を形成する。辞書の記述や一部の研究書にみられるように、この多義性を不変化詞の多義によるとして扱うことも可能である。しかし、文の意味全体を考慮した場合、不変化詞動詞の多義性は、基礎語(Basiswort)および他の文構成素の意味的結合関係の中から生まれてくると考えた方が適当である。不変化詞動詞の文の意味はまた、言語外現実についての語用論的知識によってもかなりの程度規定されている。

 本発表では、不変化詞ausをもつ動詞文について、(1)どのような意味構造が認められるか、(2)不変化詞と基礎動詞の間にはどのような意味的結合関係が認められるか、(3)どのような語彙的意味をもつ文構成素がどのようなaus-動詞とともに用いられているか、(4)文全体の意味と言語外現実についての知識がどのように関わっているか、を具体的に分析する。以上により、不変化詞動詞の文の意味が一定の意味的枠組みの中に、言語外現実に整合するような語彙的意味をもつ文構成素が組み合わされ、形成されていることを示す。



3. 不変化詞動詞と対応表現 ― コーパス調査による考察

成 田  節

 次の例ではaの不変化詞とbの前置詞句の間に意味的な平行性が認められる。

(1) a. Sie klebt den Zettel an. ― b. Sie klebt den Zettel an die Wand.

(2) a. Ich giese Wein ein. ― b. Ich giese Wein in ein Glas.

(1) aのanは付着の場所を明示せずに、「(そこに)接するように」とい空間関係を表し、(2) aのein も方向を非明示的に表したものであると考えられるが、不変化詞動詞が用いられるか前置詞句+基礎動詞が用いられるかという選択にはどのような要因が関与しているのだろうか?たとえばeingiesenとin etwas giesenについてコーパスで調べたところ、「飲み物をそのための通常の容器に注ぐ」という表現は、大半の例においてeingiesenが用いられていた。「飲み物を注ぐ」という意味のin etwas giesenも数例あったが、その場合は「通常の容器以外の所に注ぐ」などの条件が見られた。

(3) Bienkopp giest Schnaps fur Mampe in seine Kaffeetasse.

 このことは、実際の言語使用のレベルでは、eingiesenとin etwas giesenの間で一定の役割分担がされているということを示唆する。この発表では、さらに幾つかの不変化詞動詞と、それに対応する前置詞句+基礎動詞について調査し、両表現の間の選択に関与する要因について考察する。



4. いわゆる分離動詞の綴り方について ―アーデルングの正書法をもとに―

阿 部 美 規

 Konrad Duden に端を発する従来の正書法以前に出されたAdelungの正書法(Vollstandige Anweisung zur Deutschen Orthographie. 1788.)およびドイツ語辞典(Grammatisch- kritisches Worterbuch Der Hochdeutschen Mundart. 1793-1801.)は、いわゆる分離動詞の綴り方に関して、多くの点で現今の新正書法と一致していた(分かち書きを原則とする点、従ってkennen lernenに見られるような動詞+動詞の組み合わせは分離動詞と認めない点、更に動詞と続け書きされる不変化詞(Partikel)を限定している点など)。まさにこれらの点のゆえに新正書法が1998年の導入以来激しい批判にさらされているのとは異なり、Adelungの正書法は同時代のGoetheやWielandといった著名な文筆家からも高く評価され、広く受け入れられていた。しかしながら、校訂の行われていない当時のテクストを具に観察すると、Adelungの正書法は分離動詞の綴り方に関して必ずしも常に遵守されていたわけではないことがわかる。

 この事実に注目し本発表ではまず、(1)いわゆる分離動詞の分かち書き・続け書きについて、Adelung と同時代のテクストにおいてどのような語(群)で書法に揺れが見られたのか、またいかなる原因によってそのような綴り方の揺れが生じたのかを示し、それに基づいて、(2)当時の正書法模範における「分離動詞観」 ― いかなるものを分離動詞とみなすか ―と現実におけるそれとの相違を明らかにしたい。また、本発表は以上の考察を通して、新正書法を評価する際の一助を提供することも射程に含めている。



口頭発表・文学4(10:00~12:00)  D会場

司会:吉田和比古、三国博子

1. 文学作品とエコロジー ― シュティフターの枠物語を通して ―

松 岡 幸 司

 最近、文学研究の場においても、「エコロジー」という語が見られるようになってきた。しかしその捉え方は、「思想としてのエコロジー」を出発点としており、本来の「エコロジー=生態学」という意味は希薄となっている。

 そこで本発表では、「エコロジー=生態学」的な視点で文学作品を捉えたい。A.Stifterの『石さまざま』に収められた作品を中心に、文学作品を一つの生態系としてとらえ、作品に描写された自然が延ばす時空的広がりについて考える。作品内に描かれた自然 - 例えば「森林」― は、その背後に様々な「コンテクスト」を持っている。物質循環の行なわれる場として、もしくは人間の日常生活における関わり方など。あるものは作者と我々の時間的・空間的差異を超越して同一のものであり、またあるものは全く異なるものである。そのような、自然描写の背後にあるが、テクスト上に直接は現れない「自然描写のコンテクスト」を意識した読みを行なうことを通して、文学行為における「自然体験」の意味を考えてみたい。そして、文学作品という生態系を通して、人間と自然の関係における時間的空間的な広がりをとらえ、「エコ = Okologie/environmentally conscious」という二つの視点を文学研究に取り入れるための方向性を示す事により、環境問題に対する文学的なアプローチの、新たな次元を示す試みとしたい。



2.「書くこと」をめぐる欲望の行方 ―カフカの『失踪者』における食と性

江 口 陽 子

 『失踪者』はカフカが初めて書いた長編小説である。16歳のカール・ロスマンは、女中との過ちにより父の家から放逐され、ドイツからアメリカ合衆国へと向かう。彼は受け入れられては追放される社会的下降線を辿る。この作品は比較的最近まで、他の二つの長編小説(『訴訟』、『城』)と比較して評価も注目の度合いも低かった。文明批判としての解釈や、同じ失敗を繰り返す主人公に対する価値判断、心理学的解釈など、研究は作品内容全体の意味づけに終始する傾向があった。だが『失踪者』もまた、カフカの「書くこと」の星位からすれば、執筆された時期も含め、ある興味深い局面を示す。すでにこの観点から従来の『失踪者』研究の視点を転換するための提案がなされており、この発表もその一つとなることを目指す。現実生活、特に恋愛・性的関係及び、食生活を圧迫しつつ成立しているのがカフカの「書くこと」である。『失踪者』の主人公の際立った食欲の欠如は、常に食の同一化機能や性への嫌悪、または権力にある者との葛藤と結びついている。カフカ作品の中でも特に、ここでは食と性との絡まり合いが濃厚である。この発表では、食と性とのモチーフの機能に焦点を当て、それが作者の「書くこと」とどう関連するかを探ってゆく。



3. 芸術形式としての象徴 ― ヴァルター・ベンヤミン『ゲーテの  「親和力」』を手がかりとして

岡 本 和 子

 ベンヤミンにおける芸術形式の理論を問題とするとき、従来の研究はほとんどもっぱらアレゴリー概念の解明に向かい、対概念である象徴概念についての研究は、その重要性にもかかわらずおろそかにされてきた。本発表ではベンヤミンの象徴概念を芸術批評との連関において明らかにする。

 1916年の言語論に端を発するベンヤミンの象徴概念は、芸術作品に関しては「象徴形姿」と「象徴内実」の関係として見出される。芸術批評は、作品のなかで知覚可能となっている象徴形姿を、直接的には知覚不可能な象徴内実へと変えることを課題とする。しかし、象徴内実そのものの言語的な定式化は不可能であるため、ベンヤミンの批評は具体的には、象徴形姿を構成する「叙述形式」(Darstellungsform)の分析を通して、作品に内在する「芸術形式」(Kunstform) - 象徴形姿と象徴内実の関係 - を根拠づけることを目指す。

 ベンヤミンは、ゲーテの叙述形式である「死の象徴表現」から「象徴」という芸術形式を取り出す。その論述の要をなしているのが「星の象徴」である。この星は、希望が棲む「家」としての芸術作品である。ゲーテの叙述レヴェルにおいては死を意味する家のモティーフのなかに、ベンヤミンは「誕生の家」という意味を読みこみ、この星を「希望の家」の「象徴」として捉える。この「象徴」こそが、作品『親和力』に内在する芸術形式にほかならない。



4. ほら吹きの倫理 ― シュティラーの手記にみる現実否定をめぐって

葉 柳 和 則

 「僕はシュティラーじゃない!」という叫びでもって、アメリカ人ホワイトを自称する未決拘置中の男の「手記」は始まる。自分が失踪したスイス人シュティラーその人であるという嫌疑を払拭することが、この「手記」の表向きの目的である。国選弁護人を始めとする他者たちは、「ありのままの純粋な真実だけを」書くことをこの男に期待する。この男がシュティラーであるという客観的かつ間主観的な「証拠」や「証言」が積み上げられ、物理的/身体的なレベルでの同一性を否認することは不可能な段階に達してもなお、この男は、失踪中に我が身に起きた、ある決定的な自己経験を根拠にして、少なくとも「僕は彼らのシュティラーではない」ことを主張しつづける。しかし、シュティラーはこの決定的な経験をしかと名指すことはできない。「ありのままの純粋な真実」は、直接的に表現しえないものとしてある。シュティラーが取った語りの戦略は、自らの「経験」をめぐってほらを吹きまくること、すなわち、いくつものほら話を変奏してゆく中で、「経験」を別の物語に置換し変形させ、迂回的に経験を言葉へともたらすことであった。ほら話は確かに、客観的にはもちろんのこと、間主観的にみても、「虚偽」であるかもしれない。しかし、ほらをほらとして語る限りにおいて、経験を「ありのまま」に再現したと詐称することに比べて、経験に対してはるかに論理的かつ倫理的であることができるのである。



ポスター発表(10:00~13:00) E会場

塀の中の音楽 ― テレージエンシュタットを生きた作曲家たち

中 野 有 希 子

 ヴィクトル・ウルマンは1942年から44年の間、プラハの北60キロに位置していたテレージエンシュタット強制収容所で、生涯最後の作曲活動を展開した。この収容所は、ナチスが国際社会に対してユダヤ人政策の実態を隠すために、「ユダヤ人を保護する収容所」としてプロパガンダに利用された。多くの文化人が収容され、芸術活動が盛んに行われたが、大半の収容者は、この収容所を中継地点としてアウシュヴィッツに移送され、ガス室の露と消えた。「アウシュヴィッツが地獄なら、テレージエンシュタットは地獄の控室だった」と、ある生存者は語っている。「東への移送」の直前まで果敢に音楽活動に挑んだのが、ウルマンやハンス・クラーサ、パヴェル・ハース、ギデオン・クラインといった作曲家、そして作品の上演、演奏に尽力した歌手や指揮者たちである。

 彼らの悲劇的結末のゆえに、収容所内で生み出された作品の全貌は明らかではない。しかし、アウシュビッツに送られるウルマンから草稿を受け取った友人によって、自筆譜の全てとは断定できないが、オペラ『アトランティスの皇帝』、弦楽四重奏曲第3番、リルケのテクストによる『クリストフ・リルケの愛と死の歌』、そして最後の三曲のピアノ・ソナタといった作品が残された。作品、そして作曲の過程においても、そこには一芸術家としての存在を貫くことで抵抗の意思を示したウルマンの息遣いを感じることができるだろう。



既存教科書のCALL教材化の試み

北 原  博

 情報技術の進展に伴い、CALL教室を導入する大学も増えている。しかし、ハードウェアが整備されても、肝心の教材の整備は不十分と言わざるを得ない。様々な実践報告が示すように、中級ドイツ語については教材をインターネット上に求めることも考えられるが、初級ドイツ語用の体系的に学べる教材が求められている。

 独自の教材を用いるにせよ市販の教材を用いるにせよ、CALLの利用が各大学のドイツ語教育のカリキュラムに明確に位置付けられていることが望ましいのは言うまでもない。しかしながら、CALL教室の数や利用する担当者が限定されるために、CALLの活用は、通常教室での授業を前提とした旧来のカリキュラムの中で、担当者の裁量に任されているのが現状ではなかろうか。こうした場合、通常教室での授業との整合性を考慮しなくてはならないのであるが、市販の教材は必ずしも週1~2コマの授業に適当であるとは言えない。そのため、既存の文法教材、文法読本や総合教材などをCALL教室で使えるようにアレンジしていく必要がある。本発表では、既存の総合教材を活用した簡易マルチメディア教材の作成及び授業実践の報告を行う。

 本発表が初級ドイツ語でのコンピュータ活用についての情報交換の場となることを期待している。



カントの啓蒙論 ― その社会史的背景

斉 藤  渉

 カントは、『ベルリン月報』の論文「啓蒙とは何か」(1784)をはじめとする多くの箇所で、啓蒙について論じている。同時代に対する「フリードリヒの世紀」などという評言からは、ともすると、世事に疎い大学人の、ナイーヴな体制礼賛を聞き取られかねない。

 本発表は、1780年代の著作を中心に、一見するとオプティミスティックに見える彼の態度の内実を探る。その際、1)この時期にひとまずの完成をみる批判哲学と、2)それと並行して表れた歴史哲学的著述、さらには、3)同時代の社会的・政治的状況の3点に着目しつつ、カントの啓蒙に対する態度が、単なるオプティミズムではなかったこと、後年の『プロイセン一般ラント法』(1794)に結実する法典編纂作業とそれをとりまく時代背景を反映した、彼なりの歴史認識を示していることを論じたい。

法、自由、中間休止 ― ヘルダーリンにおける「計算され得る規則」と「計算され得ない意味」の対立と統一をめぐって

大 田 浩 司

 ヘルダーリンは、『オイディプスヘの注解』の冒頭で、「法に基づく計算」(das gesetzliche Kalkul)の重要性について述べている。ヘルダーリンによれば、詩人は共同体の教育者でなければならず、詩人の仕事は共同体から遊離したものであってはならない。ヘルダーリンは、近代芸術作品の評価のされかたが、あまりにも主観的な嗜好に基づく印象(Eindrucke)に傾きすぎていることを批判し、他者と共有することが出来る共通の規則を打ち立てることが必要であると考えた。その規則は教え、教えられうる「職人的な」(handwerksmasig)「技術」とならねばならず、芸術作品に内在的で、かつ合理的に再構成されうる論理に基づいていなければならないとされる。

 しかし、確かに厳格で合理的な規則は芸術作品にとって必要であるが、それだけでは芸術作品を作ることはできない。芸術作品に定着されるべき「生き生きとした意味」(der lebendige Sinn)は、詩人自身の特殊な生に根を持つ。それは、規則に従属することのない多義的で自由なものである。ヘルダーリンは、厳格な規則と自由で特殊な意味は、中間休止という媒体において統一されると考えた。

 この点について、これまでの研究でも、様々な説明と解釈がなされてきた。しかし、規則と自由な意味という絶対的に対立するものが中間休止において統一されるとは、そもそも何を意味するのだろうか?絶対的な対立の統一など不可能ではないのか?

 今回の発表では、ヘルダーリンの論文といくつかのオーデ作品について、厳格な規則と自由な意味との関連を考察し、その統一の可能性あるいは不可能性をあらためて検証してみたい。多様な立場からの批判、アドヴァイスを仰げれば幸いである。



Eine Praesentation von Lehr-und Lernmaterialien: ,,Unterrichtsgeschehen mit allen Sinnen erleben ―wie Lernende zu handelnden Personen im Unterricht werden"

Martina Gunske von Kolln

Sie wollen wissen, wie man mit einer Stopuhr und einer Deutschlandfahne erreichen kann, dass beispielsweise 45 Lernende gleichzeitig fuenf Minuten lang auf Deutsch sprechen, ohne ihre Muttersprache zu bemuehen?

Bei der Konzeption solcher Lehrmaterialien wird von folgenden Grundannahmen ausgegangen:

・ Die Arbeit mit einem Lehrbuch schraenkt Bewegung und ganz-koerperliche Aktivitaten der LernerInnen stark ein.

・ Die Arbeit mit einem Lehrbuch steigert vor allem bei japanischen Studierenden die Tendenz abzuschalten, sich hinter dem Buch zu verstecken oder gar einzuschlafen.

・ Langes Stillsitzen sowie lang anhaltende Uebungsphasen hemmen die Konzentrationsfaehigkeit.

・ Handeln fordert den Lernprozess.

Auf dieser Basis konnte das traditionelle Lehrbuch in den Hintergrund ruecken und von Zusatzmaterialien im Unterricht ergaenzt werden. Wie das umsetzbar ist, fragen Sie sich? Auch auf diese Frage werden Sie eine Antwort am Ausstellungsstand finden.

Die Verfasserin (Verfin.) hat vor, einige ihrer Lernmaterialien fur den DaF Unterricht, die das eigenstandige Handeln (sprachlich wie auch koerperlich) fordern sollen, zur Diskussion zu stellen. Durch die ausgestellten Materialien moechte die Verfin. mit den TeilnehmerInnen ins Gesprach kommen. Durch eine Diskussion aller Teilnehmenden soll auserdem ein Informationsaustausch untereinander ermoeglicht werden.



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